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おすすめ音楽CDその7 |
02月03日 (火) |
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白雪姫の色
これも間宮先生の音楽をかけながら聴くとなおよい。
米といっても、そんなめんどいことはだれもせんって!
まあこの物語がおさめられたSK6は白いノートをあげると
一冊まるごとお姫さまをかいてしまうような女の子にぜひ聴かせたい!
グリム兄弟は「こどもと家庭のための童話」をだすにあたって大論争したといわれています。
「これはドイツの加古からの財産だから、できるがきり伝承のとおりに、ことばやストーリィはそのままにだすのだ!」という学者肌(ふたりとも学者だけど兄貴は生涯独身。でもふたりは同じいえでずっと暮らした)の兄、ヤーコプと「いや兄さん,これはこどもと家庭婦人のための童話だから、あんまり古いいいまわしや、暴力的だったり、残酷すぎたり、エッチなところはすこしやわらかくすべきだよ」という詩人肌の弟、ヴィルヘルム。このふたりの議論があったからグリム童話は世界でも最高の童話集といわれるようになったのですら。この『白雪姫』はおっかない話ですが、じつは初版では白雪姫を殺そうとたくらむのは実の母です。それではあんまりだというのか後の版で兄弟は継母にかえています。でも、冷静に考えると継母だったら殺してもいいのか、継母は連れ子をいじめるものというステレオタイプにおちいってしまっているわけで。あんまりいいかえかたではありませんね。
ラボ・ライブラリーでは大胆不敵、実母です。でもよく聴くと、女王はふしぎな力のもち主であり、雪の白さにインスパイアされてふしぎな力で白雪姫をうんだというふうに語っています。
この物語のテーマはいうまでもなく女性の自己愛の分裂です。自身の永遠の美しさを願う心と、自分の美しさの完全なクローン,それも若い分身をもちたいという心の根源的矛盾の物語です。てずから継母ではだめなのです。
このラボ・ライブラリーがつくられたときは、ぼくはまだラボにはいっていないので、当時の記録にのこされている文や関係者の話をもとに、ぼく自身の考えもいれて書いています。
『白雪姫』の再話にあたっては、三人のライターに検討稿を書いてもらっています。そのなかで、もっともすぐれているものをもとに、1行ずつかためていったそうです。
さて、女王ですが「お妃」でもよいわけですが、はっきりいって王様という亭主の存在がじゃまくさいのと、まだどこかに土のにおいをのこした地方の小領主のふんいきをのこすべく女王となっています。女王が針で指をつくと流れる血は三滴。なせ三かといえば、これはラボっ子がよろこんでこたえるでしょう。いうまでもなく、白と黒と赤です。この色はじつにこの物語で象徴的な意味をもちます。でもラボ・ライブラリーではなにが白でなにが黒でなにが赤とは明確に語っていません。白雪姫の誕生のふしぎ同様になんとなくわかるけどあいまいです。
このように身体の部分をあきらかにしないのは、じつにうまい
やり方です。これからはじまるとんでもなく凄惨な事件をまえに一発
麻酔をうっておくというわけです。
さて、ここからこの三色が語る語る。さのすきまに、透明な中立色である鏡・ひつぎ・王子を介在させながら、白の純粋さ赤の情念、夜と死を連想させる黒。ここまではっきりくるとさすがドイツだなというかんじです。
ですが、白雪姫も無垢の白ようでいて、赤の要素ももっています。七人の小人の家にたどりついたとき、姫は空腹のあまり食事に手をつけますが、全部は食べすにすこしのこします。そのくらいのつつましさはあるのです。また小人たちは心配ながらも、姫に家事わまかせます。そのきらいには成熟しているのです。でも、あれほど注意されたのに、赤いりんごへの食欲やきれいな腰ひもへの着飾ることへのあこがれにはかてないのです。(ぼくは女性蔑視論者でも女性不信でもありません)
また女王も純粋に美しくありたいと思うことについては白です。
こうした白・赤・黒に色分けされながらも、ときに美醜・純・不純が出入りいするところに、この物語の奥行きと陰影があります。間宮さんの音楽はそこまで描ききっていると思います。
まあ、この物語について書いていくときりがないのですが、さいごにひとつ。『白雪姫』も『ヘンゼルとグレーテル』も救いのない話です。前者は子ごろしわ企てる母親の破滅の物語ですし、後者は親にすてられた子が老婆を殺すというとんでもない話です。でも、これらの話が名品としていまも語られているのはなぜでしょう。後者のはなしはあとまわしにして、前者の話をしておしまいにします。
女王が指をついたとき、もう雪はあがっていたのではないでしょうか。たしかに冒頭は雪がふっています。しかし、けんめいに針をうごかしていた女王がふと窓の外をみやったとき。そのときは青空がちらと見えたのではないでしょうか。女王はそれにみとれて指をついたんですよきっと。
このときの空がどす黒いいろだったら女王はただの性悪じゃないですか。
この青は希望の青です。過酷な運命の物語にはそれだけでは終わらない、なにかが用意されています。それが子どもが物語わうけとめる、てこでいえば支点のようなものです。白雪姫のお話は女王の死のつづきがきっとある。
「ひとつの物語のおわりは、あらたな物語のはじまり」と間宮先生はいっています。
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