ラボも始めは、普通の英語教室だった |
02月16日 (月) |
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今日、地区研で30年以上ラボをされているテューターのお話を聞きました。ラボもスタートはGDM方式といって、アメリカがグローバリゼーション化を進める中、英語を普及させるために用いた方式で、会話を教え込む方式をとっていました。しかし、その方式では、子どもたちの目が沈んでいってしまいました。何かもっと子どもたちの旺盛な知的好奇心に働きかけ、興味・関心を高められる中で「ことば」を習得できないかというところから、「物語」の中で、体をつかって「ことば」を定着させていくという方式へと変遷してきました。現在のラボのスタイルを創りあげたのは、まさしく子どもたち自身だったのです。
早く英語がしゃべれるようにならないかしら?親は誰しもそう願うことでしょう。しかし残念ながら、家庭の中に常に英語が飛び交っているような状況にない限り、日本で生活している以上、自然に子どもにそのことを望むことは無理なことです。しかし中学、高校、大学と育っていく中で、自ら外国へ行ったり、自ら外国語の環境の中に身を投じることで、日本にいても十分、英語を話せるようになります。
家の中で日常的にラボのCDを聴いていらっしゃるお子さんは、自然にたくさんの「ことば」が体に入っています。もちろん仲間といっしょに体現することによって、より深く入っていきます。よくもう忘れたと子どもは言います。しかし意識下で、一度、覚えたことばは、必ず残っているようです。
田島氏の講演記録「0,1,2,3歳」の中に次のような文章があります。「母語的な取得をチラッとでも経験したことがあるかどうかが、外国語だけの世界に入ったとき、母語的な体験がよみがえるか、翻訳してしまうかを決めてしまうというのです。量ではなく質の問題なのです。幼児のときにチラッとでも遊びの中で母語的な外国語習得の体験があるかどうかなのです。」さらに「ことばを直接のターゲットとせず、コミュニケーションの道具として使うことが大切だ」ともおっしゃています。
見かけだけの簡単な英会話ができることを、ラボは目指していません。もっと心の中から相手と話す態度、高いリスニング力、深いことばの表現力と外国語のセンスを、子どもの成長に合わせて徐々につけていく教育機関です。多くの高校生達が、ようやくラボの真の良さに気づき、そのことを語っています。
長くなりましたが、もう一度、ラボの物語CDを聴くことを見直してもらいたいと思います。そして豊かなイマジネーションと共に「ことば」が定着することを、ご父母も子どもといっしょに、体験してもらいたいと願っています。
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Re:ラボも始めは、普通の英語教室だった(02月16日)
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サンサンさん (2004年02月17日 07時27分)
地区代表になられたのですね。
今年、一年、頑張って下さいね。
日記を読ませていただきました。
今回、私はヨーロッパ旅行を体験して、やはり、おっしゃるような母語
的な体験が大切だと痛感しています。
フランス語は、憧れましたが、あまり親しみが持てず、イタリア語は、
スペイン語のありとキリギリスやチュチュをしていたので、なんかにて
いるなぁと思い、親しみが持てて、口で真似て、いくつかの言葉でコミ
ュニケーションを取ろうと努力をしている自分がいました。
ラボの活動、大切ですね。
共に、頑張りましょうね。
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