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歌のCDのつくり方 外伝1 |
06月03日 (木) |
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GTS-1のリリースも目前にせまったス。
先週の日曜,5月30日に作曲家の牟岐礼氏にインタヴューした。
「ラボの世界」の「十代とともに」の企画なり。場所は新宿の
テイクワン・スタジオ。こじんまりとしたいいスタジオだ。
聴き手は東京支部舟川Pのラボっ子たち。
内容は6/20にでる「ラボの世界」を読んでいただきたいが、
そこには書ききれなかったことで、印象にのこったことを書いておくのだ。
その前に、牟岐氏には5/9に東京支部のテーマ活動発表会をみていただいた。かねてから、いちど見てほしいと思っていたのが、
やっと実現したのだ(なにせお忙しいからね)。
『西遊記』『てぶくろ』(すがたり)『平 知盛』をみていただいたが、
氏の感想をすこしかいておく。
・演出家がいないことにおどろいた。
・小道具、大道具、舞台装置がほとんどなく、衣装もジーンズにTシャツ
といったシンプルなものであることに感銘をうけた。よぶんな装飾がない
ことで、表現がクリアなるし、すがすがしいと思った。
・こういった総合表現によることばへのアプローチはたいへんおもしろい。
・なにより英語と日本語の膨大なセリフがよくはいっていることに感心。
・『平 知盛』は、かつて「子午線の祀り」をみているので、いろいな意味
で感銘が深かった。
ところで、牟岐氏は作曲家になりたてのときは、歌がにがてだったそうだ。歌、すなわち人間の声は楽器にくらべると生なましくてつらいと感じていたそうである。芝居も同様で映画はいいのだが、舞台というのがやはり生なましくて避けていたとのことである。
だから、作品に人間の声をつかうときもシンセサイザーの「ボイス」のように人工的、機械的な感じに書こうした音をつかっていたそうだ。
それが、ある声楽家とテレビのドキュメンタリーの仕事をしたときから、人間の声もすばらしい楽器であることにきがついたという。
「考えてみれば、楽器も楽譜もないときから、人間は歌をうたっていたんですよね。ですから、音楽の究極は歌なんじゃないでしょうか」
今回の作品はその歌のパワーがみなぎっている。
とこめで、声楽家の録音ギャラは演奏家よりも高い。そのことについて牟岐先生のひとことが耳にのこりました。
「ある声楽家は、わたしたちの声は楽器とはちがって神様からかりているんです。ですから、いつかはかえさなきゃいけないんですといっています」
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Re:歌のCDのつくり方 外伝1(06月03日)
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ハニーさん (2004年06月04日 18時30分)
5月30日の座談会は子供達にとってとても貴重な時間だったと思います。機会
を与えていただいて感謝しています。
昨日、座談会以来初めてのパーティがあり、彼らに聞いてみましたら、凄く面
白い体験だったと目を輝かせていました。
「CD早く聞きたいなあ」と誰もが言っていました。
どうぞ先生によろしくお伝え下さいませ。
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