幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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風の吹く日に・・・
風の吹く日に・・・ [全1125件] 41件~50件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
貴田庄『原節子ーあるがままに生きて』を読む 2010/08/15の日記 08月15日 ()
朝日文庫 (2010/6/4)

原節子の評伝、関係者や本人の言葉を紹介しながら、引退までの半生をたどる
4ページずつ、50章からなる構成なので読みやすい本である

メモ

原節子は大正9年、1920年生まれ 二男五女、原節子は末っ子
今年90歳

聡明な人柄、飾らないまっすぐな生き方

1934年横浜高等女学校を2年生の夏中退
1935年義兄が映画監督だった縁で映画界へ

1937年ドイツとの合作映画『新しき土』 完成後ドイツへ

4月半の世界一周旅行
3/10 東京ー下関ー大連ー奉天
シベリア鉄道でベルリン3/26へ、映画キャンペーンでドイツ各地を回る
バーデンバーデンで休養
パリ
シェルブールから船で6/21出発 ニューヨーク着7/2
ワシントン、ニューオルリーンズ

ハリウッド 船で横浜へ 7/28

長兄はシベリヤ抑留、病没

1953年7月11日次兄映画カメラマン、機関車撮影中に事故死
1953年8月03日東宝撮影所で葬儀

1953年7月23日『東京物語』撮影開始
1953年8月16日尾道での『東京物語』撮影に
悲しみの去らないままに参加している

役の中でも、戦後8年、原節子の夫も中国から帰ってきていない
『東京物語』での紀子になりきった演技
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山田太一『異人たちとの夏』再読 2010/08/14の日記 08月14日 ()
脚本家、劇作家山田太一の書いた小説『異人たちとの夏』1987年(昭和62年)
は映画化もされている

離婚してマンションでの一人暮らしをはじめた47歳の脚本家
ふと昔すんでいた浅草に出かける

12歳の時に事故で亡くなってしまった父に良く似た男が現れ
アパートに誘われる
そこには母に似た妻がいる

これは衰弱した脳が作り出した幻想であるのか
父母によく似た夫婦ではないかと思いつつもアパートに通い
親密な楽しい時間を過ごす

何回目かの帰りがけにそっと苗字を聞いて母に笑われる
「暑いからぼけたんじゃないの?親の苗字を聞く子供がどこにいるのさ」

出版された時に読んでいるし、映画も見ているが
父母が亡くなっている今読むと
亡くなった父母との再会と別れの物語であることが
静かに深く身にしみてくる
甘く切ない、夢のような物語である
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シャガール展にゆく 2010/08/10の日記 08月10日 (火)
展示作品の選び方と構成がよく、とても良い展覧会でした


東京芸術大学大学美術館「シャガール」展
10月11日まで

シャガール(1887-1985)
旧ロシア帝国ヴィテブスク(現ベラルーシ共和国)生まれ ユダヤ人

展覧会案内要約

「シャガールは1900代初頭に始まるロシア・アヴァンギャルドの歴史と密接な関係があった
 本展は、シャガールの人生を追いながら、ロシア美術史にシャガールを位置づけようとする
初期にサンクト・ペテルブルグで制作された作品から南仏で制作された晩年の大作まで、この巨匠の生涯にわたる軌跡をたどる」


「 シャガール『私がロシアで描いた絵画が、ヨーロッパの画家の作品の隣に展示されるのは奇妙なことでしょう。私の作品は、むしろ20世紀初頭のロシア美術のための美術館に展示されるべきものなのです』
本展は、まさに本人が望んでいたとおり、シャガールをロシア・アヴァンギャルドの作家の傍らで大々的に紹介する、きわめて野心的な内容となっている」

全体で111点 シャガール作品は70点
ポンピドーセンターはシャガール自身や遺族から寄贈された作品を多数持つ
その中から選ばれた作品で構成された展覧会なので

縦軸に生涯にわたるシャガールの絵の推移、
横軸に様々な芸術潮流との関わりをおいて
今までのシャガール展よりも
シャガールの全体像をつかみやすい構成であった

選ばれた作品も粒よりのもの
会場内のシャガールインタビューの映画は必見
52分あるので早めにいって、座ってみた方がいいですよ

映画を入れて3時間
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東京芸術学舎 ガーデン講座、建築講座受講 2010/08/04の日記 記入中 08月04日 (水)
今日東京芸術学舎オープニングプログラム 
ガーデン講座と建築講座を受講してきました

