先日に引き続き、今日も中高大生合宿のグループ活動についていろいろと考えをめぐらせた。
テーマ活動をしていると「これだ!」というひらめきに襲われる瞬間というものがある。今まで追い求めていたものや、悶々としていたことに一筋の光がさす瞬間があるのだ。それがメンバーと共にテーマ活動をつくり上げている瞬間におとずれることほどうれしいことはない。みんなでその発見を喜び、その後の活動はおもしろいほどぐんぐん進む。みんなでひとつのゴールにたどり着いたという達成感はなんともいえない。
ただ、私だけだろうか、このひらめきが1人のとき、あるいは少人数のときに降りてくると少々、物事はやっかいだ。どういう経緯でそのひらめきに襲われたのか、それはどう物語に還ってくるのかをひとつひとつ伝えなければならない。これがやっかいなのだ。みんなで活動しているときにその中の1人におりてくるひらめきは、みんなのものとして共有しやすい。だが、それが1人の時ではそれはその人個人のひらめきであり、そのままではグループに還元されないのだ。たとえ簡潔にその経緯から説明できたとしても、それでは「ヘェ~、すごい観点だね!」とは思えても、それを自分のイメージとしてすんなり活動が進むことは稀なのである。
合宿も然り。リーダー的存在の実行委員だけでどんなにいいひらめき、発見があったとしても、それをグループのメンバーと真に共有できなければメンバーとの距離は縮まらない。まして、「リーダー」という肩書きで接せられる以上、その人の言葉は必要以上に重いのだ。どのタイミングで伝えるのか、むずかしい。偉そうかもしれないが、そんなことを考え、同じグループの高校生と、また他の大学生も巻き込んで悶々と「どうグループ活動に還元していくか」を考えた。いまだ答え(良い方法案)出ず。
一番いいのは、その場にいる仲間と答えを探し出していくことだ。まさに一期一会。その場のメンバーにしかない感性でテーマ活動を、今考えうる最善の答え(対策)だ。
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