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センス・オブ・ワンダー |
04月03日 (木) |
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昨日1日間違えた姫路テューターのみなさんとのミーティング。
主人が急に休みが取れたとのことで、こどもたちを預けて
身軽に行ってまいりました。
わたしのような若輩テューターの意見も、
きちんと受け取ってくださる先輩テューターの方々。
いつもありがとうございます。
そこで出たのは「五人寄れば文殊の知恵」ということば!
多ければ多いほど、いろんな意見が出ます。
多くなりすぎると収集がつかないこともありますが^^;
ラボでは、テューターも育ちあいなんだと感じます。
相生駅には、電車が1時間に2本しか通りません。
電車に乗るときはたいてい本を一冊、カバンに忍ばせます。
長い電車の待ち時間も「ちょっとラッキー」と感じます。
今回お供をしてくれたのが
レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』。
これは『沈黙の春』と合わせて、
前々から読んでみたいなぁと思っていた本です。
出会うべき本とは出会うようになっているようで
ラビーの仲介をしてくださった方から
いぬのしつけ本といっしょに「よかったからこれも読んで」と
貸してくださったのです。
その本に掲載されている写真を撮られたのが、
その方の高校の恩師なんだそうです。
レイチェル・カーソンさんが甥のロジャー
(実際は姪の息子だそうです。)と
自然の中で過ごした日々のことを書き綴っておられます。
その描写はとても繊細で、その風景や色、音、空気の温度、匂いまで
感じられるほどです。まるでフレデリックですよね。
駅にいることを忘れて、帰りの電車に乗り損ねるところでした。
訳者あとがきも含めて60ページの本ですので
ぜひ一度お読みになられるといいと思います。
わたしのこころに染みた一部を抜粋します。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に
話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、
生涯消えることのない
「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」
を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、
わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、
つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、
かわらぬ解毒剤になるのです。
妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの
「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、
わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを
子どもといっしょに再発見し感動を分かち合ってくれる大人が、
すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
(中略)
わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか
頭をなやませている親にとっても、
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと
固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、
やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、
さまざまな情緒やゆたかな感受性は、
この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。
幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。
美しいものを美しいと感じる感覚、
新しいものや未知なものに触れたときの感激、
思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情が
ひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについて
もっとよく知りたいと思うようになります。
そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、
事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を
切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
「センス・オブ・ワンダー」
レイチェル・カーソン
上遠恵子訳
新潮社
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