9:00-12:00新宿御苑大木戸口に集合 受講15名
講師は高橋康隆さん(作庭家、京都造形芸術大学教授)
歴史、水の流れなど地勢、新宿御苑をのことを詳しく教わった

例えば
大名屋敷から政府への献納、農業試験場、農学校
宮内省管轄に、鴨池完成、園芸植物栽培本格化、
アンリ・マルチねーに御苑改造計画を依頼
戦後国民公園へ

玉川上水の水が上の池、中の池、下の池と流れ渋谷側へと続く

大名屋敷の庭であった部分とフランス式庭園であった部分との庭の見方
明治になって植えられたヒマラヤ杉や銀杏、プラタナス
根府川石、富士山の溶岩の黒石が多く使われていること

その後学校で高橋さんの作例をスライドで見る

13:30-15:30建築家峯田建さん『民家の知恵に学ぶECOな暮らし』
受講100名ほど
スライドを使って

古民家での部屋への光の取り入れ方
古民家出の部屋に入った空気の流れ方

それを生かした現代の建築作例

造園、エクステリアの仕事をしているので
大変参考になる実習と講義であった
大学や芸術舎のコースで本格的に学ぶことも考えてみよう


追記
桂離宮に芝生の部分があって
これはいつ頃から芝生なのか
不思議に思っていました

西洋庭園の影響なのか
今回の先生にも質問してみると
「日本の平安時代の屋敷にもそのような絵があり
野芝による芝生は昔からあったのではないか」と
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人体クロッキーコロシアム 2010/07/26の日記 07月26日 (月)
京都造形芸術大学と東北芸術工科大学が
外苑キャンパスを新設しました
外苑キャンパスは信濃町のそば、明治記念館前にあります

オープニングイベントの一つにクロッキーがあったので
申し込んで
今日18:30ー21:30参加してきました

会場はA,B,C,D四つで
それぞれ30のイーゼルが並んでいます
クロッキー帳と2Bの鉛筆は配布されました

そこへ4人いるプロのモデル(白人女性、男性、日本人男性、女性)
が回ってきて
長くて20分、短い時には5分、3分、1分のポーズをしてくれます
プロなのでポーズの取り方はとても上手でした

クロッキーとは早描きなので
消しゴムなど使わずともかく線を描き
全身を描き出します

「自分の絵は見なくていい。モデルを見て線を描きなさい」
「できるだけ長い線の方がいい」とのこと

最後にそれぞれ自分がいいと思うものを選んで
イーゼルに立て見せあいます
同じ時間なのに素晴らしい表現をされている方が何人もいました

「うまく描くことは問題ではない。
100回描けばそっくりに描くことなど誰にでもできます」

「みなさんは、それぞれ自分の線を持っていらっしゃる
それを大切にして持ち続けて下さい」
と言うのが講師の宮島達男さんのことば

30枚近く描くのに集中したので疲れましたが、
クロッキーの線の運び方に手応えを得て
達成感を持てたのでよい講習会でした
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民藝公演『峯の雪』を観る 2010/07/02の日記 07月02日 (金)
三好十郎1902-1958が戦時中に書いた戯曲である
初めてと言ってよい公演だそうだ

昭和19年9月に脱稿し、刷り上がったが、米軍の爆撃により焼失、
残っていた朱筆入りのゲラにより三好氏没後に出版された

情報局そして警視庁の検閲をパスしなければ、出版も上演もできなかった時代に書かれている
「自分の仕事に忠実な人間、土をかわいがる農民、二枚舌を使わぬ人」など
生涯にわたって実直な庶民を描き続けた作家三好十郎が、
どのように戦争を受け止め、どのように戦時下の庶民を描いたのか

