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教育プログラムの本質は、いかに子どもたちの心に余韻を響かせるかなのだ! 02月01日 (月)
三澤製作所のラボ・カレンダーをめくる。

毎年、思うが1月はけっこう長く感じる。
しかし2月、如月になると1年はあっという間だ。
暖冬といわれつつも
気温変化が激しく、それだけで消耗する。
みなさま、ご自愛ご自愛。
myr
心理的に長い1月最後の日の夕方、
この絵と向き合ってたまげた。
なんという色、なんというフォルム。
なんという力強さ、そしてなんという自由さ!

描いてくれたのは福間名月さん(5歳・川崎市/安永P)。
ジョセフ・ジェイコブズJoseph Jacobs (1854 – 1916) が編さんしたイギリス昔話のなかの
Johnny-Cake 『くるりんぼうず』に題材をもとめた作品だ。


センターやや左で、,
どーんと笑っている「もろこしパン」がとにかく豪快でたのしい。
この「どセンター」ではないちょいズレがおしゃれで、
右側の青が多い空間が爽やかになりスピード感もでた。
そしてこの複雑な色味は、おとなでも、いやプロの画家でも
どう逆立ちしても出すことはできまい。
ほとんどの人が、見た瞬間、「あっ、やられた凄いわ」と
思ったはずだ。
myr
これまでにも書いたことだが、幼い子どもの絵では
水彩の場合、絵筆の洗い方が不十分だったり、
また軸の拭き方が甘かったり
(ドボンと筆洗で洗うから筆の軸にも水がつくので、
軸もよく拭かないと水が垂れてくる)で、
色が濁ったり、予想外の色が生まれたりする。
だから偶然による仕上がりということもある。

だけど、5歳くらいで絵画教室にでも行かないかぎり
水彩の色の作り方を熟知しているとは思えない。
むしろ、そこにある絵の具を見て、
いろいろと混ぜてみたいと
名月さんはわくわくしながらパレットに出して、
感覚で混ぜたあとに直感で選んで彩色したのだろう。
この選ぶ感覚がたいせつだと思う。
赤と白でピンクになんていう理屈はもっと後からでいい。
直観はあまりまちがえない。
大人が間違えるのは判断である。

学問でも芸術でも、偶然をばかにしてはいけない。
偶然の発見、偶然の発色に感動し、なにかあると信じて
追求していけるセンスと想像力が命なのだ。

その想像力と密接な関係にあるのが言語であることは
なんどもなんども書いてきたことだ。
ことばの豊かなインプットがなければ、
名月さんのようなセンスはなかなか育たない。
名月さんとラボ・ライブラリーの関係を
ぜひ知りたいものだ。

くるりんぼうずの色構成の複雑さは際立っているが、
その他の部分も隅々まで色の挑戦を徹底的に行なっている。
その色のつかい方を一つ一つみると、
おそろしいくらいにおしゃれにできているから驚く。
nettle
その前に、
黒のクレパスで円を大小4つ、
半円とコーン状を一つずつ
さっと形をとったことが、
自由闊達でありながらしっかりした造形の確かさを生んだ。
これだけでも、この絵が「単なる気まま」で
できあがったものでないことがわかる。

しかもこのクレパスの円はいずれも一気書きの線だ。
迷いや、とまどいもなく、すっと力強く引かれている。
これも気持ちいい。
それだけHand-eye Coordinationがすばらしいのだろう。
そして細かい話だが
この円を描いた順番もきいてみたい。
おそらく、まず大きなくるりんぼうずをさきに一番に描き、
それから右、最後に左のピンクとイエロー
ではないか思われるが、果たして正解は?

