自信がついた1ヶ月
橋爪 寛人(中学校2年生)
マサチューセッツ州Dudley 市
Kuebler家ヘホームステイ
2009年7月22日~8月23日
僕は、今年の夏ホームステイに参加した。親とも名古屋で別れて飛行機の中で僕はいろいろな事を心配していた。ホームシック・言葉・食べ物…そう思っているうちに着いた。そしてホストとあった。
僕のホームステイは、この言葉から始まった。“YES”。その“YES”という3文字が通じただけで本当に嬉しかった。
僕の仕事は、犬のフンの処分・猫の世話・皿片付けだった。特に犬のフンの処分にはとても苦労した。老犬だったので帰ってきたらいつもフンをしていて、毎日10回くらい処分していた。この仕事は初日に初めてしたので「あぁ。これから1ヶ月これすんのかぁ。いややわぁ…」と思っていた。
5日目、僕は近所の家に一人で挨拶をしに行った。近所といっても、歩いて5分ぐらいかかった。近所の家についてまず驚いたことはインターホンだった。日本の家ではボタンがあって押すと音が鳴る。でもそこの家はボタンが無くて「どうしよぉ。」と思った。
そこで10分ぐらい考えていたら目の前に変な取っ手がついているのに気付いた。
「あぁー。これを叩くんかぁ」と思って叩いたら“Hello.”と言ってきたので
“Hello. I'm Hiroto.”と言った。この時僕はホストファミリー以外の人と会話することが出来た。でも自分から聞く事などはまだ全然出来なかった…近所の人はすぐに僕を家の中に入れてくれた。お菓子や紅茶を出していただいたり、たくさんの話を聞かせてもらったり、また質問もしてくれた。そして家を出るときにハグをしてくれた。Momが事前に言ってくれていたのかもしれないけど、とても温かく歓迎してくれた。アメリカ人は親しい人に会ったらいつもハグをしていた。僕は、「アメリカ人ってみんな優しいなぁ。」と思った。行く前まではアメリカ人って怖いっていうイメージがあったけど全然違っていた。僕はこのとき初めて「人が言っとんのと見たんでは違うもんやなぁ。」と思った。
7日目、僕はホストたちにお土産を渡した。渡したものは、箸・けん玉・扇子などだった。特に『紙風船』と『扇子』は気に入ってもらえた。Dadには日本の『はっぴ』をあげた。Dadは『はっぴ』を気に入ってくれたみたいでスーパーに行くときも『はっぴ』を着てみんなに見せびらかしていたほどだった。お土産の袋を開けた時の、ホストファミリーの喜びの表現が少しオーバーだった。でも「アメリカではオーバーリアクションがちょうど良いのかな?」と疑問に思った。
ホームステイの半ば、僕はヤンキースの試合を見に連れて行ってもらった。ステイ先とヤンキーススタジアムまでは車で片道3時間、Dadと無言のドライブを楽しんだ。ちなみにDadは趣味がレース。なので、自宅にはレースカーがあって、それに乗せてもらった。あんなにうるさくて速い車は初めて乗った。試合の前にDadの友達がスクリーン操作の人だったので特別に操作室に入った。そこには30台ぐらいテレビがあって、テレビの中継もしていて正直かなり驚いた。それから席に戻って試合を観戦した。そして、ちょうど5回の表が終わったときだった。前方バックスクリーンにいきなり“Welcome Hiroto in U.S.A”と表示が出てきて、会場のみんなが“Hiroto!!!”とコールしてくれた。僕は突然のことでそれをカメラに撮る事もできないほどビックリした。その後、立ち上がってみんなに手を振った。そして前を見ると松井選手が目の前にいて、目が合ってドキッとした。ビックリと感動をDadからもらい嬉しかった。
そしてある日、“夕飯にお寿司を注文するけど何が良い?”とDadが聞いてきたので
「サーモン」と答えた。Dadが“Hot? Karai? ”と聞いてきたので、
「あぁー。わさびかぁ」と思って“Yes.”と答えた。
お寿司が来て赤黒い液体が入っていたので、しょうゆと思ってかけてしまった。久しぶりの日本食だったので味わって食べよと思って1巻食べてみたら口の中が急に痛くなった。Dadに“What is this?”と聞いてみたら“ハバネロ”と言ってきたので「なら初めから
