英語を知っていることと話すことはちがう

松本 なゆた

第60次南極地域観測隊,地質調査技師

外国語を聞き取る力が自然に身についていた

 私がラボ・パーティに出会ったのは小学校5年生のときでした。そのころの私は小さい子と遊ぶのが大好きで,ソングバードなどを歌ったり踊ったりするのも楽しかったので,すぐにラボが大好きになりました。中学生になると高校生や大学生と中高大生活動に参加するようになり,ラボ活動がますますおもしろくなりました。

 ラボのいいところのひとつは,幼児から大学生まで年齢に関係なくいっしょに活動ができることです。学校や会社のような先輩後輩の関係ではなく,お互いを認めあって助けあう,家族のような温かい人間関係です。私がラボで得たいちばん大きなものは友人です。いまでも月に2回は会う友人以上家族未満の友だちや,年に何度か集まれる友だち,なかなか会えなくてもSNSでつながっている友だち。いつでもありのままの自分を受け入れてくれる仲間がいるから,自分らしくいられるのだと思います。

 最初に覚えたライブラリーは『たぬき~たぬき,女王さまとお茶を飲む』でした。夏休み中に一生懸命にテープを聞き続けましたが,覚えられたのほんの数行でした。それが高校生の頃には,必要ならどれだけでも覚えられると自信をもてるほどになっていました。知らず知らずのうちに,耳で言語を聞き取って覚える能力がついていたのだと思います。海外で話されていることばは英語だけではありません。ヨーロッパで英語を公用語にしている国はイギリスとアイルランド,マルタの3カ国しかありません。他の国々ではフランス語,スペイン語,ドイツ語,イタリア語,ギリシャ語などさまざまな言語が話されています。おとなになってからヨーロッパを旅行したときにはこの「ラボ耳」のおかげで,現地のことばを聞きとったり,覚えたりすることができ,フランス,イタリア,スペイン,トルコなどいろいろな国の人と交流することができました。

 中学校2年生のときには国際交流で,1ヶ月間アメリカ・インディアナ州にホームステイに行きました。参加前には,私にとってホームステイはそれほどたいへんなことには思えませんでした。それは帰国報告会で,帰国したみんなが「帰る頃には英語がわかるようになった」といっていたからです。単純な私はそのことばを鵜呑みにしていました。そして,いざアメリカに行き,ホストファミリーの家に着いたときに,私はあたりまえのことにはじめて気がついて愕然としました。「英語がわからない」。そうです。飛行機に乗ってアメリカに来たからといって,英語が急にわかるようになるわけはないのです。そんな私でも1ヶ月後に帰る頃には,相手がなにを話しているかはわかるようになっていました。31歳のときに,ワーキングホリデーで1年間アイルランドに滞在しましたが,ホームステイときのような奇跡は起きませんでした。一か月で相手の英語がわかるようになってしまうというようなことは,子どものときにしかできない貴重な体験だったと思います。

 中学生になってからの高学年の活動では,みんなで意見を出しあいながらテーマ活動を作ったり,合宿の企画・運営をしたり,全国キャンプでシニアメイトを経験するなかで,自分の意見をいうことや人前で話すことができるようになりました。ラボをする前の私は恥ずかしがり屋で,人前で話すことができませんでした。しかも,すごくがんばって克服したのではなく,ラボ活動を通して自然とできるようになっていました。これはほんとうに大きな変化でした。いま仕事や人間関係などいろいろなことに役立っていると思います。

  • 中学2年生のアメリカ・インディアナ州でのホームステイ
    中学2年生のアメリカ・インディアナ州でのホームステイ

  • 北陸地区の合宿でシニアメイト。ラボでのさまざまな経験が社会人となったいま,役に立っている。
    北陸地区の合宿でシニアメイト。
    ラボでのさまざまな経験が社会人となったいま,役に立っている。

