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0705
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★宮澤賢治と樋口一葉★ 03月10日 (水)
本郷での仕事を終える。気分スッキリ,天気は上々,
花粉の黄魔もいまのところまだここまで来ていない,
――となれば,また気ままな街歩き。

ichiyokikuzaka.jpg

この本郷にいてパッとアタマの中をかすめるのは,樋口一葉のこと。
菊坂下の伊勢屋質店。一葉日記にたびたび登場するその店の土蔵跡が
都の文化財として残っているとは以前から耳にしていたが,
迂闊にもこれまで見過ごしてきた。
なにしろ,このごろわたしは,その一葉日記は古今を通じて
日本最高の日記文学じゃないかと信じているのである。
母たきさん,妹くにさんとともに食うや食わずの極貧に耐えていた菊坂生活。

   此月も伊せ屋がもとにはしらねば事足らず,
   小袖四つ,羽織二つ,一つ風呂敷につゝみて,
   母君と持ちゆかんとす

といった文がいとも流麗な筆づかいでしるされている
(のを,以前,台東区立一葉記念館で見たことがある)。

   蔵のうちに春かくれゆくころもがへ

という句がみられるかと思えば,

   我こそはだるま大師になりにけり とぶらはんにもあしなしにして

という歌も。足なし(お金=アシ)の達磨大師に自身をなぞらえ,
この期におよんでなおユーモアに包んで生きざまを見せる心の強さ,
わたしはそこに惹かれる。
いまはさまざまな商店のつらなる,なんの変哲もない道だが,
一葉が行ったり来たり歩いた道。露伴,鴎外,漱石が歩いた坂道。
一葉を慕ってあつまった文学界同人の平田禿木,馬場孤蝶,戸川秋骨,
あるいは島崎藤村,上田敏,川上眉山が通った道。
この菊坂については,これらの作家たちの作品の随所に見られるほか,
田宮虎彦の忘れがたい珠玉の青春小説「菊坂」があるし,
明暦の大火,いわゆる振袖火事の火元とされる本妙寺の跡,
女子美術大学の前身の学校跡もある。

kenjikikuzaka-a.jpg

…と,パッタリ,宮澤賢治の旧居跡に出くわした。
まったくアタマになかった発見だった。
宮澤賢治についてなら,いまや皆さんのほうがはるかに詳しいはずですね。
記憶をたどれば,たしか,賢治が宗教の問題で父親とのソリが合わず,
大正10年の真冬のころ花巻の家を飛び出した。
で,その寄宿先は,…そう,本郷だったはず。
ここだったのか~!
といっても,今はデーンと立派な5階建てのビルになっていて,
その脇の狭い石段にチンマリと記念碑が置かれているだけ。
しかし賢治はここで途方もない奇跡を起こしたのである。
(一葉の「奇跡の十四か月」が有名だが,
賢治の場合もこれを「奇跡」と呼んでいいのではないでしょうか)
昼間は謄写版刷りの筆耕や校正のしごと,
昼の休みには街頭に出て日蓮宗の布教活動,
そして,夜間やちょっとした空き時間のなかで童話や詩を書いた。
1日平均300枚も書きまくったというから,どうしようもなくスゴイ!
でも,ここでのその暮らしは惜しくも8か月足らずで終わる。
真冬に来て真夏の8月,妹トシの病状が悪化,危篤の報が入り,
急きょ花巻に帰ることになる。
帰るそのトランクの中にはぎっしりと原稿が詰まっていたというわけ。
「注文の多い料理店」「どんぐりと山猫」「かしわばやしの夜」…
こうした賢治の代表作はここで書かれたんですね。
 ……あめゆじゅとてちてけんじゃ~…
深い信頼で結ばれていた兄と妹が永遠に引き離されるときは
「永訣の朝」の絶唱で語られていますね。

