夜のものがたり 修正版 |
09月21日 (火) |
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夜のものがたり
だいぶ前の日記で、「かいだんこぞうは、夜なにをしてるんだろう」という子どもたちへの質問について書いたことがある。そのときは、よい物語のコンテクストはシンプルさの背景にさまざまなイメージをひきだす力があるということを伝えるのが目的だった。
ところで、今回は夜そのものについてだ。というのも、夜がぐっと深く、そしてやさしくなってきたからだ。やっとね。
ラボ・ライブラリー、当時はラボ・テープの制作を担当されていたのは、らくだ・こぶに氏こと、谷川雁氏であることはつとに有名だ。氏は戦後を代表する詩人のひとりであり、きわめて異彩をはなつ思想家であり組織者であることはまちがいない。ようするに巨人だ。ここでは、氏の組織者としてまたラボの経営者としての評価はさけるがぼくは詩人としては学生時代からだいすきだった。故人となったいまでもそうだ。学生時代、ひょんなことからラボを手伝う(ひょんなことは、次の日記で書くっす)ことになつたぼくは、ラボに谷川雁がいることにびっくらこいた。しかも、おそるべきことに、ぼくははじめ谷川雁とはししらずけんかうってしまった。その場所はラボランドで、当時夏のお盆のころ7泊の長期キャンプというのをやっていて、
たろう丸でミーティングをしているとき、「もうそんなはなしあいはやめ」とかいって、少しあからがおのおじさんがはいってきた。その男が谷川氏とはしらず、「そんなよっぱらいにがたがたいわれるおぼえはない」と、ぼくは席をたってしまった。谷川氏(当時はラボの専務)は激怒し、あの学生はなにもだ、無礼もはなはだしい、即刻打ち首にしろといわれたらしいが、周囲のとりなしでぼくは特別のおとがめはうけなかった。
そのあと、まわりから「おまえ、いい度胸してるなあ」とさんざんいわれ、なんでだといいかえすと、「おまえがけんかを売った相手は、あの谷川雁だぞ」といわれ、さすがにぼくは血の気かひいた。「あの、『原点』の谷川雁か!」そんなことがあって2,3日後、その長期キャンプのうちあげがあり、ぼくら学生(その当時のシニアはみな一般応募の学生だった)と事務局で集雲堂でいっぱいやることになった。ところが、いわれるままに関につくとぼくの前にすわったのは谷川氏ではないか。ええままよ。それでも、谷川氏はそれまでのいきさつにはふれず、さまざまな話をしてくれた。なんでだかわからないが、谷川氏にくってかかるやつなどあまりいなかったのだろう、それでおもしろいと思ったのかもしれない。そうこうしているうちに、宴はもりあがり歌などがでるようになった。そのころぼくはけっこう歌をつくっていてキヤンプでもみんなで歌ったりしていた。その歌のひとつを歌え、というはなしになり、ぼくは「紫陽花の碧が」という歌を歌うことにした。梅雨のののこるうすぐらい山道に紫陽花がうきたつころから、夏のキャンプの準備がはじまり、秋のにおいのするころわかれていくという、はずかしいような歌である。で、酒のいきおいも手伝ってかぼくは、その歌をうたった。そして席にもどると、谷川氏が「きみの年齢にしては、なかなかまともだが、さいごに『秋は近いという一節があるが、あれはよくない。秋は近いとはいわない」といわれた。大詩人が一点だけ注文をつけあとはほめてくれたのだから、すなおにわかりましたといえばいいのに、ぼくはまた、「でも、ぼくのことばですから」と命しらずにもかみついた。
ざんねんながら、さけからさきの記憶がない。でも、それ以来、谷川氏はぼくがなにかの用で、ラボにいくとよく声をかけてくれたて、いろいろな話をしてくれるようになった。ぼくかはいつのまにか、彼の話をきいたときは、そのあとでメモをおこすようになっていた。話しているときにメモをとるのは失礼なので、いつも忘れないうちにと帰るとすぐ書いていた。
そのメモはいまでも役にたっている。とくにラボ・ライブラリーについていわれたことは、とても参考になる。今回は、夜ということで思い出した。氏の話とそれについて考えことなどを書いてみる。
ラボ・ライブラリーをつくる側から考えると、子どもにとって夜とか闇というやつはとっても刺激的だから、つかいすぎてはいかんのねん。と谷川氏はいう。そうしてみるとSK1の4話には夜はほとんどでてこない。まあ『ぐりとぐら』には気分として夕方というのがあるけれど。