この円の輪郭をあまり気にせず、
つまり「はみ出し」など気をつかうことなく、
伸びやかに彩色しているので「塗り絵」ではなく
厚みと奥ゆきのある「面」になった。

さらに彩色は格子のクレバスと同系色を用いたり。
はたまた群青と山吹、ブラウンとライトグリーンなんていう
ドキッとする組み合わせをつかったりと
自由自在である。
いやはや恐れ入谷の鬼子母神。

そして背景の凝り方も尋常ではない。
前述した右から左に流れる青も、
とても気持ちのよう抜け方をしているし、
下部の10号か8号の丸筆でぽんぽんと置いた
たくさんの暖色と少しの緑が楽しい。

この背景があるから、ともすれば強力すぎるくるりんぼうずを
ちょうどいいパランスに見せている。

そして、いつも書くことだが、
最後まで、徹底的にしつこく描きこんだ気力と体力は
5歳の子どもの限界に近いかもしれない。
もちろん名月さんは、この絵を描いている途中から
もう、とても楽しくなったのだろう。
また描くまえからこの物語が大好きだったのだろう。

とはいえ、普段は使わないB2サイズの紙とこれだけ格闘すれば、
翌日は熱をだしてしまったのではないだろうか。


そして、なによりこの作品と名月さんにとって幸いだったのは、
クレパスだけでなく水彩が画材として選択できたこと。
これがクパスだけだったら、こんな色は作れないし、
これだけの面積を塗るのはとても大仕事だ。

日本の公教育の描画指導では、いまだに
幼いときはクレパス、ある程度の年齢から水彩という傾向がある。
確かに水彩は用意や描く場所の準備が手間だが、
色を作る楽しさ、フォルムにとらわれず面で描くおもしろさは
幼いときから体験してもらいたい。

最初は水遊び感覚でもいいと思う。
部屋が大変だけど
後片付けをめんどくさいと思ったら絵なんか描けない。

ジェイコブズは、1890年、36歳のときから
自身が編集する民俗学の雑誌にイギリス昔話を紹介しはじめた。
ジェイコブズは、民俗学者であり、文学評論家であり、英文学者であり、
作家であった(じつはジェイコブズはオーストラリアのシドニー出身。
ケンブリッジで学び、イギリスで活動したのちアメリカにわたり、そこで亡くなった)。

彼が昔話を紹介しようと思ったのはグリムの影響が大きい。
グリム兄弟はジェイコブズが10歳になる頃に他界しているので
直接の面識はない。
当時、イギリスの子どもたちが手にする昔話といえば
グリムやペローの昔話であった。

ジェイコブズは、英国に古くから伝わるすばらしい昔話を
子どもたちに伝えることで、
この国に生まれた喜びと自信にして欲しいと考えた。
それはまさにグリムの志にインスパイアされたものだった。

北ヨーロッパの深い森と張り詰めた大気を連想させる
グリムの昔話とは一味も二味も異なる
田舎道の陽だまりの土ほこりの香のような素朴さと
美しいリズムのことば、さらに王様も金持ちも
そして自分自身も突き放して笑いながら、
「人間は皆同じ、おバカでかわいい」という
人間愛に溢れたヒューモアの感覚を
ジェイコブズは、どうしても伝えたかったのだ。

1890年いえば産業革命、ビクトリア朝の末期(1901まで)で、
大量で、力強く、そしてガチガチの社会だった。
大英帝国のある意味マックスで、
労働力はいくらでも必要としたので、
学校ではとにかく文字と四則演算を教えるため、
大教室で黒板を部屋にいくつも立てて、
そこに補助教員がつくという大量授業が行なわれた。

生徒が黒板の方を向いて教員がそれを背にして語る授業スタイルは、
産業革命以前にはなかったといわれる。
アリストテレスの時代から学びとは話し合いであり、
気付き合いであり、
教師と生徒との相互的な影響のしあいであった。
短時間に単純なことを多数の相手に覚えこませることではない。

また、ガチガチの時代であったビクトリア朝では
昔話は「生産性とは無関係」「夢物語し現実逃避」などと
ほとんど無視されていた。
(今の日本でもそういうことをいう奴がする)
さらに『ジャックと豆の木』などは、ジャックが巨人から
宝物を取ってくるのはただの泥棒になるから
「竪琴やめんどりは、昔、ジャックのなくなったお父さんがもっていた物だが、
昔、わるい巨人が強奪した。それをジャックは取り返すという正しい行為をしたのだ」
と書き換えた絵本もあったりした。
笑話のようだが、日本でも同じようなことがあったのだから
またあるかもしれない。笑えない。

