
言葉も音楽と同じように存在することが,もっとも自然。
蔵野 蘭子(くらの らんこ)
東京芸術大学、同大学院、二期会及び、文化庁オペラ研修所修了。文化庁芸術家在外研修員として渡欧。ベルギー音楽アカデミーを首席、ウックル市賞を受け卒業。メトロポリタン歌劇場副指揮者との研修。ブリュッセル王立音楽院マスター修了。 FRANCE3(TV)よりグランプリ受賞、日本音楽コンクール、トゥルーズ及びマルモンド国際声楽コンクール入賞。国際ワーグナー歌唱コンクール日本大会優勝。同ヨーロッパ大会にて特別賞受賞。 ハノーファー万博、ベルギー王立歌劇場、ストラスブール歌劇場、ニース歌劇場、クレタ島音楽祭等でのオペラ他、ボルドー、バイロイトでのリサイタル、N響定期、NHKFM、マレーシアTV3、二期会『タンホイザー』『さまよえるオランダ人』新国立劇場ワーグナー『リング』シリーズなどで好評。二期会会員
声楽家としての最近の生活
私は声楽家として,オペラやコンサートに出演しています。特にドイツのワーグナー作品と,フランス音楽が近年の専門分野です。
現在は,マレーシアの国立芸術大学で,声楽の指導をしています。大学院生時代,ふと立ち寄ったマレーシアとそこに住む人達が大好きになり,いつかこの国の人達と音楽がしたいという夢が現実となり,この学校で初の試みとなったオペラ公演を実現しました。
オペラ公演 日生劇場 ヤナーチェク『マクロプロス家の事』
マレーシアとの出会い
マレーシアを訪れ,いつかこの国で音楽をしたいと思うようになってから,何とかマレーシアの音楽家と知り合えないかと,知り合いの知り合い・・・というように手を尽くし,当時まだ若手だった作曲家・ラザと出会ったのが今思えば,すべての始まりです。
その後,ラザの作品が日本のプロオーケストラで演奏される機会があったり,彼の教える学生が合唱の演奏会のために来日した際に,私の母がラボ関係者や親戚に声をかけホストファミリーを見つけたり,かれこれ20年以上の交流が続きました。
私が再びマレーシアを訪れるようになったとき,ラザのアレンジでペナンの大学の客員教授として声楽の指導をしたり,その他にもご縁が広がり,演奏会を催したりするようになりました。そのような積み重ねの後,彼の推薦でいまの大学で教えることになりました。
マレーシアの大学にて
マレーシアにて学生との演奏
たいせつにしたいラボの思い出
多くの大切な思い出がラボと共につくられました。小学1年生で,初めて黒姫サマーキャンプに参加した時,火山灰性の土で,手足が真っ黒になったのを覚えています。ピカピカの溶岩石は,今でも家のどこかにあるはずです。長時間のハイキングでは喉がカラカラになり,通りがかりのお宅でいただいたお水のおいしかったこと!
中学3年生の時には,体力不足の受験生であったものの,シニアメイト(キャンプリーダー)のお兄さんに支えられ無事,黒姫山登頂を果たしました。その後,今度はシニアメイトとして,ラボっ子を励ましながら再登頂することもできました。
母が,“I want ….. ”というセンテンスだけは覚えておきなさいと,たくさんの手作り日本人形のしおりと共に送り出してくれた,中学1年生でのラボ国際交流(アメリカでのホームステイ)。従妹がみんな集合場所である代々木のオリンピックセンターまで見送りに来てくれました。成田空港がちょうど開港して間もない頃のことです。大学2年生で参加したラボ中国交流では,オペラ『トゥーランドット』と『蝶々夫人』のアリアを歌い,それはその後,私の重要なレパートリーになりました。大学時代,カレッジメイトとして,アメリカから来日した4H(青少年交流団体)のメンバーのお迎えを任された時には,空港で一人前のガイドになった気分でした。
ラボ教育が多岐に渡っているため,ラボっ子たちは皆がどこかで本領発揮の機会を得,自信を持ち,目を輝かせています。縦長の人間関係の中で,最初は年長者に憧れ,お世話になり,成長し,そして次は自分がリーダーとしてみんなをまとめていく。メンバー各々の能力を導き出し,まとめるのがリーダーの役目ということにもラボの活動を通じて気が付きました。そしてみんなが喜んでいると自分もうれしいなあと,エンターテイナーになる喜びを知ったのは,ラボキャンプでシニアメイトをした時だったかもしれません。
夢中になれる仕事,そして人との出会いのすばらしさ
ラボで培ったことは,言語を媒体に,しかし言語のみに頼るのではない,人間同士の交流です。ある音楽を知っているというのは,たいがいその音楽に触れたことがあるー聴いたことがあるということ。楽譜を見ただけで音にもせずに,その曲を知っていると言う人はごくまれでしょう。言葉も音楽と同じように存在することが,もっとも自然であると思います。
音楽家という職業を持っているわけですが,あまり仕事をしていると思ったことがありません。自分のしている事に夢中になっているのです。ラボも,勉強させられているという感じのない中で,いろいろ学ばせてくれたのでしょう。
ラボ教育があらゆる場面で非常に自然体であったため,何を学び,現在にどう影響しているかを書こうとすると非常に難しいのです。それは,私が成長していく中で自然に浸透し,何かを無理やり捻じ曲げて進めるような事のない生き方に導いてくれたように思います。
フランスの音楽仲間と
現在のラボっ子へのメッセージ
私はいつもなんて運がいいんだろうと思います。その素敵な運を運んでくれた人達に私が直接お返しをできなかったとしても,その出来事のおかげで,私も誰かに素敵なお返しをしたい気持ちになり,誰かがそれを受け取ってくれる。そしてその人がまた次の誰かにリレーしていく。そんな素敵なバトンタッチの仕方は,ラボが教えてくれたように思います。
たとえどうしてもやらなければならないことだとしても,それをやりたいことに変えてしまえば,なんでも楽しくなるでしょう。そして,やれるだけのことをしたと自分自身が思えることが何よりだと思っています。
