“Karai? ”と聞くのじゃなくて“ハバネロ”ってゆってくれよー。」と心の底から思った。
15日目、僕はホストたちと大西洋に泳ぎに行った。1時間ぐらいで着いた。海の波がとてつもなくでかくて、サーフィンをしている人もいたぐらいだった。そして海の水はすごく冷たかったけど勢いで入った。凍え死にそうだった。でもけっこう深い所にいったら温かかった。もっと先に行ったら足が届かないぐらいの場所に来てしまって必死で岸に戻った。もう海が怖くなってしまってその日はずっと日光にあたりながら寝ていた。
僕はアメリカで市長を訪ねた。アメリカに行く前までは「観光旅行ではない」ということは、分かっていた。でも市長さんに会ってから観光旅行とは違うという事がはっきりと分かった。市長さんはもちろん英語で話しているのであまり言っていることは分からなかったけど“You study this ……”この3つの単語ははっきりと聞き取れた。「なるほど。あなたはここで勉強するためにってことかなぁ。」と自分で解釈した。それに後でDadが「市長と会って話せるのはめったにない。市長は君はただの観光旅行者じゃない、ちゃんとここの町のこと、アメリカの生活を勉強していってくれ、って言っていたよ。」と1時間かけて説明してくれた。このとき僕も日本の一人の代表なんかなぁと思った。
僕はそろそろ日本料理を作ろうと思ってスーツケースから持ってきたものをキッチンに並べておいた。そしたらすぐにホストが来て、“What is this?”と聞いてきたの“This is……”と1つ1つ説明した。僕が知っている英語すべてを使って必死に1時間説明した。やっと分かってくれた。このとき初めて長い言葉が通じたのでとてもうれしかった。
僕がアメリカで作った日本料理は、そうめん・お好み焼き・やきそばUFO・チキンラーメン・フル-チェ。この中で一番おいしいと人気だったのが『フルーチェ』だった。僕も『フルーチェ』が一番うまく作れたと思う。でも一番印象に残っているのはやっぱり『お好み焼き』だ。キャベツがあったので「まぁ1玉あれば足りるかぁ」と思って1玉全部使って生地を作って焼いたが中は半生だった。でもホストファミリーは「これがお好み焼きかぁ」という顔をして不思議そうに食べていた。
ホームステイの中で一番印象に残ったのは毎朝10時ごろにホームプールに入ったことだ。温かい時はとても気持ち良くて毎日の楽しみだった。しかし雨の日、風の日に入るのもあたり前でやっぱりそんな時は1日で1番いやな時間だった。でもそのおかげでかなり水泳が上達して、初めのころはホストより泳げなかったけど、帰る時にはホストよりもうまく泳げるようになれた。どこかに行くのも楽しいけど、ホストと遊ぶ方が断然楽しかった。だからホームプールで泳いだことは一番いい思い出だ。
ホームスティも終わりに近づいたころ僕は友達とパジャマパーティーに行った。
ホストと僕と友達5人ぐらいが来ていて一緒にホームプールに入った。寒かったので僕だけ先に上がったら友達のDadが鳥をさばいていた。見に行ったらたくさん血が出ていて「うわぁー!」と思った。でも「やっぱり日本とは違うなぁ。」と改めて思った。その日の夕食がその鳥だったので気持ち悪くて食べられなかった。
他にも色々あった。夜寝ていたらベッドの中に4匹猫が入ってきて引っかかれたり…縦長の信号があったり、お菓子がカラフルすぎたり…本当に毎日驚きと発見で忙しかった。
最終日、来た時に泊まった大学の寮に行った。日本の友達がいて久しぶりに会ったので嬉しくて、勢いあまり“Hi!”と英語で言ってしまった。そしてホストファミリーと別れる時、『まだ居たい』という気持ちの反面、『もう帰りたい』という気持ちがあった。ホストファミリーたちと握手をして“See you again.”とお互いに言った。出口の方へ行ってしまうホストたちを見て「もう会えやんのかぁ…」と複雑な気持ちでいっぱいだった。ホストたちと別れた後に「終わったなぁ」と思った時、すごく充実感が出てきた!!
