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★安寿姫は、死んだのちどうした…? 10月20日 (木)
「安寿と厨子王」と芭蕉の「おくのほそ道」
   荒海や 佐渡に横たふ 天の河
 知らないもののない松尾芭蕉の名句である。ちょっと時期をはずしたかも知れないが、この句がじつは「安寿と厨子王」の物語に深いつながりがある……、と云ったら、びっくりしませんか。久しくここでのおはなし日誌は、ゆえあってお休みしておりましたが、今回はそのことをご紹介してみたいと思います。
 俳聖・芭蕉は46歳の春、「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。…」と風雲の思いに衝き動かされて「おくのほそ道」の旅に発ちます。「風雲の思い」と書いてしまいましたが、当時は、ふっと思いついて、行きあたりばったりにできるような旅ではありませんで、さまざまな思惑と綿密な計画があったことはいうまでもありません。とりわけこの年、元禄2(1689)年は、芭蕉が生涯の師とあおぐ西行法師の歿後500年にあたります。師が歩いた陸奥(みちのく)の道を自分も自分の足でたどってみたいとする西行供養の巡礼行脚の旅であったことがうかがわれます。またそれは同時に、源氏一族の悲劇、頼朝に追われて陸奥に逃がれ、そこで果てていった義経主従を供養する旅でもありました。(このことについては、その一部、佐藤継信・忠信をめぐるエピソードを掲示板10/16のほうですでにご紹介しました。また別に同じものを「物語寸景2-2」の「義経記と平知盛」の末尾に整理しましたのでご参照ください)

 さて、芭蕉とその弟子の曾良の旅は、日光を経、白河の関をすぎていよいよ陸奥に。仙台、松島、平泉などをめぐったあとは日本海側へ向かいます。出羽三山を過ぎ、能因法師や西行のゆかり深い象潟(きさがた)へ出て、「象潟や 雨に西施が ねぶの花」と詠んで、日本海側の愁いをたたえた、悩んでうつむいているかの風情、うらむような風光をとらえています。ここがこの旅の最北端であり、ここから最終コースへ向かい、日本海に沿って南へ西へ…。
 旧暦の七月六日、新潟を舟で出て荒川を渡り、今町に到着します。現在の直江津・上越市ですね。このあたりまでは、怖いような濃い青さをたたえて咆え立てる日本海の海原を隔てて、佐渡島が見えていた……はず。「荒海や…」の句は、この地に着いた翌日に催された俳席でつくられたもの。ところが、芭蕉にずうっと随行していた曾良があらわしている「曾良旅日記」によると、その日は一日じゅうはげしい雨が降りつづいたとあり、天の河など見える状態にはなかったことが知れます。おまけに、たいへんな暑さと湿気のため、かなり重い病気に陥り、不快に悩まされていたようです。持病の疝気と痔核が出たようですね。そんなときに書いたのがこの句。
 今わたしの手元にあるテキスト、久富哲雄博士の『おくのほそ道』(講談社)によると、「眼前の荒海は、佐渡と本土とを隔てて、佐渡の流人たちは故郷の妻子を恋いこがれても逢うすべもない。今宵、牽牛・織女の二星が相会うという天の河を仰ぎながら、彼らはさぞ望郷の念にかられていることだろう、と述べて、親しい人びとと離れて佐渡をながめる越後路までやってきたわが身の旅愁を詠じたもの」と解説している。佐渡の流人たちの望郷の思いと結びつけたそういう鑑賞の仕方もあるでしょうが、いまひとつしっくり来ない。どうしても、これが実景を詠んだものではないことがひっかかる。

