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『こつばめチュチュ』少しずつの成長 09月06日 (木)
三澤制作書所のラボ・カレンダーをめくる

長月朔日。
日中はまだまだ暑いが
日没し確かに早くなり、
空は高く、
夜が深くやさしくなってきた。
なんと今年3作めの
ChuChu 『こつばめチュチュ』だ。
「入選は原則として物語の重複は避ける。
ただし新刊は除く」という
大昔に作ったカレンダー選考の
ガイドラインがあるが、
それを吹っ飛ばして
堂々3点のChuChu が入選した。
vsv
もっともこの内規は
「できるかぎり多くの物語に
出会って欲しい」という願いから
作ったもので、
あくまでも作品主義、
すなわちgenderや
支部や年齢のバランスには
とらわれないという内規もあるから、
物語の重複もありなのだと思う。
しかし選考者の苦悩がなんとなくわかる。
描いてくれたのは
山田陸くん(小2/愛知県・荒川明美P)。
電線のうえにせいぞろいしている
ツバメの小学生たちだ。
とにかく驚くのはツバメたちを
画面の「天」ギリギリに配置し、
ツバメの下に思いきり空間を
とっていることだ。
これだけのアンバランスな構図は
おとなやブロが逆立ちしてもできない。
「下の空間がムダで成立しない」と
きめつけてしまうからだ。
子どもたちはこの物語を聴くとき
主人公であるチュチュに心を寄せる。
語りの江守徹氏もチュチュを応援している。
それは駅長さんのように
下から見上げるのではなく、
もっと高い所から見下ろすのでもなく
チュチュとおなじ高度で応援している。
だから子どもたちも同高度にいる。
そのことをこの絵は証明している。
陸くんの心は「秋のはじめのあおいそら」
らあるのだ。
下界など関係無いのだ。
そしてさらびっくりは右端のツバメの
燕尾がいちばん長く、
左のに行くにしたがって
だんだん短くなる。
そうかバースペクティブ、
遠近法なのだ。
多分、陸くんのイメージは
電線の真横ではなく
やや右側から見ているのではないかしら。
(違ってたら恥ずかしいけどせ)
色彩はつばめが主役だから
ブラックが多くなるが、
空のなんともいえないくすみ方が
おしゃれでかっこいい。
意図して作った色か
筆に残った黒がにじんで
偶然こういう色彩に
なったのかはわからないが、
最終的には陸くん自身が
「この色」と決めて
彩色しているのだから
これは陸くんの色なのだ。
しかも一色ではなく
ホワイトやviridian系も細かく
用いているので
この空間が退屈しない。
しかし、何度もいうが
こんな大胆な構図はできない。
これこそ個性なのだ。
「下がもったいないね。
何かか描いたら」なんていう
助言をしなかった
まわりのおとなたちもエライ!
さて、ChuChu はどこにいるかといえば
おそらくは右から3羽めだろうか。
「黄色いリボン」だと思うが
これも違っていたら恥ずかしい。
それよりも見れはどの場面だろう。
ふつうにに考えると
授業開始前、マスケル先生を
待っている生徒たち。
みんなそろっているのに
先生がこないから、
おちつかない男子は電線をゆする。
女子は「やめて、先生にいうわよ」
とかいってかしましい。
そこへマスケル先生が来て、
男子はすまし顔。
それで「ピイチュさん 
おしゃぺりをやめて」と
女子がしかられてしまい、
男子は内心ほくそえむ。
なんていう想像は、
じつはこの物語が
大好きな小学生なら
膨らませているだろう。
しかし
もしかするともしかすると
1万メートル競走のスタート直前
なのではという気もする。
「白い胸毛をぶるっとふるわせ」
の緊張がこの絵には漂っているのだ。
号砲一発、いっせいに飛び出す
直前のスタンバイ。
授業前のひとはしゃぎよりも
長距離飛行への希望と怖れが
感じられる。
いやまて、もしかすると
「あれはシドニーまでいくんですよ」
というマスケル先生のことばで
飛行機を見つめているとこめかもしれない。
「もうすぐきみたちも飛ぶ。
鳥は飛行機ほどはやくないが、
ツパメは鳥のなかでは
いちばんはやい。
だから、虫はなんでも食べて
りっぱな身体をつくるのだ」
といったことをマスケル先生は
教えたい。
そのことを生徒たちはきっちり
受けとめている顔だ。
かように陸くんの絵は
物語のcontextをさまざまに
想像させてくれる。
テキストもその裏側の
Contextを感じとらせるこどが
たいせつだが、
絵でも想像を広げさせてくれる作品が
ぼくは好きだ。
いつもいうが、
「こたえはひとつではない」のだ、
ひとつしかないこたえに
たどりつく競走を学問とはいわぬ。
このラボ・ライブラリーの刊行は1973年。
45年前の作品だ。
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ラボ・ライブラリーが
「こどもの友シリーズ」からはなれ、
また有名作品の再話でもなく、
オリジナル・ストーリィで
制作した最初の作品だ。
日本語はらくだ・こぶに。
音楽は間宮芳生先生、
1年生の朝、1年生の成長に
寄り添ったメロディがうれしい。
絵は吉原英雄先生。
先生は2007年に亡くなられたが、
残念ながら拝眉する機会はなかった。
吉原先生は20世紀後半の日本を
代表する版画家の
おひとりであることは
いうまでもない。
「チュチュ」絵は2つの
パターンの変化だ。
恐るべきことに吉原先生を
知らないときに
この絵本を見たとき、
「なんという手抜きだ」と思った。
アホである。
あるとき酒席で
らくだ・こぶに氏にきくと
氏は呆れた顔で、
吉原先生は、
チュチュをあえて没個性にすることで
物語の個性を描きたかったのだ
と教えてくれた。
さらに、その日は
機嫌がよかったのか
「チュチュは注射もがまんする
けっこう強い子のようだが、
とりわけ優等生のツバメではない。
ふつうのツバメが事件にぶつかり、
仲間と離別し少し成長して帰ってくる。
挫折したり病んだりして
少しずつ成長する。
この少しずつの成長を書いたんだ」
と語ってくれた。
ラストでチュチュが
飛ぶ練習をしているときの
「来年もまた帰ってきますかね」
ということばは
必死にリハビリしているチュチュが
まだまだ心配なのだ。
「もちろんだとも」は
さらなる激励、すこし心配。
だから、ここでのチュチュは
あざやさには飛んでいない。
ときおりふらつきながら
気合いでがんばっている。
そう何度でも立ち上がり
少しずつ成長する。
ゴーシュもそうじゃないか!
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