ゴスペルのお話 - 絶望を生き抜くための歌

木島 タロー(キジマ タロー)

米軍契約ゴスペル・ミュージシャン。
2012年からは東京経済大学特別講師。アメリカ人シンガーのキャスティングや指揮で録音現場等で活躍。テレビCM,ホテル公演,東京芸大ゴスペル公演などでも指揮。自らの率いるドリーマーズ・ユニオン・クワイアー(DUC)で,グラミー賞アーティスト「The Sounds Of Blackness」の2011年アルバムに2曲で参加。同アルバムがアメリカ黒人音楽最高栄誉のひとつNAACP IMAGE賞を受賞。
 ラボ・パーティには2004年6月刊行のGTS-1『ひとつしかない地球』の音楽CD制作に協力したほか,GT23『ジョン万次郎物語』でも歌唱指導などで参加した。2012年3月のラボ・スプリングキャンプでワークショップを担当し,大好評を博した。
 ゴスペルの魅力を,宗教性よりも黒人音楽としての歴史/文化性に求める「Power Chorus」コンセプトを展開。

 テレビや映画でときおり目にするゴスペル・ミュージック。黒人シンガーの集団が高らかに歌う姿と迫力のあるサウンドが印象的ですね。彼らが喜びやエネルギーに満ちた音を出すとき,ぼくらは,彼らが喜びやエネルギーに満ちたすてきな人びとだからこういう音楽が生まれるのだ,と思いがちです。しかしそれですと,この音楽の最大の価値を見落とします。
 じつのところこの音楽は,喜びも生きるエネルギーもないところに生まれたからこそ,それらをもっているのです。

厚木基地の教会のゴスペルグループ Tribe of Judah厚木基地の教会のゴスペルグループ Tribe of Judah

 むかしむかしのこと,日本では江戸時代の頃です。ゴスペル・ミュージックがまだ姿もなかった頃,アメリカには奴隷と呼ばれる人びとがいました。突如,知らないことばを話し,強力な銃やムチを振り回す冷たい外国人によって家族や故郷の大陸から引き剥がされ,無理やり死ぬまで働かされた人びとです。自分を家畜のように扱う人びとの土地で,働いて働いてボロボロになり,さよならもいえなかった家族にいつか会える日を夢見ながら年老いて死んでいった,そんな人びとがいたのです。
 そんな人生を,ぼくだったら途中でやめずに生き抜くことができたか,それはわかりません。しかし,奴隷たちはその時代を生き抜いたのです。自分の物といえるものなどひとつも持たず,人生に一秒も自分の時間などなかった彼らが,何とか今日を生きるためにし続けたことがありました。

 歌を歌うことです。
 しかも,みんなで歌うことです。


 自分と同じように苦しんでいる仲間がいることを知り,知るだけでなく,音を通して感じることができました。いつかこのような辛い時間に終わりがくることを,お互いにいい聞かせることができました。
 それらのことばを何度も何度も繰り返すと,そこにビートが生まれました。ビートを刻みながら仕事をすることで,辛い時間を乗り切ることができました。奴隷を使っていた人びと(奴隷主)も,奴隷を歌わせておくと効率よく仕事をするので,歌うのを放っておくことにしました。

黒人霊歌からの進化

ラボ・パーティでワークショップ実施ラボ・パーティでワークショップ実施

 こうして,奴隷たちの働く農園から沢山の歌が生まれました。後に,黒人霊歌(Negro Spirituals*)と呼ばれることになる歌です。みなさん,ラボ・ライブラリーでもいくつかの曲に出会っていらっしゃいますね。
 黒人霊歌には,目に見えない神や天国に救いを求める嘆願をたくさん見つけることができます。でもこれらの歌が伝えているのは,可哀想な人たちの悲しいだけの物語では決してありません。驚くべきことに,彼らはいつまでもすすり泣くことだけを続けて行くほど弱くはなかったのです。

