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秋になったのだ。 09月16日 (木)
うーん、とってもいそがしいのねん。
サイレント・ボブのつづきも、これからがおもしろいところなのになかなか書けないのだ。
とはいいつつ、先週の金曜日に1日だけ夏休みをもらって、北海道に逃亡してきたのだ。行き先は道東、根室方面である。それもおじさん三人というなさけない構成だ。もっともこの夏の終わりの北海道行きは、この10年すうっとつづけていて、それなりにテーマもあるのだ。
 じつはもともとは、28年まえに早世した友人の追悼というのが目的だったのだが、そんなセンチメンタルジャーニーがにあうはずもなく、いつしか故人のメモリアルという志はきえて、わけのわからないツアーになってしまった。ちなみに去年のテーマは「ノシャップ岬(稚内の岬だ)で夕陽にむかってバカヤローとさけび、ついでに利尻島にわたって利尻富士にのぼり(どこがついでだ! ぼくは死にそうになった)、日本海のさかなの未来を憂えるツアー」である。それ以前も、テーマはことごとくくだらないもので「サンゴ草はなぜ赤い。サロマ湖の四角い夕陽を撮影して太陽に感謝するツ
ァー」とか、「釧路湿原に地獄をみるか、超無謀横断作戦」といった書くのもはずかしいものばかりである。今年のタイトルは「納沙布岬でかえせ北方領土! とさけび、ついでに根室の人びととカニの問題について交流し、さらに野付崎でホッカイシマエビの状況を調査するツアー」という火曜サスペンスなみの長さである。というわけで下の写真は、野付崎からみた国後島である。
くなしり

 同行の2人およびぼくは、中学・高校の同級生で、なんともう38年のつきあいである。ぼくらは練馬区の江古田にある六年制(中高一貫教育というやつ)の私立校にかよっていて、毎日バカなことばかりやっていた。ぼくらは、バカだったが先輩や教師はきわめて優秀で、入学したころは、高校生しかも1年生の先輩がほとんど神様にみえたものだ。なにせ、その会話の内容がほとんど理解できなかったのだ。「唯物史観」「存在」「止揚=アウフヘーベン」などということばは、ほとんど宇宙語にしかきこえなかったし、カントやヘーゲルなどとという人とはかれらは友だちづきあいををしているようだった。さらにアリストテレスやソクラテスには直接ならったことがありそうだし、ドストエフスキーなどはいまでいう「メル友」の感覚のようだった。しかも、太宰や三島にいたっては、ほとんど後輩のように睥睨(へいげい)していて、「三島ももうだめかもな」(事実、彼はぼくが孝のとき割腹自殺した)などといっているのに仰天した。
 ぼくは、自分がここにきたのはまちがいかと思った。それでもあせって彼らの話題に出てくる人物の著作を購入し読もうしたが、さらに深い絶望にとらわれた。なぜなら、1行たりとて意味がわからなかったからだ。
 教師もまたぶっとんでいて、歴史の島田先生や、物理の小林先生など、本来は大学で講義をするべき人がぼくらのようなアホな中学生・高校生に学問の本質をつかみとらせようとしていた。ありがたいことである。もったいないことである。いまでもおぼえているが、中1の最初の授業は「代数」で、
教師がいきなり黒板にFx=と関数式をかきだして肝をつぶした。でも、その教師からぼくは、数学がじつはとてもエレガントでロマンにみちていることを学んだし、エヴァリスト・ガロアとかラバチェフスキーなどとも出会うことができた。さきほど書いた歴史の島田先生は、もう故人となられたが、専門は満州国史と関東軍で、敗戦で大陸からひきあげてくるとき、民間人をおいてさっさと逃亡する関東軍の幹部から「戦争犯罪の証拠となる資料は全部焼却せよ」と命令されたが、彼らの目の前で古新聞を焼いて貴重なデータをまもったというえらい人である。この島田先生は、日本史を担当したが、教科書などはまったくやらず、さまざまな歴史のポイントなる議論や研究について話をしてくれた。島田先生が静かに話す「法隆寺論争・若草伽藍のなぞ」とか、邪馬台国論争などは、歴史とは事実の羅列ではないということを学ばせてくれた。ぼくは、その時間をいつもわくわくまっていた。
 こんなふうに書くと、いかにもほくが勉強ばっかりしていたようたが、それはおおうそである。バカはバカどうしあつまるわけで、低レベルの友だちがすぐにみつかり、くだらないことばかりやっていた。
 それから、30数年、やっぱり3人のおろかものたちは、おろかに年をとり、家族のことや仕事のことでぶーたら、いうだめなおじさんになった。
 ちなみに、ふたりの友人は秋山と加藤というのだが、秋山には12歳くらいはなれた妹がいる。この妹はラボっ子になり、アメリカにもいった。そしてその子どもがいまは練馬でラボにかよっている。
 さて、そのくだらないツアーだが、内容はほんとにくだらないのでくわしくは書かない。ただ移動距離は三日で約1000キロとすさまじい。移動手段は車と徒歩とカヌーとシーカヤックである。根室へは釧路空港から120キロほどだ。日本最東端の町であり、さらにその突端の納沙布岬からは歯舞、色丹などの北方領土が臨める。どうでもいいけど、今年は夏がえらい熱かったからサンマが豊漁のはずであるが、ロシアの海水温がさがらないので、ロシアの水域からなかなかおりてない。だから、もうじき値段があがるぞ。
 根室は漁業やカニ船の関係でロシアの人がいっぱいいる。かれらの世話をしている佐々木さんという人にあった。佐々木さんはロシア人のおくさんと、ロシア人の通訳をしたり、日本人の交流などに尽力されている。
最終日、野付崎のトドワラを海からみにいったが、時間があまったので、開陽台という360度の眺望がきく高台とさらにはいきおいで「裏摩周展望」にまで足をのばした。これまでなんどか摩周湖にはいったが、いずれもすげえ霧でなにもみえない。ところが今回はあっさりと全貌がみえた。湖中央の島、カムイッシュもよく見えた。下がその証拠。
ましう

さて、リフレッシュはおわり。またがんばんべえ。ラボ・ライブラリーについてのおもしろい話題、質問などかあったらかきこんでくださいな。
Re:秋になったのだ。(09月16日)
ハニーさん (2004年09月16日 20時33分)

リフレッシュなさってきたようで何よりでございます。

SENCHOさんのご親友の穐山さんの甥っ子さんを教えているのが、何を隠
そうこの私でございます。
まことに光栄でございます。12歳はなれたその妹さんはもと西パーティ
にいらっしゃり、SENCHOさんのご紹介でお子さんをうちのパーテ
ィにいれて下さったのでした。

と、ここまで書いていたら玄関でピンポーン。
あららその妹さんがお子さんの忘れ物を届けにおいでになりました。
奇遇です。
そういうわけでSENCHOさんの方には足を向けて寝ないように(ど
っちがお住まいか存じませんが)している私でございます。
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