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震災後のラボとボランティアを1ヶ月休んで、アラスカへシャペロンとして10人のラボっ子を引率して無事帰国しました。アラスカでは、やっぱり今まで行ったアメリカやカナダと違った大自然とネイティブ(エスキモー:生肉魚を食べる人・の意味、だから日本人もエスキモーだね。アラスカではエスキモーと誇りを持って呼んでいました。)の文化あるふぇる白夜の夏を満喫していました。6時半の夕食後7時過ぎから毎日ハイキングに出かけます。10時半まで昼間のように明るいのです。ハイキング中や行きかえりに毎日のように出会うのがMooseです。茶色のまるいおしりが光ってとっても素敵。目の前の霧の中で静かに草を食べているMooseの親子を車の中からじっと5分間くらい眺めていました。アラスカで畑を作っている人たちは「ムースはきらい。さて、食べごろのおいしいブロッコリーやピースを食べましょうと畑に行くと、ムースにパクッと食べられるんですもの。」
ほかにも、カリブー、トナカイ(ソーセージも美味しかった)、グリズリーベア、キツネ、オオカミ、などなど、いっぱい目撃しました。
季節はフィッシング。ラボっ子たちもキングサーモン、レインボートラウト、ハロビット(オヒョウ)などの釣りを楽しんでいました。アラスカ流サケのさばき方をマスターしたつわもの中学2年生男子もいましたよ。
一年の7ヶ月は冬で根雪があるというアラスカ。真夏でも15度~20度で涼しかったー!キャンプに行ったり、湖で泳いだり(つめたーいです)、ラボっ子たちもアラスカの夏を満喫していました。日本に興味のあるホストファミリーたちに大歓迎されました。日本を伝え、ホストファミリーのお手伝いをし、日本食を作り(お好み焼き、押し寿司、カレーなど、好評でした。)対面式では「ブレーメンの音楽隊」を英語で発表し、ソーラン節も踊って拍手喝采でした!茶道披露をし、、。ラボっ子たちは誇らしいほどよくがんばりました。帰国終結の前日のシェアリングで素晴らしいとほめましたよ。
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4月30日ラボと避難所に行っていて不在中に支局長が自宅に義援金からのお見舞い金を届けてくれました。
全国のラボ・パーティからのたくさんの励ましのメッセージとご支援、たくさんの義援金を本当にありがとうございます。
いまだ、行方不明のラボっこが見つからない中、みなさんからのお見舞いを先に届けてくださり、申し訳なく思います。
うちのパーティのラボっこたちと家はみんな無事でしたが、保護者の実家、きょうだい、親戚が被災したり、遠隔地に避難した家庭がありみんなそれぞれの復旧に心身とも苦労していました。
3月4月のラボ再開前までの集まり、交通、食料、ガソリンが無いなかで
近くのグループで集まれたことが親子ともやっと明るくなれた時間と
なりました。
4月末になってもまだ顔を見ることのできないラボ世帯の方々もいます。
5月連休後には全員に会えることを願っています。
我が家の近くの避難所にはほぼ毎日生活用品などをもって少しの時間でも顔を出すようにしています。四十九日が過ぎ、少しずつ明るくなっては来ましたが、葬儀はできず仮設住宅にもまだまだ入れず見舞金も使ってしまった人達がたくさん心を合わせて暮らしています。まだ行方不明の方がいるので元気に見えても辛そうです。
私も、行方不明のラボっ子が一日も早く見つかりますように祈るだけです。
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今週は、イースターパーティ みんな、中身を抜いた卵の殻をもってくる。
T「春は命が芽生える時。たまごは新しい命だね。」
ラボっこ「本当?」
T「そうね、桜の木の枝に花が咲いているし、地面には緑の葉っぱが出てきたね。」
ラボっこ「たまごは命?」
T「鳥が生まれるからね。みんなはたまごをたべちゃったから、命をもらったね。もらった命を大事に生きようね。」
親も子も無心にたまごに絵を描いたり模様を描いたり、いろんな表情の顔を描いた。表と裏でちがう顔を描いたり。
今日、初めて来られたラボ家族もあった。ご実家が津波の被害にあい、
毎日復旧に通ったお母さん。お疲れ様。こどもたちで留守ができた小学生。やっと会えた!元気でよかった!
全国からたくさんの励ましのメッセージが届いている。
ラボ北日本支局にも、中国月旦中学校の生徒から加油!という大きな横断幕。日本語でもきれいに書いてある。頑張ろう!みんなで。
ありがとう!
