幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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風の吹く日に・・・ [全1125件] 11件~20件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
NHKTV原発労働現場 異常なし? 2012/02/09の日記 02月09日 (木)
原発労働現場 異常なし?
原題:Nuclear, Nothing to Report
制作:CRESCENDO FILMS / ARTE France
 (ベルギー/フランス 2009年)

フランスの原発労働現場で起こっている驚くべき実態
下請化の進行、現在メンテナンスの8割が下請
技術者の訴える亀裂に対し「あれは引っ掻き傷だ『異常なし』と書け」との強制、
10年以上経過したケースでは原発による被曝が原因とは認定されない、
下請け労働者の場合はそもそも原発労働者と認定されていない
など
http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/120208.html
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吉村昭の遺作小説集『死顔』 2012/02/07の日記 02月07日 (火)
津村節子『紅梅』読了のあと
吉村昭の遺作小説集『死顔』が本棚にあったのを見つけ、読み終わった。
5編の小説や小説の材料が収録されている。
絶筆となった『死顔』は最後まで校正を重ねていて、まだ終わってないことを気にしていた作品。

次兄の死のことを書いている。

疲れるのでお見舞いを早く切り上げること。
亡くなった後、自分は弟であるがあえて駆けつけず、家族だけで別れを惜しむ時間ににしてあげたこと。
死者の顔を見るのは家族にまかせ自分は遠慮したこと。

これらのことは吉村昭自身の遺書にも反映されている。
いかなる延命処置をしないこと、家族だけでの別れ、遺体を焼いてから身内のみの家族葬、死後三日間公表しないこと、弔問、弔花は断り、電話も「取り込んでおりますので失礼します」と取り次の人に答えてもらうことと残った家族への気遣いにあふれている。

弔電、書簡にもいっさい返事を出さぬこと、
死顔を家族以外の第三者には見せぬことも明記されている。
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津村節子『紅梅』を読み終わった2012/02/06の日記 02月06日 (月)
紅梅
2006年7月に亡くなられた吉村昭の死を、遺された妻である津村節子が小説形式で書いている
書けるまでに5年近くの年の年月が必要だったということだ
初出誌「文学界」2011年5月号、単行本2011年7月

2005年舌癌、加えて2006年膵臓癌が見つかった

7/24退院、7/31井の頭公園に隣接する自宅で、息子、娘、妻に付き添われての臨終、79歳
自分でカーテルポートを引きむしって、「もう、死ぬ」と言ったという

作家であった妻は十分な介護ができなかったことを今も悔やんでいる
p170
「育子が夫の背中をさすっているときに、残る力をしぼって躯を半回転させたのは、育子を拒否したのだ、と思う。
情けの薄い妻に絶望して死んだのである。育子はこの責めを、死ぬまで背負ってゆくのだ。」とまで書く。

もっともこれは、夫がこれを否定してくれるだろうと思っている妻の夫への甘えのことばようにも思うが・・・
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『ターシャ・テューダーの人生』を読みました2012/02/05の日記 02月05日 ()
ターシャ・テューダーの人生
ハリー・ディビス2000年、文芸春秋2001年11月

150点の水彩やデッサンを楽しみながらターシャ・テューダーの人生をたどることが出来ました

筆者はある時期はビジネスパートナーであった人だが、友人でもあり、
一方的な賛美に終わらず、しかし暖かい筆致でターシャを描いている
好感の持てる記述だった

ターシャ・テューダー(1915~2008)

ボストンの名家の出身
父ウィリアム・スターリング・バージェスはヨットや飛行機の設計の業界では有名な技師・実業家、母ロザモンド・テューダーは肖像画家

読書家で話好きだった父から想像力が養われ、肖像画家だった母から絵の手ほどきを受け、小さい頃から絵本を作って遊んでいた

13歳の誕生日に念願の牛を買ってもらったターシャは、15歳で学校を辞めて迷わず絵画と農業の道を選んだ

農業で培った経験は自給自足の精神を育て、子供たちに絵本を作ったり花を育てたりその後のライフスタイルに大いに影響することになる

1938年23歳で結婚4人のこどもを育てながら絵本作家、挿絵作家となる

絵本は生涯で約90冊

1945年ニューハンプシャー州ウェブスターの古い農場を買い取って移住,17部屋450エーカー(55万坪)



1961年46歳で離婚

1971年バーモント州の森林地を購入、

この土地を「真っ白なキャンバス」と呼び、家を建てる

家具職人である長男セスがターシャの希望する年季の入った古びた家になるように18世紀の工法を研究し、たった1人で家を造り上げた

家と庭の一帯を「コーギー・コテージ」と呼び、電気や水道等、近代設備は最小限に

暖炉とベッドとロッキングチェアー、薪オーブンがあるような質素な室内と古い道具を使う昔ながらの生活を実践

一日の大半を草花の手入れに費やし、小花模様のドレスやエプロンを手作りし、山羊の乳を搾り、

庭でとれた果実で、ジャムやジェリーを作り、パイを焼いた

前世で1830 年代に生きていたと信じていた

1994年Tasha Tudor's Garden 出版 写真はリチャード・ブラウン
1996年生活とアートを取り上げた画期的な展覧会
1997年ABCテレビの番組放映
と人気はうなぎ上りとなったが、ターシャは戸惑い、静かなゆっくりした生活へ戻った
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『願わくは、鳩のごとくに』杉田 成道   012/02/04の日記 02月04日 ()
『願わくは、鳩のごとくに』杉田 成道 扶桑社2010年12月

