幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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 【’05ラボサマーキャンプ(in湯坪)】
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 大学生キャラバン隊がやって来た~
 ラボ教育公開シンポジウム
 パネル討論『なぜ英語教育が人間教育なのか?』
Tommy's Garden
小沢 俊夫氏講演録『昔話の重要性』

 こどもをとりまく環境は、インターネット、テレビゲーム、携帯電話などの出現でどんどん刺激的になっています。このような環境のなかで、人びとに脈々と受け継がれてきた昔話の存在はどうなっていくのでしょうか。物語の力をモットーとするラボにとってもたいせつな問題です。嶋岡テューターと同パーティの三人のおかあさんとともに、今年の三月に、白百合女子大学を退職されたばかりの小澤俊夫先生を「昔ばなし研究所」にお訪ねし、お話をうかがいました。
 
 昔話のもっとも大きな特性は、口伝えで語られてきた文芸だということです。人びとが口で語り、耳で聞いてきた文芸という点で、昔話は、はじめから文字で書かれた創作物語とは異なります。そのため、どんな国のものであれ、昔話は独特の語りの様式をもっています。

 たとえば、たいていの昔話では、人物や場面が孤立的に語られます。主人公はひとりで困難にたちむかい、敵役もひとりで登場します。また、昔話は極端な語り口を好みます。「太陽のように美しい」王女さまが登場し、悪者は徹底的に罰せられます。極端に語ったほうが聞き手の記憶に残りやすいため、このようにくふうされているわけです。三回のくり返しも昔話の大きな特徴です。たいていの場合、三回目のくり返しがもっとも長く、内容的にももっとも重要です。この三回のくり返しは、昔話全体に、耳で聞いていて気持ちのよいリズムをつくっています。

昔話はこの語りの形式がだいじです。「語り」はもともと「形に入る」という意味をもっていたそうですが、中身より先に語り口にこそ昔話の力があるのです。音楽もそうです。ワルツやソナタなどの定形があるから音楽になるわけです。耳で開くものは形式がたいせつなのです。
 
 それでは、昔話は、わたしたちになにを訴えようとしているのでしょうか。わたしは、昔話には大きく分けて三つのメッセージがあると思います。

 ひとつめは、昔話は、こどもが成長するとはどういうことかを語っているということです。たとえば、「三年寝太郎」という昔話があります。なまけ者の若者が、長者をだましてちゃっかり娘の婿になるというものです。なまけ者が幸せになることをよしとしない人もいますが、わたしが強調したいのは、寝太郎はずっと寝ていたわけではないということです。あるとき起き上がって、知恵をはたらかせ、幸せになったのですから。知恵をだすためにそれまで寝ていたのです。親は、こどもがいつまでたってもしっかりしないと不満に思いがちですが、かつては自分もそうだったことを忘れています。だから、こどもがグータラしていても、また寝太郎していると思って見ていればよいのです。きっといつかは起きるのですから。寝太郎の知恵は悪知恵ですが、悪知恵も知恵のひとつ。こどもが生きていくうえで身につける必要があるものです。
小澤俊夫著『昔話が語る子どもの姿』古今社

 二つ目は、昔話は、命とはどういうものかについて語っているということです。ここでよく問題になるのが残酷性についてです。『3びきのコブタ』ひとつとってみても、お兄さんブタが末っ子の弟ブタのところへ逃げていったり、最後にオオカミと仲直りしたりと原話を改ざんしたものが多く出まわっています。これはまったく自然に反します。だいいち、動物はねらった獲物は絶対逃さないし、仲直りなどしません。命の真実はきちんと教えなくてはいけません。残酷さをとおして、こどもは命の尊さを知るのですから。

 もっとも、昔話に残酷な場面は登場しますが、決してリアルには語りません。白雪姫の継母は、最後に鉄の靴を履いて死ぬまで踊らされます。しかし、その場面がこまかく描写されることはありません。残酷さの実体を抜いて語るのが昔話の方法です。その点をきちんと認識しないと、へんな配慮から残酷さを薄めたり、逆に残酷さだけをあやまって強調することになります。その点、ラボの『3びきのコブタ』は、昔話をありのままの形でこどもに与えることをたいせつにしていて、うれしく思います。

 三つ目は、昔話は、人間と自然との関係を語っているということです。たとえば、「つる女房」は、つるが人間の女性に変身して男のもとに嫁いできますが、正体を見られたために、つるの姿にもどって帰ってしまいます。つるという自然界の存在が人間の文化の世界へ来ますが、けっきょくまた去るわけです。

これを自然界の存在の「来訪と退去」の物語としてみると、日本の昔話のなかに、同じようなパターンのものが数多くあることに気づきます。有名な「山寺の怪」もその例でしょう。そもそも、人間は、昔から自然と戦いながら生きてきました。「来訪と退去」の昔話は、人間と自然が緊張した関係をつづけてきた、その歴史のありようを語っています。「かちかち山」のたぬきは、おばあさんをばば汁にするところが残酷だといわれますが、たぬきの側からすれば、おじいさんに自分の領域を侵され、畑をつくられたのです。この昔話も、自然をめぐる人間と動物の戦いを語っています。
小澤俊夫 責任編集季刊『子どもと昔話』古今社
 
