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「21世紀ヒロシマの平和と留学」 |
02月11日 (日) |
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と題して平和公園すぐ隣りにある国際会議場で講演会が
あることをラボパパから教えていただき今日は昼から
行ってまいりました。
アメリカに本部を置く高校生中心の民間異文化交流組織団体の会長さん:フランシスコ・タチ・カザール氏のお話と
高校生の時、そちらから1年留学体験のある広島市長である秋葉忠利さんのお話を聞くことが出来ました。
そこでお話された中で印象的だったことをいくつかご紹介します。
高校生の時に留学経験のある秋葉市長は「アメリカ留学当時ヒロシマのことについて何ら自分で語ることが{言葉の面でも、自分の国を語るという面でも}できませんでした、その時から{ヒロシマについて語るということは}自分の中の宿題だと思ってヒロシマ市長になりました。そしておととし、やっとシカゴ大学でヒロシマについての講演会をした時に当時のクラスメートがたくさん聞きに駆けつけてくれた。やっと自分の宿題をおろすことができました」と。また「留学当時に得た友達は本当に今でもよい友達だ。」と。
頭の柔軟な知識吸収力が大きい年頃に異文化交流体験をすることがきっかけとなり、その後に自らも努力することで言葉の習得にもつながっていくのだということを語ってくださいました。
同じようにそちらの会長でありパラグアイ出身であるタチさんも最初は
英語もまったくわからなかった、と。
学生の時に留学から帰ってすぐは自分の背中にしょっているバックパックの中に何が入っているのか全く分からなかったそうです。
その後、自国でエンジニアも経験された後に「やはり自分には興味のある異文化交流の道へいきたい」とアメリカへ戻りそちらの組織に
入られ今ではニューヨーク本部で会長にまでなられたのだそうです。
今日の講演も2時間英語で語られました。
若いときにした異文化交流直後ではバックパックの中に何がつまっているのかは分からなかったけれども大人になったら自分の中に様々なスキルを取り出せることに気がついたのだそうです。
ラボでもそうですね。ホームステイから帰ったばかりの子供達は食べ物がどうこうだった、飛行機がなんとか、とか、なかなか帰国報告でも
これ!!と思われるような感想をすぐに言えたりはしませんが、それが
1年たち2年たち数年するうちに自分の中でどんなふうに大きな体験だったかがだんだんにわかってきて確実に自分の中に引き出しを一つ、いや、もっと増やしていることに気がつくようです。
まさに今ラボのOB OGについて「大人になったピーターパン」という本で様々な交流体験をした彼らの分析がなされラボっ子{高校卒業くらいまで活躍した}が高く評価されていますが、組織は違っても世界中に
多様性を大切に考えられる子供達を1人でも多く育てることが
世界の平和につながるんだいうお話を聞いてtutorの仕事も
そういうことへ少しは貢献できているのかなあと思うと{まだうちにはOBOGはおりませんが先を想像して}勝手にちょっと嬉しくなりました。
ヒロシマ市長は毎年3月の支部の国際交流のつどいにも祝電をくださっています。
帰り際、感想やメッセージがあったら書いておだしくださいという紙がありましたので「毎年わたしたちの団体の国際交流のつどいに祝電を送ってくださりありがとうございます。。。。。うんぬん。。。」とダラダラ書いて提出してまいりました。
テレビでしか見たことがなかった市長は若々しく平和都市ヒロシマのリーダーにふさわしい方だなあとあらためて思いながら帰ったのでした。この講演会を教えてくださったTさん、ありがとうございました!
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