
表現力豊かに人生を楽しむ その1;
表現できない子どもが大きくなって表現する職業に就く話
三輪 えり花(ミワ エリカ)
演出家・俳優・翻訳家・脚本家。演劇教育・俳優教育にも従事。東京芸術大学音楽学部オペラ科学部及び大学院・新国立劇場オペラ・バレエ研修所講師等歴任。
慶応義塾大学文学部英米文学科在学中にカナダのヴィクトリア大学演劇科に1年間交換留学。義塾卒業後、ロンドン大学演劇科にて演劇修士号取得。文化庁派遣芸術家在外研修員として2年間渡英、英国王立演劇学校及びロイヤル・オペラハウス等で演出・演技・演劇教育及びオペラ演出等について研修を受ける。
演劇、オペラ、バレエという舞台芸術のジャンルを超えて、幅広く翻訳・演出・脚色・劇作・出演・美術を行うほか、演劇の原点とも言えるシェイクスピアの魅力普及に努めている。
表現することが苦手な子どもだった
今の私は舞台演出家として,演劇・バレエ・オペラの台本を書いたり演出をするとともに,演技術を,俳優および表現力アップをめざすビジネスマンや子どもたちに教えています。俳優として演じたり,朗読を行なったり,舞台の美術や衣裳のデザインもします。毎日が表現力磨きであり,一瞬一瞬が表現力勝負の日々です。こんな職業に就いている私ですが,そもそも表現をすることはとても苦手だったのです。
表現することは好きでした。いえ,表現したものをほめられたかったに過ぎなかったのでしょう。表現のためにこだわる,ということができませんでした。また,ほめられなければただちに「私はダメだ」と諦めてしまいました。そればかりか,笑われることが怖くてたまらず,友達の冗談にさえも,自分が嘲られているような気がして萎縮し,スマートな受け答えができませんでした。


ほめられたい = 人に評価されないことが怖い = 笑われたくない = 萎縮する
このような心理ループにはまってしまうと,表現することがとても怖くなります。まわりの誰かがほめられているのを見て「そんなことならできるかも」とやってみるのですが,表現したいという欲求からおこなうのではなく,ほめられたいという浅薄な理由でおこなうのですから,ほめられるはずはありません。結局「ほめられないから,やーめた」ということになってしまいます。その結果,ほめられるとわかっていることしか,しなくなりました。
ラボとの出会い
こんな私がラボに出会ったのは小学校5年生のころです。ラボのライブラリーは,物語に沿って既に演出がついて録音されています。それをテーマ活動として表現する時,ナレーターになるのは好きでしたが,苦手なのは,人間関係を演じなくてはならない登場人物になることでした。それもやはり「笑われたくない」という恐怖心がベースにあったからです。自分自身と登場人物とをわけられないのは子どもの常としても,それを楽しんで行なえるか否かが問題です。私にはできませんでした。よって,相手と関わる表現をせずに済むナレーターという役割ばかりを選んでいました。こうなると,ほめられたい症候群は,嘲られたくない症候群そのものであり,それは人と接するのが苦手症候群にも繋がってきます。
私の人生を変えたカナダ留学での演劇教育
さて,大学は英文科へ進み,3年生の夏にカナダに1年間の交換留学へ向かいます。選んだのは芸術学部演劇科です。表現に萎縮し,社交が苦手な私がなぜ? 自分で表現をすることは無理,ならばプロデューサーのような,表現者を発掘し売り出す職業に就きたい,そう思ったからです。
しかし留学しても社交が苦手なのは相変わらず。かけられることばの一つひとつが,カナダ人の明るい好意からのものであったにも関わらず,私には「いちいちバカにされている」ように思えました。

その演劇科には演劇教育の授業があります。人と交わらなくてはならない授業です。グループ表現,リーダーシップのためのグループワークなどが行なわれ,人との交流と表現力がポイントの授業! 私が苦手とするものばかりです。ある日,その授業で場面を創作表現する課題が出て,私も仕方なく,ただの日本人という役を作りだしました。演じた時,笑いが起きました。その笑いが嘲りでなかったことは確かで,その拍手に私は,淵に沈んでいたなにか暖かいものがふわっと浮かびあがって来るような,静かな明るい喜びを感じました。私はまったく意図しないまま,その場に笑いを呼び起こしたのです。笑いがその場の空気を和ませ,人を励ます。人に笑われることと人を笑わせることとの違い。人を笑わせて楽しませるとはなんとすばらしいことなのでしょう!
その時,私の抱えていた「笑われたくない」症候群は溶け去りました。表現することが持つ力,人との交流をもたらす力,それに私は目覚めたのです。そして私は表現することを職業として生きていくことに決めました。
もちろん今でも恐怖症は残っています。表現には点数がつけられません。ある人が手放して喜んでくれたかと思うと,また別の人からは酷評が下されます。落ち込むこともたくさんあります。が,喜んでくれる人がいることが励みになります。
おとなになってから気づいたラボ体験の意味

実際にラボ活動に参加していた時,そのよさには気がつきませんでした。おとなになってから自分を眺めたとき,ラボのおかげでここまできたと実感します。ラボでの表現活動や国内・国際交流活動が,たとえ当時は苦手であっても,そのような場にいた,という事実そのものが,私に非常に大きな影響を与えていたのです。
それにつけてもおもしろいのは,身体と声により人前で表現する活動には,社交力が密接に関係している点です。人前で表現することが怖く無くなれば,人との社交力は増します。また人にどう思われるかという不安や恐怖が無くなれば,表現力は増すのです。表現を押さえつけているのは恐怖症に過ぎません。それをはがしてあげれば,誰もが豊かな表現力を表出できるものなのです。
