 疲れはピークにあり、体調不良のこのとき、芭蕉のこころにはっきりとイメージを結んでいたのは、佐渡の流人のことではなかったろう。そうではなく、この地で広く語られていた「安寿と厨子王」の秘話であったろうと想像するほうが自然だ。
 このおはなしについては、ラボのみなさんには改めて説明するまでもないことながら、念のため「説経節」からその概略をたどっておくと、奥州54郡の太守をつとめていた岩城判官正氏は、帝の勘気にふれて筑紫の国に流されます。その子どもの安寿姫と厨子王丸は、悲運の父を慕って、母と乳母(姥竹)とともに奥州から京へ向かいます。しかし、途中の直江津で人買いの山岡太夫にだまされ、母と子は別々の舟に乗せられます。だまされたとわかり、姥竹は悲しみのあまり荒れ狂う海に身を投げます。母は佐渡島へつれていかれ、両の目を泣きつぶしてしまい、鳥追いをしながら悲嘆の日々に耐えている。一方、安寿と厨子王は山椒大夫のもとに売りとばされ、奴隷のよう、畜生のようにこき使われる日々。厨子王はのちには仏の導きを得て立身出世を果たし、丹後の国守に任ぜられますが、それに先だち、安寿は、弟を山椒太夫の桎梏の地獄から逃がれさすため沼に身を投げて死に、追っ手の足を一時止めさせます。
 安寿姫のその貴い心根と勇気、健気さ、清い自己犠牲の精神をしのんで、直江津のまわりでは多くの伝説が生まれました。人買いの地というマイナスイメージを払拭したいとの土地の人びとの思いもあったでしょうか。なかでも、安寿姫は入水していのち果てたのち、銀色の竜に化身して空高く舞いのぼり、星になったと語られるものがよく知られています。
 ほんとうは雨にたたられて銀河などは見えなかったけれど、芭蕉は安寿姫の化身たる竜の銀色のうろこで飾られた星空をこころいっぱいに描いてあの名句をつくったのだ、といっても、あながち間違いではないように思うのですがどうでしょうか。
 荒波を隔ててはるかな佐渡島へ渡る天の河の雄大な夜の川の流れと、安寿のどこまでも澄みわたるこころの風景と…。また、銀河の描き出す円弧なす流れは、佐渡にいる盲目の母のもとへ厨子王をいざなうために安寿が架けた橋である、というロマンあふれる説話もあり、芭蕉はこうした土地の人が語る安寿と厨子王の物語に思いを寄せてこの句をつくった。わたしはそう信じているのですが。

 上越市には今も銀河をまつる習俗が残ってさかんにおこなわれており、荒川(関川)の川べりに短冊をつけた笹を数百本立てて七夕を祝ったり、それにつづき、七日後におこなわれる盂蘭盆会は、身についた穢れを洗い落とす禊(みそぎ)の行事として、ふたつの古くからの習わしをむすんで人びとは町をあげて大事に受け継いでいる。

 ☆…画像1点削除
Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
サンサンさん (2005年10月20日 06時27分)

安寿と厨子王は、3年前に中高大生が取り組んで発表しました。

子どもと生き別れになってしまったときの母親の悲しみ。
目がつぶれるほどに泣いてしまったというあたりは、がのさんの日記を
読んでいて涙が溢れてきます。
母親はいつも胸が張り裂けるような思いで暮らしていたのでしょうね
ぇ。
安寿に関しては、弟を逃がすために、自分の命を犠牲にするなん
て。。。
そんな安寿のことを、人々がいろいろと言い伝えて行ったというのは自
然なことでしょうね。
安寿の思いにも強い愛情を感じますね。
人の心にどこからそんなに強い意志が生まれるのでしょうねぇ。
不思議です。
プログラミングされたロボットとは大きく違いますねぇ。

子どもたちに人の心を与え、心の体操をさせてあげる。
そんなテーマ活動がしていきたいです。

今日の日記に、心を動かされました。
晴れているのに、涙が。。。
Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
がのさん (2005年10月20日 19時25分)

