自己紹介文
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考えるよりも先に、まず動いてしまう、体育会系の
テューターです。物語の中でなら、どんな表現だってア
リ。常識や、人の目を気にせず、大人も子どもも、思
いっきり自分を出していいところ。にしやすパーティー
はそんな「場」にしたいです。 |
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所属 |
ラボ西保パーティ |
地域 (同じ人は?) |
茨城県 |
活動グループ (同じ人は?) |
幼児から高校生まで |
ラボ歴 (同じ人は?) |
8年から15年 |
誕生日 |
非公開 |
性別 |
女性 |
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好きなスポーツ (同じ人は?)
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ジョギング、テニス。 |
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はまってること (同じ人は?)
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Jazzercise! 健康維持とストレスの解消に最高です。 |
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夢・目標 (同じ人は?)
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世界中を旅行して、いろんな動物を見たい。とくに、アフリカの草原で「たぬき」が見たような、野生動物たちをこの目で見たい。 |
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年表・歴史
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1970年代前半
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まだ生まれて間もない「ラボ」に入会する。本人は英語を習っているという自覚はほとんど無く、「ピーターパン」や「たぬき」を夢中で聞いていた。ピーター・パンではトゥートゥルズの役、たぬきでは「太った紳士タヌキ」になって、ロンドン見物をしました。細かいことは忘れてしまいましたが、『毎週、とても楽しかった』という記憶は鮮明に残っています。 |
1970年代後半
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千葉県立東葛飾高校で、陸上競技部に入り、そこで当時、現役のアジア大会選手だったS先生の指導の元、ひたすら走る生活をしました。しんどいけれども、信頼できる指導者に出会って、充実した日々でした。800mでインターハイの関東大会で優勝し、全国大会にも2回出場しました。 |
1980年代前半
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筑波大学体育専門学群から、同大学院へ進み、コーチ学を専攻。体育学修士を取得。運動後のクーリング・ダウンの研究で、実験をしたり、論文を書いたりしました。 |
1980年代後半
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西荻にある、某有名女子大学で体育研究室の助手となる。体育の実技の授業と、運動生理学の研究をしていました。国内や海外の学会で発表したりしました。 |
1990年前後
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現在の夫がポスドクでアメリカへ。自分も半年後に退職して渡米。Yale大学医学部の研究助手に採用されました。よいボスと仲間に恵まれてとても充実した日々を過ごしました。この間におこなった研究の論文が学術誌に載りました。(ちょっと自慢)論文は、今でも私のたからもの。http://www.jci.org/articles/view/115703アメリカは女性にはとても暮らしやすいと感じ、「日本に帰りたくな~い」が口癖でした。でも、残念ながら2年で帰国。今になって思い返せば、やっぱり日本が世界中で一番いい国だと思う。 |
~現在
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帰国後は大学や専門学校などで非常勤講師をしながら子育て。「子育ては、へたな実験なんかよりもずっとおもしろい」ことを知る。二人目が生まれてから、「子どもと一緒に成長できる仕事」はないかと思案していたところ、記憶の彼方から「ラボ」の事を思い出し、テューターになりました。もうすぐ自分の子育ては終わりに近づいてきました。長男(東京大学大学院卒)、次男(筑波大学2年在学中)。ラボで培った能力を実社会で発揮してほしいです。 |
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