でも、テレビの広告を早く変えてほしい。
がんばろう、日本は強い、なんて無理です。
これ以上どうやってがんばれというのです。
今日も避難所に行ってからラボに出かけた。
とてもきれいな衣類をサイズ別に分けてきちんとラベルをつけてたくさん送ってくださった方の段ボールを持って避難所に行った。
あっと言う間に無くなった。
大きなビニール袋に入った古着の山が廊下に山積みになっている。
それらは、もう着られなくなったちいさなサイズの洋服、色あせたもの、毛玉のたくさんついたもの、よれよれのもの、、など。
避難所にいるとは言ってもみんながほしいのは、新品同様のものだ。
だって、1カ月前までは大農家でおしゃれな奥さんたちなのだ。
今では、農地も家も車も息子も、親類を失った。だから誰ももう着ないような古着なんてもって行きたくない。
避難所は日々変わっていく。
ボランティアは毎日いろんな方が来る。
一番喜ばれるのは、マッサージ、整体師さん。みんな体が疲れている。
避難所は一日2食なので、お昼の食事提供。今日は、在日韓国人の団体がプルコギや、トックンスープ、キムチのごちそうを手作り。
エコノミー症候群予防体操のおねえさん。
昨日は、移動美容院でシャンプーやカット。
英語教室のアメリカ人がソックスとココアやコーヒー、ミルクを持ってやって来て、日本語でプレゼントしてくれた。
田んぼは津波にあったけれど今とれているセリを提供してくれる農家の方。
病院がティッシュとマスクを、市役所や郵便局が自転車、洗濯機、ロータリークラブのシェルターボックスまで。
レストランのクリームシチュー、お弁当、大量の靴下、下着、、など。
でも、サイズがなかなか合わずにいつも同じ洋服ばかり来ている人も多い。
大阪から来られた中国人のみなさんは気功を丁寧に教えてくれた。
在日韓国人をたづねて食事支援したかったが、全部の避難所を回って全員に韓国料理を振舞ってくれたミンダンの在仙韓国人のみなさん。
帰られる時にみんなで拍手した。
物資や食事はかなり充実してきたけれど、みんなの希望はなかなか見えない。仮設住宅にいつ入れるのか、抽選はいつ決まるのかわからない。
将来みんなで住む土地は見つかるのか、仕事も畑も田んぼもなく、収入が無くなったのに、葬儀費用はかかる。避難所を出たら全て生活費がかかってくるのに、、。お年寄りがたくさん残る避難所。
私たちにできるのは、話しを聞き、ひとつでも希望をきいて近付ける手助け。
しだれ桜が咲き始めた我が家におばちゃんたちを招待しお茶のみをした。
草とりをしたくなる庭のないおばちゃんたち。
でも、明るく冗談を言い合うおばちゃんたち。
明日も顔を見に行こう。
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震災後のすべての行事が中止になり、携帯電話でパーティのラボっ子が無事との連絡をたよりに4回の集まりを持った。
3月21日(祝・日)
本当は春のパーティ内発表会スプリングフェスティヴァルの予定でしたが、北海道の小学校教師の勤務地が決まって急きょ新潟経由で出発する大学4年生Mのラボ卒業式と見送りをラボっ子宅で行いました。大人7人こども16人集まって一緒に元気でいたことに感謝してお昼を食べました。ガソリン、ガス、店舗が開いていない中、遠くから歩いたり、乾物や缶詰など工夫して持ち寄った食事は地震後初めて大人も子供も笑いあった時間となりました。
3月26日(土)
神戸の大学へ進学するFを見送る会を別のラボっ子宅で大人5人、こども15人集まりました。午後のお茶会にしましたが、家の備蓄がなくなり育ち盛りのこどもたちはあっという間におやつを食べつくしました。大学に行ってもラボを続けると言ってくれたF。うれしかったです。彼女は震災後、ジャージを着て毎日仙台市の災害ボランティアとしてお年寄り世帯の手助けなどで活躍していました。また、中3の受験生3人の高校合格が8日遅れで発表となり、合格おめでとうの後で今回の震災で被害にあった学生の分までしっかり活躍することを話しました。
3月28日(月)
私が通っている避難所の体育館にもうすぐ転居するラボっ子がフットマッサージの機械を持ってきて寄付してくれました。新しいタオルなども避難所にいる幼児に手渡してくれました。自身も小学校に避難していたのです。
3月29日(火)
名古屋へ転居するラボっ子の送別会をまた別のラボっ子宅で大人5人、こども8人集まりました。まだ、ガソリン、ガス、店舗が制限のある中で
ホットケーキやワッフルを焼いてのお茶会となりました。そこへ、ラボランドからお菓子を持って事務局スタッフがやってきてくれました。久しぶりのお菓子にみんな大喜びでした。名古屋に行ってもラボを続けると言ってくれてうれしかったです。