サンサンさん

>子どもと生き別れになってしまったときの母親の悲しみ。目がつぶれ
るほどに泣いてしまったというあたりは、がのさんの日記を読んでいて
涙が溢れてきます。

★…久々に秋らしい高い空、輝きに満ちた青い空が晴れやかに広がった
のに、サンサンさんを泣かせてしまいましたか。
すみません、そんなつもりはなかったのですが。
しかし、これはしっかりした物語の構成をもち、ニュアンスゆたかで、
訴えてくるものがはっきりしていることもあって、
やはり、何度聞いても感動せずにはおられませんね。
わたしについて云うなら、このライブラリーをつくりながら、
何べん泣いたことか! 読むたびに涙し、スクリプトをつくりながら涙
し、
録音吹込み、音楽づくりのたび、絵本テキストをつくりながら
ポロポロ泣きながらつくったものです。みっともないですねぇ。
いえいえ、ひとには見せませんよ、男の涙は。
ただに感動的なおはなしというだけでなく、
何べんも何べんもこれを話してくれた、今は亡き母の思い出と深くつな
がっているんですね。
「安寿恋しや、ほーやれほー、厨子王恋しや、ほーやれほー」
その哀しい、怨むがごとき、むせび泣くがごとき調べをもつ歌、
声にもしがたい寂しいつぶやきは、
戦後の物資の乏しかった時代のなか、ソバをうつ母のすがた、
機を織ったりボロをつくろったりする母の顔、
お風呂の釜の下に薪をくべる母のおもかげなどとともに、
今も胸にツーッと走ります。
豊かな時代を生きるいまの子どもたちに、そんな思いとこの物語のメッ
セージがどこまで伝わるのか……。
Re:Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
サンサンさん (2005年10月20日 22時26分)

がのさん

そうです。
朝から泣かされてしまいましたよ。

がのさんはお母様が話して下さった物語なので、なおさら胸が詰まって
しまうのでしょうね。
ん~、がのさんの気持ちを考えるとまた胸がいっぱいになってしまいま
す。

私もお風呂の釜のお湯を薪でわかしたことありますよ。

私は小さいときから、お手伝いさんは居たのですがわりとそのお手伝い
さんを手伝うことが好きで、井戸から水を汲んで桶に入れて、肩に担い
で家まで運んだりしました。そのせいで肩にこぶのような堅い部分がで
きたり。
学校でも公園や山を持っていたので、クワで土を耕したり、山を切り開
いたり、かなり労働をしましたねぇ。
今は、お母様方、とっても美しくて、労働などとはほど遠いのでしょ
う。しかし、別の意味でしのぎを削っている。

子どもたちの心はどうなっているのでしょうねぇ。

ラボでいろんなお話を子どもたちにたっぷり味わって欲しいと強く思い
ます。
そして、心の体操を。
Re:Re:Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
がのさん (2005年10月21日 10時48分)

サンサンさん

私もお風呂の釜のお湯を薪でわかしたことありますよ。井戸から水を汲
んで桶に入れて、肩に担いで家まで運んだりしました。そのせいで肩に
こぶのような堅い部分ができたり。

★…戦争で何もかもこわされ、水道もガスもない時代。いまでは想像も
できない状態でしたね。井戸のポンプでキコキコ汲み上げた水を台所の
水がめまで運ぶのは、姉の仕事でした。(ほどなく樋がつけられ、作業は
だいぶ軽減されましたが)まだ幼い姉の両手がちぎれるほどのバケツの
水。裾をびっしょり濡らし、泣き泣きやっていましたね。ときには転ん
だりして。凍るような北風ビュービューの冬の日などは、ほんとうに可
哀そうで、チビで役にはたちませんが、弟のわたしもつい見かねて、片
方のバケツに手を添えて助けてやったものです。お風呂を立てるとなる
と、もっともっときつい。そんな欠乏と辛苦の時代がありました。山椒
大夫の怖い目にさらされて安寿がやっていた潮汲みと結びついて、そん
な思い出がちょっぴり酸っぱくよみがえります。
Re:Re:Re:Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
サンサンさん (2005年10月21日 23時13分)

がのさん

★…戦争で何もかもこわされ、水道もガスもない時代。いまでは想像も
できない状態でしたね。井戸のポンプでキコキコ汲み上げた水を台所の
水がめまで運ぶのは、姉の仕事でした。
→子どもの頃、井戸にポンプがあるのは知りませんでした。それはずい
ぶんと楽だなぁと思いますよ。
 私たちはただバケツにロープがついた物をぽ~んと落として、そのロ
ープをたぐりあげて水を汲んだものです。
ロープをたぐりあげるときに、いちひろ、にひろ等と数えたものです
が、ご存じですか?井戸が深いとほんとに大変なんですよ。
でも、なんだか、生き生きとして楽しくやっていたなぁと思い出されま
す。いい汗かいて。。。
 台所に水瓶があったのを覚えています。
 やはり、戦後、そう言う時代に私も生まれています。

