幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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 2005年 活動報告
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私のおすすめライブラリ 第6号               2006年10月30日

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1)GT-17 DREAMTIME    
2)SK-1  The KinderGarten Elephant  
3)SK-8  The Stai-Goblin Boy
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1)ドリーム・タイム
                                    南総:谷 悦子

「私が、ホテル探してあげる。」ホストのパトリシアさんは早速電話して調べてくれました。「日本人が泊まるようなホテルは無理だったけど、キャンプサイトが予約できたよ。うちにテントと寝袋があるからこれでいってらっしゃい。オーストラリア人はウルルにいったらキャンプするのよ。キャンベラグループはなにかあったら私がちゃんとしておくから大丈夫。」ホストの手際良い配慮で私の夢は思いがけなく叶いました。しかも、2泊だけですが、ウルルの近くの赤い大地の上でテントぐらしをすることになったのです。これは1997年オーストラリア交流にシャペロンで参加したときのことです。
‘84年国際交流をテーマに発刊されたのが「ドリーム・タイム」でした。とてもショックを受けたというか、いままで自分の中でもやもやしていたもの―歴史とは、文明、文化とは、民族とは、科学技術とは―がこの話しを聞く毎に、テーマ活動を深めるつれに、自分の中に落ちていった思いでした。それにつれアボリナルの聖地“赤く燃えるウルル”を体感してみたいと思いがくすぶっていました。

もうひとりのシャペロンとシドニー空港で待ち合わせ、一路エアーズロックリゾート地へ。私はテント、寝袋、敷きマットとその空気入れ、なべ、電気毛布を持参で。もうひとりのテューターが3日分の食料をもってきてくれました。キャンプサイトは電気コンセントがあり、近くにシャワールーム、洗濯設備、炊事施設がある。寝る場所こそ大地の上だがそれ相当の文明の利器は備わっていました。早速テントを張って寝る場所を確保し、あたりを散策です。小高い丘から夕日に染まる紫色のウルルの雄姿を拝みました。8月14日真冬の日暮れは早くあたりはあっという間に真っ暗に。15日は早朝のシャトルバスでウルルへ。日の出直前から太陽の光を受けて刻一刻と色を変えていく神々しいウルルに思わず手を合わせずにはいられません。すっかり陽が昇りきると、反対側からウルル登山です。急なつるつるすべる山肌を鎖につかまりながら登ります。上るにつれて冷たい風が吹き身体をもっていかれそうになり怖かった。高さ350M1時間40分かかり山頂へ。360度の視界。どこまでも続く赤い大地とはるかむこうにオルガ山。この大地で「一日一日を精一杯に生きる」アボリジニにしばし思いを。下山し周囲9KMのウルルを約3時間で一周歩きました。真冬だというのに太陽はようしゃなく照りつけ暑く、水が湧き出ているところ(ここは聖地で写真もとれない、もちろん足もふみいれられない)、ユーカリの木立の日陰はここに生きる人々にとってどんなに大切な恵みの場所か、少しの滞在でも実感しました。昼間28℃、朝方は2℃。この夜は真っ暗な道を痛い足を引きずってアボリジニのパフォーマンスを見に行きました。ディジェリジュの音が大地に響き渡り、あたりにひそむ精霊たちに息吹を与えているようでした。ドリームタイムを体感できた瞬間でした。
今考えると3日間のすごい冒険でした。「ドリーム・タイム」に出合ったからこそやってのけた冒険でした。