では、ラボ・ライブラリーにさいしょにでてきた夜は? とさがしてみた。すると、あったぜ『でしなしとこねこ』だ。当時、17歳のはっきしいって天才クロード岡本の世界だ。青春とよぶにはちとはやい少年の憂いと、どうしうようもなさのようなものが、泳ぎすぎてチアノーゼになったくちびるのようになってただよっている。そのちょっと酔ったような気分を、猫や老人のひげが、すこしさめたようににらんでいる。
でも、きっと子どもが拒絶しない夜がそこにある気がする。そんな計算をしていないはずだがら、やっぱりクロード岡本は天才かしらん。この物語はいろんな発表をみたけれど、猫たちの躍動が影絵のようにみえるよね、
やっぱり「快活さ」というのは、子どもに語りかけるときのたいせつな部分だと思う。絵の暗さをふっとばすような。また、林氏の音楽のすばらしさもわすれられぬ。あのリズムを無視してはだめなのだろう。
そうやってみていくと、続々と夜はラボ・ライブラリーに登場する。
『ブレーメン』のどろぼうたちの陽気な夜。すこしこわいけどヘンゼルとグレーテルの森の夜。『白雪姫』の婚礼の夜。『うみのがくたい』の嵐の夜。
『ふるやのもり』の秋の夜。そしてSK8の4つの話にはぜんぶ夜がある。『こつばめチュチュ』『ボアンホワンけのくもたち』『みるなのはなざしき』そして『かいだんこぞう』。とくに『かいだんこぞう』は昼間のどまんなかにとびだした夜の人格化ともとれる。それぞれ「抑制がきいた」夜がそこにある。この抑制のきかせかたがたいせつで、ただことばで飾ればいいということではない。きらびやかな修飾わすれば美文ということにはならないのだ。坂道をくだる車のようにむしろエンジンブレーキがきいている文はとても品格がてでくる。
そうしたブレーキを全然かけていない夜もある。『耳なし芳一』『猫の王』とかね。でも、やっぱり夜の力強さを語るのは『ピーター・パン』。
重要な事件は夜か日暮れに集中しているからね。そればかりか、物語全体が「それじゃあ、目をとじて……」というまぶたの裏のあざやかな闇にひたさりているもんなあ。
そして『ロミオとジュリエット』の舞踏会の夜、ふたりがはじめてすごす夜。『大草原』の夜。『十五少年』の夜。これからも夜はラボ・ライブラリーのなかにででくるだろう。
最後に谷川氏は、これは前述と別の機会に数人に語られたことだが、
物語の母胎が夜で、夜の芯が物語だと考えてみると、子どもたちの闇へのおそれをなにかすごい偉大なものへのおそれに通じさせていくことのたいせつさを思うのだよ。
といっている。
なお、これらの話を彼自身がまとめたものは、河出書房『谷川雁の仕事』
に書かれているというご指摘があった。わぼくは、その本はもっていないのですぐ探してみるつもりだ。
昼間のラボもあるし、夜のラボもあるけれど、たとえばキャンプの夜、ロッジの外の闇とか、冬のラボのかえり道とでふと見上げた夜空のオリオン座とか、アメリカの田舎道に光るほたるとか、そうした体験とともに、夜や闇が人間の「育ち」のたいせつな養分のひとつと思わざるをえないのだ。
ところで……
サイレント・ボブはどうなったんだ! という一部の人のために
じつは、ネット小説のようなものをたくらんでいたのだが、。それをするにはこの日記はどうも不適切ということがわかった。なぜなら、推敲している時間があんまりないからだ。そんで、もうしわけないけど。自分のPCのなかで書くことにしたっす。多分もっと小説にしてしまうと思うけど……。なにかに発表したらおしえます。
でもサイレンと・ボブというタイトルについてだけはふれておく。それはキャンプ・スモーキーというワシントンのキャンプ場ないた17歳くらいの自閉症の青年のことだ。彼のニックネームがサイレント・ボブ,すなわちだんまりボブだったのだ。彼はキャンプのスタッフとして位置づけられていた。 自閉症であることもさいしよはわからなかった。たしかにものしずかな人゛なあとは思っていたのだが、ふと、食堂で「帽子をとって」とたのんだときにその反応できづいたのだ。つまり、ひょんなことからぼくは彼と友人になり,彼をめぐる人びと(だからそのニックネームもすごいのだが)。そしてメンタルチャレンジャーへのアメリカ人の考え方などを書くつもりだったのだ。もちろん彼以外にもスぺシャルニーズの子どもはいて、運動障害、視力障害の子がいた。また、少し年齢の高い脳性マヒの少年もいて彼は幼い子どもたちのシニア役(保育の資格わもつ女子の大学生が2名ついているが)をやっていた。彼のあだなはミスター・チップス。これもすごいネーミングだ。そんななかで、いっぱいドラマがあり、それを小説にしたいと思ったのだ。心の病い、そして障害をケレンみなく、そしてうそっぽくなく考えたいとおもったのだ。