(ほどなく樋がつけられ、作業はだいぶ軽減されましたが)まだ幼い姉の
両手がちぎれるほどのバケツの水。裾をびっしょり濡らし、泣き泣きや
っていましたね。ときには転んだりして。凍るような北風ビュービュー
の冬の日などは、ほんとうに可哀そうで、チビで役にはたちませんが、
弟のわたしもつい見かねて、片方のバケツに手を添えて助けてやったも
のです。お風呂を立てるとなると、もっともっときつい。そんな欠乏と
辛苦の時代がありました。
→そうですねぇ。
 今は、みんな恵まれすぎていますね。
 おもちゃもいろんな遊びもほんとに夢の国、おとぎの国さながら。

山椒大夫の怖い目にさらされて安寿がやっていた潮汲みと結びついて、
そんな思い出がちょっぴり酸っぱくよみがえります。
→このお話をこんなに身近に感じられて、がのさんにありがとうといい
たいです。
中高大生が取り組んでいたときは、そこまで身近に感じることは出来ま
せんでした。
----------------------------
Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
Play with meさん (2005年10月22日 01時50分)

松尾芭蕉と安寿と厨子王がこんなに深い関係があるなんて知りませんで
した。
ゆえあっておはなし日誌をお休みされていたんですか?
寂しかったです。
楽しみにしていたものですから。
なかなか川柳にはお付き合いできる力が無くて、残念な思いでした。
それに気分的に余裕が無くて・・・
日記も更新できない状態です。
何事も心に余裕が無いといけませんね。

サンサンさんとの会話も楽しませていただきました。
私の場合は田舎に住みながら、新物好きの父だったものですから、物心
ついた時には井戸にはモーターがつき水道のようになっていました。そ
して、お風呂は石炭をくべていたのを思い出します。
決してお金持ちでは無かったですけれど。
おかげで、遠い父や母との思い出に浸れました。
ありがとうございます。
Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
がのさん (2005年10月22日 16時38分)

Play with meさん、
サンサンさん――【その1】

>松尾芭蕉と安寿と厨子王がこんなに深い関係があるなんて知りません
でした。
★…あ、あんまり信用なさらないでください。わたしの勝手な鑑賞の仕
方であって、いまさらいうのもナンですが、ぜんぜん見当ちがいかも知
れません。どうぞ、ひとつの見方、ということでご理解くださいません
か。ただ、いくつかのテクストを見ましたが、だいたいは、このような
読み方はしていません。その日が雨で、星など見えるはずがないことが
記されている曾良の日記は考慮されていないんですね。この日記はかな
り客観的に書かれているもので、そういうことは信用していいように思
います。ですから、各テクストは、佐渡のほうへ向かって滔々と流れる
銀河の清麗な美しさを詠ったものとしていますね。それならそれでいい
ように思います。ただ、わたしにはあるとき読んだあの地の民話が忘れ
られず、すっと自然につながったものですから。

>サンサンさんとの会話も楽しませていただきました。私の場合は田舎に
住みながら、新し物好きの父だったものですから、物心ついた時には井
戸にはモーターがつき水道のようになっていました。そして、お風呂は
石炭をくべていたのを思い出します。おかげで、遠い父や母との思い出
に浸れました。
★…安寿姫の潮汲みの話から、むかしの井戸(端)談義、お風呂談義にな
りましたが、これだけをとっても時の流れの速さを感じますね。考えて
みれば、ほんのちょっと前までは、井戸といえば、たいがいはつるべ井
戸だったわけですよね。サンサンさんのおっしゃる縄の先に小さな桶を
つけたものであったり、竹竿の先にそれをつけたものだったり。「朝顔
に つるべとられて もらい水」の加賀千代女の世界。【つづく】
Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
がのさん (2005年10月22日 16時51分)