ジェイコブズはまず1890年に44編のイギリス昔話をまとめ、
続いて「ケルトの昔話」さらに続編のイギリス昔話集め出した。
その後は「ユダヤの伝承文学」の研究にも尽力した。
『3びきのコブタ』『ジャックと豆の木』『トム・ティット・トット』(巻頭の物語)
などの人口に膾炙したお話は
ほとんどこの最初の44編に収録されていて、
もちろんJohnny-Cakeもみ入っている。
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イギリス昔話は、なんといっても英語のリズムが魅力だ、
ナーサリー・ライム、シェイクスピア、イギリス昔話は
英語のマザーランドが誇る三種の神器であり、
英語、英語文化を学ぶうえで極めて重要、
というより不可避な存在だ。
だからご承知のように
ラボ・ライブラリーには当然ラインアップされている。

イギリス昔話の英語はリズムよく平明だから、
ぜひ英語だけで味わってほしい。
もちろん読んでもいいのだが、その場合は音読したい。
また、我田引水て恐縮だが、ラボ・ライブラリーで
英語だけで聴いていただきたい。

さらに、テーマ活動をすればよりすばらしいことはもちろんだ。

最近、ますます強く思うのだが、
教育プログラムは、以下に幼児、子ども、青少年の心に
余韻、リバーブを残せるかがポイントではないか。
教育の本質は意外にそこにある。
池に石を投げ込んだときの波紋のように、
すばらしい音楽の最後のコーダの後の成熟のように、
深い森のせせらぎのように。
たとえば授業でも、教師のいうことを理解させるかどうか、
つまり生徒がわかったどうかなどは
極論すればどうでもよく、
いかに生徒たちの心に
余韻を響かせることができるかどうかだと思う。

それはラボ活動でも同じで、
ラボ・ライブラリーの使命は、
聞く子どもたちの心に、いかに朗々とした
また凛々とした、そしてまた静謐な余韻を残せるかでありると思うし、
テーマ活動もその1回ごとにどれだけみずみずしい余韻を
メンバーが感じとれるがと思う。
テーマの追求とか、身体表現などのはそれからの話。
そのためには決局のところライブラリーと
何度も向き合うしかなく、
ライブラリー側からいえば、それだけの動機を呼び起こす
余韻を響かせるものでなければならない。

ジェイコブズは、座談の名手で、
誰もが一緒に食事をしたがったという。
Re:教育プログラムの本質は、いかに子どもたちの心に余韻を響かせるかなのだ!(02月01日)
ラボやすながパーティさん (2016年02月03日 20時35分)

わくわくしながら読ませてもらいました!
ありがとうございます!
なつきちゃん(年中さん)、なっちゃんは夏
のスペシャル・ラボ(毎回お絵描き時間2時
間半プラス合同ラボ1時間半)全5回、全て
に参加しました。
お絵描きは初めての絵の具が楽しくて楽し
くて、はじめは水遊びをしているようで服
にもたくさんの色をつけながら、、好きな
色を出してお水で溶いて、おままごとのよ
うでもありました。
この絵は、3回目くらいの参加の時でしょ
うか。それまで毎回大きな画用紙なのに飽
きることなく1枚、2枚とに自由に描き、
絵の具に慣れてきた時のもの。このときは
くるりんぼうずが飛び出したお家を描いた
作品もありました。画用紙の上でお話が展
開されていく感じで、とにかく楽しそうで
した。この場面の絵を描こう!と決めてい
るのではなく、どんどんお話が出てくる感
じです。
毎年、夏休みのスペシャルラボはみんなで
お絵描きするのでみんな絵の具だらけ。我
が家のあちらこちらもも素敵な色に染まり
ます~笑
でも、みんなにとって自由にお話を表現し
たり遊んだり出来る素敵な時間。みんなで
刺激しあえる時間。ずっと続けていきたい
と思います。
なっちゃんは夏休みが終わってもおはなし
にっきでお絵描きを楽しんでいます~♪
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