幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
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大学生のテーマ活動 03月07日 ()
とある支部の大学生によるテーマ活動発表会に先日見に行きました。途中まである形で関わってしまったので、気になって見に行きました。発表会にはたくさんのテューターの皆さんや保護者の方もいらっしゃっていて盛況でした。
さてその中身について一言モノ申す!ラボの大学生とはいえ、現代の若者なので、仕方ないのかもしれませんが、どうもイメージする力が落ちているように思います。ラボ・ライブラリーのことばやセリフの一つひとつから、その心境を読み取ることが難しく考えている節があります。自分の意見(イメージ)を言う前に、周りの意見(時に奇抜なアイデアだったりする)に同調し、イメージが深まらないまま、きれいに見える動きだけを求めて話し合っている。ライブラリーの中で出てくるメッセージを読み取る努力よりも、「みんなで話し合って決めた動き」を優先させてしまう…。イメージが深まらないまま、どんどん動きだけが決まっていく…。気づいたらどこにも気持ちがこもっていない表現に終わってしまった。形は奇麗だが、何を訴えたいのかが伝わらない発表になってしまった。そんな印象を受けてしまいました。
ラボの大学生ならばもっと気持ちのこもった発表ができるはず…。なのに…。何が足りないのだろう?大学生の自主的な活動とはいえ、このままでいいのだろうか?とても考えさせられた発表でした。
もちろん私個人の感想なので、別の人が見ればそれはいい発表だったという方もいるでしょう。大学生も彼らなりに努力していたことはよく分かっています。であればこそ、本当はもっとテーマ活動の高みにまで達して欲しかった。
ある大学生が「テーマ活動はそれぞれのパーティでできるから、大学生年代になってまで、テーマ活動の研修をしなくてもいいんじゃないの?」という意見を言ったりしていることも知っています。それを聴くたびに「本当にそうだろうか?一番想像力を失っているのは大学生年代なのではないのか?」と反論したくなります(反論しています)。しかし、当の大学生たちには自分たちの姿がよく見えていないようです。
もっと素直にラボ・ライブラリーの語りに聴き入る姿勢が大学生において、大いに必要ではないかと痛切に感じています。
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