幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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しのぶちゃんの日記
しのぶちゃんの日記 [全112件] 91件~100件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
2003/09/03の日記 09月03日 (水)
やっぱり、ラボは楽しい。
今日は休み明け最初のラボ。
始まるまでは、ちょっと億劫で、ちょっぴり不安でした。
いつも、休み明けはこうなんです。

でも、始まってしまうと、子どもがいて
私がいて、S.B.があり、お話がある。
ラボっ子が元気をくれます。

今日大事にしたことは、子どもひとり一人を見て
子どもに合わせてプラグラムを進めていこうということ。
ごく当たり前のことなのですが、休み前は子どもより、
親の目や進行そのものに気を使っていたように思います。
久々のラボで、初心にかえれたようです。

特に、PRと小学生Gは非常に楽しかったなー。
みんな、今日を楽しみに待っていてくれたことが
はっきり伝わってきたパーティでした。
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2003/09/01の日記 1 09月01日 (月)
昨日の熊谷での「賢治祭」に招待出演された大沢パーティの
様子をちびママの報告と重ならないようにご紹介します。

賢治研究者であるお茶の水女子大学大学院教授の大塚氏による
「セロ弾きのゴーシュ」に関する講演に続いて、この日のとりを
飾ったのが大沢P。舞台は、3~4名で構成された演奏家が演奏発表を
するのにちょうど良いくらいのこじんまりしたもの。

明らかに、ラボっ子全員は舞台に上がれない感じ。
「どうするの?」と見ていると、中・高・大学生は舞台の
下で、音楽CDにあわせて、まさに楽団員の役を演じながら
ナレションを順に語りだすのです。すごい「隠しだま」
舞台上は、小・中学生を中心にシンプルな動きで、初めて
ラボの発表を見る人にもわかりやすいものでした。

その中で、特に感心したのが、ゴーシュを4人の小・中・高校生が
演じたこと。この4人が身長も、動きも、表情も、四者四様で
それが、ゴーシュ自信の心の葛藤を表しているようで非常に
興味深かったです。

初めは、日本語のセリフやナレションが早かったり、聞き取り
にくいかなと思ったのですが、徐々に引き込まれていきました。
周囲の賢治の会の方たちも、大きい子の表現力に目を見張り、
小さい子の可愛い動きやセリフに目を細め、お隣同士でうなづきあって
ご覧になっていました。

こんなに「見る人」を観察しながら見た発表は初めてでした。
閉会の辞で会の副会長さんが「今までさまざまなプロの演じる
『セロ弾き』を見てきましたが、こんなに体と舞台いっぱいを
使って表現されるものは初めてで、とても素晴らしかったです。」
と感想を述べていらっしゃいました。

今回の発表に感激された会の方から「来年は、神話を
舞台発表してほしい」との申し出があったそうです。
地域へのアピール、大成功であった由です。
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2003/08/30の日記 08月30日 ()
今日は、帰国報告会兼夏休み報告会の日。

まず、最寄の公民館の体育館でS.B.やゲーム、すいか割を楽しむ。
用意したスイカは3個。今年は値段が安いので、とても助かりました。
小学生は、おもいきり床を叩くのでマットを敷いて、そのうえに、
レジャーシートをひいてなんとか凌ぎました。
本当は外でやりたかったのだけれど適当な場所がないので、
屋内スイカ割りとなった次第です。

2,3歳の子たちは、もちろん目隠しを怖がるので目を開けたまま、
スイカに挑みます。まだまだ力が弱く「ぽこ」「ぽんぽん」と可愛い
音が出るだけ。でも十分楽しめたようです。

いよいよ、第二部が報告会。
参加者のKが、アルバムやお土産にいただいた「矢じり」
「4HのTシャツ」を披露してアメリカでの様子を語りました。
子どもたちは、他Pのシニアの体験談をいくつか聞いた事が
ありますが、さすがに、自分たちのお兄ちゃんの話には
その何倍も真剣なまなざしを向けていました。

質問のひとつ。「どんな英語をおぼえましたか?」
Kの応答「そのつど、英語を聞き、話していたから何を覚えた
ということはないよ。まずは、相手の言うことを聞くこと。
聞けたら、ジェスチャーだけでも伝えられるよ。
初めは何にもわからなかった英語が段々わかるようになってきて、
気づいていたら英語でどんどん話していたよ。」

