平和祈念式典 |
08月06日 (金) |
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こどものころから広島に住んでいたけれど
九州から移り住んできた家族にとって毎年毎年、8月6日の平和祈念式典はテレビの前で見て黙とうするものだった。
資料館でみたり、「はだしのゲン」で子供のころ、読んだことが
イコール私のなかの浅い知識だった。
体験されたかたが身近にいなくて現実味がないまま大人になってしまっていた。
けれども今年、宇根さんとの出会いで被爆者の方の話をとても身近にきいたり、本を読んだり、パーティの中でも親御さん達の親世代の被曝された話を聞いて、すぐそばでまだ原爆と戦っていらっしゃるのを見聞きしたせいもあり、今年は絶対に6日の平和公園での式典に参加して感じてみようと決めていた。
もっと知って考えていかなければいけないことがある。広島に住んでいるのに、ヒロシマのことをまだまだ浅い所でしかわかっていない自分がとてもはずかしくなったから。
その世代の方たちが
「話を聞いた次の世代の人たちが語り継いでいってほしい」と願われているのがとても胸にせまってきた。
被爆者の方々も平均年齢が76歳となっていらっしゃるそうだ。
それを語りつぐ責任は子供を持つ私達世代でもある気がしてならない。
今年は国連の事務総長や米仏英の大使達が初参加された画期的な年になった。
式典後の講演会で国連事務総長パンさんは強く「核兵器のない世界というわたしたちの夢を実現しましょう」と宣言してくださり国際会議場の中は拍手がなりやみませんでした。
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Re:平和祈念式典(08月06日)
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がのさん (2010年08月06日 23時52分)
廣島にお住まいのポイポイさん、
どんな思いで八月六日という日をお迎えでしょうか。
今年も焦げるような暑い日となりましたね。
ここ十数年、八月六日に、必ずひもとく詩集があります。
世界平和への願いをこめて読む詩集。
原民喜と峠三吉の詩集です。とりわけ、はら・たみきの
ヒロシマのデルタに 若葉うづまけ
……(略)……
ヒロシマのデルタに青葉したたれ
とうげ・さんきちの「原爆詩集」からの
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ こどもをかえせ
……(略)……
くずれぬへいわを へいわをかえせ
の二篇の詩は、この日一日じゅう、頭のなかに鳴っています。
それに、与謝野晶子の「君死にたまふこと勿れ」、茨木のり子の
「わたしが一番きれいだったとき」なども。
今年の祈念式典は格別意義の深いものでしたが、この式典で
いつも感動させられるのは、小学生男女の平和宣言。
その無垢な声を聞いていると、こらえようもなく、涙がポロポロ…。
ずうっと以前に書いたものですが、わたしの「ページ一覧」のうち、
「つれづれ塾《1》」に8月6日の思いを記していますので、
もしよかったら、ちょっとのぞいてみてください。
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Re:Re:平和祈念式典(08月06日)
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ポイポイさん (2010年08月07日 18時34分)
がのさんへ
はじめまして。毎年この時期が一番の猛暑といってもよいくらいの暑さ
で迎えます。
先週キャンプでだせなかったゴミにわいてしまったビニールの中のウジ
をみたときに昨日は、原爆で負ったやけどの傷口にわいたというウジを
どんなに絶望の中で被爆者の方々は1匹1匹とっていらっしゃったのか
なと思いながら、ゴミ出しをすませて式典に行きました。
原爆が落とされて2秒後には2000度の熱ですべてのものが焼かれて
しまった。
助けてくれと手を伸ばす人を「あとで」と約束して去った直後にその辺
り一帯が火の海に化してしまった。
家族を自分の手で火をつけて火葬せざるをえなかった悲しみなど。
式典に慰霊のために集まったお一人お一人に胸にかかえる悲しみがいま
でもあることを思うと胸がつまりました。
式典に参列するためにいらっしゃった国連事務総長が列の後ろから現れ
たときは自然に人々の中から拍手が起こっていました。
「世界で平和のためにリーダーシップを発揮してください!核廃絶のた
めにあなたから気運を起こしてください」というような市民の期待がそ
うさせたのだと思いますが、人々の顔は真剣そのものでした。
わたしにできることはなんだろう。。ってずっと考えています。
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