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Re:夜のものがたり(09月21日)
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カトリーヌさん (2004年09月23日 14時29分)
ライブラリーについて様々なお話を聞かせてくださり、感謝している方も多いと思いま
す。この日記の前半部分については、出典を明らかにすべきではないでしょうか。ラボラ
イブラリーの制作意図について書くのであれば、その当事者がすべきであり、その書かれ
たものを紹介するべきです。ここまで内容が同じで、しかもオリジナルにふれることが可
能である以上、そちらを読みたいと思う読者を尊重してください。『谷川雁の仕事』河出
書房
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Re:Re:夜のものがたり(09月21日)
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SENCHOさん (2004年09月24日 09時49分)
カトリーヌさん
カトリーヌさんへ
ご指摘ありがとうございます。はずかしながら河出書房のその本はしりま
せんでした。この日記は,かつて谷川氏が生前、ラボ・テープの制作室長
だったころ、いろいろなおりにおききした話をメモにしてあるのですが、そ
のなかからの引用に自分の考えをくわえたものです。氏が黒姫にこもってか
らは,おあいしたのは二度ほどしかありませんが、それ以前にはとくにぼく
が学生時代にラボをお手伝いしていたてときに、なぜかごはんを食べたり、
特別にぼくら学生たちにお話してくれたことがありました、。そうしたおり
には、メモをとるようにしていましたが,゜それらはいまでもときどき参考
にしています。もちろん、氏の発言がすべて正しいというわけではありませ
んが(それはいいすぎ、とか、現在ではあきらかに誤謬というものありま
す)。今回の日記は、冒頭に書いたようにそのメモをもとに書きました。た
だし、メモをいちいちチェックしたわけではなく記憶だけでかきましたの
で、メモの表現とどの程度一致しているかは気にしませんでした。
いずれにせよ、たしかにかなりのアイディアをかりていることはたしかな
ので、若き秘に谷川氏のこういう話わきいたことがあり、そしてぼくは……
という注釈をくわえるべきでした。また、谷川氏の著作はかなりもっていま
すが、ご指摘いただいた河出書房の本は、現在の河出書房新社に問い合わせ
て入手したいと思います。カトリーヌさんありがとうございました。
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Re:夜のものがたり 修正版(09月21日)
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スミティさん (2004年09月30日 12時19分)
船長さん船長さん、お世話になったとおりただいま、うみのがくたいと
格闘中。
「子どもたちの闇へのおそれをなにかすごい偉大なものへのおそれに通
じさせていくことのたいせつさを思うのだよ」これをまさに感じます。
うみのがくたいの嵐の海、「死」の恐怖と、その反対側にある「生」の
喜び。あまり深く考えさせて帰って来れなくなっても、とどこでブレー
キをかけるか、年代ごとに考えながらです。
なんだか今考えていることとピッタリだったので、びっくりデス。
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