「へぇー」私も子どもたちもママも関心ひとしきり。
やっぱり、ラボの英語でいいんですね。

ママ達からは、「見るからに大人びましたよね」
「話すのが恥ずかしいくらいです」と、感想を
いただく。やはり、自信が体から溢れているのかな。
うれしい、うれしい。

Kに続いて、みんなの夏の報告。
プレイさんから、自分の作品やおはなし日記を
Show and Tell。Kの発表の様子を見ていたせいか
ほとんどの子が、自分の名前と作品をしっかりと
発表することができた。

所有の48CDを全部聞いた3歳児。
お話日記のタイトルを全部英語で書いて小学生を驚かせた年長さん。
初キャンプのラボ・ハットを既に寄せ書きでいっぱいにした2年生。
去年は、途中で挫折した日記を今年は1冊立派に仕上げた3年生。
模造紙に海賊に関する研究をまとめて秋の発表会に向けてとても参考になったと発表した6年生。

国際交流に負けず劣らず、豊かな夏を送ってくれた子どもたち。
いとおしい私の宝ものである。
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2003/08/29の日記 1 08月29日 (金)
京都は暑かった。

実家の父母に乞われて24日から帰省を
していました。京都といっても、嵯峨野線で
さらに1時間ほど北上した「綾部」という
小都市です。

孫の顔を見るのを楽しみに待っていてくれるので
少々お財布は厳しかったのですが、思い切って
帰ってきました。

東京で大学生活を送り、以来、関東住まいなので
こちらでの生活の方が長くなってしまいました。

両親も70歳を過ぎ、あと幾夏顔をあわせることが
出来るかわかりませんが、子どもたちに田舎の
祖父母との思い出を沢山つくってやりたいと
思います。

が、5日も逗留していると、双方ともにわがままが
でてきます。やはり「ふるさとは遠くにありて想うもの」
なのかもしれません。
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2003/08/23の日記 1 08月23日 ()
栃木の小林克子テューターから、ラボ卒業の
お葉書を頂戴した。32年のテューター生活にピリオドを
うたれ、次のステージに踏み出されるとか。

小林テューターは前期T・Sのお世話さんでした。
温厚でお優しい人柄で、私の尊敬するテューターです。
小林テューターがいらしたから、私はパーティの開設を
決心しました。

開設後も研修等でお会いするたび、優しい笑顔で
話しかけていただき、どんなに、心が安らいだことか。
私にとっては、「ラボでのお母さん」のような存在で
あっただけに、おやめになるのは残念でたまりません。

いつか「ぐるんぱの幼稚園」のような「ラボ幼稚園」を
開くのが夢なのよ。そう、言われていたのを覚えています。

ここ2,3年の北関東の総会で、後進に託すメッセージを
意識して話されていたので、この日が近いような予感は
あったのだけれど、現実のものとなると、ほんとうに
さみしいです。

小林テューターのラボでの信条は「無駄とシンプル」。
「無駄とみえることを刺激的に、しかも沢山の無駄をする、
そしてその混沌の中から未来を紡ぎ出すことを続ける」
テューターをつづけるうえでとっても大切なメッセージを
いただきました。

32年間おつかれさまでした。
そして、ありがとうございました。
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2003/08/22の日記 1 08月22日 (金)
我が家のKの国際交流、はたまた、ばかな親の心配事に
目を留め、激励や祝辞を寄せていただいたみなさん
本当にありがとうございました。

我が家の「2003年 夏物語」は、やっとひと段落という
ところです。祭りのあとのさみしさ、あるいは結婚式を無事
終えた親の安堵感と寂寥感が入り混じったような心境です。
帰国2日目、まだ気持ちはアメリカにあるようですが
生活自体は、すっかり日本式に戻って、いつものKの姿です。

当然のことながら、写真の中でホスト・ファミリーと笑いあって
いる彼と、寝転がりながらテレビをみてバカ笑いしている
現実、なまの彼が、私の中ではひとつにつながりません。

