幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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 私のおすすめライブラリ 第5号               2006年10月1日

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1)SK-18 Little House on the Prairie    
2)SK- 8 The Stair -Goblin Boy  
3)SK- 7 Snow Crossing
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1)Little House on the Prairie (SK18)
                                      ときわ地区 永田裕子

 元気で活発なローラ、おしとやかでおちついたメアリー、まだ小さなキャリーとグレイス、やさしくたくましいとうさん、子どもたちをやさしく見守るかあさん。インガルス一家の物語に最初に出会ったのは、私が小学校3年生の頃だったと思います。

 小学校高学年から中学生の頃には、毎週土曜日の夕方、NHKで放送されていた「大草原の小さな家」のドラマをかかさずに見ていました。広大な土地を持つアメリカ。貧しく素朴でありながらも家族の絆を大切にし、心豊かに生きる開拓民の生活。厳しい自然を相手に様々な苦労を重ねながらも力強くたくましく生きていく一家の姿。このドラマを見て、私はまだ行ったことのないあこがれの国、アメリカのイメージを心の中に描いていったと言っても過言ではないと思います。

 その後、家族でアメリカに滞在する機会を得、開拓民の住んだ家の見学にも行きましたが、そのとても貧しく粗末な様子に改めて、開拓者の生活の厳しさを実感したものです。

 ラボ・ライブラリーの“Little House on the Prairie”に出あって、改めて本を読みなおしてみようと思い、娘たち(現在小1と小4)と一緒に、(私が読み聞かせをするという形で)インガルス一家の物語を読んでみました。(福音館書店刊「大きな森の小さな家」から「シルバーレイクの岸辺で」まで。)親になり、子育ての経験をした中で読みなおしてみると、開拓者の生活の知恵、とうさん、かあさんの子どもたちへの接し方など、今の私にとって学ぶべきことがたくさんあることに気づきました。
 そして、何よりも、生活にかかわるほとんどすべてのものを一から自分たちの手で作りあげていく彼らの生活に対して、現代の便利で整った生活の中で、心をつくし、知恵をめぐらして、工夫を重ねて生きていく姿勢を失ってしまった自分たちの生き方を見直す機会になりました。
 このことを機にして、あのドラマをもう一度見たいと思い、あちこちさがして、なんとか3巻のビデオを手に入れました。改めてビデオを見て、あの頃の感動に再び浸っています。ところが、我が娘たちには、私のこの感動はなかなか伝わらないようで、ドラマを見ても、どうもお話の内容がよくわからないようなのです。(がっくり…)

 いつかパーティの子どもたち、娘たちと一緒に、この雄大な自然と人々の素朴な喜びを表現できるようなテーマ活動ができるようになることが、今の私の夢です。そのためにも、これからいろいろなテーマ活動に取り組んで、次元を越えた世界を理解できる豊かな心を育んでいくことができれば、と思っています。この目標はいつ実現できるかわかりませんが、このインガルス一家の物語は私にとって生涯の心の宝物になると思います。

2)タケちゃんの田舎に想いを馳せて
                                      中央地区  八木 貴子
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           
                                                                「平郡海の学校」のある山口県柳井市。その隣に位置する小さな町、平生町が私の田舎です。「かいだんこぞう」のタケちゃんはお父さんの田舎で、「Takechan was always busy from morning to night scooping up minnows and catching fireflies. タケちゃんは朝から晩まで、メダカをすくったり、ホタルを捕まえたり、大忙しです。」のところで、いつも私は過去にタイムスリップしてしまうのです。

 幼かった私は、春の心地よい陽気の中で、数人の女の子たちとれんげ畑に座り込み、れんげの蜜をすったり香りを楽しみながら、れんげの花束・髪飾り・首飾り・・・など、時を忘れ日が暮れるまで無心に作っていました。私の中に、ゆったりと優しい時間が流れ、満足感であふれていました。今考えるとどこのお宅の田んぼだったのでしょう?勝手に遊んでいました。「時間」も「仲間」も「空間」も、三つの「間」が当然のようにあったあの頃、田んぼのあぜ道に咲くオオイヌフグリの小さな水色の花々に見とれていた小さな私がいました。

 小学生のとき、バス通学をしていたので、ときどきバス会社がストライキを起こすと運休になり、歩いて片道1時間の道のりを友達とはしゃいで帰ったものです。野いちごを見つけて味見をしたり、野花のブーケを作ったり、小川をのぞいてメダカの群れをいつまでも見つめていました。いつもわざわざ遠回りして、何か楽しい事、何かワクワクする事を探していたものです。こうして自分の幼い頃の「原風景」を思い出すたび、穏やかに心のひだが潤い優しい温もりに包まれるのを実感します。

 プレイルーム・小学生の小さな子どもたちと向き合う時、ラボのテユーターとしてこの子らの「原風景」に何を残してあげることができるのだろう?と真剣に思い悩むことがあります。 

 「ふるさとは遠くにありて思うもの」・・・。子育てがひと段落した頃から、あの「ふるさと」の歌がやけに心にしみるのは私だけでしょうか?