皆さんにはあまり関心のないことかも知れませんが,
この日記の最後に,一葉が24歳の処女のまま終焉のときを迎えた地,
丸山福山町。――広い白山通りに面し,
その先には後楽園遊園地の観覧車が見える,
紳士服コナカの巨大なビルの前にひっそりと建つ文学碑です。
岡田八千代,平塚らいてう,幸田文,野田宇太郎らの肝いりで
昭和27年に建てられたもの。
みごとな雅俗折衷文。揮毫は平塚らいてうのもの。
その筆づかいのなかに一葉のさわやかな息づかいの感じられる刻文である。
そういえば,昨年の初夏のころ,一葉の父祖の地,山梨・塩山の慈雲寺に建つ
りっぱな記念碑も見たなァ。「一葉の道」というのもそこにあったなァ。

ichiyomaruyama-a.jpg
Re:★宮澤賢治と樋口一葉★(03月10日)
Hiromi~さん (2004年03月10日 12時04分)

えっ!一葉の祖父は塩山なのですか!!山梨生まれの、山梨育ちの私もしりま
せんでした。もっとも余り樋口一葉についてもしりません。でも今度お札にな
るくらいだから、やっぱりえらい作家だったんでしょうね!!

 私も本郷界隈は良く昔あるきました。なんせ地下鉄本郷駅から大学通ってた
んです。兄や姉と一緒に駒込にすんでいました。
 がのサンの日記を拝見するといつも何にもしらないな~~と反省仕切りで
す。

・・・・
 花粉症大変ですね。うちは娘二人がそうです。特に次女がひどそうです。幸
い私は、頭が悪いだけで、歯医者にもここ20年以上いっていません。その割
にはいつもあっちが痛い、こっちが痛いといってますが。偏頭痛だけはひどか
ったです。以前まだ村田さんがご存命のころ、”よくテューター続いてたと思
います”といったら、ラボがあったからよかったんです!!だからのりこえら
れたんですよって。そうかもしれません。

 どこが悪くてもつらいですよね。どうぞお大事に。
Re:Re:★宮澤賢治と樋口一葉★(03月10日)
がのさん (2004年03月10日 15時40分)

Hiromi~さん
>えっ!一葉の祖父は塩山なのですか!!山梨生まれの、山梨育ちの私もしり
ませんでした。もっとも余り樋口一葉についてもしりません。やっぱりえらい
作家だったんでしょうね!!
----------------------------
「えらい」なんてもンじゃないですよ,日本人のなかでもっとも愛されねばな
らない人の一人じゃないですか。外国語に親しみ翻訳文に馴染んでで来られた
多くの皆さんには,あの擬古文というか,古典と近松の文体をないまぜにした
ような雅俗折衷体は馴染みないでしょうが,2作3作と読んだら,あの流麗な
ひびきよい文章,ぜったいにファンにならずにいられないと思いますよ。
そうなんです,その父祖は代々山梨の塩山の出で,ご存知ですかねぇ,
中萩原という地,東京方面へ向いて真東の,大菩薩峠へ向かう道路のわきに
「樋口一葉女史先祖旧邸並墓所」という白い標識が出ています。
代々そのあたりの庄屋だったようですね。昨年の初夏のころ,
バルバさんのアトリエを訪ねた折,車の中からそれを見ました。
お父さんは則義,お母さんはたきといい,たいへんなロマンスの末,
(このあたりのことは,まじょまじょさんかだれか,地元の方が
調べて報告してくださるのではないかと期待しているのですが)
二人は駆け落ちして江戸へ出ます。さまざまな苦労を経て,
ようやく南町奉行配下の八丁堀同心の地位を得,
幕臣の一人として末席にすわることになります。ところが,
士族になって間もなく,幕府は解体し,江戸は東京となって
その身分もふっとんでしまいます。それでも,
貧乏をしいしい,東京府士族としての誇りをもちつづけ,
子どもにはそれ相応の教育を受けさせたいと無理を重ねた人。
一葉自身は,その日記を見るかぎり,塩山に行ったという記録は
どこにもなく,生まれたのは,ほら,
今度結団式のおこなわれる日比谷公会堂のそば,
内幸町交差点のあたりだそうです。
塩山・慈雲寺のしだれ桜ももうすぐ万朶の花をつけるころでしょうか。
Re:★宮澤賢治と樋口一葉★(03月10日)
サンサンさん (2004年03月13日 19時51分)

よし。
3333ゲット。
Re:★宮澤賢治と樋口一葉★(03月10日)
ざわざわさん (2004年03月13日 21時19分)