ともにKの姿なのに、写真の彼は妙に大人びて
ちょっぴり、他人のような・・・。
不思議な気持ちです。

どんなにたくさんの写真を見ても、話しを聞いても
完全には息子の追体験をすることが出来ないわけで・・・。

一緒にいても、やはり、別の道を歩き始めたのだな
という思いがします。

この時期に国際交流に出したことを心底「よかったなー」と
思う帰国2日目の夜です。

・・・・・・

今朝の朝日新聞の朝刊、埼玉版の
イベント欄、「くまがやの賢治祭」(8/31)で
子どもたちによる英語劇「セロ弾きのゴーシュ」上演
とありました。

確認したところ、大沢Pが出演されるそうです。
5月の15周年発表会を見た「賢治の会」の方が気に入られ
ご招待発表になったそうです。すごいですね。
時間は、4:45~。場所は、熊谷の八木橋8階カトレアホール。
地図をFAXしていただくことになっていますので
行ってみようかな、という方は、私までご連絡ください。

大沢さん、勝手にみなさんに公開してしまいました。
ごめんなさい。
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2003/08/21の日記 6 08月21日 (木)
息子が、オハイオから帰国しました。

第一ターミナルの北ウィングから出てきた彼は
すっかり日焼けして、また、背が伸びたよう。
地下の解散場所で、北や西に帰っていく仲間と
別れを惜しみ、「シニアで会おう!」と声をかけあっていました。

浦和までの車中、ホスト・ファミリーにいただいた
アルバムを見ながら、しゃべりっぱなし。
中学生になってから、こんな饒舌な彼をみたことがない。

「カレッジ・メイトとしてまた、オハイオに帰ってくる。」と
向こうの家族に約束してきたそうだ。
あれれ、ラボは高校まででやめるはずじゃなかったっけ??
しめ、しめ、母の術中にはまったようですよ。
これが、ラボ・マジックだろうか?

とにかく、毎日飽きることのない1ヶ月であったようだ。
ホーム・シックにもかからず、アメリカが大好きになって
帰ってきた。
「日本よりも、アメリカの水の方が自分にあっているかも。
もっと、もっと、いたかった。」そうである。

知り合いになった考古学者に、700年前の土器や
矢じりをもらって帰ってきた。
なんで、この子に??
なんか昔から、ポーとしてるけれど、人に好かれる
得なタイプの人間である。

よかったね。いい体験ができて。

まわりのみんなに感謝して、「ほんとうに行ってよかった。」
と素直に言える君がまぶしいです。

持参した学校の宿題は手付かずだそうだけど
今回は、学友の誰にも真似の出来ない体験をしたの
だから、ガミガミ言うのはよそう。

そう、今夜だけは。
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2003/08/20の日記 08月20日 (水)
北京あれこれ(買い物編)

北京に住んでいると買い物、特に日本食材の買出しは
ひと苦労です。市場で野菜、果物。あちらのマーケットで肉、
こちらのスーパーで調味料と魚・・・という具合に、タクシーで
何軒も何軒もはしごをしなくては買い物が出来ない時代が
ありました。とくに、子どもが日本人学校や幼稚園に
通っているとお弁当をもたさなくてはならないので
買い物が母親の大事な仕事のひとつでした。

ちなみに、15年ほど前は、「納豆」を日本からの
お土産にすると涙を流して喜ばれたものです。

今は、イトー・ヨーカ堂(中国名:華堂商場)が市内に
2軒も出来て、ほとんどの食材は揃うようです。
納豆、豆腐、刺身に寿司、コロッケなども売っています。
果物も豊富で、桃などは、100円で5個も買えてしまいます。
味もいいですが、残留農薬となると?です。

きゅうりは、お湯で洗って、皮をむいて食べるのが
我が家の常でした。

そうそう、ヨーカ堂の地下には「吉野家」もあり
結構繁盛していました。

というわけで(?)、平日買い物と食事つくりに疲れた
主婦のため、土・日は「外食」をするのが優しいパパ
たちのつとめでした(6年前は・・・)。

その主婦たちの生活については、また後日。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は、小学生Gのラボ。事実上姉妹Pの埼玉東部の
Eちゃんが支援に来てくれました。彼女は、ファミリー・
キャンプのシニアを終えたところ。
ウィンターでもシニアをやった子なので、
安心して任せることができました。

我がPも他の中央のP同様に、11月の発表会に向けての
始動。テーマは“Peter Pan”。低学年の男の子たちは乗りのり
なのだが、女の子は今ひとつ乗り切れない。ウェンディ役の
小4女子は「一人だったら、やらない・・・」
どうするの? いつまでも男子に頼ってばかりもいられないよ。
男女ともに活発に動いてくれる日はいつなのか?
そのうち逆転するのか?

