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ドゥリトル先生3話オウム平和憲章の発表終わりました。 |
11月06日 (月) |
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このたびほど苦しかった発表会はありませんでした。
だから秋からこちらの日記にも気軽には途中状況を
書けた心境ではありませんでした。
とっても元気なギャングエイジの男の子達にぴったりじゃあないかと
いうことでpartyのりーダーが見つけだしてみんなにお話を
紹介し、沢山出たお話の中からみんなで決めた3話でした。
テーマは2つのインデイアン部族が和平にいたるまでのお話で
戦いがメイン。
9月から本格的に動き出してからが毎週頭を抱える日々でありました。
戦いのシーンがくると毎回誰かがどこかで泣いています。
戦いのシーンで本気に蹴ったり、なぐったりが始まったのです。
正直驚きでした。
テーマ活動はごっこ遊びです。なりきることは大切だけれど
本当に相手に痛い思いをさせることをいかなる場でも良しとは
思えません。兄弟でたたきあったりお友達ととっくみあいのけんかなどをして今までに注意されたとかいう経験があまりないのでしょうか。
ゲームなどでの戦いは経験していてもそこに痛みは伴わないので
たぶん相手が痛くなる、ということに気がつかないのでしょうか。
毎週のように「これはごっこ遊びなんだょ。本当になぐったりけったりは絶対にだめなんだよ」といってもそれが数週間続いていました。
そのうち、わたしの口調も強くなっていきます。
「相手の痛みがわからないの?」
そのうち、戦いのシーンに迫力を失くしていきました。
実際に手を出してはいけないのならどう手をだしていいのかわからないのです。
ここまでぐちゃぐちゃになってしまった理由が訳分からずに
途方に暮れていました。
CDをまったく聞いてきた形跡のない子も多々見受けられ、子供達に
やる気がないのなら発表会にでる必要はないと思い、
次回の練習をみてこのたびはこのまま出るのか辞退するのか
決めようと思っていた日に大事件が起こりました。
ここではこれ以上詳しくは書きませんが本当に
心が沈んだ大変な日々でありました。
苦しい苦しい2週間あまりでした。
そこを支えてくださったのはたくさんの御父母であり、今は休会に
入っている中3達でありました。
落ち込んでしまってもうだめだと思ったときにもうどこにも出たくない
これ以上何も出来ないと思っていましたが、みんなが本当に
助けてくれました。
tutorって1人じゃあ何も出来ないのを今回ほど身にしみて感じたことは
なかったし、決して1人ではなかったんだということにも
気付くことができてとっても心が楽になりました。
今までこんなにも素敵な人達がずっとそばにいてくださったんだと
いうことが何よりもうれしい気付きでありました。
事件以来は発表会まで御父母が各御家庭の中で子供達に向き合ってくださったり、実際に見守りに何度も何度も
partyへと足を運んでくださったのでした。
ラボってなんなのかご家庭でもお父さんもいるところで話をしてみてもらったら?とparty通信にのせる内容まで助言をくださるお母さんも
いらっしゃいました。御父母達とも父母会を緊急に開き、partyの問題点をさらけ出して打ち明けてからはみなさんに支えられて、嵐のようだったあの不思議な日々からだんだんと光が見えてくるのを感じた最後の数日でした。
大嵐の中にいたはずの私は最後の頃は平安な気持ちになっていました。
みんなの頑張りとご家庭の協力と一丸となってやれるなら
あとは楽しむだけでどんな発表になろうと関係ないや!と思い始めていました。
当日、CDを間違えないように操作するのに必死であんまり全体がどうだったのかわからないのですが、発表にいたるまでの過程の中で目標にしていた
「one for all.all for one」をpartyみんなで達成できたかなという思いは確実にあるんです。
あの子もこの子もどの子を思い出しても誰かのために動いたり考えたりがいっぱいあった発表会練習でしたから。
やっと、やっと書けました。苦しかった、でも本当に勉強になったこのたびの発表会のこと。
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