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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる 弥生の空はひつじぐもがふわり 03月05日 (火)
本日のcolumn
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる
弥生の空はひつじぐもがふわり
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二月は逃げるのことばのとおり、
あっという間に過ぎさった。
今日から弥生、3月である。
昨夜は結構遅くまで
ごそごそしていたので
珍しく寝坊して6時40分に起きた。
「うーっ、3月じゃ」と呻きながら
朝の自然光のなかでカレンダーをめくった。
そして思わず黙りこみ、
それから近寄ってながめてから
なんだかうれしくなった。
ラボ・ライブラリーSK8収録の
『ポアン・ホワンけのくもたち』に
インスパイアされた作品。
描いてくれたのは
里見璃子さん(少4/埼玉県・中村ヒトミP)。
物語を知らない人のためにざっくり
あらすじを書くと
ポアン・ホワンけは「ひつじ雲」の一家。
父さんと母さん、兄と姉、
幼いきょうだいたち。
物語は「3月、なんという夕やけでしょう」
という故・岸田今日子さんの
印象的な騙りで始まる。
音楽は間宮芳生先生。
もう、それだけで引き込まれてしまう。
1973年のリリース。
日本語は、らくだ・こぶにの
オリジナル書き下ろし。
絵本は現代美術の巨匠、
元永定正先生(1922-2011)。
先生は絵本作家としても知られ、
谷川俊太郎先生の文による
『もこもこもこ』1977 文研出版、
自著の『がちゃがちゃ どんどん』
1990 福音館書店、
山下洋輔氏の文による
『もけら もけら』1990 福音館書店、
が有名だが、(Songbirds のMy Ballonは
山下洋輔作曲!)
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じつは『ポワンホワンけのくもたち』は
元永先生の最初の絵本作品だ。
45年くらい前、
この絵本をはじめて手にとったとき、
アクリルとエアブラシの
あまりの美しさは
息ができなくなった。
『ポアン・ホワンけのくもたち』については
あとでまた触れるとして
璃子さんの作品に行こう。
絵本を知っている人なら
この絵がまったくのオリジナルだと
すぐにわかるだろう。
雲の一家に表情をつけたことも
鳥瞰で見下ろした構図も、
絵本とはかけ離れている。
璃子さんがこの物語を聴き込み、
おそらくはテーマ活動もして、
彼女自身が、心のなかで醸成し
豊かに膨らませた世界を
画用紙のうえに再表現したのだ。
もうこうなると描画というより
これ自体がテーマ活動と
いえるかもしれない、
絵筆やクレバス、
野球のバットなどを
コントールするには
眼と手の連動、
Hands-eye Coordination
がキイになるといわれる。
でもそれだけでなく、
Image、心との連動も必要だ、
なぜなら璃子さんの場合は
何かをて本にしているのではなく
想像で描いているからで、
Heart-eye Coordinationも
発動されているのだと思う。
想像力豊かに描かれた絵は
観る側の想像力も刺激する。
だから、この絵本を知らない人にも
知っている人にはより多彩に
さまざまなことを想起させる。
璃子さんは
物語のどの場面を描いたのだろうか。
子どもたちの身体が桃色に染まっているのと
家族の表情からは
再会した直後だろうか。
雲間から街が見えるのは璃子さんの
独自な発想だろうが、
これからまた新しい旅だ!
というぼくたちへの激励にも見える。
そうだ、辛いことはいっぱいあるけれど
ほくたちは旅の途中なのだと!
背中を押されている気がする。
この物語の音楽を担当された
間宮先生がいわれるように
「ひとつの物語の終わりは
もうひとつの物語魔のはじまり」
だということを
璃子さんは自然にわかっているのだろう。
もう少し絵を細かく観よう。
父母の雲を右上に
子どもたちを左下にした配置は
うごきと奥行きを作り出して
立体感と浮遊感がかっこいい。
街には家があり、ビルがあり、
学校のような建物もある。
これらの建造物のパースは
多少歪んでいるか
そんなことはどうでもいい。
(そのことを指摘して「指導」
する人がいなかったことは幸い)
屋根の色も細かく変え、
ビルの窓にも明暗がある。
ヒレは模様のような街ではなく
そこに人びとの暮らしがある
リアルガチな街だ。
左下には公園だろうか、
池も見える。
「うちに変えれば璃子ハウス」だぜ。
いや、池ではなく
再会シーンに出てくる湖かもしれない。
上部中央には
フリーウェイも走っているのも楽しいが、
気になるのは父母の背後のにじだ。
物語で虹に出会った子どもたちは
「虹さあん、ひつじぐものおとなを
みなかった」と問いかける。
でもにじはゆっくり消えてしまう。
この絵の虹はなんだろう。
答えを無理に出す必要はない。
彼女が所属する中村ヒトミパーティは
北関東信越支部の
「ラボ国際交流のつどい」で
激励テーマ活動として
『十五少年漂流記』を発表するが
そのときにもし拝眉できたら
きいてみようかな。
そうそう色も気持ちいい。
子どもたちのピンクも春めいて
素敵たけれど
背景の大胆な塗り分け、
マリンブルーとイエローオーカーの
補色も美しい。
また子どもたちの前方の
ミスグリーンがかったビリジアンも
きいている。
さらに面積はわずかだが
左上のスカーレットもいい。
さらにさらにすごいのは
背景も雲のピンクも
下に同系色のクレバスで
線を入れていること。
これでベタッとした塗り絵にならず
作品全体をより立体的にしている。