4月2日(土)
金曜日と土曜日のグループ合同で、やっと使えた会場に大人7人、こども8人が集まれました。地元の避難所で炊き出しリーダーとなって大活躍をしたラボママ、実家が津波で被害を受けたというラボママの話を聞き、改めて今回の震災の激しさを知りました。
そんな中、「避難所でリーダーとしてやっていけたのは、ラボのおかげ。みんなに感謝されました」と言われました。合宿をしたり、キャンプに行った経験が役に立ったり、平気だったと何人にも言われました。
私が思うにラボで親子ともにサバイバル力がつくのだと確信しました。
津波で家を流されたわけでもなく、家族や大事なものを失ったわけでもありませんが、親子ともに不自由な暮らしを何日か強いられた生活の中で、今までどんなにぜいたくをしていたか、どんなに物があふれた生活だったか、水、エネルギーがどんなに貴重なものかがよくわかった暮らしでした。
宮城県では今だにガスが通じずにお風呂に入れない地域もあります。水も電気も来ていない地域があります。お風呂を借りに親戚や近所を頼ったり、物々交換でお互いさまの生活をしています。今までが当たり前ではないのだとつくづく感じました。
そんな中、いつもと変わらずわんぱく大将ばかりのこどもたちに私は元気をもらいました。
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今日、やっとホームページに書いています。
あまりの事の甚大さに書く体力も気力も失っていました。
全国、世界中から本当にたくさんのご心配とお見舞いと励ましの
電話、メール、手紙、支援物資が届いています。みなさんが私たちを
思ってくださる気持ちに感謝の日々です。
応援ありがとうございます!
我が家と我が家族にはほとんど被害がなく、電気、水道、携帯、順に復旧しました。ラボっ子とラボ世帯も無事と確認できて、まずはほっとしました。
地震当日、私は名取市の市民活動支援センターという古い建物でいつものように国際交流協会のボランティアをしていました。耐震構造ではない古いビルは今にも崩壊しそうに大きく揺れ、階段はひび割れガラスは割れて道路に飛び散りました。なんとかビルを出て、津波の恐れという車のテレビ放送を聞いて、信号の消えた大通りを車で自宅まで帰りました。自立した娘たちが、なんとか家まで帰り着いてからは、我が家に避難した若者を預かって8人で3日間電気と水が来るまで過ごしました。
翌日新聞やラジオのニュースで津波の被害を知りました。
私たちが毎年お世話になっていた合宿所、朝市、田植えや稲刈りを体験させてもらった田んぼ、漁業、かまぼこ工場、農業に従事しているたくさんの方々、津波からの避難をよびかけた消防団の方々、犠牲になった方々、あまりの被害の大きさに茫然としました。
私たち、近くにいて被害の無い人間ができることをしよう。と、いつものボランティア仲間と市役所へ行き、災害ボランティアセンター立ち上げを団体で応援することにしました。
ガソリンもガスも無い状態で、通常ラボで集まる事も、発表会も、行事もキャンプも中止になり、ライフラインが整うまでは自分の近くでできることをしようと決め、3月31日まで毎日おにぎりとお茶を持って近くの避難所に通うことにしました。
避難所にいた方たちは、津波警報で仙台空港ビルに避難して3日間孤立していたのでした。ブルーシートをしいて日赤の毛布を上から1枚かけただけで寒い体育館に寝ていた人達になんとか暖かくいてもらいたいと、団地の有線放送でよびかけてキャンプシートを100人分集めて運んだり、
食器や衣類を集めました。私たちの呼び掛けにあっという間に大量の物資があつまりました。石川県からの自衛隊の炊き出しもあり、なんとか暖かい食事ができるようになってきました。昼間残っているおばぁちゃんたちの話を聞くと、行方不明の家族が見つからない、家族を失った、家を流された、職を失った、車、工場、下ろしたばかりの現金を失ったという話を聞くばかりで、またまた私までも家に帰るとぐったりしてしまいました。
いい話もありました。
お店が開かなかったので、近くの農家の方にいただいた人参1本を近所の方に持っていくと、逆にキャベツやちくわとおかえしにもらったり、毎日が物々交換の日々で、みんながお互いに感謝しあいました。何もできないからと水のペットボトルを届けてくれた方、飴1個でありがとう!と喜んでくれる糖尿病の男性など。久しぶりに会えばみんな「生きてて良かった!」と抱き合いました。
