おすすめ音楽CDその11――チュチユ |
02月26日 (木) |
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『こつばめチュチュ』
なせ、いまごろ急に「チュチュ」かといえば、
この物語はラボ・ライブラリーが「こどもの友シリーズ」
からはなれてオリジナル・ストーリィで制作した最初の物語
だから。そして、この作品の音楽と絵がラボ・ライブラリー
の特長のたいせつな部分を語っているからなのだ。
ラボ・ライブラリーにおけることばは、あらたまっていうと
そこに無いものを描くことができる。だから時間的でも空間的でもない。
それに対して絵は空間的で、音楽は時間的だ。
だからラボ・ライブラリーはこの時間・空間・非時間非空間という
XYZの座標で物語を立体的に描こうという挑戦だといえる。
しかし、こんなふうに書いていくと、やたら難しくなって
だれも読む気がしなくなるので、ぐっと平らに書く。
「チュチュ」はシンプルな話だか、一見シンプルなものは
なかに入り込んでいるコンテクストがけっこうおいしい(カニミソのように)ので、そこをテーマ活動に取り組む子どもたちやテューターがほじりくりだしてあじあわないとおもしろくない。『かいじゅうたちのいるところ』なんぞは、その好例。
もちろん、それらのコンテクストはライブラリーを一度さらっと聴いたり、わーっとみんなで一回動いたくらいでは見えてこない。何度も聴き、子どもになげかけ、ともに考えないと出てこないっス。
たとえば、朝「おはようチュチュくん」とマスケル先生が声をかけるけど、これはどこでいっていることかしら。いろいろな解釈があるがラボ・ライブラリーの仕立てとしては通学の途中だ。しかも先生のほうが先にいうのだから、先生が後からきてチュチュをおいこしながら声をかけている。しかも、その前に「今朝はねぼうしたな」とあるので先生にもそのことがわかる。――たったこれだけの場面でもこれくらいのコンテクストが背後にある。そのあたりが話し合いのなかで見えてくると、ただわーっと飛んでいるだけの通学の場面がすいぶんと意味をもった表現になる。
男子が電線をゆさぶるのは授業前。みんなそろっているのに先生がこないから、おちつかない男子は電線をゆする。女子は「やめて、先生にいうわよ」とかいってざわめいている。そこへマスケル先生が来て、男子はすまし顔。それで「ピイチュさん おしゃへりをやめて」と女子がしかられてしまい。男子は内心ほくそえむ。そうした状況が描かれる。
「あれはシドニーまでいくんですよ」この先生のことばは「もうすぐきみたちもシドニーまで飛ぶ。鳥は飛行機ほどはやくないが、鳥のなかではいちばんはやい。だから、虫はなんでも食べてりっぱな身体をつくるのだ」といったことを教えたいのだ。そんなこの日の単元にちょうどよいタイミングで飛行機が飛んできた。だからバラバラに見える続く質問も、なっとくがいく。マスケル先生はちゃんとこの日の目標をもって授業にでているのだ。
したがって、次にその練習として運動会をする。
さて『こつばめチュチュ』の物語は音楽で始まる。この音楽はなんど聴いても「つばめが飛んでいる」音楽ではない! でも、みんなつばめの話だから、なぜか飛ぼうとする。2,3回やるとなんだか飛びにくいのがわかる。じゃあ、なんの音楽だ――それを書くとなんかたねあかしのようでナニだが、どうしてもわからない場合は私書箱へ。ナレを素朴にきけばなるほどとわかるはず。ともあれ、こんなことを子どもたちと話し合ってもおもしろい。
先に書いたけど音楽は時間的だ。時間は流れていく系列だから、音楽にある支配性をもたせないと音楽がラボ・ライブラリーにある積極的意味はない。だから悲しい話だから悲しい音楽になるとはかぎらない。音楽がいつも動きをたすけくれるわけではないのだ。ときには、ことばが描く世界に重大なチェックをしている。その意図をくむことはたいせつ。ラボ・ライブラリーの音楽はBGMではない。むしろときには前のほうにあって、自分たちをひっぱっているということだろうか。
また、音楽とことばとの関係はじっとラボ・ライブラリーを聴くときと、身体をつかって動くときでは180度ちがうことがある。