『ポワンホワンけのくもたち』を
ラボ・カレンダーの入選作で見るのは
この活動開始以来、34 年間で
ほとんどはじめてのような気がする。
もちろんこの物語を題材にした
作品は応募があるのだが、
ほとんどが元永先生の模写のような絵に
なってしまう。
まあ仕方ないのだが。
いやあ璃子さん、恐れ入りました。
ここからはぼく自身の
『ポアン・ホワンけのくもたち』
のエピソード。
何回か書いたことなので
暇な人は読んでおくれ。
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1974 年の秋、
シニアメイト(当時は全部一般大学生、
高大生会員はまだ育っていなかった)
をしていた者の有志が
「テーマ活動わしないと
ラボは分からねえんじゃね」と
『ありときりぎりす』に取り組み、
それからハマってしまい、
新宿での発表のみならず
国際交流のつどいでも発表する
ことになろつてしまった。
そして、調子にのったぼくたちは
2作目として
『ポアン・ホワンけのくもたち』。
に取り組むことになった。
このころはさすがに鈍感なぼくも、
ラボ・ライブラリーが
「英語教材」などと
くくれるものではない
ということを感じはじめていた。
しかし、いざ取組んでみると
『ありときりぎりす』のようにはすすまない。
すぐに「こんなの劇にできないよ」
「いやいやテーマ活動は劇じゃねえって、
みんなわかってんじゃん」
「人間は雲になれねえよ」
「この物語つくったやつだれだ」
なんていうぼやきがではじめた。
ただ、つまらない物語だという
やつはだれもいない。
ことばの強さと美しさ、
物語の力には
すなおにならざるを得なかった。
劇のしやすさだけをいうなら
学校劇の台本でも
もってくればいいのだ。
すぐには動けない、
抽象的なものを
どう表現するのか、
英日という二重表現のふくらみと
錯綜のはざまで
どうあるべきか。
なかなか具体的に動けない。
その煩悶と試行の繰り返しこそが
テーマ活動がすぐれて
知的な活動であることの証左である。
聴き込みが進むにつれ、
そんなことがコンセンサスになってきた。
当初は、登場するものすべてを
表現しようと
物語をなぞるように動いた。
ツルや虹はもちろん、
ヨットまでもいわゆる
身体表現であらわそうとした。
だがそれも次第にそぎおとされていった。
そうテーマ活動は、
物語を聴き込み声にだすという
言語体験を積み重ねながら、
物語を再表現するなかで
最大にふくらませ、
そしてシェイプアップさせていく、
まさに文学や音楽、
美術といった芸術の道筋と
きわめてよく似ているといえる。
そんなわけのわからぬ
話し合いをしつつも、
ぼくたちの
『ポアン・ホワンけのくもたち』は
発表をむかえた。
会場は昔の「ラボ・センタービル」、
東京医大のむかいの7階。
観客は事務局員、
テューターの方がた。
近隣のラボっ子たちもいたと思う。
そして、らくだ。こぶにこと
谷川雁氏は下手側の
比較的前のほうで観ていた。
まあ存在感がすごいからやりにくい。
発表はなんとか終った。
とにかくみんなよく聴き込んだので、
ことばとしては力があったと思う。
観客はけっこう元気に拍手し、
谷川氏も大きな動作で
静かに拍手をされているのが見えた。
その流れだと彼がたちあがって
なにやら寸評をすることが予想された。
観客もぼくらもその中身がこわかったが、
一方でどんな感想をもったかを
聞きたいきもちもあった。
だが、彼は周囲に長身を
かがめながら一礼すると
そのまま退出した。
「寸評にもあたいしない
ということか」と
思ったメンバーもいた。
だが「あの拍手の仕方は
なにかを認めた拍手だ」と
ぼくはいった。
「儀礼的な拍手をする人ではないさ」
と続けたが、
そのころから
「テーマ活動指導」みたいなことを、
賛否両論あるなかで
彼がはじめていたので
ちょっと肩すかしだったのだ。
 
その数日後、
氏に食事に誘われた。
彼が事務局員とふたりで
飲んでいる席によばれたのだ。
そこで彼はぼくたちの
『ポアンホワンけのくもたち』に
ついて話をはじめた。
でも、その内容はぼくが想像した
「おれはこんなきもちで書いた」とか
「この物語の肝は…」
といった話ではなかった。
それはぼくたちが話し合っていた
「動きにくい、
いわゆる劇にしにくい
スクリプトと向き合う、
いわば知の格闘のもつ教育性」や
「表現をそぎおとして
いくことの詩的感動」
といった内容であったので、
ぼくは自分たちの
話し合いや活動を
すべて見透かされていたような
気になって寒気がした。
そんなぼくの震えには
おかいまなく谷川氏は
「きみは火山の役を
やったたろう。
そうあの火山は
元永さんも遠景として描いている。
あれはなかなかいい」
たしかに悩んだすえ、
ぼくは火山をやった。
だが、それはぼくひとりが
下手であえて観客に背中を見せ、
だまって腕組みをしたまま足を肩幅に開いて
雲たちのほうにむいて
立つというだけのものだった。
「あのすっと
立つ感じがたいせつだ。
きみたちのことだから、
数人で火山のようなかたちをつくり、
はい火山でございます
みたいなことをすると思っていたが、
そうだったら拍手をしなかったろう。
あのすっと立つというのは
悟りにも似ていてよろしい」
いやはや人手がないので
でっかい山はつくれない。
でも、物語上、
雲たちにむかう「なにか」
として表現してみたい。
そんなところでやむなくやったのに…。
ただ、彼のその「すっと立つ」は、
しばらくほくのなかにいて
いろいろ考えさせた。
「でも、なぜあの場でそのことを
おっしゃらなかっのですか」と
命知らずな質問を最後にした。
すると氏は、
「うむ、あの場でほめると
きみたちは、
とくにきみは、すぐ頭にのるからな」
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