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川崎洋先生をしのぶ |
11月29日 (月) |
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戦後の日本を代表する詩人のひとりである川崎洋先生が先月21日になくなられた。新聞記事にもなったし、「テューター通信」でも訃報を掲載した
ので、ご記憶の方も多いだろう。
1953年に詩誌「櫂」(かい)を茨木のり子さんらとはじめられたのは有名なはなしたが、後に「櫂」には谷川俊太郎氏、大岡信氏らが参加して詩を書く者にとって「櫂」はオールというより羅針盤のような雑誌となった。
氏はテレビやラジオの脚本家としても活躍され、自然で力強い日本語には高い評価がよせられていた。
そうした氏にぜひラボ・ライブラリーに関わっていただきたいということで実現したのが『大草原の小さな家』の再話である。
もう、14年も前のことだ。川崎市は横須賀におすまいで、打ち合わせや原稿をいただくためにお合いするのは京浜急行横須賀駅にある喫茶店だった。氏はかならずスーツであらわれ、端正なものごしで静かなる詩人というイメージ保たれていた。
飲み物はとおすすめすると、きまってオレンジジュースを注文された。もの静で、むだにことばを浪費しないから、ぎゃくに豊かなことばがてでくるのかなあと、当時まだ36の若造だったぼくはあさはかに思ったものだ。
そのころぼくは、ソングバードミューの制作に2年がかりで取り組んでいて
連日トラックダウンに早稲田のスタジオにかよっていた。要するに同時進行だったのだが、氏との短い時間の会見に、詩人を志していたぼくは、いつもなにかしら学びとるものがあった。幸運なことである。
考えれば、時代を背おうさまざまな芸術家と合うことができるこの仕事は、とってもとっても幸せなことだ。
「詩人は職業ではない。生き方だ」これは川崎氏を通じて学んだ谷川俊太郎氏のことばた。このことばで、ぼくはどれだけ勇気づけられたか。
川崎氏にはその後も「ことばの宇宙」の物語大賞というラボっ子の創作物語の選評をかいていただいたりした。その評は適確でかつあたたかいものだった。そして、いつも「物語をつくることはどれだけすてきなことか」
「物語をかくときにたいせつな心がまえとは」といったことをいつもていねいに語ってくださった。
日本語の達人がまたひとり旅だった。
合掌
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