 黒人霊歌のなかのある歌には,奴隷主たちへの愚痴や,脱走への憧れが隠してあったり,どうしても踊り出したくなるリズムがあったり,実際に脱走の合図に使われた歌や,脱走の方法を示した歌さえあるのです。
 じつのところこの音楽は,喜びも生きるエネルギーもないところに生まれたからこそ,それらをもっているのです。
 黒人霊歌は,よく混同されてしまうのですが,キリスト教の神を賛美する賛美歌ではありません。賛美も頻繁に含んでいましたが,それだけではなく,想像を絶するストレスのなかで人が生きるために必要なもののすべてを含んでいました。希望を伝える歌詞であり,仲間と作るシンプルで美しいハーモニィであり,皮肉や笑いであり,友と苦難を共有するための愚痴であり,悲劇を忘れさせてくれるビートでありました。

 やがて,奴隷解放をかけて何十万人もの人が死ぬ大変な戦争があって(南北戦争/1861-1865),奴隷達が奴隷の身分から自由になる日がやってきました。黒い色の肌を持った彼ら元奴隷たちは,奴隷農園から街へ出て,さまざまな生活を始めました。
 ここで黒人霊歌は進化します。皮肉の要素はブルースに,ダンスはラグタイムやジャズに,神への嘆願は感謝へと変わってゴスペルに進化しました。この後もまだまだ凄絶な人種差別を受け続けることになる彼らですが,彼らの奏でる音楽だけは,決して鳴り止むことがなかったのです。

レッスン中の木島氏厚木基地の教会のゴスペルグループ Tribe of Judah

ぼくらの時代,ぼくらの国

アメリカ黒人音楽の第一人者Gray Hines 氏とアメリカ黒人音楽の第一人者Gray Hines 氏と

 さあ,ぼくらの時代,ぼくらの国に戻りましょう。
 ぼくらはみな,とても大変な時代に生まれてしまいました。老人も若者もみんな,最悪な未来さえあるかもしれないと不安に怯えています。
 ぼくらの親や教師たちは,どんなに人が荒れても季節は変わらず巡ってきた時代の生き方を知っています。でも地球の気候そのものが刻々と変わってゆく時代の生き方を知りません。彼らは,アメリカが世界で一番強かった時代の生き方を知っています。でも,中国が世界で一番強い時代の生き方を知りません。
 いまからの激動の時代の生き方をすでに知っていて,ぼくらに「この生き方でだいじょうぶだ」などと約束できる人は一人もいないのです。だから多くの人が大なり小なり不安を抱えています。

 でも,覚えていてください。最悪の悲劇はいつも地上にありました。
 その中で,考えられる限り最も残酷な日々を生き抜いた人びとがいて,彼らは歌を歌うことでその日々を生き抜いたのだということを。そして彼らは,絶望のなかで希望をリズムとハーモニィに乗せて歌う方法を世界に残してくれました。
 そうです。R&BやHip HopやRockなど,今日テレビやラジオから流れるポピュラー・ミュージックのほとんどが,あの奴隷たちの歌の子孫なのです。彼らの絶望と希望の物語は,サウンドとなって世界を包みこんでいるのです。

 だから今日,大好きな歌を歌ってください。よければ,誰かと歌ってください。いつか来るかもしれない辛い日に,その歌を歌う準備をしておいてください。その時があなたに来なければ,それが必要な誰かのために歌ってあげてください。

 歌とは,人類の歴史の最初から人類の心に与えられた,最悪の時を乗り切るための最高のツールだからです。

 次に喜びに溢れたゴスペルを聴いたら思い出してください。この歌は喜びの結果現れたものではなく,歌が,時に過酷な人生のなかにもこの喜びをもたらしているのだということを。

*Negro Spirituals(黒人霊歌) の 「Negro」とは,スペイン語で「黒」を現す単語で,奴隷制時代に白人が黒人を呼んだことばです。黒人たちの間でも,Negro という単語はもう使うべきではないから,「African American Spirituals」や,ただ「Spirituals」と呼ぶべきだという意見と,「Negro Spirituals」ということばでなくては歴史の重みが伝わらない,という意見があります。