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ライブラリーのキャラクター マツクスばんざい |
07月05日 (月) |
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きょうは『かいじゅうたちのいるところ』のマックスだ。
Where the Wild Things Areは、20世紀アメリカの生んだ天才(といっていいだろう)絵本作家,モーリス・センダックの最高傑作(といっていいだろう)だ。
彼の天才性は,この物語の冒頭ですでにあきらかになる。
The night というかきだしだ。ふつう物語のでだしは,One night とかA nightとか夜を特定できないわけだから、不定冠詞をつかう。つまり、物語のはじまりの設定が夜であることが第一で、それはいつの夜でもいいというのが(昔話的には)常套手段というわけだ。
しかし、センダックはThe nightで定冠詞だ。つまり「だれにでも、察しのつく、例の、その、あの」夜なのだ。だから、いつの夜でもよくないのだ。
この夜の昼間、きっとマックスにはどうしようもないことが、しかも彼にとってはのっぴきならないことがあったのだ。だから、夜になってマックスはぷっつんして、おおかみのぬいぐるみわきて、大暴走することになっのだ。ぐうぜん、「ある夜」に虫のいどころが悪くなったなんていう、あいまいな設定ではないのだ。
じつは、この物語は出版当時はいろいろな批判にされされた。有名なベッテルハイム(『昔話の魔力』という有名な本をかいた心理学者だ)からも、「マックスが夢想のなかで、爪をむきだしにしたかいじゅうにむかっていくのは、子どもがこわがる」あるいは「マックスがおとなの権威にさからうのは心理的に害がある」などといれた。また『育児ジャーナル』では(これがいちばんおもしろい批判だが)「この本を、感受性の強い子どもが夕暮れどきに見つけて読みふけるようなところには、置いてはいけない」というものだ。これらの批判に対して1964年にコールデコット賞をかっさらつたさいのスピーチでセンダックは,「子どもたちが自分の直面する恐ろしい厳然たる事実と戦うためには、やつつけるための標的が必要で、それを呪文をとなえてよびださねばならない。子どもたちは、恐れ、怒り、悲しみ、不満、つまり日常生活の大きな部分をしめている危険な力に太子てとても無防備だという事実とたたかわねばならない。これらに打ち勝つために子どもたちは空想にすくいをもとめる……」といって反論しているのだ。
さて、おもしろくなってきたのだが、本日はここまで。
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