来週はこのクラス主催で「地雷をなくそう!こどもキャンペーン」を行なうので、自分たちがしらべてきたことを、どうやって、発表するか?再度確認する。
*「セロひきのゴーシュ」
先週の日曜日に同じ地区の木下パーティーの「ゴーシュ」の発表をみて感想を言い合う。Yjは
「すまなかったなあ、かっこう、おれは怒ったんじゃなかったんだ」の場面で、ゴーシュが
自分をおとずれた動物たちみんなのことを心におもいながら、このセリフをいったのだというのが表現されていて、感動した。ゴーシュがたくさんの動物たちにであって、成長したんだ、といことなんだね!という。それで、今日もそんなふうに、最後のゴーシュの気持ちを表現してみたいと言う。今日は、半分が欠席で、3人しかいなかったが、YkとYjの二人がゴーシュを前半後半とわかえてやることになる。Ayは楽長と動物たちをやることになった。
テーマ活動は音楽にのってとても楽しそうだった。でも、無表情のゴーシュに「もっと、おこってよ!」「どんな気持ちだったのかな?」と注文がとぶ。
やり終わってのみんなの感想と発見。
*ゴーシュには「足りないもの」があったんじゃないか?と気づいた。
カッコウのところで、必死になっているカッコウをなんとかにがしてやろうとしたところで
ゴーシュはやさしい気持ちになれたんじゃない?
*感情がないといけないんだなあ!最後にみんなの前につきだされて「トラ狩り」の曲をひいたときは、「怒り」という感情をダイナミックにだすことができたんじゃないかな?セロで。
だから、みんなはそれにききいったんだよ。ネコやいろいろな動物にであって、感情を曲にのせてあらわす、ということができるようになったということかな?おこらずに楽譜のとおりひいたら、みんなを感動させられなかった。(YJ)
*何かしてあげようとおもって、はじめてセロをうまくひけるようになったんじゃないのか?
それは、動物がやってきて、そういうことができたからなのかと思う.(Ay)
ゴーシュが動物に出会って変わっていったこと、成長していったことを発見したようす。
自分もゴーシュみたいに音楽でリコーダーの吹き方で注意されて、なきそうになって、楽器を床に叩きつけたときは、リコーダーをふくことはできなかったけど、あとで、先生からなぐさめられて、自分がその気持ちになってふいてみたとき、音楽って、自分の気持が表わせてたのしくなったこと、というゴーシュ体験を語ってくらた、Yj.「もしかして、感情をあらわす」ということは、ラボのテーマ活動で、お話の中のだれかさんになりきって、ことばで感情をあらわすのも ゴーシュの音楽とおなじなんじゃないかなあ?という話になる。
このおはなしもいつか、パーティー全体でとりくんでみたいお話だと思う.
次回は20日は「地雷をなくそう!こどもキャンペーン」、その次の27日は②-4時、
「ひとうちななつ」
来年国際交流参加予定のKとAは今月中にすがたりにとりかかろう!
ワークショップも次にはすすめよう。
|