2)ぐるんぱ と 私の ♪turn the world around♪
                                  京葉地区 森 富子

’79夏、アメリカ・マサチューセッツに旅立った私の手には、クレヨンで描いた「『ぐるんぱ』の手作り紙芝居」がしっかりと握られていました。
今思い起こすと、北海道の小さなパーティーのラボっ子だった小6の私は、黒姫キャンプはもちろん、他のパーティーとの交流もほとんどしたことのない「まっさら」な子で、まるできれいになったぐるんぱが働きに出て行く様子そのものだったのです。
当時のラボのホームステイは、今のような事前活動もなく大して予備知識もない状態で、お土産には『ちゃんちゃんことお箸 Japanese Kimono & chopsticks』・・・それとラボのお話の紙芝居、ってな具合でした。(八重歯はドラキュラだから嫌われる・・・なんて言われビクビクしたことはありましたが(~_~;) )
最近になって、ベテランのテューターに、
「当時ホームステイにいった子の家庭は、今で言う『セレブ』なのよ~。あの頃はみんな父兄も着飾って発表会を見に来たものよ!」という話を聞きました。確かに、周りに海外旅行に出掛けた友達はひとりもいなかったし、大人でさえもほとんど聞いた事がない時代だったのです。実際のところ我が家は、セレブでもなんでもなく、それどころか旅費も母の相当な節約から生み出されものでした。それだけに、家族はもとより、ご近所、学校の先生・お友達みんなが、
「さようなら、とんちゃん(ぐるんぱ)。がんばってこーい!」
と私にエールを送ってくれていたのかもしれません。
Bakery・Pottery shop・Shoemaker・Piano factory・Car shop・・・と失敗の連続でも凝りずに働いたぐるんぱ。
私の方は、ピーナッツバター&ジェリーのサンドウィッチ・トゥリーハウス・カラフルなお菓子・牛の乳搾り・羊・豚の世話・バンの荷台で高速飛ばしてお買い物・・・今も強烈に印象に残っている初体験の数々・・・。
(告白:失敗と言えば、トイレを詰まらせうまく説明できなかったために2才のColbyが罪をかぶったこと・・・ごめんね<(_ _)>)
ぐるんぱと私の共通点。それは、「世間知らずと柔軟性」☆何にも知らなかったからこそ湧いてきた好奇心と、失敗をもろともしないチャレンジ精神だったように思うのです。「郷に行っては郷に従い」とばかり、何でも食べ、何でもやってみて、ホームシックの「ほ」の字もなかった私。(シャペロンの存在さえ知らなかった!)言葉がわからないことが、不自由だとは全く感じなかったほど楽しい1ヶ月間だったのです。
それまでは引っ込み思案と言われた私ですが、それ以来、「行ってみる!やってみる!」が今も私のモットーになっています。
ところで、あの時ぐるんぱを送り出した他のゾウやシマウマ・キリンはその後どうしたのでしょうね?
ぐるんぱの素敵なうわさを聞いて、みんなも旅立ったのでしょうか?
ぐるんぱを読んで、あるいはラボっ子のすてきなホームステイ体験を聞いて、たくさんの子どもたちがどんどん羽ばたいて行ってくれたら・・・。そして「ホームステイから帰ってきた子どもたちのお土産話を聞く」・・・それもテューターとしての醍醐味なんだろうな~と思う新人テューターなのでした。
You’re old enough. さぁ、出発だ!
そうそう、前期テュータースクールの素語りで私が選んだのは・・・当然、「ぐるんぱ」でしたよ。
紙芝居をやるために小6で覚えた素語り、30年近くたった今でもかなり覚えていたんですもん!!

3)かいだんこぞう
                                     帆保 美穂子

 小学校3年生、ラボっ子の頃なぜかこのお話が大好きでした。SK8を手にとると、どれよりも先にかけるのが、これでした。というより、これしかかけなかった、という方が正しいでしょう。なぜかといえば、
 私が住んでいました、世田谷区砧には大きな清水建設の社宅があって、まさに「かいだんこぞう」が絶対にいるでしょう、と思わされる階段があちこちにあったからです。
クラスの友達の半分がこの社宅から通っていたわけで、よく学校帰りに遊びに行ったものでした。本当に現れたらちょっとこわいのですが、でも強気な私は会ってみたい、というまとまりのない感情をもったまま遊んでいました。存在するわけがないとわかっていても、あまりにこの社宅がお話にピッタリであったので、当時ラボっ子でも何でもない、ただ社宅に住んでいた友達にもこの話をし、足音を立てまくって階段の上り下りを、ひたすら繰り返していました。私も「かいだんこぞう」を見つけられる、と思って。
それくらい、このお話のテキストからまるで切り取ってきたようなシュチエーションを思い切り肌で感じ、楽しんでいたのだと思います。テキストと現実をいったりきたり。残念ながらパーティでは一度もやらなかったのですが・・・実体験は強し、ちゃんと「ひとりテーマ活動」をしていたわけです。
 もう一つの魅力は日本語の吹き込みをしている田島さんの声でした。あの優しくて透明感のある声はとにかく好きで、癒しであったのでしょう。ついつい聞き入ってしまう不思議な魅力で耳からの印象も相当強いものでした。
 さてこのお話のテーマは?と考えた時、よく言われるのは「都会と田舎の比較」や「大人とこどもの世界の比較」などなど挙げられています。みなさんはどう思われますか?都会の象徴として描かれているのが団地という建物。灰色の画一的な建物と色鮮やかな田舎の風景とは対照的です。でもタケちゃんはこれからこの灰色の建物の中で暮らしていかなくてはならないわけで、都会に慣れていく架け橋になったのがまさに「かいだんこぞう」であったのでないかな?
でもそんなことより、私はこのお話にこどもの頃に出会えてよかったとつくづく思います。まさに「等身大に楽しめたから、自分がタケちゃんになりきれた」からです。タケちゃんの手紙も共感できるものでした。ああいう手紙を書きたくて真似していました。同居しているにもかかわらず、自分の祖父に書いていたのです。等身大で感じられるお話を与えてくれた私のテューターと親に感謝です。
 そして時を経て現在、大人になって改めてCDを聞いて思うことは、「かいだんこぞう」という秘密というか、自分だけの特別な存在を秘かに心の中にもてるということがいいな、と感じました。秘密って魅力です。私の場合、当時秘密にできなくて、社宅の友達に話してしまっていますが。(今でも秘密がない私…)   
 それから最後のタケちゃんのセリフが好きです。「へんなことにならないかなぁ」つまり、魅力的な存在というのはどこかしら、未知な要素を漂わせているのです。テキストの絵ですが「かいだんこぞう」にもタケちゃんにも目がないので余計の想像力が膨らみます。あの少々グロテスクにも見える「かいだんこぞう」に目があったら、かえって変でしょう。
このお話への思いはまだまだあるのですが、この辺にいたします。
 今ではこういう社宅はチラシさえまけないものですが、なぜか足がむいてしまう私は今でも「かいだんこぞう」に惹かれているのかな?????
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