Play with meさん
サンサンさん ――【その2】

 井戸がえ職人さんなんて人がいましたし、近所で井戸がえをする家が
あると聞くと、すぐにとんで行って、「じゃまだ、じゃまだ、こどもは
近寄るな」と云われながらも、中から何が出てくるのだろうとワクワク
してそばから離れられずにいたり、こわごわと深い井戸の底をのぞきこ
み、そこに小石を落として、そのポッチャーンという澄んだ響きを楽し
んだり…。ヒュー、ドロドロドロ…の幽霊の出現を想像したりも…。
 遠いむかしの話になりました。そうですね、みんなモノに飢え、貧し
かったですが、こころは無垢で純真で、元気で自由で、生き生きとし
て、ゆたかでした。それに、いっぱい、いっぱい友だちがいました。ケ
ンカ相手もふくめて。
 いまも水琴窟を寺社や公園で見たりすると、あの琴のように鳴る心地
よい響きは、なんともいえずなつかしく、もう、うれしくて仕方ないで
すね。
Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
Play with meさん (2005年10月23日 12時24分)

井戸は今でも我が家では欠かせない大事な物です。
数箇所の庭の散水栓が夏には大活躍。
そして、洗濯機にもつないでいるんですよ。
夏は冷たく、冬は温かい井戸水に助けられます。
何十年も飲み水に使ったことが無いので、水質検査もせず、屋外用で活
躍です。浅い井戸ですが、枯れることはありません。
自然の恵みはありがたいものですね。
地震で水路が変わったら悲しいだろうと思います。
そんな天才がおこらないように!!と願います。
もし上水道だけでの生活なら、きっと(@_@);こんな顔にて、料金支払い
していることでしょう。
Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
がのさん (2005年10月24日 10時35分)

Play with meさん

>井戸は今でも我が家では欠かせない大事な物です。自然の恵みはあり
がたいものですね。地震で水路が変わったら悲しいだろうと思います。
そんな天災がおこらないように! と願います。
★…そうですか。自然の水をそんなふうに使えるなんて、ほんとうにう
らやましい。パキスタン北部の大地震、アメリカ南部の巨大ハリケーン
などによる被災情報に接するにつけ、水のゆたかな国に住んでいる恵み
をありがたく感じますね。
わたしの住む横浜の新興住宅地では、まず井戸やポンプを見ることはあ
りません。たくさんの人たちを引率しての文学散歩で、たとえば東京・
本郷の樋口一葉の旧居跡に残る小さなポンプを見て、ハッとさせられる
ような始末。2年ほど前、近くに今流行の大型浴場(なんと呼ぶんですか
ね、あれを)ができました。井戸を掘ってその水を使っているそうです
が、もちろんわたしたちの知る井戸の形なんてありません。わたしも含
め、すぐ近くに住むものは(反対運動をしたこともあり)まったく行くこ
とはありません。すぐに潰れるだろうと期待していましたが、とんでも
ない、すこし離れたところに住む人たちが車でどっとやってくるんです
ね。土曜・日曜などには町じゅうの道路にその車が列をなします。苦情
が殺到し警察も規制にはいっているはずなのですが、どうにもなりませ
ん。その迷惑をめぐってわたしたちも争っているところ。おふろならそ
れぞれの自宅にあるはずなのに、と思うのですが、プチ・レジャー指向
と仕事をもつ主婦の手抜き(?)。まったく、なんてことでしょうか。

>もし上水道だけでの生活なら、きっと(@_@);こんな顔にて、料金支払
いしていることでしょう。
★…(@_@); 顔文字のことをぜんぜん知らないのですが、これは怒って
いる顔ですか、困っている顔ですか。文意からすると、喜んでいるわけ
ではないんでしょうね。時代おくれを愉しんでいて、ケータイをほとん
ど使わないものですから、こんなときは困ります。
Re:Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
Play with meさん (2005年10月24日 23時39分)

