幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
■■■ 運営事務局より ■■■
ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
「ラボ・パーティ」については 公式サイト  をご覧ください。
ラボ公式HPTOP新着一覧そのほかランダム新規登録戻る 0353959
  
Home
Diary
Profile
BBS
Bookmarks
Schedule
メール
・メッセージを送る
・友達に教える
ページ一覧
Welcome!
[一覧] << 前の日記 | 次の日記 >>
物語からぶれずに生きよう! その人らしくあることは、他者のその人らしさも認めること 01月01日 (金)
fdvdvdf
新年明けましておめでとうございます。
旧年中は、多くのラボ関係の方がたに
たくさんのバワーをいただきました。
学校法人勤務も4月で3年目と成ります。
ラボを退社して早くも6年になりますが、
ますますラボのような非公教育の社会的重要性を実感しています。

微力ではありますが、ラボの応援団、勝手連として
今年もサイドラインで旗を降りたいと思います。
gorger
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
2016年1月。
今年もこの「絵の感想」をやめようかと悩んだ。
しかし考えてみたら、まだ4年くらい続けただけなので、
もしここでやめたら、何か「投げだした感」ばかりが残るから、
当面は書いていこうと決めた。
暇な方はお付き合いくだされ。
今年は申年、というわけで、
「やっぱり!」とばかりに『西遊記』である。
もちろん、干支だから1月の絵に、
なんていうベタな理由で
この作品が選ばれるはずもない。
新しい年の最初の月、
ラボの仲間の部屋の壁を飾る絵にふさわしい力作である。
sac
描いてくれたのは塚野友希くん(中1/郡山市・山P)。
名前の読みは「ゆうき」か「ともき」か。
もし、ゆうきだとすると女性かもしれぬ。
うーん、アートは基本的にはジェンダーフリーだけれど
全く作品無関係とはいいきれないし、
それぞれのジェンダー(生物学的、社会的)に
リンクする作品もあるから
年齢とジェンダーは作品に付随する重要な情報といえる。
筋斗雲に乗って飛翔する孫悟空。
足元の緋色か朱に燃える山は火焔山か。
玄奘三蔵たち一行を虎視眈々と狙う
牛魔王やその手下と思しき妖怪変化も見える。
なんといってもすばらしいのは、
全体から伝わってくる疾走感、スビード感だ。
高空から螺旋を描きながら急降下し、
おそらくは三蔵のもとへ駆けつけようという悟空を乗せた
筋斗雲の動きはじつにかっこいい。
空港に近づいた小型飛行機が、地上が雲に覆われて
滑走路が目視できないで旋回を続けているとき、
一瞬の雲の切れ目を見つけ、
そこにむかって急旋回しつつ急降下し、
雲を抜けた直後に水平飛行に戻し、
そのまま着陸するスパライル・グライディングという
高度な技術があるが、
この筋斗雲の動きはまさにそれだ。
悟空もただ突っ立っているだけでなく、
左手で目標を探し、右手を後方に引いてバランスをとっている。
さらに右足もすこし上げているのも、
筋斗雲のリアルな速度感と空中感を引き出している。
悟空の頭髪や体毛が
強風で逆立っているように見えるのもすごい。
地上で燃え盛る火焔山と、
宴会をしているような妖怪変化たちが醸し出す
緊迫した雰囲気も、より一層全体を加速させているようだ。
背景のレモンイエローが、気持ちよく抜けていて、
空は水色という固定観念を軽々と吹っ飛ばしている。
しかもただ塗っただけでなく、
たくさんの青緑の線分が一見無造作に、
でもしっかりと意図を持って引かれていて、
これまた加速アクセルになっている。
うっすらと下書きというか、
フォルムを決めた鉛筆の線も見えるが、
「塗り絵のための世界を区切る下書き」ではなく、
「あたり」に近いアバウトな位置取りの線に過ぎない。
だから「はみ出し」など気にせずに
面で構成しているから力強い。
本人にきいてみないとわからないが、
おそらく絵筆は10号か12号の丸筆1本で
勝負したのではないだろうか。
だからチマヂマせずに大胆に自信を持って描けているので
筋斗雲のスパイラルもよりスピード感と強さが出た。
また、これはいうまでもないことだが、
悟空も山も筋斗雲も、描き込みはしつこく細かい。
だからとても賞味期限の長い作品になっている。
ぼくが撮影する写真などは、せいぜい2日くらいしかもたぬ。
自由闊達、しかし全体にも細部にも描き手の意思、
物語への思いが詰まっている作品だ。
山崎流ここにあり! といっていいだろう。
昨年も書いたが、山崎バーティは
ラボ・カレンダーを作り始めた
1985年くらいから、ほぼ毎年のように入選、
佳作入選作品を出してきた。
ぼくも現役時代、ずっと同パーティの作品を見続けてきた。
山崎デューターは絵の素養をお持ちの方だが、
「どんな指導をされているのですが」などという
質問をされるのは、
山崎テューターの意に添ったものではない。
たぶんきっぱりと
まず物語とテーマ活動ありきだと、おこたえになるだろう。
ただ、これだけ入選が続くのは
なにか理由があることは確かだろう。
ぼくが思うその最大の理由は、描画活動とテーマ活動の
関係性がパーティのなかでクリアになっているということ。
そして、それがもう伝統として根付いているのだろう
ということだ。
だから、世代が変わっても
次つぎと新しい魅力的な描き手が登場してくるのだろう。
こうなると、もう文化といったほうがいいかもしれぬ。
c x cx