避難所では中高生たちが活躍しました。うちの避難所だけでも100人強のボランティアが登録し、段ボールを運んだり、物資を整理したり、こどもの相手をしたり、食事を運んだり、配ったり、ラジオ体操をステージ上でやってくれたり。無いものは段ボールで作ったり、肩もみをしてあげたり、、。3月末まで切らさず毎日ローテーションで来てくれました。
その間も行方不明者の捜索から罹災証明発行、通院援助、仮設住宅の説明へと状況は日々変わっていきます。乳児、幼児は親戚宅などへ避難したり、アパートへ引っ越していく家族もあり、お年寄りが多く残ってています。近隣の介護師、看護師もボランティアで毎日来てくれます。
私たちにできることは、避難している方のお話を聞き、できることを出来る範囲で手伝うことです。ここの避難所が落ち着いてくるにつれ、
もっと北の方で食事や衣類に困っている方々を援助できないかと気持ちは焦ります。そして、福島の南では原発の放射能の心配が、、。
そこで、私たちができることは、物資の援助ではありません。
物が無くて困っている時にタイミングよく渡すことは本当に身近でないとできません。遠方から届けたいと思っても届いたときにはすでに必要で無い状況に変わっています。
みなさんにやってほしいこと。
1.節電、節水、節エネルギー。
名取市では、下水設備が地震で被害に合い、いまだ行方不明者を捜索しているところの河口に生活排水が流れ込んでいます。蛇口から水が
出るようになったとたんに洗濯、入浴、食器洗い、トイレで一気に排水され、逆流するのです。水が来なかった時と同様にすればかなり節水になります。私たちは、トイレに紙を流さず、ません。小の時はお風呂の残り湯をバケツに汲んで、少し流す。シャワーは浴槽で使う。電気はもちろん、節電すれば原発なくしてもやっていけます。
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みなさま、あけましておめでとうございます!今年も素晴らしい一年になりますように!
去年末も黒姫ウィンターキャンプ1班に行ってきました。
ラボっこたちの手作り45周年記念灯ろうが映えた、新雪がきらきらのラボランドでした。
野外活動はもちろん「どこまで行けるか黒姫山」コース。
我がパーティの大学生コーチOのリードで先頭が新雪を踏みしめスノーシューで登って2合目まで行けました。最高の自然を新しい出会いと堪能してきました。
テーマ活動は「ジョン万次郎物語」我がパーティの初参加k君は海ガメに、姉妹ロッジではAちゃんが船長の奥さんになって大活躍でした。
14歳で漂流してからアメリカで教育を受けさせてもらったジョン万次郎は、今年国際交流に参加するラボっ子たちに(決してあきらめない、自分で考えて計画を立て、行動する)大いに刺激を与えてくれたようです。
雨で中止のキャンプファイヤーが 集雲堂での全員参加の別れの集いになりました。オーストラリアンユースのダンスパフォーマンスで大いに盛り上がりました。中国ユースたちは、スペシャルロッジの仲間たちと「アリとキリギリス」日中版を発表してくれました。
ソリコースでスリルを味わったラボっ子たち、国際交流ワークショップで新しい仲間とティームを組んだ子たち。素敵な出会いの4日間でした。
ありがとう、スタッフのみなさん!
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クロアチアからの留学生たちが帰国して、12月12日はウィンターフェスティヴァルでした。たくさんのゲストに囲まれて盛大に集まりました。
発表は、幼児親子は「三びきのやぎのがらがらどん」小さいほど
立派です。3歳のNちゃんが一番元気な声でした。パパの参加もうれし
いです。
金曜日グループの幼児小学生たちは「たぬき はらつづみをはじめる」
です。小5のS君がまとめ役と音楽CDを一手にひきうけて発表。
木曜日グループはフレデリック。お話にぴったりのグループです。
新入会のYちゃん、C君もすっかりとけこんで小5組みがリーダー。
英語で言いたいとナレーションに真剣に取り組んでいた小3Y君でした。
さすが、フェローシップ。牛になりきったRさん、フラメンコダンサー、大闘牛士たちを、みんな見習ってほしいです。
木曜夜の今人グループは、中1の4人をメインキャストに抜擢。
わきをかためる高大生の期待にこたえてがんばりました。
みんなの成長が確実に見られたウィンターフェスティヴァルでした。
クリスマスカフェディナーは、物語づくしです!おもしろ傑作がたくさん。ご協力ありがとうございました。
おかげさまで素晴らしい一年でした!