がのさん

★…(@_@); 顔文字のことをぜんぜん知らないのですが、これは怒って
いる顔ですか、困っている顔ですか。文意からすると、喜んでいるわけ
ではないんでしょうね。時代おくれを愉しんでいて、ケータイをほとん
ど使わないものですから、こんなときは困ります。
----------------------------
いえ、パソコンでも「かお」を変換するといろんな顔が出てきますよ。
目をぱちくりのつもりなんですが、(ーー;)この方が適当でしたかしら??
Re:Re:Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
がのさん (2005年10月25日 23時33分)

Play with meさん

パソコンでも「かお」を変換するといろんな顔が出てきますよ。目をぱ
ちくりのつもりなんですが、(ーー;)この方が適当でしたかしら??
----------------------------
か・お――はい、まあまあ、たくさん出てきました。なるほど。もうす
っかりパターンができて、文字化しているんですね。いろいろな記号を
駆使して、面倒でしょうに、よくまあ器用につくるものだ、Play with
meさんもなかなかやるもんだと、敬服していたのですよ。日々の進化に
なかなかついていけません。
やっぱり、松尾芭蕉の元禄の時代のように、1か月かけて東京からみち
のくの入口、白河の関に行き着くようなテンポのほうがわたしの性分に
は合っているような…。義経の末路に見るような骨肉相食む殺し合いは
願い下げですけれど。
「知盛」とも直接的には関係がうすいし、ラボの皆さんにはあまり関心
がないのかもしれませんが、NHKの大河ドラマ「義経」の影響でしょう
か、芭蕉の旅と義経(主従)のことをもっと書いて紹介してくれとの声
が、主として外部の人から寄せられております。それを書きはじめると
キリがないし、どうしようかな、と考えているところです。
えっ、小夜ちゃんですか? ええ、このところわけあってちょっとご機
嫌ななめなんですよ。そのうち復帰すると思いますよ。
Re:Re:Re:Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
Play with meさん (2005年10月26日 23時02分)

がのさん

えっ、小夜ちゃんですか? ええ、このところわけあってちょっとご機
嫌ななめなんですよ。そのうち復帰すると思いますよ。
----------------------------
どうしたのかな?と寂しく思っていました。ご機嫌斜めですか?
まっていますよ!!(*^_^*)
PWMはわけも無く書けないんですよ。
わけはあるのかも??自分でわかっていないのでしょうね。
小夜ちゃんとおはなしできる日を待って居ます。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
がのさん (2005年10月27日 12時17分)

Play with meさん 【その1】「くらやみの谷の小人たち」

どうしたのかな? と寂しく思っていました。ご機嫌斜めですか? まっ
ていますよ!!(*^_^*)小夜ちゃんとおはなしできる日を待って居ま
す。
⇒も~、おとうさんは余計なことを! ごきげんななめなんてこと、あ
りませんよ。ちょっといろいろ忙しかっただけ。元気ですよ。
PWMせんせいとお約束していた「くらやみの谷の小人たち」(いぬいとみ
こ作)も
ずっと前に読んだのですが、まとめることができませんでした。
ごめんなさい。
長いなが~いおはなしですし、はっきり云いますと、小夜は
前作の「木かげの家の小人たち」のほうがずっと好きです。
ひとつには、せっかくゆりちゃんと仲良しになれたのに、
こちらではもうお母さん。アイリスがあんなに会いたがっているのに、
ちっとも登場してきません。
そのかわりに登場するのが、ゆりちゃんの子どものさゆりちゃんとみち
ちゃん。それに、信お兄さんの子どもの純くん。登場するといっても、
あまり大きな役割はなく、印象は薄いですね~。ハトの弥平さんは、最
後には“いのちの水”で復活しますが、ほとんど死んだ状態で、孫バト
の与平が伝令役をつとめています。
ストーリィは戦後の人びとの暮らしというよりは、環境をめぐる争い。
黒姫の地震(ない)の滝の滝つぼに下に埋もれている“いのちの水”を、
白樺林につづく地下道へ導き、“くらやみの谷”へ流そうとするものた
ちと、そうはさせじと、“くらやみの谷”を永久に死の国のままにして
おこうとするものたちの、長いなが~い抗争ですよね。
前者の側にいるのが、ロビン、アイリス、モモンガー、アマネジャキ、
ヤマビコ、キノコといった小人と、花の小人たち。“くらやみの谷”の
住人たちです。
たくさんの花の小人たちも出てきますよね。ミズバショウ、フキノト
ウ、スミレ、リンドウ、カタクリ、ウツギ…。みんな黒姫でよく見られ
るお花たち。【つづく】
Re:Re:Re:Re:Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
がのさん (2005年10月27日 12時19分)

