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毎年、この季節には、地区行事として、ラボの方に一層の理解を求めるとともに、今欠落している‘教育’について考える意味で、地区の教育委員会の後援をいただき、各会の著名人の方を、お招きして、「教育講演会」など行ってきました。
結果はいまひとつ!!現代の若い親御さんが何を求めているのか、わかりかねず、ならば、有名人をお招きして、いい話を聞くより、自ら育てた子供達の、生の姿を全面に出そうと、今年の企画がスタートしました。
現実の活動、と今社会でそれをどのように生かしているかの、OB,OGの体験など。
当然白羽の矢が立ったのは我がYAMAZAKI PARTY.30年という歴史があるのです。けっして、はじる事のない、こども達を育ててきたという自負心はもっています。
OB・OGとの語らいの部屋
①自己紹介
②ラボで楽しかったこと
③やめたいと思った時、どうしたか?ずーっとラボを続けてきたのはどうしてか?
④今の自分の中でラボの活動が活きていることは?英語力に関しては?
木村啓子さん(近くのYパーティー)
① 3歳で入会して以後17年間在籍。
中2でホームスティ参加(ペンシルバニア州)、オーストラリアン受け入れ
シニアメイト3回、大学生表現活動にも参加。
専門学校卒業後、カナダ・バンクーバーに留学。
留学中、インド系学校の授業に参加するなど積極的に交流を図る。
帰国後、子ども英語教室の講師を2年間勤める。その中で感じたことは子どもが英語を習得するためには先ずお母さんが楽しむことが大切。それが子どもに良い影響を与える。英語を学ぶということは、異文化に接するということでもある。
② ソングバードもテーマ活動も好きだった。表現するのが好きだったので、結構目立ちたがりや立ったと思う。大学生の表現活動もとても楽しかった。
③ 家がテューターのすぐそばだったので、毎週行くものだと思って生活の習慣になっていた。やめたいと思ったことは無いが、高学年になってきて他の友達と遊びたかったりお祭りに行きたかったりして親やテューターに嘘をついてごまかしたりしたが、結局ばれて怒られた。その後はやりたいことがあったらうまくやりくりしてできるようになった。
⑤ 英語日本語のCDを聞いて表現するのが大好きだったので、日本語のときは日本人、英語をしゃべると欧米人になっている自分がいた。聞くと書ける、見るとかたちで覚える、CDを通してイントネーションが身につくとごく自然に英語を楽しんでいたので、特別英語を勉強している意識は無かった。テューターが「テーマ活動は人生の勉強」って言っていたけど、役になってせりふを言うことでその人の気持ちが分かるようになった。大学受験の時理論的に英語をしっかりと自分の中で捉えたいと思い、英語を選択した。
外国語を理解するということは、相手の文化・価値観を理解尊重することにつながる。テーマ活動の中で仲間とコミュニケーションを図ってきたことが役に立っている。
高橋敏哉さん(山﨑P)
① 4歳で入会、大学4年まで18年間在籍。
キャンプは小3毎回のように参加していた
シニアメイトは大学時代まで含めて7~8回
大学3年の時、自分に演技力が無いことに気づき大学生若者合宿で企画運営などに携わった。
ホームスティのとき、「敏哉はどんな子?日本はどんな国?」と聞かれてうまく答えられなかったことがあって、その後、自分とは?日本とは?ということを考えるようになり、歴史に興味を持った。
そして、自分とはこういう人間だというアイデンティティを持った人間を育てたいと思い教職を選んだ。今は小学校の教師だが、中学や高校での教職もやってみたい。興味は尽きない。
②③ やめたいと思ったことはない。小学生の時ソングバードは嫌いでそんなに一生懸命やるラボッ子ではなかったと思う。でも、パーティの仲間と一緒にやるのがおもしろかったりキャンプが好きだった。
幼児の頃はお話の中で自由に遊べ、小学校低学年で役やせりふをもらえたのが嬉しく、小学校高学年では小さい子の面倒を見るのが楽しかった。中学生では国際交流のホームスティに参加したり、高校生ではシニアメイト活動、大学生では表現活動と年代にあったいろいろなプログラムがあり自分なりに目標を持ってやれた。他にはなかなか無いところだと思う。
③ 家では朝起きるとライブラリーがかかっており(母がいつもかけてくれて学校に行くまで耳にしていた)、物語が常に自分のすぐ身近に沢山あった環境。主人公の生活を想像するのが楽しかった。言葉を大切にすることを小さい頃から自然に身に付けていったと思う。小学校の教師になって、今の子どもたちの言葉使いが気になっている。言葉を大切にするということは、自分の毎日の生活を大切にすることにつながっていくと思う。これは、せりふの語尾をも重んじるラボの活動の中で得たもので、自分の発する言葉に責任を持ち丁寧な心がこもった言葉を使っていきたいと思っている。
*・・朝起きるといつも英語が流れていた!!こういう状況を作っていたお
母さんは、素晴らしいと思う。よく父母会でこの話を例に出した。
* 彼は、とてもよく本を読んだ。
* 現在小学4年生の担任。ラボでも一番難しい年頃の子供達。きっといい先生していると 想像してます。
(テューター、コメント)
須田 優子さん(山﨑P)
① 小2で入会、以後大学卒業まで15年間。
キャンプは小3から参加。6回ぐらい参加したが、ホームシックになったり、ウィンターキャンプでは氷の張ったプールに落ちたり、いろいろ手をかけさせてていた子だと思う。
高校生の時はシニアメイトも3回経験。
国際交流は中2で中国交流参加。中国では初めてというホームスティ体験をした。又オーストラリアの受け入れや、中国シャペロンの受け入れも行った。
高1ではアメリカ・インディアナ州、大3ではカレッジスタッフとして30名を引率テキサス州にいってきた。
② パーティ活動の中でごく自然に楽しんでいた。
③ 特にやめたいと思ったことは無かった。パーティが遠く車での送り迎えをしてもらわなければならなかったので、中学生高校生の頃は両親にそんなにまでしてもらって続けても良いもかどうかと考えたことも有った。仲間と一緒に活動を続けることの楽しさがラボを続けてきた大きな要素となっている。パーティの仲間やカレッジスタッフの仲間は今でも貴重な友達。
④ いろいろなきっかけをつくってもらった。教職に尽きたいと思っているのだがその前にいろいろ経験してから教師になるという夢がある。先ず一つはカレッジスタッフの経験から、旅行会社に就職した。それから、養護教員の詩各を取得しているのでそれを活かしたくて国際協力事業団に参加した。フィジーで障害のある子どもたちにラボのソングバードやテーマ活動「ガンピーさんのふなあそび」をやったりして喜んでもらえた。私自身も喜ぶ子どもたちに感激した。現在、日立製作所にて派遣社員として働きながら大学院で教育学を学んでいる。バックグラウンドが同じラボの仲間がさまざまな方面で活躍していることに刺激を受け励まされている。
* 須田は2年間の海外青年協力隊でのスライドなども紹介しながら、はなしてくれました。 FIJIという余り知らない国の様子。
学校での授業風景。授業のネタはすべてラボ!!!最後の仕上げは「ガンピーさん」だっ たそうです。
* FIJIでは、FIJI語とヒンズー語が使われるが、授業はすべて英語!!
* 高校時代はかなり部活との両立に悩んだが、何とか乗り切った。
* あれもしたい、これもしたいと夢がおおく、中途半端で終わる事もあり
よくテューターと泣きながら話し合った。
(テューター、コメント)
・・・・
3人の話を聴いていて、まず継続は力なり!!
目標を見つけ、それに向かって努力していった事・・・・。
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