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ライブラリーのキャラクター その6 06月22日 (火)
 トム・ソーヤのことを書くのだ。
 トーマス・ソーヤがすきな子は手をあげなさいといったら,世界中で何億本の手があがるかしらん。
 特定の時代の特定の地域の物語なのに,これほど世界的名作といわれるのは,作者のトゥエインがやっぱすごいんだよね。
 少年のもつ、かがやき、あやうさ,もろさ,かっこよさ.生臭い青年になる直前の無臭さ、なさけなさ、力づよさ、といった、「少年の普遍性」を描いているからにほかならないんだよね。
 トゥエイン自身も「わたしの計画の一部は、おとなたちに、かつての彼ら自身の姿を、自分たちがなにを考え,なにを感じ、そしてときどき、どんなにつまらにないことに夢中になっていたかを、心地よく思い出してもらうことらある」と書いている。
 少年を描いた作品は世に多い。ヘッセの『車輪の下』『旋風』(どっちももいいなあ)、ロラン『ジャン・クリストフ』、ご存じヴェルヌ『二年間の休暇』、川端『伊豆の踊り子』、三島『金閣寺』『仮面の告白』、トーマス・マン『トニオ・クレーゲル』、山本『路傍の石』、一葉『たけくらべ』(最近、よみかえしたが、やっぱり天才だわ)、手塚治虫『白いパイロット』(これはかくれた名作だぜ)……。
 例によって話がそれるが、こうやって名作をあげると、ぎりぎりしてラボ・ライブラリーをしんどいなあといいながらつくるより、これらのすばらしい作品を読んでるほうがいいなあと、マジにおもったりもする。どれだけ美しいものわつくりだし、人を感動させたかもたしかに人生の価値だけど、どれだけ美しいものと出会ったかも、人生の価値なのだと最近思う。
 『ウイリアム・テル』『セビリアの理髪師』などのオペラで有名なイタリアの音楽家ロッシーニは、若いときはとってもボンビーだったが、人気作曲家となり、金持ちになると友だちをあつめて宴会をやった。なにせ、ロッシーニが新しいオペラを書いて上演すると、翌日には朝からそのメインのアリアが街じゅうで口ずさまれていたほとだ。
 しかし、たっぷりお金をかせいだロッシーニは、あるときからばたっと新作を書かなくなる。そして宴会ざんまい。ある日、友人たぢが「ロッシーニ先生よ、みんなあなたの新作を心まちにしているのに、どうして書かないんだい」ときいた。すると、ロッシーニはしばらく目をとじてワインを飲んでいたが、やがてだまってピアノの前にすわって、おもむろにふたをあけた。
 友人たちが、おっ新曲かとかたずをのんでまっていると、そこから流れてきたのはモーツァルトだった。ぼうぜんとする友人たちに、ロッシーニは「ぼくは、お金もたまったし、自分が納得するオペラもいくつか書けた。きみたちのような友人もできた。そして世の中には、すでにこんなすばらしい天才のつくった曲がある。ぼくがなにをいまさら書く必要があるんだい」とこたえたそうだ。そして、それ以後、かれは新作をつくるこもなく、のんびりとすごしたという。
 なんてね。じょうだんじゃないぜ、こちとらり、そんなじじいじゃねえ。天才でもないし、ましてや芸儒家でもない(術はつかわん!)。かつこつけるのは、まだまだ、じたばたと身体をけずって書いたり、つくったりしていくのだ。仕事、仕事じゃあ。ふりかえると仕事ばっかりか! でも、それ以上いい人生ってのもそうはないぜ。
 さて、話をもどす、たしかにトゥエインは少年の普遍性を「トム・ソーヤ」で描いたが、一方でこの物語はいろいろな意味で、きわめてアメリカ的な物語なのだ。皮肉屋でしられるイギリスの劇作家、ジョージ・バーナード・ショウは「トゥエインは今後のアメリカ研究にかかせない存在となる」と予言しているし、ヘミングウェイも「アメリカの近代小説はトゥエイン以前にはなにもなく、それ以後もそれわこえるものはない」とさえいいきっている。ぼくもトゥエインは、まさに国民的作家であり。アメリカの精神を代表しているといっていい作家だと思う。アメリカ人は、陽気でフレンドリーだというのが他国から見た印象だが、じつはその内面はけっこう複雑だ。
いまのブッシュをみりゃわかるだろう。
 その複雑さも含めて、トゥエインはアメリカを代表する作家だといえる。つまり、トゥエインから学ぶアメリカがあるということだ。次回はそのへんをもうすこしまじめにかつ深く展開するのだ。
 いずれにせよ、トム・ソーヤはいまもアメリカの正面玄関で自由の女神の肩にのっかって口笛をふいてこっちをみているのだよ。
明日かそのつぎにつづく。
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