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ライブラリーのキヤラクター その7 |
06月23日 (水) |
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続トム・ソーヤ
トゥエインは1835年うまれだ。ミズーリのフロリダという人口100人といういなかの開拓村だ。4歳でハンニパルで引っ越し、18歳くらいまですこですごした。父親はヴァージニアの出で、まずしいがほこり高いヴァージニア・ジェントルマンだった。その父はトゥエインが12歳のときに他界する。トゥエインは小学校をやめて(ハンニバルにも学校はあったが、じつに不備でトム・ソーヤのが着こうのほうがまだまし)、小さなローカル新聞を発行している印刷工の見習い小僧になる。
ここで彼は、字をおぼえ、さらには文にも興味をもつようになった
。それで彼は文作の練習をし、15歳のころには詩文の文わいかにも投書のようにして会社のぽすとになげこむという腕だめしをしした。すると、それがときどき採用になったりししたため、トゥエインは書くことがますますおもしろくなっていったのだ。
トゥエイン以前のアメリカの大作家とえばフランクリン(そう雷をつかまえるという無茶な実験をやったあの人)だが、彼も少年時代は印刷工場の職工をして文を習った。また、大詩人のホイットマンも少年印刷工だった。
18~19世紀のアメリカを代表する文学者が皆、印刷工見習いからスタートしていることは、偶然かもしれないがじつにアメリカ的な現象だ。つまり、大学といった高等教育のなかからではなく、実社会から出発しているという点が重要なのだ。しかも、みんなどえらい田舎の出身、これも重要な点だ。20世紀にはいってからもヘミングウェイや『アブサロムアブサロム』なとで有名なフォークナーといった大作家が登場してくるが、彼らもみなどえらい田舎の出身である。アメリカの精神文化は田舎発なのだ。
この田舎発という点はすごい重要で、アメリカ文化を考えるときにははずせないのだ。その点は、また別の機会に書く。
さて、トゥエインは18歳になって印刷工として自立できるようになると、都会にあこがれてワシントンなどにいったりする。でも、1年くらいでまたハンニバルにもどってくる。機械文明の象徴でる都会にひかれつつ、やっぱり自然が好きというのは、これまたアメリカ的だ。アメリカ人に人気があるヒーロー(『アメリカン・ヒーローの系譜』亀井俊介をよめ!)は。東海岸の紳士的ハンサムではなく、ちよっとラフで野生児的な男である。でも野蛮人ではだめというのがむずかしい。ようするに都会と自然のように、アメリカ人の好みはもともと矛盾しているのだ。もっとわかりやすい例をあげよう。ディズニーランドとミッキーマウスだ。ミッキーマウスは清潔なネズミという矛盾したキヤラでるし、ディズニーランドのジャングルクルーズなんかも「安全な冒険」という矛盾をかかえている(このあたりは能登路雅子『デイズニーランドという聖地』=岩波書を読もう)。
まあ、トゥエインもこうした矛盾をもっていた。彼は都会と田舎をいつたりきたりするが、しょせんはハンニバルのような小さな町におさまってはいられない。そこでニューオリンズをめざすが、その過程でトゥエインは蒸気船の水先案内人になる。この仕事で彼はさまざまな人間観察の目をやしなったといわれる。
トゥエインの本名は、サミュエル・クレメンズ。トゥエインというペンネームはこのとき生まれた。
つづくのだ。
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