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ラボを修了して中学校教師として社会に出てからかなりの年月が過ぎましたが,その間のべ700人以上の子どもたちの学級担任を務めました。そのなかで実感したのは同じことばでいい表せる子どもはいない,一人ひとり違うのだということです。この違いを,よく個性ということばで表現しますが,なかには自分勝手を個性と混同している人もいます。個性とは当たり前のことが当たり前にできたうえで,自分独自の持ち味を発揮したときに光るモノだと思うのです。その点,私のまわりあいこtにいたラボっ子たちは十分に個性的でした。異年齢集団の交流から生まれる学び,ソングバードやテーマ活動でのクリエイティブな活動,国際交流という生涯忘れ得ない経験。小さなつまずきでも壁と感じ,立ち止まってしまう今の子どもたちの姿を見ていると,いろいろな体験を重ねることの意味と価値を感じずにはいられません。
私は2000年4月から2003年3月まで,シンガポールで日本人学校の教師として働く機会を得ました。治安がよいので外国人である私たちの生活にほとんど制約がなく,いろいろなことにチャレンジできる国です。基本的に英語は必須,といってもシンガポールの英語は“Singlish”とよばれる独特なもので,純粋な英語圏の人には許せない英語かもしれません。でもシンガポールは多民族国家ですから,まずは通じることが大事。必要なのは失敗を恥じない度胸と,相手の話を聞き取る耳です。いいたいことは自分から話し,不安なら自分の英語で聞き返したいものです。日本への帰国直前の話ですが,3年間親交をもった住宅エージェントの女性へ私が住むユニットの苦情を電話で一方的に伝えたあと,彼女がしみじみいったことば,“You ARE good at English!”・・・こんなやりとりに,ふと,自分の奥に根づいたラボっ子魂を見た思いがしました。
国際理解にはもってこいの環境でしたが,そこに住む日本人の子どもたちはどんな生活をしていたかというと,残念ながら他の国の子どもたちと親睦を深める体験がそれほど多くはなかったようです。しかし,日本国内の子どもに比べ総じておおらかでのびのびしており,また自己主張のできる子どもたちでした。
まだまだ私の教師生活は続きますが,世界とコミュニケートできる生徒を一人でも多く育てていくことが私の目標です。 |
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