 昔話は、こどもと向き合うおとなにも、貴重なメッセージをあたえてくれます。多くの昔話では、主人公が困っていると「援助者」が出てきて助けてくれます。おもしろいのは、この援助者たちが、主人公が本当に助けを必要としているときに現われ、的確な忠告を与えるとすぐに消えることです。おとなとこどもの関係もこうあるべきでしょう。

 こどもが道に迷ったとき、おとなは救いの手をさしのべる必要があります。けれども、放っておくべきときに口を出したり、忠告が適切でなかったり、適切でも過保護にあれこれ世話をやくと、こどもはかえってだめになってしまいます。 昔話研究者のマックス・リュティは、昔話の主人公を「廻り道する存在」といっています。こどもはなにかと廻り道するものです。おとなはあれこれ口出しせず、必要な忠告を与えたら、あとは黙って見守ることがたいせつです。
 
  最近のこどもたちを見ていると、どうもよい子が多すぎる気がします。親のいうことを聞こうというプレッシャーで、まいってしまっているのです。おとなも臆病になりすぎて、残酷な場面のある昔話を小さいころから聞かせるとこどもが残酷な人間に育つのではないかなどといいます。ことに、高度成長時代から、日本の社会は汚いものや残酷なものを不自然に避け、なんでも「きれいに」「かわいらしく」という指向が強まった気がします。しかし、人間をふくむ動物の命は、他の生命を奪うことで成り立っているのです。そういう本質的な残酷さから目をそむける傾向は、ひじょうに危険です。

 寄生虫博士とよばれる藤田絃一郎氏が、抗菌グッズのあふれる日本の清潔指向は一種の病気で、かえって人間の免疫力を落としかねないといっていましたが、子育てについても同じことがいえると思います。小さいころは動物に近いから、こどもは残酷なことも平気でします。虫の羽をとってみたり、動物にいたずらをしたり。みなさんも覚えがあるでしょう。残酷なことをして「かわいそうだな」という気持ちが生まれたときに、初めてこどもは動物としての残酷さを克服することができるのです。けれど、おとなが、こどもの周りから残酷なものを不自然に取り除こうとすると、それを克服する機会を失ってしまいます。

 最近、少年犯罪が増えていますが、おそらく、彼らは幼いころにこどもらしいことを十分させてもらえず、つねによい子を演じなければならなかったのではないでしょうか。一連の少年事件は、そんなこどもたちからのSOSです。そこをおとなたちがわかっていないと、彼らを救うことはできません。

 以前、モミの木を庭に植えたところ、植木屋が成長のためによいといって木の上部を刈り取り、妙な形になってしまいました。ところが、しばらくしてふと見ると、またもとのきれいな三角形にもどっています。わたしはそのとき、モミの木自身に「自分はこういう形になりたい」という「形式意志」があるように思いました。きっと、こどもにも生来こういうふうに成長したいという形式意志が備わっているのです。おとなが、植木屋のようにむやみに枝を刈らなければ、こどもは自然に伸びていくでしょう。
 インターネット時代といわれる現代、昔話はこれからどうなるのだろうという疑問をしばしば耳にします。昔話の大きな魅力は、ことばによって伝えられることと、それが生の声によるものだという二点にあります。そして、昔話がもつメッセージは普遍的な要素をもっています。先日、「オペラ座の怪人」を観ましたが、基本的なストーリィが「山寺の怪」とそっくりなので驚きました。昔話は物語の原型ですから、地下のマグマのようにわたしたちの文化の根底にありつづけ、時代が変わってもずっと受け継がれるでしょう。
 
 今後の予定としては、まず、小学校の先生のために「総合学習のための昔話について」という本を執筆します。わたしは、小さいこどもたちが生の声でお話を聞く機会をもっと増やしてあげてほしいと思います。生の声でお話を聞くという経験は、おとなとこどもが同じ場所を共有するということです。こどもたちは、そこからおとなとつながってゆけます。また、創刊二年目に入った『子どもと昔話』の刊行もつづける予定です。それから、もうすぐ十周年をむかえる昔ばなし大学の講演もありますし、これからも積極的に活動してゆきたいと思っています。
(五月二日、川崎市多摩区の昔ばなし研究所にて/文責・編集部)

おざわ・としお

1930年、中国・長春に生まれる。筑波大学名誉教授。(財)ラボ国際交流センター評議委員。1992年より「昔ばなし大学」を主宰,1998年に昔ばなし研究所を開設、1999年に季刊誌「子どもと昔話」(古今社)を刊行するなど,昔話研究とストーリィテリングの現場とを結びつける活動を積極的に展開してきた。おもな著作に『昔話のコスモロジー ひとと動物の婚姻譚』(講談社学術文庫)、『昔話が語る子どもの姿』(古今社)、『昔話の語法』(福音館書店)など。再話に『日本の昔話・全5巻』(福音館書店)、訳書にマックス・リュティ著『ヨーロッパの昔話 その形式と本質』『昔話 その美学と人間像』(岩崎美術社)など。
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