「よしっ,それでやってみよう!」
が成長の道標

藤田 浩光

ソフトウェア・エンジニア。
アメリカ・シリコンバレーのアメリカIT企業に勤務。

遅咲きのラボっ子時代

 こんにちは。ラボっ子の間では「ふじぼう」と呼ばれていました,藤田浩光といいます。アメリカ・カリフォルニア州のシリコンバレーと呼ばれる,GoogleやApple,Facebookなど世界の最先端IT企業が集まるエリアで,ソフトウェアエンジニアとして働いています。

 ラボを始めたのは小学5年生からでした。今でも覚えているのは,最初のテーマ活動がスペイン語の『かいだんこぞう』で主役のタケちゃんを演じたこと。テープを繰り返し聴きながらセリフを覚えるという点では,ラボを始めたばかりの自分にとっては英語でもスペイン語でも大差なく,耳から言葉を身につけるというスタイルにすんなり入っていけました。

 国際交流に参加したのは高校1年生のときで,アメリカ・ネブラスカ州にステイしました。テーマ活動で覚えたフレーズがいつも出てきたわけではありません。でもそれまでに学んだ英語でホストファミリーとコミュニケーションした経験は,意思疎通するために英語で話す度胸と自信をもたらしてくれました。

 中高生時代は部活動でバスケットボールを集中的に励んでいたので,パーティ活動以外のプログラムは積極的に参加していませんでした。一方,大学生になってからはシニアメイト,カレッジメイト,表現活動,キャラバン隊,わかもの実行委員などなど,多くの活動に参加していました。また大学3年生のときに,カレッジスタッフとして30人のラボっ子と共に再びネブラスカ州に渡りました。特に4年間継続して取り組んだカレッジメイト活動を通して,様々なラボの国際交流にかかわることができ,世界に目を向ける多くのきっかけを得ることができました。

大学時代には国際交流について熱心に活動
大学時代には国際交流について熱心に活動

意思疎通の手段としての英語

 私が住んでいるカリフォルニア州は移民が多く,特にシリコンバレーはIT企業で働くエンジニアが世界中から集っていることもあり,非常にDiversitey(ダイバーシティ)に富んでいます。私が働く会社でもインド人や中国人がエンジニアの大半を占めており,他のアジア人や欧米由来の白人はマイノリティです。その中で共通言語として英語が使われているわけですが,ほとんどの人が英語以外の母語を持つ人々なので,出身国によっては英語の訛りが強い人もいます。同じ英語でもヒンズー語訛り,中国語訛り,フランス語訛り,そして私は日本語訛りの英語を話しているということになります。特にインド人が話す英語は発音にクセがあり,いまだに同僚のインド人同士が話しているのを聞くと,ヒンズー語で話しているかと思いきや,よくよく聞いたら実は英語だったなんてこともあります。ラボ・ライブラリーで耳にしてきた聴き取りやすいネイティブの発音とはかけ離れているので,いまの会社で働き始めてからしばらくは,インド人と会話する時にかなり集中力を要しました。

 「英語が話せる」というと,日本では特に「ネイティブのような発音で話す英語」と捉えられがちですが,コミュニケーションをする上で必要とされるのは「意思疎通が十分にできる英語」,発音や文法が多少間違っていても自信を持って大きな声で話す度胸です。まさにラボの国際交流で経験したことそのものです。いま一緒に働いているチームのメンバーは,シリコンバレーと台北,北京の3拠点に散らばっているので,ミーティングはもっぱら電話会議です。英語のネイティブ・スピーカーは私のボスだけで,他の参加者は全員,英語以外の母語話者です。そのような環境でネイティブではない同僚が話す英語を聞いていると,「あ,自分もこれでいいんだ」という妙な安心感が湧いてきます。ただこれはエンジニアだから,シリコンバレーだから許容されることなのかもしれません。

エンジニアの聖地・シリコンバレーへの道

 海外で働いてみたいという願望は,学生時代から少なからずありました。当時はまだインターネットが今のようには普及しておらず,ITという言葉も一般にはあまり知られていませんでしたが,アイディアを柔軟に現実化できるソフトウェアに将来性を感じ,外資系のIT企業を中心に就職活動をしました。最終的に採用されたのは日本のベンチャー企業でしたが,シリコンバレーに子会社があり,いつかそこで働ける可能性も視野に入れて就職を決めました。

 大学でプログラミングの授業はあったものの,ソフトウェア開発の経験はゼロだったので,入社してからはひたすら勉強の日々でした。日進月歩のIT業界で仕事をすることは非常にエキサイティングで,また新しいことを覚えてスキルアップする実感を強く持てたので,仕事が楽しくあっという間に時間が過ぎていきました。

 入社から7~8年も経つと自分の能力にも自信がつき,周りからも認められるようになる一方で,同じ環境に留まり続けることにより成長が鈍化する危機感が生まれてきました。そして日々の仕事に追われて,就職活動時に抱いていた「いつかはシリコンバレーで働いてみたい」という夢を,すっかり置き去りにしていたことに気づいたのです。

 エンジニアがシリコンバレーに赴任するという前例がなかったこともあり,会社に認めてもらうのは難しいだろうと予測していましたが,あれこれ悩んでいても仕方がない,まずは行動あるのみと思い,2008年から会社との交渉を始めました。また一方で,再び外資系企業への転職を視野に入れて別の道も模索しました。ラボの国際交流で1ヶ月,家族と離れて異国で生活するという非日常的な環境に身を置き,そこに順応することで大きな成長が得られたという経験があったからこそ,「環境を大きく変えることが成長への近道」という発想がシリコンバレーで働くことへの道標となったのだと思います。それから紆余曲折はあったものの,幸いにも念願のシリコンバレーへの切符を手に入れることができ,2010年から晴れてエンジニアの聖地で働き始め,さらに5年後には現在のアメリカ企業に転職しました。

自分が書いたシナリオでのテーマ活動

 海外赴任するために会社と交渉し始めたときだけでなく,人生のさまざまな局面で新しい選択肢が出てきたときに,「まず動いてみよう」と行動に移すことがよくありました。テーマ活動を作り上げるときに,どう感じるかを意見交換したり,どう表現するかを議論したり,ブレインストーミングをした後で必ず「よしっ,それでやってみよう!」と動いてみますよね。ラボキャンプでのテーマ活動は最たる例で,限られた時間の中でアクションとフィードバックを繰り返しながら形にしていく。その感覚に近いです。

 何か選択に迫られたときに,注意深く検討することはもちろん大事なことですが,動いてみないとわからないこと,見えてこない世界というのが必ずあります。動いてみたら新しい問題にぶつかったなんてことも多々あります。テーマ活動を作るのと同じように,アクションとフィードバックを繰り返しながら歩を進めてきた結果,いまの場所にたどり着くことができたのです。テーマ活動と大きく違うのは,お話がラボ・ライブラリーのように与えられたものではないということ。これからも自分でシナリオを描き舞台を変えながら,人生というテーマ活動を動き続けていきます。

お話を伺った方

藤田 浩光(ふじた ひろみつ)

 1976年,千葉県生まれ。ソフトウェア・エンジニア。
 アメリカ・シリコンバレーのアメリカIT企業に勤務。

千葉県・成田和子パーティOB