南極で過ごした日々のなかで

 私は60次南極地域観測隊の越冬隊として,一年間,南極の昭和基地に滞在しました。南極はとても美しいところです。あたりまえですが緑の植物は生えていないので,白い氷,青い空と海,そしてピンクや赤の夕焼け,茶色い岩が南極で見られる自然の景色です。気温は夏には3℃ほどまで上がり,冬にはマイナス30℃以下になります。「とても寒かったか?」と聞かれると,「思ったほどではなかった」というのが私の感想です。夏から冬にかけて,気温が0℃ほどから-10℃以下に下がるととても寒く感じます。そして,-10℃に体が慣れた頃,また-20℃に下がります。でも,体が感じる寒さは0℃から-10℃になったときと同じくらいです。ゆっくり下がっていくので,体が少しずつ慣れてそれほど寒く感じません。南極で見られる動物は主に鳥,ペンギン,アザラシです。冬にはオーロラや満点の星空が見られました。

 越冬隊は31人で全員が日本人でした。南極にはオーストラリアから日本の砕氷船「しらせ」という船で行くので,乗組員は全員が日本人です。そのため,英語を使うことはあまりありません。ただ,12〜2月の南極の夏期間に活動する夏隊には,海外の研究者やヘリコプターの搭乗員など数人の海外の方がいます。毎年数人の海外の方が来られるのですが,南極観測隊のほとんどが日本人なので,説明なども英語表記のものは少ないです。そのため,海外の方が困ることも多かったので,私は英語で説明してその手助けになったり,仲よくなっておもしろい話を聞かせてもらったりと楽しい時間を過ごすことができました。

越冬中(11月) 昭和基地から南に約20kmにあるラングホブデ地域の雪鳥沢。ここでは雪鳥を保護し,蘚苔類や地衣類のモニタリングが行われている。
越冬中(11月) 昭和基地から南に約20kmにあるラングホブデ地域の雪鳥沢。
ここでは雪鳥を保護し,蘚苔類や地衣類のモニタリングが行われている。

日本人にも外国人にも同じように

 南極観測隊の夏隊の多くは研究者の方なので,みなさん英語は私よりもじょうずなはずなのですが,積極的に英語を話す人は意外と少ないです。英語を知っていることと話すことは違うことのように感じました。私にとっては海外の人に話かけるのも,日本の人に話しかけるのも,ことばが違うだけで同じことに感じられます。これは,小さな子も大学生も,海外の人でもみんな同じように仲よくするという,ラボの考え方のおかげかもしれません。また,ラボでのホームステイの経験や日本にホームステイに来た人と仲よくなった経験が,英語で話すことへの抵抗をなくしてくれたのだと思います。

 また,航空機ネットワーク(ドロームラン)の飛行機で基地を行き来する人たちが 給油のために数時間滞在していくことがありました。私が出会ったのはロシア人の研究者や雪上車の運転手で,給油の間にサンドウィッチやコーヒーなどを食べてもらいながら,いろいろな話をしました。魚釣りの話になり,私が「南極ではまだ魚釣りをしたことがない」といったら,なんと別の日にロシア基地からきた飛行機で,ビールやお菓子などのお土産といっしょに釣り竿が送られてきました。

南極でのペンギンセンサスの様子。ペンギンルッカリー(集団営巣地/ペンギンが卵を産んで、子育てをする場所)で,ペンギンの個体数や巣営数を計測する。
南極でのペンギンセンサスの様子。
ペンギンルッカリー(集団営巣地/ペンギンが卵を産んで、子育てをする場所)で,ペンギンの個体数や巣営数を計測する。

ライブラリーが外国語を聞ける耳を育てる

 いまラボっ子のみなさんには,ラボを楽しく続けてもらいたいなと思います。ラボには英語を学ぶだけではなく,すばらしい友だちや,それぞれの個性や良さを受け入れること,自分の意見を人に伝えることなど,たくさんのことを学ぶことができます。みんながときには渋々聞いているかもしれないソングバードやライブラリーは,みんなが気づかないうちに言語を聞き取るすばらしい耳を育ててくれています。そして,ラボ活動でのひとつひとつの経験は,みなさんが大人になって,なにか新しいことをやりたいと思ったときに,一歩を踏みだす手助けになってくれるはずです。

お話を伺った方

松本 なゆた(まつもと なゆた)

 1982年,石川県生まれ。地質調査技師。
民間企業での勤務を経て,第60次南極地域観測隊(2018年秋~2020年春)に参加。

石川県・倉知淑子パーティ