3)『雪渡り』世界
                                        千葉総局 橋本武史

 この夏、私は12年ぶりの国際交流を経験してまいりました。久しぶりの国際交流で改めて、初めての土地で十代のラボっ子たちが一ヶ月を過ごすことの意義や、言葉で言い表すことができない心の運動を少しではありますが感じられたような気がしました(現地対応ならではの感覚だと思います)。
成田のホテル集結時、日本を出発するとき、ホストファミリーと初対面、ステイ中のラボっ子との電話でのやりとり、ホストファミリーから聞いた彼らの様子、ちょうどステイ半ばにあったキャンプでの様子、ステイ先に訪問してそこで見た彼らの生活、帰国直前のホストファミリーとの別れの場面、帰りの機内での様子、帰国して出迎えにこられた家族との一ヶ月ぶりの再会、私が見た彼らの言動はそのたびごとに変化をしてゆきます。非日常のなかで彼ら自身“変わろう”、“何か見つけよう”としている姿に感動させられっぱなしでした。

 そんな一ヶ月のあと(帰国して数日後)、私は故郷である京都府北部(舞鶴、綾部)に行ってまいりました。年に一度は帰るよう努力(?)しているのですが、今回はなぜか京都府北部の景色を見ながら、季節は夏というのに『雪渡り』の場面が度々頭を過ぎりました。夏の光は豊かで、そのため緑は生き生きと輝いています(秋もまた例えようのないほどきれいですよ)。私がここにいたのは20年ほど前になりますが、その光景はほとんどかわっていません。また、そこにはあの『安寿と厨子王』がたどり着いたとされる由良川が流れており、川辺の草も何の手も加えられず無造作で、昔のままです。一方で冬はとても寒さが厳しく、最近はさほどではありませんが私が小学生の頃までは、ものすごくたくさんの雪が降り、白一色の季節でした。
『雪渡り』には四郎とかんこが「堅雪かんこ、凍み雪しんこ」と歌いながら、野原(雪)に出かけるところで、“平らなことはまるで一枚の板です”、“それが沢山の小さな小さな鏡のようにキラキラキラキラ光るのです”、“いつもは歩けない黍の畑の中でも、すすきで一杯だった野原の上でも、すきな方へどこ迄でも行けるのです”というなんともいえない美しく開放感に満ちた表現があります。
私が子どもの頃に見たものは、雪のない季節は広い畑や田んぼで、あぜ道を恐る恐る渡って遊んだりするのですが、雪の季節はまさにこの『雪渡り』の場面そのものでした。
雪があるおかげで、向こうの森まで行ける。誰の足跡もない真平らな雪の上を渡り、初めての世界を見に行ける。いつもならいってはいけない場所なのに(そう感じた)、雪の季節はまるで別の世界に陸がつながり、誘われているかのようです。子どもの頃のその興奮は冒険心を大きく駆り立てました。「きっとお父さんも、お母さんもいったことのない場所のはず。」、「僕だけが知る世界なんだ。」、「絶対に誰も知らなかったことを見つけて帰ってやる。」そんなことを考えていました。

 『雪渡り』では四郎とかんこが狐と出会い、少しずつ心がふれあい、狐の学校の幻燈会に誘われます。大人ではない子どもの目線で世界を見て、やがて戸惑いながらも二人は狐の差し出した黍団子を食べます。はじめは距離をおきながらも異文化に触れ、溶け込んだ瞬間です。全く異なる世界を見て、そこに身をおき、そしてそこから帰ってきたとき、兄さんたちが途中まで迎えにきているのです。

 この物語は私の子どもの頃の実体験、心の中でみた世界と重なり、そしてこの夏の国際交流で見た子どもたちの様子とも重なりました。私のこの物語へのアプローチは大人としてのラボ・ライブラリーの楽しみ方なのかもしれませんが、また新しい感動をおぼえました。
ぜひ、ラボっ子たちにはラボ・ライブラリーを今はもちろんですが、どの年代になっても、大人になっても何度も何度も聞いてほしいと思っています。
そのたびごとに新しい出会い、発見をするはずです。
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