またまた高尚なことばが飛び交って「これは日本語か?!」という掲示板です。

東京生まれの東京育ちのわたしは、新卒で就職した職場は本郷3丁目。大学生
協回りのセールスをしていたので東京近辺の学生街は歩いて回っていました。

何も知らなくても歩ける町ですが、知っているとコーフンですね。
Re:Re:★宮澤賢治と樋口一葉★(03月10日)
がのさん (2004年03月13日 23時08分)

ざわざわさん
>東京生まれの東京育ちのわたしは、新卒で就職した職場は本郷3丁目。大学
生協回りのセールスをしていたので東京近辺の学生街は歩いて回っていまし
た。何も知らなくても歩ける町ですが、知っているとコーフンですね。
----------------------------
ワー,そうでしたか,思いがけないですねぇ。それじゃあ,もう,目隠しして
でもあのあたりは歩けるほどですかねぇ。いつか,ざわざわさんとあのあたり
をいっしょにぶらぶらできるといいなあ。今回は大学のオモテのほうを歩きま
したが,ほんとうはウラのほう,弥生門,龍岡門のほう,暗闇坂のあたりのほ
うが,なぜなのか好きなんですけどね。かつてわたしの入学を拒絶した,はな
はだ失礼な(!)怨みのある大学なのですが。
田舎から出てきて最初に下宿していたのが駒込林町(都立駒込病院の斜向かい
のあたり),今は千駄木4丁目と町名が変わってしまいましたが,すぐ近くに
高村光太郎・智恵子の住んでいた家(現在は駐車場),そのちょっと先にはそ
の父の高村光雲の邸宅がありました(今もデンとあります)。また田端のほう
へ歩くと芥川龍之介,室生犀星,佐多稲子,平塚らいてうといった文人の旧居
があったのですが,当時のわたしにはその方面の関心はなく,学生運動とその
あとの挫折感の中でただボーッとしていた時期でした。本郷方面でも,団子坂
の鴎外記念館に一度行ったけれど,そのときはなんの感じるところなく過ごし
てしまいました。せいぜい「三四郎」の美禰子さんに憧れ,そのイメージを抱
いて池の周りを歩いたり,へたなラグビーの練習をとなりのグラウンドでぼん
やり見ている日々でした。ここ2~3年のことですね,いろいろ思うところが
あって,田端―西日暮里―日暮里―谷中―千駄木―根津―本郷―上野池之端の
あたりをヒマにまかせて歩くようになったのは。とりわけ,谷中霊園について
はやたら詳しンですよ。露伴の「五重塔」と30~40人の文人の墓所めぐりは
プロ(?)級というところ。カルチャー志向の高齢者を悦ばせることのほか,
なんタシにもならないンですが。
菊坂,西片町あたりは,やはり,わたしにとっては特別なところです。
Re:★宮澤賢治と樋口一葉★(03月10日)
ゆみねーさん (2004年03月15日 01時36分)

樋口一葉といえば、今度、新5千円札が樋口一葉の肖像画が使われますね。
がのさんのページにくると、いつも新鮮です。
知らなかったことを知るとワクワクします。
はじめまして、がのさん
ゆっきーさん (2004年03月23日 11時19分)

がのさん

訪問ありがとうございました。
がのさんのHP本当に充実していらっしゃいますね。
あまりに流麗なその文章にしばし見入ってしまいました。
少しばかり、子どもを産んでからゆっくりと文学も絵画も味わうことも
なく、ただただジェットコースターに乗っているようにせわしなく生き
ている日々を後悔しました。

>門司はわたし自身はまったく知らないのですが,
愚妻が幼少時の2年ほどをすごしたところだそうで,
あのユニークな駅舎などがテレビに登場すると

そうなのですね、あの駅舎はメルボルンの駅を模したものだそうです。
あのあたりで毎日とは行きませんが散歩したり、食事したりブラブラし
ています。いつも観光客でいっぱいです。
我が家は巌流島を望む丘の上にあり、いつも潮風が吹いています。
…でも我が家も最近はラボをするのに手狭になってきました。

それでは、また訪問させていただきます。
ありがとうございました。

あ、樋口一葉に関係ないことでごめんなさい
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