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歌のCDのつくり方 その3 |
05月11日 (火) |
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さても,宮沢氏が曲を書き下ろしてくれることが決まったのはいいが,話はそうかんたんではない。契約問題があるし,だいいちいつまでに曲があがつてくるかである。マネージャーいわく,「新曲などで、ぽんとできてしまうばあいもありますし,ぎりぎりまでひっぱつて,それこそ4月はじめとか津……」「うーむ」。ただひとつの救いは「宮沢からは,ラボにはたいへんお世話になったのでぜひいい曲を書きたいとことづかっています」というマネージャーのひとこと。
ところで本編の選曲はかなり進んでいたが,あそび歌やゴスペルなどジャンルで考えるとまだ弱い気がしていた。そこで伝家の宝刀,Christian Academy In Japan(CAJ)のDenise Owen先生に連絡した。Owen先生との出会いは,もう14年もまえだ。GT7μつくるときのことだ。
例によって話は横道にそれるが,このGT7μを制作するときが,ちゆようどラボがアナログのラボ・テープからCDへとメディア変更を決行したときだ。したがってこの作品と『なよたけのかぐやひめ』がラボでは最初のディジタルステレオ録音だった。GT7μはそれ以前にたいへん愛されていたGT7を
もとにリニューアルしたものだ。もっともそのGT7もさらに太古の昔,Now It's Play Time というトライアル作品をベースにつくられたものだ。GT7はたいへん人気があり,入会時にはかならい゛そろえる1本だった。しかし,刊行されてすでに15年近くがたち,あまりにもたくさん複製したために,音源となる素材の経年劣化が進んでいた。また楽曲としてとらえた場合,どうしても音が貧弱で,さらに英語をおぼえるための歌という教科的においもかなりのこっていた。はたまた,制作当時の70年代では問題にあまりならなかったPC(Politically correct)の点で,このままラボ活動の素材として使用し続けることは,民族の多様性と個々の文化に尊敬をもつラボの基盤にに関わりかねない曲も収録されていた。具体的にあげれば,Ten Little Indian Boysなどである(この清くはアメリカではほとんど封印されている。Ten Little Pumpukinsなどといいかえて歌っていることもあるそうな)。そんなわけで,当時のライブラリー委員会(テープ委員会から名称が変わった)での意見交換を経て,前期良く新しい編曲でGT7をリニューアル制作することになった。そのなかでは前述のような社会的問題のある曲,あるいは当時,パーティであまりとりあげられていない曲をはずし,かわりに何曲か新曲をいれるというものだった。
編曲は京都芸術大学の広瀬量平氏。間宮芳生,一柳慧(いちやなぎ・とし),武満徹,そして広瀬量平が現代日本を代表する音楽家であることはまちがいない。この方がたは,この時代の音楽は自分たちに責任があるという歴史的自覚をもたれているだろう。ラボでは,武満氏以外の先生にはすべてお世話になっている。武満先生のご存命中にお仕事をお願いできなかったのはほんとうに残念。
ともあれ西の大御所,広瀬先生に伝承歌の編曲をしろというのもおそろしい依頼であるなあ。絵は当時売り出し中の村上康成氏。長谷川集平氏とのコンビでつくった絵本「かいじゅうのうろこ」を見て一発できめた。国立の家におしかけて(一升瓶がならんでた)くどいたのもなつかしい。とにかく絵の枚数が多いからたいへんで3回にわけて絵をもらったが,さいごにもらうとき喫茶店のなかで氏がでっかい声で「おわったあ」とさけび,これから編集にかかるデザイナーとぼくががっくしきているのをウェイトレスがクスクス笑ってみていた。その後,氏にはラボランドでワークショップをやってもらったこともある。いまや売れっ子。
GT7μ(ミューはギリシア神話の音楽の女神でmusicの語源ともなったムーサの頭文字からとった)の制作2は,2年かけてよいという指示がラボからでた。こればじっくり選曲からできる。でも,やはり英語圏に生まれた人で子どもの歌に興味をもっている音楽の専門家に手伝ってほしいという思いが強くあった。でも,なかなかいい人はいない。そんなことをいもだれかにたのんでいたが,ラボ・ライブラリーの英語をお願いすることが多かったサラ・アン・ニシエさん(この人の夫は西江雅之というえらーい学者です)にその話をしたら,息子さんが通っているCAJという小さなインターナショナル・スクールにオーウェン先生というなかなよい音楽の先生がいるという。そこで紹介をもらい先生にいろいろと相談をしたというわけだ。
先生は敬虔なクリスチャンであり,オーバーリン大学(音楽で有名なアメリカの大学。桜美林の名前のもと)をでて,音楽教育ひとすじ。でも,子どもの歌やおどりが大好きでラボの企画わはなすと大乗り気。さらに自分の生徒たちをよい敬虔になるから歌の録音に参加させたいという。もちろん練習も先生がめんどうみるという。しかも子どたちの教育としてやるのだから,
子どもたちには交通費と本代ていどの奨学金でよいという。
CAJは東久留米というところにあるが(東京だよ),じつによく通った。先生は,曲の選択にまようと子どもたちわよんで,実際に歌つたり踊ったりさせて,みせてくれた。また,Hi How are youは先生の作品なのだが,
こころよく収録を許可してくれた。
先生には2年にわたる録音にほんとうによくつきあっていただいた。そしてだいぶかたちができてきたころ,ぜひオリジナルソングを入れようと今回のような話になった。曲のタイトルはこれしかないと思っていた。We Are Singbirds 作曲・編曲はもちろん広瀬先生。ぼくがあつためていたコンセプトをオーウェン先生にはなし,先生から英語の詞があがった。広瀬先生が曲をかき,それに例によって日本語をつけた。すこし長いのだけれど,いまでは発表会の客だしの曲になったかな。
うーん,今回もまた昔話でおわつたか! つづきはまた次号。
ところでGT7μのトラックダウンをしているとき,となりのスタジオで当時,ブルーハーツがアルバムづくりわしていて,おたがいに遊びにいったのを思い出す。あのパンクの甲本ヒロト(彼の詞はいいよ)がずいぶんおもしろがってソングハードをきいてくれたのがなつかしい。
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Re:歌のCDのつくり方 その3(05月11日)
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まんぎょどんさん (2004年05月11日 21時53分)
なんてすごい内容なのでしょう。こういったドラマを経てラボ・ライブラリー
が発刊されるのですね。楽しみです。制作のプロセスがわかるともっと愛着が
わくというものです、これからもどんどん、ストレス発散の意味でもいいです
から 紹介していってください。
お体どうぞお大事に。ありがとうございました。
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Re:歌のCDのつくり方 その3(05月11日)
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Play with meさん (2004年05月13日 13時23分)
初めて書き込みます。
「そうだったんだ~」「そーなんだ~」「フムフム」と一気に読みました。
新版が楽しみです。
HPはいいですよね。「すぐに」「じかに」に聞けるのですから。
my HPにリンクさせて頂いていいですか?
ご父兄の目に届きやすいので。
興味をもってライブラリーに向かっていただけると思います。
よろしくお願いします。
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