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サイレント・ボブ 3 |
09月05日 (日) |
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7月28日にラボっ子がステイに入るのをみとどけたぼくは,
シーラにおくってもらいシアトルのダウンタウンにむかった。
午前11時30。むりすれば午後のノースウエストで日本にむかえるが
予約は明日のUAだ。半日くらいはのんびりしてもばちはあたらないだろう。
というわけで、この日はラボ・アメリカ事務所の平野所長にたのんで
Warwickというホテルをとっておいてもらった。ここは、数年前、日米合同会議の会場にもなったところだ。
シーラは「そのホテルならよくしってる。まかせておいて」と宣言し、きっちり1ブロックきすぎた別のホテルの横に車をつけた。
「ここから歩くから、だいじょうぶ。荷物もすくないしいい天気だしね」
「そう、しや、また8月にね」
たしかにアメリカでは4泊するだけだから荷物は少ない。気温は摂氏20度。
きょうはホストフアミリイにあいさつをしたので、スーツを着ている。いっぱしのジャパニーズ・ビジネスマンのようだ。
いきようようとホテルにチエックインすると、なんたること、部屋はまだ準備中だという。まあ、たしかにまだ正午だからしかたないか(アメリカのTホテルは掃除がすんでいれば早い時間でもチェックインできることが多いが)。フロントのにいちゃんが荷物は部屋にいれおいさしあげると、みようにていちょうにいうので、それじゃあ夕方までにくるわ、と街にでた。
月曜だが、夏なので観光客も多い。ちょうど昼どきだ。よりごのみをしていると、どの店もどんどん混んでくるので、目にはいったスターバックスの
むかいにあるサンドイッチ屋でランチをすませることにした。
ターキーとチーズとトマトにレタス。ようするにBLTのBがTになったサンドだが、なかなかうまい。ハニーますたーとがいいかんじだ。アイスティーがまずいのが難点だが、とびこみではいったんだからしょうがない。
店をでて時計をみるとまだ1時だ。ホテルはまだ掃除中だろう。するとつごうよく、めのまえに公衆電話があったので、アメリカ事務所の平野氏に電話した。アメリカも携帯電話がものすごすスピードで普及している。いずれ日本のようにPay Phoneはどんどん姿をけすだろう。
ぶらぶらホテルの横までもどってくると、これまたつごうよく平野氏のHONDAがかわいたブレーキの音をたてた。シアトルの街を見るのははじめてだというぼくを、平野氏はあちこち案内してくれた。もちろん、ラボのアメリカ事務所もいった。昨夏に他界されたバーニーがすんでいた旧アメリカ事務所もいってみた。彼の存在がいかに大きかったかは、あまた4Hメンバー、コーデイネイター,ステイト・リーダー、さらにすべてのラボ国際交流関係者が証言しているが、そのだれもがいまもなおその早すぎる死を思い出にできないでいる。それほど、バーニーの静かなものごしからは想像できない緻密で心くばりにみちた仕事ぶりと、彼自身の存在は、この交流プログラムのなかでかけがえのない柱だったのだ。
北の街独特のやわらかな夏の夕陽がさしこむレストランで、すこしはやいディナーになった。
そこでも話題はバーニーのことになった。
昨年の月はじめ、バーニーが急逝した数日後、平野氏はすぐにアメリカにとんだ。バーニーは夏の交流についてのほとんどのセッティングをおえて世を去ったのだが(すごい根性だ)、いざまもなく本番というところで力つきたのだ。平野氏は、つい先日までバーニーがすわっていた椅子で、彼がきちんとファイルした書類をつかって交流の準備をした。そけらの家具や書類ひとつひとつにバーニーの思念のようなものがこもつている気がしたという。
「ぼくは、オカルティックなことはあまり信じないのだけれど……」
平野氏の背中で大きな夕陽がハーバーの無数の帆柱のむこうでゆれる。
ぼくは、「おひょう」のひときれをごくりとのみこんだ。
「いそがしいときは、そんなことを考えているひまはないけれと。ふとした時間がいやだったね。なにせひとりしかいない。でも、なにかパーニーが見ているんじゃないかという気になる。彼なら、こんなときどんな判断をするのだろうとか、彼のアドバイスがあればなあなどといろいろなことも考える。で、どうにも気持ちがかたづかないときは、バックヤートにでて植栽わ手入れしたり、木に水をやつたりすることにしていた。この庭をバーニーはとてもたいせつにしていたからね」
「それは、いいことですね。主がいなくなっても手入れされたら木もよろこぶし、バーニーもうれしいでしょう。それに、なんといってもそのことで平野さんの気分転換なることがたいせつですよ」
「ところが、そうでもなかった」
「へっ、そりゃまた」
店はかなりこんできた。ウエイトレスがアイスティーのおかわりわいれる。
「庭の手入れは朝の日課になったさ。ところが、たぶん4日めくらいの朝だと思う。まだ、手入れしていない木があることに気づいた。それはバーニーがとりわけお気に入りだったマグノリアなんだが、゛みるとずいぶん枝やよぶんな葉がのびほうだいになっている。これでは見た目もよくないし、木の健康にもマイナスだるねそこで、剪定ばさみをもってきて、まず手のとどく得たから切ろうとした。その瞬間だ」
夕陽はついにその底を水平線にかけた。
「そままさにきろうとしたとき、たしかにバーニーの声がしたんだ。『ヒラノさん、その木にはさわらないでください』……って゜」
バーニーの遺骨は、彼の生前の意志で故郷、オレゴン海にかえった。
ぼくと平野さんは、しばらくゆっくりと沈んでいく夕陽をながめていた。
それは、かけ足でいってしまう北の夏をおしむような豪華な日没だった。
そして、その日のんだアイスティーはこの夏いちばんの味だった
つづく
次回はいよいよキャンプ編。サイレカト・ボブというタイトルのなぞがあきらかに。
「チヌーク」という店名はイヌイットのことばで「シャケ」を意味する。
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