今日の活動を見る限りは、Eちゃんのおかげで「いい感じ」で
動き出したので、あとは国際交流から帰ったKになんとか
させよう。などと、他力本願のTなのでした。
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2003/08/19の日記 2 08月19日 (火)
北京あれこれ(タクシー編)

北京のタクシーは、今はほとんどセダン型で
初乗りが10元。(1元は約15円)
市内のほとんどのところに20元~30元で
行くことが出来ます。
昔は面的(メンディー)と言って、食パン型の
バンが走っていましたが、安定性が悪いということで
なくなったようです。

6年前は、車と言えば、タクシーと大使館ナンバーの車、
黒ナンバーの外国者用の車、ほんの一握りの中国人の車しか
走っていませんでしたが、今や自家用車がグーんと増えました。
ベンツやBMなど高級外国車もあちこちで見かけます。

話しは、変わりますが北京では「右折車」は
赤信号でも曲がることができます。
割り込みも始終で手なんぞ上げたりはしません。
歩行者は、特に外国人は決死の思いで通りを
横切らなければなりません。

さて、タクシーの運転手さんは話し好きで
外国人と見ると「なに人だ?」と聞きたがりました。
私はよく、韓国人に間違われました。
ちなみに我が家のパパは、モンゴル人、フランス人などに
まちがわれ、決して「日本人」と言われることはありません。

今回は、運転手さんがとても口数が少ないのに驚きました。
乗車拒否をすることもありませんでした。
どの道順でいくかを客に尋ねてくる人もいました。
以前は、「俺にまかしとけ。」という風でお客は口を
出すことが出来ませんでした。
なんとなくみんな、優等生になってしましました。
会社からの指導かもしれません。

車窓の風景と同じく、スマートに変身していました。
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2003/08/18の日記 1 08月18日 (月)
ただいま!!

昨夜、北京から帰ってきました。
飛行時間、3時間。
なんと、はやいこと。
フライト・アテンダントさんも大忙し。
おしぼり配って、飲み物配って、食事を渡して
免税品の販売。あっという間に、成田着。

9月からは、15日以内の滞在は、ビザなしでOKとか。
新幹線にでも乗るように、北京に行けそうです。

「ラボ、お休みして、パパと暮らさない?」
ちらと、娘の口から出たことば。
まずい。これは、ちょくちょく、パパのもとへ
通わねば。

6年ぶりの北京は、道路が整備され、とてもきれいな街に
変貌していました。特に、長安街や王府井はさながら
東京かNYにでもいるようでした。
2008年のオリンピックに向け、都市化も急ピッチで
進んでいく事でしょう。新しいマンションやショッピング街の
広告看板で隠された古い胡洞に住む人たちは、一体どこへ
追いやられていくのかしら??
なんとなく、昔の北京が懐かしく思い出されました。

日本は、相変わらずお天気が悪かったようですね。
台風の爪あともすごかったし・・・。

アメリカも大停電で大変でしたよね。
オハイオの息子は、ステイ中に電気がついたかしら?
ろうそくを灯りに、ディナーをしたのかしら?
それはそれで、いい思い出になりそう。

留守中に、手紙あり。だんだん、家族と英語でコミュニケーションが
とれるようになったきたこと。ホスト・ブラザー以外に親友が
できたこと。お好み焼きは、ちょっと失敗したこと。
アメリカの消費税のことなどなど。充実した日々を過ごせたようで
何よりだ。ママの作ってくれる食事は美味しいが、
日本食が恋しいから、帰国日には
「おにぎり4個つくっておいて!!」というのには、家族で大笑い。

おふくろの味は、おにぎりであったらしい。
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