Play with meさん【その2】 「くらやみの谷の小人たち」

これに敵対する後者の側にいるのが、大スギ、カラマツ、モミノキとい
った心のねじれた古い木の精どもや、ザリガニ、ムカデ、それに山父と
いうヒヒによく似た妙な存在など。
こちらは毒気のある“死の川の水”で生命力を養っているといいます。
その“死の川の水”が流れこんで、黒い沼では、ウナギや赤い甲羅のカ
ニたちが大量死しているんですね。
命がけのきびしい戦いがくり返されますが、
ふたつの勢力の前面に立って戦っているのは、小人たちの側にいるのが
大ガニ。地震の滝に棲みついた青い甲羅の年寄りのカニですね。
木の精たちの側の主戦力となっているのは、斑尾山の大ガマ。
最後は大ガニが勝って戦いは終わり、くらやみの谷はほの明るい花園に
変わります。
野尻湖のナウマン象、オオツノシカのことも出てきますが、
ストーリィにどう結びつくのか、小夜にはよくわかりませんでした。
前作から小人のいのちをやしなっていた“空いろのコップ”ですが、
それがパチリと割れて、そのカケラでケガをすると、ハトと会話ができ
るようになり、夜でも色がはっきり見えるというふしぎ。
それに女の子の小人アイリス。この子はずっとずう~~っと、だれとも
口をきかず、ひたすらクモの糸でリボンを編んでいます。
世界じゅうに殺し合いがなくなるように、ほんとうに平和が来るよう
に、と祈りながら。
この長いリボンが小人たちの活躍する場面でたびたび役に立ちますよ
ね。こんなエピソード、小夜は好きです。
でも、小夜はゆりちゃんのやさしいこころが好きなので、
「木かげの家の小人たち」のほうが、いいわ。
とうですか、PWMせんせいは。
Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:★安寿姫は、死んだのちどうした…?(10月20日)
Play with meさん (2005年10月27日 14時22分)

がのさん
小夜ちゃん

それに女の子の小人アイリス。この子はずっとずう~~っと、だれとも
口をきかず、ひたすらクモの糸でリボンを編んでいます。
世界じゅうに殺し合いがなくなるように、ほんとうに平和が来るよう
に、と祈りながら。
この長いリボンが小人たちの活躍する場面でたびたび役に立ちますよ
ね。こんなエピソード、小夜は好きです。
でも、小夜はゆりちゃんのやさしいこころが好きなので、
「木かげの家の小人たち」のほうが、いいわ。
とうですか、PWMせんせいは。
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同感です。
世界平和や環境問題に触れるおはなしなので、ファンタジックなんだけ
れど怖い部分がありますね。
アイリスが平和を願って一言も話さないでくもの糸を編んでいる野はす
ごい信念ですね。
先日、庭の隅に大きなくもの巣をみつけました。
太くて、黄色い色がついているんです。
くもの糸にもいろいろなのがあるんだな~~と小人たちのことを思い出
しました。
自然界の不思議にも想いがゆきます。

いまはね、「帰ってきたタヌキ」ニコル作を読んで居ます。
これも環境破壊煮立ち向かうおはなしですよね。
それに立ち向かう武人タヌキとパーカーさんが活躍しますね。
でもこれは小夜ちゃんにはちょっと読んでほしくない大人の部分も入っ
て居ますね。ラボのライブラリーのタヌキとは大分視点が違って居ま
す。ライブラリーのようなこどもむけかな??と思ったら、大人の書架
にありました。
な~るほどと思いました。
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