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震災後24日目 04月03日 ()
今日、やっとホームページに書いています。
あまりの事の甚大さに書く体力も気力も失っていました。
全国、世界中から本当にたくさんのご心配とお見舞いと励ましの
電話、メール、手紙、支援物資が届いています。みなさんが私たちを
思ってくださる気持ちに感謝の日々です。
応援ありがとうございます!

我が家と我が家族にはほとんど被害がなく、電気、水道、携帯、順に復旧しました。ラボっ子とラボ世帯も無事と確認できて、まずはほっとしました。

地震当日、私は名取市の市民活動支援センターという古い建物でいつものように国際交流協会のボランティアをしていました。耐震構造ではない古いビルは今にも崩壊しそうに大きく揺れ、階段はひび割れガラスは割れて道路に飛び散りました。なんとかビルを出て、津波の恐れという車のテレビ放送を聞いて、信号の消えた大通りを車で自宅まで帰りました。自立した娘たちが、なんとか家まで帰り着いてからは、我が家に避難した若者を預かって8人で3日間電気と水が来るまで過ごしました。

 翌日新聞やラジオのニュースで津波の被害を知りました。
私たちが毎年お世話になっていた合宿所、朝市、田植えや稲刈りを体験させてもらった田んぼ、漁業、かまぼこ工場、農業に従事しているたくさんの方々、津波からの避難をよびかけた消防団の方々、犠牲になった方々、あまりの被害の大きさに茫然としました。

 私たち、近くにいて被害の無い人間ができることをしよう。と、いつものボランティア仲間と市役所へ行き、災害ボランティアセンター立ち上げを団体で応援することにしました。

 ガソリンもガスも無い状態で、通常ラボで集まる事も、発表会も、行事もキャンプも中止になり、ライフラインが整うまでは自分の近くでできることをしようと決め、3月31日まで毎日おにぎりとお茶を持って近くの避難所に通うことにしました。

 避難所にいた方たちは、津波警報で仙台空港ビルに避難して3日間孤立していたのでした。ブルーシートをしいて日赤の毛布を上から1枚かけただけで寒い体育館に寝ていた人達になんとか暖かくいてもらいたいと、団地の有線放送でよびかけてキャンプシートを100人分集めて運んだり、
食器や衣類を集めました。私たちの呼び掛けにあっという間に大量の物資があつまりました。石川県からの自衛隊の炊き出しもあり、なんとか暖かい食事ができるようになってきました。昼間残っているおばぁちゃんたちの話を聞くと、行方不明の家族が見つからない、家族を失った、家を流された、職を失った、車、工場、下ろしたばかりの現金を失ったという話を聞くばかりで、またまた私までも家に帰るとぐったりしてしまいました。

 いい話もありました。
お店が開かなかったので、近くの農家の方にいただいた人参1本を近所の方に持っていくと、逆にキャベツやちくわとおかえしにもらったり、毎日が物々交換の日々で、みんながお互いに感謝しあいました。何もできないからと水のペットボトルを届けてくれた方、飴1個でありがとう!と喜んでくれる糖尿病の男性など。久しぶりに会えばみんな「生きてて良かった!」と抱き合いました。

 避難所では中高生たちが活躍しました。うちの避難所だけでも100人強のボランティアが登録し、段ボールを運んだり、物資を整理したり、こどもの相手をしたり、食事を運んだり、配ったり、ラジオ体操をステージ上でやってくれたり。無いものは段ボールで作ったり、肩もみをしてあげたり、、。3月末まで切らさず毎日ローテーションで来てくれました。

 その間も行方不明者の捜索から罹災証明発行、通院援助、仮設住宅の説明へと状況は日々変わっていきます。乳児、幼児は親戚宅などへ避難したり、アパートへ引っ越していく家族もあり、お年寄りが多く残ってています。近隣の介護師、看護師もボランティアで毎日来てくれます。

 私たちにできることは、避難している方のお話を聞き、できることを出来る範囲で手伝うことです。ここの避難所が落ち着いてくるにつれ、
もっと北の方で食事や衣類に困っている方々を援助できないかと気持ちは焦ります。そして、福島の南では原発の放射能の心配が、、。

そこで、私たちができることは、物資の援助ではありません。
物が無くて困っている時にタイミングよく渡すことは本当に身近でないとできません。遠方から届けたいと思っても届いたときにはすでに必要で無い状況に変わっています。

みなさんにやってほしいこと。
1.節電、節水、節エネルギー。
  名取市では、下水設備が地震で被害に合い、いまだ行方不明者を捜索しているところの河口に生活排水が流れ込んでいます。蛇口から水が
出るようになったとたんに洗濯、入浴、食器洗い、トイレで一気に排水され、逆流するのです。水が来なかった時と同様にすればかなり節水になります。私たちは、トイレに紙を流さず、ません。小の時はお風呂の残り湯をバケツに汲んで、少し流す。シャワーは浴槽で使う。電気はもちろん、節電すれば原発なくしてもやっていけます。
Re:震災後24日目(04月03日)
びーちゃんさん (2011年04月03日 19時58分)

PANさん日記ありがとう。PANさんのお顔とともに現地のみなさんの様子
がすごく伝わってきました。みなさんも被災されているのに一人一人で
きることを仲間のためにやっておられるのですね。胸が熱くなりまし
た。私もできることやりますね!!
Re:震災後24日目(04月03日)
リジータさん (2011年04月03日 22時53分)

PANさん、避難所でのボランティア本当にお疲れ様です。
PANさんからのメール、私のHPにアップさせてもらいましたが、本家本元
の場所でのアップが何よりです。
PCに向かえる時間、取れるようになって良かったです。

私たちが何を大事にしなくてはならないのか、震災を通して学んでいる
気がします。
命、家族、エネルギー。
あることがあたり前と思っていましたが、そうじゃないことに気づかさ
れました。
Re:震災後24日目(04月03日)
マーシャ嬢さん (2011年04月04日 07時30分)

 PANさん、HPの日記復活待ってました^^
PANさんの避難所ボランティアの話を聞いて「私にも何かできることを始
めよう」という気持ちになりました。
明日お会いできるのを楽しみにしています。
Re:震災後24日目(04月03日)
カトリーヌさん (2011年04月04日 20時00分)

ほんとうにおつかれ・・・・ずっとずっとお疲れ様です。
自分の無力さに歯がみしながら、こうして何もできないのも、エネルギー節約と、思うこと
に。
また会いましょう!
Re:Re:震災後24日目(04月03日)
PANさん (2011年04月07日 00時13分)

カトリーヌさん
メッセージありがとうございます。
何もしないでいるということ大事だと思います。
とても大変なところがたくさんある中、身近な私たちが
できることをしていきます。
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