さて、新しい年になったが、
いつも書くように、テーマ活動は教育プログラムである。
しかも教科書で学ぶ学校の科目のようなものではなく、
ラボ・ライブラリーを聴いて再表現していく、
ことばと心と身体のプログラムであり、
仲間とともに行なう
物語とことばによる実験ともいうべき心躍る学びだ。
12月初め、ある地区のテーマ活動発表会を拝見したが、
発表会もまた教育プログラムだという認識を改めて確認した。
発表会はバーティ活動の成果や道すじを
ご父母やラボを知らないお友だち、
そしてなによりラボっ子たちにみてもらうというプログラムだ。
けれどもそれは、「ラボっ子たちの力の見せびらかし」でもく、
ましてや「試験やテスト」のような点数をつけるものでもない。
だから、いつもいうが「いい発表」「わるい発表」とか
「うまい発表」などというものさしはいらない。
そこで重要なことは、「そのパーティらしさがみえるか」
「そのパーティがやりたいことができているか」だとぼくは思っているし、
そう信じて34年間ラボで仕事をし、
そのうちの22年以上を
ラボ・ライブラリーづくりに携わってきた。
そして、そのことは、
ラボ・ライブラリー制作に参加してくださった
多くの専門家の先生方と同じ思いに他ならない。
 