『北の国から』の演出家杉田 成道 の著作

『北の国から』撮影のなかであった俳優やスタッフたちのドラマ、
杉田成道の家庭で起こったドラマの両方を知ることが出来た、面白い本であった

p119(師匠の倉本聰について)
この人はたいへん厳しいところと、たいへん繊細なところの両方を併せ持っていて・・・
という記述がある

これに習って書くと
杉田さんはずうずうしく、強引、無神経なところと
たいへん繊細なところとを併せ持っていて・・・

演出家という仕事はこうでなくてはできないだろうなと思いました。
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ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト展 2012/01/26の日記 4 01月26日 (木)
今日は私としては頑張って遠く葉山まで

ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト展
http://benshahn2011-12exh.info/

へ行って来ました


ベン・シャーン クロスメディア・アーティスト展
●写真や切り抜いた新聞写真から再構成された絵画の面白さ
全然別の場所や別の時間の写真3枚が再構成されていたり
『縄跳びをする少女』少女と後ろ向きのの少年レンガの廃墟それぞれ違った写真から
『ウィリスアヴェニュー橋』
病院の待合室の松葉杖の女が橋の上のベンチに座っている

●新聞から切り抜いた写真からできた絵も多い

●写真家でもあったベン・シャーンのたくさんの写真
写真のなかに文字が写っているものが多い

休憩室のビデオは1994年の日曜美術館山藤章二、粟津潔
45分かかるが二人のベン・シャーンへの尊敬が微笑ましい
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フェルメールからのラブレター展へ行ってきました 2012/01/24の日記 01月24日 (火)
渋谷BUNKAMURAフェルメールからのラブレター展へ行ってきました

全体で50点くらい
フェルメールの作品3点がそれぞれ違った美術館から来て、一部屋に並んでいる
それぞれ画面に差し込むフェルメールの描く光が美しい

混んでいないので好きなだけ見ていられる

「手紙を読む青衣の女」1663-64年頃、(アムステルダム国立美術館)
「手紙を書く女」1665年頃、(ワシントン・ナショナル・ギャラリー)、
「手紙を書く女と召使い」1670年頃、(アイルランド・ナショナル・ギャラリー)
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NHK「開拓者たち」最終回を見た2012/01/23の日記 01月23日 (月)
NHK「開拓者たち」最終回を見た

ドラマではあるが調べてみると・・・・

旧満州国千振開拓団は敗戦時には、入植者1700名になっていたが
男子は根こそぎ動員でソ連戦線に送られ、関東軍が既に撤退した後の逃避行がありおよそ1000名の方が亡くなられたという。

(毎日新聞)8月16-18日の記事
http://blog.goo.ne.jp/05a21/e/295693bc5e01df6de10b45ba872a1d72

2006年の記事
日本に引き揚げ後、うち約80人が国が用意した那須町の原野に再入植した。引き揚げ者たちは地区を同じ「千振」と名付け、現在も計68戸が酪農などをして暮らす
作物がとれず酪農に転じた

2012年1月1日の記事
拓魂:那須・千振のいま/1 苦難乗り越え、新たな古里築く /栃木
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20120101ddlk09040012000c.html

5日の記事では
拓魂:那須・千振のいま/4 牛飼ひの歴史に幕がおりて梅雨 酪農業奪った大震災 /栃木
http://mainichi.jp/area/tochigi/news/20120105ddlk09040073000c.html

「3月11日の東日本大震災。あの津波のように、福島第1原発事故はここ「千振(ちふり)」で一つずつ積み重ねた思い出を一挙にさらっていった。
牛に与える牧草に「待った」がかかる。福島県では牛乳から放射性セシウムが出た。「酪農をやめたい」。思い詰めた娘夫婦に相談された。
60年間続けた酪農業だが、反対はできなかった。ただ、胸の中がうつろだった。」


那須千振の写真
http://blogs.yahoo.co.jp/yumeproj8864/53132224.html
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映画姉妹(きょうだい)1955年をテレビで見ました2012/01/19の日記 01月19日 (木)
姉妹(きょうだい)1955年【日】 上映時間:95分
監督 家城巳代治
1955年4月10日公開をBSで見た


原作 毎日出版文化賞を受けた畔柳二美の小説
脚色「愛すればこそ」の新藤兼人と「ともしび」の家城巳代治

近藤圭子 野添ひとみ
近藤俊子 中原ひとみ
17歳と14歳の姉妹の成長を描く独立プロの作品
独立プロなので16mmのフィルムにして貸し出す上映運動をしたらしい
1955年の日本の貧しさ、社会の不正への抗議のまなざしがある

身障者のいる家、結核患者のいる家が、あそこの家の人が前に何か悪いことをしたからに違いないと陰口をされる時代でもあった

だがまだその頃にはあった明日への希望、明日への決意が同時に描かれている、さわやかな作品でした
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日本語の磨きかた (PHP新書)  林 望 2012/01/17の日記 01月17日 (火)
日本語の磨きかた (PHP新書) 著者: 林 望
読了日 : 2012年01月17日 3

私にとってよかったのは

日本語を磨くには古文を読みなさい という部分

具体的には
まずは『徒然草』から、『方丈記』もいい
『平家物語』声に出して
一寸法師、浦島太郎、ものぐさ太郎など御伽草子
御伽草子でおはなしに慣れたら『竹取物語』

『万葉集』の前に『古今集』
『古今集』さえ読めば八代集はみんな大丈夫
でも『新古今集』を・・・・・と
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