でも何より、異国から来た僕を家族として受け入れてくれたホストファミリーの温かさ。参加させてくれた親の温かさが改めてよく分かった。
僕は「やっぱり笑顔とか表情って大事やし、学校の勉強とは全然違うなぁ。」と思った。それに1ヶ月間ほとんどジェスチャーで過ごせたし、ホームシックにも全くかからなかった。このホームステイに参加して本当にマジで自信がついた!!そのとき僕はホームステイする前の自分のことをふっと思い出した。
中1のとき同級生たちがみんなホームステイに行くと決めたけど僕は決断できなかった。それは小3のときに参加したサマーキャンプのことが頭の中に残っていたからだった。そのサマーキャンプのときはずっとホームシックにかかってしまって毎日泣いていた。その後3年間は、ホームシックが心配でキャンプに参加することができなかった。黒姫キャンプが大嫌いだった。もしアメリカに行っても「どうせホームシックになって結果的に楽しくないまま終わるんやろ。」と思っていたからだった。でも同級生たちがアメリカに行っている時に、突然ホームステイに参加したいと思うようになった。それは同級生がいない間の夏の合宿でグループリーダーなどをして僕にもできるんだという自信が少しついたからだ。僕は中1の夏に勇気を出してサマーキャンプに参加した。そのキャンプではいろいろな人と友達になって、楽しくてホームシックになる暇もなかった。そのときホームシックにかからなかったことに自信を持てた。
今ホームステイに参加するのに不安がある人も勇気を出して一歩踏み出せば大丈夫だと思う。こんな僕でもアメリカで一ヶ月ホームシックにかからないでいけたのだから……
事前活動では三重地区の仲間達とケーススタディーやアルバム・すがたり・自由研究…
たくさんのことをした。『アルバム』は初日に何も話せなかった自分を助けてくれた。アルバムを出して見てもらっただけで、自分の好きなこと・普段日本で何をしているのか・部活は何をしているのか…言葉で言えなくてもアルバムには英文もつけたのでとても役に立った。アルバムのおかげでホストファミリーに自分のことをたくさん理解してもらえて一ヶ月間とても楽しく過ごせた。
『素がたり』(ラボライブラリーSK17メリーゴーランドD・Ⅲ-51“This is the house that Jack built”これはジャックの建てた家)は他の人と友達となるきっかけになった。家族の前でもしたし、パジャマパーティーの時もみんなの前で披露したりした。
自由研究の『将棋について』はホストとコミュニケーションを取るのにとても役立った。将棋を初めてホストに教えて一緒にした。どれもテストや部活もあって本当に作るのに苦労した。でも苦労した分アメリカでとても役に立った。事前活動では「こんなんあんまり役にたたんやろ。」と正直思っていたけど、これがなかったらこんなに充実した、ホームステイにはならなかっただろうと今思う。
そして自分は本当にたくさんの人に支えられていると改めて分かった。
テューター・三重地区の仲間・友達・親・ホストファミリー…こんな大事なことを教えてくれた、たった1ヶ月のこのホームステイは僕の一生の思い出になりました。
兄ちゃんの行っとるマサチューセッツ州にな 「チャーゴガゴグマンチャウ ガウガゴグチャウ バナガンガマウ」という湖があるんやって! 「俺がこっち岸で釣っているときは、おまえはそっちの岸にいろ」という意味なんやって!!! とKe君が教えてくれました。
インディアンのことばかなぁ
兄ちゃんは22日に元気でマサチューセッツ州から帰国。
先生!兄ちゃんの持って帰ったものに チャーゴガゴグマンチャウ ガウガゴグチャウ バナガンガマウ みたいに書いてあるものがあったよ!
えー!やっぱり あるんやね!
チャーゴガゴグマンチャウ ガウガゴグチャウ バナガンガマウ1
チャーゴガゴグマンチャウ ガウガゴグチャウ バナガンガマウ2
ひろっちのホームステイ1
ホストと
ヒロト君の三重地区壮行会での素語りの発表を下記クリックして動画でご覧下さい
This is the house that Jack built
This is the house that Jack built1
This is the house that Jack built2
This is the house that Jack built3
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Lake Chargoggagoggmanchauggagoggchaubunagungamaugg<ニプマク族の言語>
Wikipediaによると
<チャウバナガンガマウグ湖 (Lake Chaubunagungamaug) またはウェブスター湖 (Webster Lake) は、 アメリカ合衆国マサチューセッツ州のウェブスター (Webster) 東部にある湖である。 コネチカット州との州境近くに位置し、湖の面積は 5.83km²である。
チャーゴグガゴグマンチャウグガゴグチャウバナガンガマウグ湖 (Lake Chargoggagoggmanchauggagoggchaubunagungamaugg) という別名を持っており、 このラテン文字で45文字の名称はしばしば米国で最も長い地名で、世界で6番目に長い地名であるとされる。
この湖はいくつかの別名を持っているが、 アメリカ合衆国内務省は「チャウバナガンガマウグ湖」という名称を認定している。 しかし、この地域の住民やウェブスターの町の公式サイトでは、 「チャーゴグガゴグマンチャウグガゴグチャウバナガンガマウグ湖」という より長い名称を使用している。
「チャウバナガンガマウグ湖」は、地元に住むニプマク族の言語で 「境界にある釣り場」という意味であり、 湖はその名の通り、釣り場として有名である一方、 いくつかの部族領のちょうど境界に位置していており、集会の場としても使われていた。>
Ke君 お手柄!先生 ちょっとまた賢くなったよ!ありがとう! |