民藝の作り上げた舞台は、とてもまじめな、丁寧、重厚なつくりで
いつの時代にもかわらぬ庶民の姿を描き出し、大変感銘の深いものであった

そして実直な庶民がとまどいながらも、戦争に参加してゆく姿は
悲しくもあり、哀切なものでもあった

作品の舞台は昭和16年秋、九州の老陶工花巻治平の家
自由には焼き物を作れず、電信柱につける碍子をつくるよう会社から言われて、
もう焼かぬとろくろを閉じ、野菜を作っている父
弟子の治六が碍子を作って家を支えている
長女弓子との結婚は、次女みきの出奔の事情もあって進んでいない


3年にわたって、家を出たまま、行方が分からなかったみきが家にかえってくる
もしやからゆきさんではなかったかと疑い、いぶかる村人や家の者たち


劇中でみきが峯の雪(さざんか)を床の間に生ける場面がある
ちゃんとできていることを父が喜ぶ

家で父から習ったお花を、職場や入院中の兵士を見舞う病院で役立て
野の花を瓶に生けて喜ばれているという
外地にあっていま使命感に燃えた女性である

からゆきさんと思われても腹も立たない
苦労している兵隊さんを慰められるなら、からゆきさんであってもいいとまで言う


佐世保に出征する近くの家の海軍軍人、30歳の中佐、
かっては茶道の弟子が茶をいただきたいと立ち寄る
床の間に峯の雪が飾られている


戦争で使う無線機器の研究に使うものであるらしい複雑な碍子の制作を依頼にきた男と次女は張家口で知り合いであった
兵隊であった彼は胸を病み、内地に戻って、ろっ骨を切り、研究室に戻ったと言う

みきが蒙古につながる張家口の特務機関でタイピストとして働いていたこと
研修を含んだ休暇で戻ったことがわかる
そして東京での無線の講習後またそこへ戻ってゆくという

ろくろを閉じ、野菜を作っている父がしだいに考えを変えてゆく

はじめは拒んでいた父がその複雑な碍子の制作を引受け、作りはじめるところで劇が終わる


父の戦争協力にもかかわらず日本は敗れたことを我々は知っている
茶を所望した軍人はハワイ奇襲に参加し、その後太平洋戦争の中で戦死したであろう
同居している弟子の治六は徴兵され、戦死しなかったであろうか

張家口は日本軍がアヘン栽培をし、奉天、北京、上海で中国人に売って、
戦費を作ったところだと言う
その額は昭和20年までに戦艦大和3隻分に相当したという
そこへ戻った次女はおそらくそのことは知らないまま
激務に頑張ったことであろう

帰って来ることができたのであろうか
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マネのシンポジウムに参加 2010/06/27の日記 06月27日 ()
マネのシンポジウムに参加してきました

朝10時から18時過ぎまで、力のこもったレポーターの発表と
レポーター、会場を交えての討論があり
マネの持つ様々な顔がよりはっきりと見えてきました

参加できて良かった

メモより

マネの絵のほとんど、8割は人物画である 
マネの古典的絵画への素養、そして近代的な部分
ベラスケスへの共感

マネの時代は写真が登場し普及しはじめている
写真の時代にあって、絵の自立性とは何か

マネの時代に普仏戦争があり、パリ・コンミューンがあり
オスマン男爵による、パリ大改造が実行された

パリ中を情熱的に歩き回るマネ

人間、生活を愛していたパリはモニュメントは描いていない
ブルジョワジーも労働者も同席するようなミュージックホール、サーカス
カフェなどの空間

ボードレール、マラルメ、ゾラ、ドガなど芸術家との交流

マネの「なま」「現存性」「手の切れるような新鮮さ」「知覚体験」
色彩や形態への喜びが抑制されているクールさ、ダンディ
ストーリーを語らず見るものにゆだねている
説明しない美学

●「エドゥアール・マネ再考-都市の中の芸術家-」
日時:6月27日(日) 10:00~18:00(予定)
場所:丸ビルホール(東京都千代田区丸の内2-4-1 丸ビル7階)
使用言語:日本語/フランス語(同時通訳付き)
入場無料、事前予約制
定員:250名
登壇者:

ジュリエット・ウィルソン=バロー(美術史家・インディペンデントキュレーター)/
カロリーヌ・マチュー(オルセー美術館主任学芸員)/長谷川祐子(東京都現代美術館チーフキュレーター)/
三浦篤(東京大学教授)/高橋明也(三菱一号館美術館館長)

タイムテーブル

第1部(10:00-11:50)
■高橋明也(三菱一号館美術館館長)
「空間と人物-マネの造形文法を巡って」
■カロリーヌ・マチュー(オルセー美術館主任学芸員)
「マネの時代におけるオスマンのパリ」

第2部(13:30-16:30)
■ジュリエット・ウィルソン=バロー(美術史家)
「マネの《パリ生活情景》-アトリエからアトリエへ」
■三浦篤(東京大学教授・UTCP)
「《フォリー・ベルジェールのバー》再考」
■長谷川祐子(東京都現代美術館チーフキュレーター)
「マネと現代アート」

第3部(16:30-18:00)
■全体討議
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マネとモダン・パリ展2度目 記入中 2010/06/22の日記 06月22日 (火)
マネ 1832ー1883

1850ピアノの家庭教師シュザンヌが恋人となる
1852ピアノの家庭教師シュザンヌ、レオン出産
1863シュザンヌと結婚

マネはそれまであった絵画の決まりごとから飛び出ている
描きたいものを描きたいように描く
自分の絵に自信を持っていた

1861サロン初入選、その後もサロンに出し続け何度も落選があった

1863裸の女性が服を来た男性のそばにいる『草上の昼食』、
1863娼婦がベッドの上からこちらを見見返している『オランピア』は
スキャンダルとなった

●1870普仏戦争 
●1871パリ・コミューン

1871『バリケード』リトグラフ共和制への共感、検閲を恐れて生前には版画化されず
1871『内戦、1871年パリ・コミューンの光景』

1871『アルカションの室内』書き物をしている妻シュザンヌ、読書する息レオン
   窓から海が見える

1873『燕』   母、
1873『浜辺にて』
   読書する妻シュザンヌ、弟ウジェーヌ(次の年ベルト・モリゾと結婚)
   漆塗りのアールデコ様式の額が絵を引き立てていて、素晴らしい

1879『温室のマネ夫人』妻シュザンヌ
  (ずっとマネ夫妻の寝室に飾られていた作品)

マネの絵は描きたいことを描いている
描きたいことを描いてしまえば、
描き足りないように見えたり、未完成のように見えても描くのを止めてしまう

例えば手である
手の片方が未完成のように見える肖像画がたくさんある
描きたいことを描ければ、マネにとっては絵は終わっているのだ

絵画史においてマネはたったひとりで新しい世界を切り開いた
マネの切り開いた世界に印象派の画家たちが続いて行く
マネは絵画史において、とても重要な画家であり、
とても魅力ある画家だと思う
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今日は近所の仕事 2010/06/17の日記 06月17日 (木)
梅雨の晴れ間なので
朝思い立って
ご近所から頼まれていた木の剪定をした

梅、椿、金木犀など

枝の片づけ、除草を入れて、一人で6時間

お隣のミッキーマウスの木が満開だった
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ボストン美術館展 2010/06/16の日記 06月16日 (水)
会期 2010年4月17日(土)~6月20日(日) 会期中無休
場所 森アーツセンターギャラリー
※2010年7月6日(火)~8月29日(日)
 京都市美術館(京都市左京区岡崎円勝寺町124、岡崎公園内)へ巡回




「16~20世紀の選りすぐりの名画80点」と謳われているが
まとまった作品展示はモネの11点くらいで
あとは1、2点でしかない

展覧会としては物足りないものだが、いい作品もたくさんあった

私は
マネの2点『ヴィクトリーヌ・ルーラン』『音楽の授業』
ドガ4点(妹と夫を描いた作品)、『男の肖像』『美術館にて』『田舎の競馬場にて』
セザンヌの1点『池』、
ゴッホの1点『オヴェールの家々』

などが収穫

ゆっくり2回見たので、3時間いたことになる
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