
「原始の子ども」が輝くとき(その1)
本多 豊國(ほんだ とよくに)
画家,墨絵アーティスト
ラボ・ライブラリー絵本,Get on Target Series 23『ジョン万次郎物語』には,『かさじぞう』と『ももたろう』が収録されています。この絵本の絵を担当された本多豊國さんは,これまでもライブラリー絵本『なよたけのかぐやひめ』などの絵を担当していただいていますが,今回の絵本も,当初からやる気満々で取りくんでいただきました。
本多さんはもともと油絵を描かれていましたが,墨絵の魅力に目覚めてからは,ずっと墨絵を中心に作品を制作されています。墨絵は伝統文化の香り高い世界ですが,いずれはその高みに登るにしても,最初はもっと楽に自由に墨絵を楽しんでもいいのではないか,そうすればもっと墨絵は先進性を発揮し,その可能性を広げるに違いないと本多さんはおっしゃいます。
アートはハート
ARTはHEARTの中にあります。絵は心を表し,心に訴え,心を豊かにし,心と心を結びます。
ぼくはあらゆるもののなかに心を見るために,自分を高めていきたいと望んでいます。そして自分の心もあるがままに表現したいと努力をしています。心のままに,心を自由に表現するために技術を習得していきます。ぼくにとって絵は「表現」というよりも「出現」であったらなあ,という思いが強くあります。このように思っているぼくにとって,墨絵は最適な画法なのです。
墨絵は自由
墨絵は誰でもすぐ描くことができるし,何をどのように描いてもいいのです。
和紙に墨で横に一本すっと線を引けば「地平線」です。墨絵はこれくらい自由です。ぼくはこの自由さと活力が大好きです。このあっけらかんとした力を手放したくなくて毎日墨絵を描いています。何をどう描いてもいいのですから。
墨絵は描いた「人」あるいは「心」が丸出しになります。だから墨絵を描く人はその「生き方」=「心」に十分に注意を払わなくてはなりません。あえていえばこれが墨絵の唯一の真髄・技法といえます。いつも「心」をあるがままに自由にしておかなくてはなりません。これが墨絵の線やにじみとなって出現します。ぼくもこの「生き方」=「心の技法」を身につけたいと勉強中です。
墨絵はパワー
●墨絵はパワー
あらゆる言動の源は「心」だとぼくは思っています。心で思わないことは現実には起こらないからです。「心」はどこにあるのかわかりませんしその姿を見ることもできません。しかし「心」はあります。墨絵はこの見えない「心」を見えるように描くのが役目です。そのきっかけをつくってくれるのが,湧きあがってくる想像力やインスピレイションです。このパワーは,できるだけ無心になって,限界をつくらないようにすることでしか得られません。この超越的な力がやってくるとすばらしくいい気分になります。このパワーこそが墨絵の源です。
原始の子ども

子どもは子どもであって,小さなおとなではありません。おとなはもともと子どもで,大きくなった子どもです。おとなとは子どもが社会に馴染んでいくために,自分のなかの野生(生命力や想像力などのエネルギィ)を失ってしまった,衰えた子どもかもしれません。しかしおとなのなかにも,「小さな子ども」はいます。ピュアな力のみなぎった,「子ども」がいます。子ども自身とおとなのなかの子どもを,ぼくは「原始の子ども」と呼んでいます。
おとなは絵がわからないとか,絵は役に立たないなどといってしまいます。「原始の子ども」は,損得なしに全身全霊でお絵かきを楽しみ,遊びます。表現だとか芸術だとか思わずに,想像力そのものになって描いています。それは根源的なエネルギィで,人びとを慰め,力を与えてくれます。「原始の子ども」と心はひとつに繋がっているように思えます。「原始の子ども」は,「わかること」とか「役に立つこと」とは無縁です。
絵の力
絵は出会い頭に力を与えます。理屈は何もありません。そこにあるのです。絵はおとなたちに根源的な凄い力を与えてくれます。一人ひとりがもともともっている,「原始の子ども」の力を思い起こさせその力を回復させてくれるのです。癒し,慰め,喜びを与え,人生を変えるくらいのカタルシス(自己浄化作用)をもたらします。多くのおとなたちは「原始の子ども」を忘れてしまい,思い出すこともなく,先入観から絵の力を認識することすらしません。したがってこのすばらしい絵の力を知らず,恩恵を受けることもありません。とても残念なことです。
子どもは「原始の子ども」そのものですから,絵と一体となってしまいます。ぼくの考えでは,子どもには絵は自由に描かせればよくて,おとなたちはその環境をつくるだけでいいのです。あとは「いいな,いいな」と子どもたちと共感することで,おとなも育っていきます。
ぼくは絵本を制作するとき,いわゆる「子どもむけ」などと意識したことはありません。自分のなかの「原始の子ども」を信頼し,その力を全力で発揮します。そして楽しく夢中で描くだけです。それで「原始の子ども」どうしが出会い,結びついていけば最高にうれしいのです。墨絵はこの子どもの世界によく似ています。だれでも自由に楽しむのです。
ぼくは子どもやおとなのなかの「原始の子ども」,すなわち心とともにいます。
