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10月3日、日中交流25周年記念行事に参加しました。
何よりも、この日に北京月壇中学校の校長先生方が来て下さったことがうれしかったです。そして、ラボと月壇中学校のホームステイ交流はずっと続けていきますという挨拶に感動しました。国と国との問題とは別に、人と人との交流であるホームステイこそが、みんながともだちになれ、世界が平和になることだと改めて思いました。
25年間の交流の継続には日中双方の並々ならぬたくさんの方々の力があったからこそと改めてその歴史を実感しました。
そして、この日のテーマ活動の発表がまた素晴らしかったです。
「西遊記」の1話、小学校の3-4-5年生の孫悟空たちが思い切りのびのびと動き、自分の言葉として日本語、中国語の両方を力づよく、気持ちがこもってセリフを言っていました。これがテーマ活動!と言われたような発表でした。
また、ホームステイ交流の後も交流を続けているファミリーがたくさんあり、そのうち、私が参加した2001年の参加者ラボっ子(当時中学2年生)とそのホストが交流の経過と現在社会で活躍しているまでになったことを話してくれました。。今でも「私はラボっ子です」と言えることを誇りに思っているとうれしいスピーチででした。
また、当時大学生で10年ぶりに再会した彼らが、社会の第一線で活躍している様子を知り、本当にうれしかったです。
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9/16(木)は、中高大生のグループに12日から我が家にホームステイ
しているクロアチアのマリヤが参加して、積極的にみんなに日本語や
英語で話しかけていました。フォークダンスも物語テーマ活動にもど
んどん参加してくるので、今人グループの中高大生はびっくり。
大いに刺激を受けました。「おどりトラ」と「かえると金のまり」を
早速一緒に楽しんでいました。ラボの物語での英語習得活動を大いに
気に入ったようです。
金曜日は、もう一人のクロアチアからの留学生ドロテアが一緒に、
小学生グループに来てくれました。
クロアチアを紹介してくれました。言葉は、クロアチア語と英語を
話します。今は、日本語を勉強しています。独立戦争などで大変な社
会で、出身高校から優秀な成績の学生が奨学金で短期高校留学に来て
います。南武道という日本の新しい武道をクロアチアで習っていて3級
(緑帯)の腕前を披露してくれたマリヤと、100年前の貴重な伝統民族
衣装を着て見せてくれたドロテアの二人です。
今日は、TANUKIのいそうな近くの古いちいさなお寺ではないけれど、
神社にみんなで行ってきました。
自分のうちの近くだからと小2と小4の二人が得意になってみんなを
連れていってくれました。途中に大きなくりがたくさんなっている
木があったり、柿の木を見つけたり、
マリヤとドロテアと手をつないだり、おんぶしてもらったり、一緒に
散歩しました。田んぼや畑を眺めながらお母さんたちも一緒に初秋の
夕暮れを満喫。その後、たぬき1話でぽんぽこ踊りました。その後は
歓迎ディナーパーティ。
クロアチア料理(スタッフドパプリカ)や、パスタ、おそば、おにぎりや、マフィンを食べました。あー楽しかった!!ごちそうさまでした。
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真夏の草のジャングルを抜けると、名取川の丸い石がせき止めたゆるい浅瀬がいつものようにあった。毎年ここで、国際交流に参加したラボ
っ子を迎えてその報告をみんなで喜ぶ。今年は、参加者がなかったが、
夏の再会パーティ。せせらぎの音を聞きながら、お父さんと高大生が
火を起こし、みんなが持ってきた野菜を入れて、大なべに2つのスープ
ができた。今年は、かぼちゃやひよこ豆がたくさん入った濃厚スープに
なった。最後に誰かが持ってきてくれたモロヘイヤを入れて美しく
完成。焼いたソーセージ、チーズ、レタス、ケチャップをのせて
ホットドッグも美味しい。
全身で水とたわむれるはだかんぼうたちや、網で魚を探している
小中学生を見ていると、何時間でも放っておきたくなる。火と水と、
美味しい食べ物。お母さん、お父さんたちは高大生とおしゃべりしたり、まきで沸かしたお湯でコーヒーをいれる。
地域、学校、年齢が全くちがうラボで出会った仲間。元ラボっ子の
大学生が言いました。「こんなことって他にないですね。」卒論の
テーマにラボを研究しています。
今週から始めたTANUKI1話の変身薬を持ってきた家族。みんな一口ずつ飲みました。え?何これ?美味しい?!なんか薬っぽい。色も不思議
な「うす茶ピンク色。」みんなも作ってみよう。オリジナルで。
さて、これからどんなテーマ活動が始まるのか、楽しみです。
炎天下の準備と後片付けも、みなさん、ありがとう!
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