またまた難しくなったので、物語のおわりのところのこと。
チュチュが飛ぶ練習をしていると「来年もまた帰ってきますかね」――このことばは必死になってリハビリしているチュチュがまだまだ心配でその身を案じているのだ。「もちろんだとも」はさらなる激励。したがってここでのチュチュはすいすいとは飛んでいない。必死でふらふら。でもなにくそとがんばっている。つまり、ここも一見したことばの内容と奥深いコンテクストにはずれがある。そこまでいかないとこの物語はつまらない。
さて吉原英雄氏の絵は2つの簡単なパターンしかない。じつはチュチュを没個性にすることで物語の個性を描きたかったのだという。というのは、チユチュは痛い注射もがまんするけっこうえらい子のようだが、じつはすこしもすぐれたつばめではない。ふつうのつばめが事件にぶつかり、仲間と離別し少し成長して帰ってくる。挫折したり病んだりして少しずつ成長する。この「少しずつの成長」がこの物語の主題。だからこんなこころみはどうだろう。さいしょにだれがチュチュかきめない。運動会でマストにぶつかる直前でだれかがきめる(テューターでもいいかな)。少なくとも見ている人にあれがチュチュだとわからないといううこと、ぶつかってはじめてチュチュがわかるなんてはどうだろう。なせがというと、「きみときみがチュチュね」といってはじめると、運動会の場面でみんながチユチュを先頭にしようと全力でとばないのだ。ここでは子どものもつ全力さがたいせつなのですから。
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Re:おすすめ音楽CDその11――チュチユ(02月26日)
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スミティさん (2004年02月27日 17時15分)
ホントに、ラボライブラリィの音楽はただ聞くだけと、動いて表現して
みるときでは、全然違います。
チュチュ、子供たちは身近で大好き。ウチでも日英、英韓とやりまし
た。あの絵も、最初はエーて感じだけど、子どもたちが自由にツバメの
絵をかけて逆にいいです。
今日、教務研で『オーロラ』を動きました。
この音楽もすばらしい。間宮氏ですね。
ことばの宇宙届きました。宮沢和史さんの歌、楽しみです!!!
と言うことはもうネットで話題にしてもOKですよね??
ところで船長さん、メッセージ見てくれてます??
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Re:おすすめ音楽CDその11――チュチユ(02月26日)
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ぼっくりさん (2004年02月27日 23時48分)
SENCHOさんの日記は、毎回パーティのラボママにもぜひ知ってもらいた
い面白い内容なので、これまでは口頭で何人かの方に言ってきました
が、マイページ上で知らせるのも手かと思っています。
その際SENCHOさんのお名前を載せさせていただいて、よろしいでしょう
か?
ライブラリーの音楽が、ストーリーと短絡的に一致しない、これはそう
なんですね。
「ぐりとぐらのおきゃくさま」は楽しい筈のクリスマスの話なのに、出
だしから、悲しげなメロディ。
ママのひとりから、指摘があってこれについて、話しをしました。
あれこれ話し合う、良いきっかけにはなりました。
スミティさんの書き込みを読み、音楽と体の動きについて、『やはり、
そうなんだーー』と思いました。
私はまだ新米パーティなので、テーマ活動体験が少なく、音楽について
体が動きやすい様につくられていない事もある・・・というのは実体験
ではまだ、わかりません。
でも、印象に残りました。
かに味噌のたとえには、唸ってしまいましたので、そういうSENCHOさん
ならではの比喩?表現は、今後も待ち遠しいです。
でも、”難しい””専門的な”事も、時々または難易度を徐々に上げて
下さっても、ぜったいに読みます。
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