そのパーティらしくあること、
それはパーティのラボっ子ひとりひとりが自分らしくあること。
それは同時に、他の人のひとりひとりの
「その人らしさ」認めることでもある。
さきほど「いいテーマ活動」「いい発表」のような
ものさしはいらないと書いたが、
なにか「こうでなければいけない」という
テストの答えのようなものさししかないところには、
激しい競争のシステムがうまれ、
さらには「みんながこうするから」という
流行に揺さぶられがちになる。
そこには、その人らしさを認める心、
すなわち思いやりの精神などは出てこない。
この「ひとつのものさし」が今、
日本の社会に広がろうとしている気がしてならない。
とくに経済が際立つて強調されるとき、
そうした傾向は強くなる。
どうかラボっ子のみなさん
ラボ活動に向き合う「自分らしさ」に自信を持って欲しい。
そして、ひとりの人間として地域に、
世界に目をむけてその責任をできる限り果たしていく
人生を自分らしく生きることが、
この地球という「他に逃げ場のない閉じた世界」で
世界が協力して生き残っていく道だと思う。
そうやって考えると、テーマ活動発表会は、
発表するパーティだけのプログラムではなく、
発表からなにを学ぶかという
「観る側」のプログラムでもあることがわかる。
テーマ活動を観るとき、
どうしても「ライブラリーそっくりの語り」とか
「キャラクターの心になりきったセリフ」とか
「見事な身体表現」といった「聴こえる」「見える」ものに
耳や目がむかいがちだ。
もちろん、それは自然なことで、
テーマ活動を観る楽しみのひとつだが、
できるならば、そのパーティがその物語でやろうとしたこと、
そのパーティらしさ、発表にいたるまでの道すじに
思いをめぐらせたいものだ。
つまり、テーマ活動という実験でなにをしたかったのか、
どのような実験をしたのかということを学びたい。
その意味では、今回、
ぼくはたくさんのことを新たに学ぶことができた。
62歳になっても、
まだまだ学べるテーマ活動の教育力はすばらしい。
そして、やっぱり物語だぜ!」ということと、
また、ラボのような学校以外の教育が
これからますますたいせつになるという確信を
リフレッシュできた。
国が国立大学の文化系学部を廃止する方向という
とんでもないことをいいだしているが、
ただでさえだいがくが実学中心になり、
基礎教養理、リベラルアーツが軽んじられる傾向に
ぼくはかなりシリアスに「智の危機」を感じている。
僕の周りの心ある学校教育関係者も同様の危機感を抱いている。
しかし、一方ではそれを諾とし、進学こそが教育の目的と
本気で考えている高校教員も現実には多数存在する。
ラボが50年間たいせつにしてきた、
美術、文学、歴史、民俗文化、音楽、
そして物語などは、理科系だろうとなんだろうと、
人間の土台として欠かせない基本栄養のようなものだ。
こうした栄養は現在、中学、高校、大学と進むに連れて
摂取しにくくなっている。
ラボでは、幼いときから、これらの栄養素がいっぱい詰まった
物語という料理を、しかも母語と外国で味わっている。
すなわち、基礎教養を母語とそれ以外の言語で学び耕し、
それによって言語も育ち、さらに言語の成長が基礎教養を
より深めていくという、きわめて高度な智のプログラムなのだ。
2015年、世界はこの年もまた
平和を脅かす貧困、差別、虐待、暴力、紛争、独裁などから
解放されることはなかった。
そのなかで日本が果たすべき役割は、
どうも気がかりな方向に行こうとしている。
この絵で、悟空は精悍な顔つきで全貌を凝視している。
それは、ぼくたちへの
Re:物語からぶれずに生きよう! その人らしくあることは、他者のその人らしさも認めること(01月01日)
まじょまじょさん (2016年01月04日 18時08分)

SENCHOさん、あけましておめでとうございます!今年もどうぞよろしくお願いしま
す。ルーティーンのラボが始まる前のつかの間のお休み。
久しぶりに、本当にひさしぶりに ひろば@にやってきて、タイトルに惹かれてこちら
にきましたらSENCHOさんのページでした。
チラッと拝読させていただくつもりが、どっぷりはまって
かれこれ1~2時間ほど直近の日記を熟読してしまいました。(^_^;)まだまだ読みき
れません。
もう時間で、PCの前を離れなくてはいけませんので、その前にこれまた7年ぶりくら
いに書き込みさせていただきます。
カレンダーの絵の感想をこんなふうに丁寧に書いてもらえるなんて、描いた子はしあわ
せですね。(是非、これからも続けてくださいね)
そして私も幸せの御相伴にずからせていただきました。

>要するに教育は一生。

ことばを失えば心を失う、
心が貧しければことばは育たない。

豊かなことばに接すると、心が豊かになり、ことばが溢れてきます。
豊かなことばは、豊かな心が育っていればこそ!
お正月に、ひろば@三澤塾で学ばせていただき、なんだかとてもHappyな気持ちになり
ました。SENCHOさんからあふれでることばが圧倒的に豊かで、
こちらの心まであたたかく幸せな気持ちになったからです。
私も、こんなふうに人の心に響くことばを語れるように
また、三澤塾におじゃまします。

今年が一番良い年になりますように!
<< 前の日記 | 次の日記 >>
Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All rights reserved.