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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
毎月のことだが、今月もまたカレンダーの絵に仰天した。
昨夜、フライイングぎみにチラ見したが、
思わずそのままめくってしまった。

クロード・岡本の絵本『てじなしとこねこ』に
インスパイアされた作品だ。
描いたのは栗原百花さん(高1/松山市・標葉P)。
久しぶりに高校生年代の作品が登場だ。
「ラボ・カレンダーの絵」の活動は
1984年にさかのぼるが、
きっかけは極めてシンプルで
「子どもたちの描画を激励しよう!」
というものだった。
それまでも「ことばの宇宙」の表紙は
一貫してラボっ子の作品だし、
カラーページでも折に触れて
毎月たくさん投稿されてくる子どもたちの絵を
できる限り掲載していた。
しかし、それは大きさも小さかったし、
2色のページに載るときもあった。
(カラーは基本4色か贅沢な場合は6色だが、
いわゆる特色2色はA色とBe色の掛け合わせ
になる。ニュースリポートなどなせお洒落にも
なるが絵が2色では悲しい)
もともと描画活動はラボ教育のなかで
明確に位置付けられていたわけてはない。
さらにいえばテーマ活動だって
様ざまな「いいかた」で表現されるが、
法律や規程の様に明文化されていない。
それが特徴でもありよさでもあり、
見方によっては弱点と取られるかもしれない。
だから「ラボの仲間一人ひとりが
自分自身のことばで語るラボ」が
大切であり、
それは他者が語る「ラボ」にも
まずリスペクトを持つことでもある。
ただはっきりしているのは
その中心にいるのはラボっ子であり、
ラボ・ライブラリーという水源だ。
なにやら難しい話になったが、
描画活動はラボの草創期から、
ラボ・ライブラリーに取り組む過程で、
その様ざまな段階で自然に生まれてきた。
物語や歌で感じたものを
のびやかに表現するひとつの方法であるともいえる。
だからそれは常に主体的であり、
「読書感想文のために読む本」のような活動とは
根源的に異なるのだ。
言語では表現しない物語や主人公への
感情や思いが溢れるラボっ子たちの絵を
「カレンダーにしてでっかく印刷し、
全国のラボ過程の壁を飾ることができれば、
描画活動の励ましになれ」という願いから
「ラボ・カレンダーの絵の活動」は生まれた。
そしてもう32年になる。
だから「ラボ・カレンダーの絵」は
あくまでも活動であり、コンテストではないのだ。
前置きが長くなってしまったが、
たまにはスタートラインを確認することもだいじだぜ。
さあ、百花さんの絵だ。
ラボ・カレンダーの絵に高校生の絵が
入選することは確かに少ない。
圧倒的に多いのは、学齢前や
小学校低学年、4年生以下の作品だ。
その理由の第一が応募数にあることはまちがいない。
だけど、10歳以下の子どものもつ奇跡も
無視できない。
暴論をいえば、11歳からは思春期だと思っている。
こんな僕でも
おおむね10歳まではひたむきに生きていた。
まあ4、5歳からいわゆる英才教育に走る
ご家庭もあるが、
一般的には、
10歳くらいまでは「健康で元気でのびのびと
育ってくれればいい」と親は思う。
だが、11歳を過ぎるとねえ……。
まあ4、5歳の目と心で自由に絵を
描きづつけることはたいへんなのだ。
ピカソでさえ70年かかったといっている。
また焦らしてしまった。
百花さんの作品は
現代語でいえば、「キターっ」であり、
「スゲー」であり、「ヤベっ」であり、
「オシャレ」であり、「カッケー」を
全部合わせたようなものだ。
ただ、絵全体から、
さらにいえば絵の向こうがわから、
なんともいえない静けさと切なさが
伝わってくる。
しかし、それはけして弱さではない。
原作の絵本にはこんな都市を行く
老手品師と猫たちのシーンはない。
冒頭に敢えて「物語にインスパイアされて」と
書いたのは、
この作品が本歌取りともいうべき
新しい意匠、タッチによる
オリジナルに近い作品だからだ。
ご存じのようにクロード・岡本の原作の絵は
油絵で肉太のタッチである。
色味もブラウンと黒に赤系が中心であるが、
百花さんの絵は細密画といってもよく、
色も手品師と猫たち以外は淡いパステル調だ。
石畳の街、おそらく街外れだろうか、
茶色のカバンひとつで夜をいく老手品師。
それに寄り添うように、じゃれるように
前後する黒猫たち。
one night stageがはけた帰りだろうか、
それともこれから本番だろうか。
ぼくはおそらく、次の街に向かところだと
勝手に妄想する。
とにかく想像力をかきたてる絵だ。
今夜のショーはウケたのだろうか、
喝采が背中に残ってるようには見えない。
手品師の黒いスーツとハット、
そして猫たちは夜よりも黒い。
さらに猫たちは夜のようにしなやかだ。
動きがすばらしいし、
先頭で立ち止まって振り返っている
猫の瞳もドキッとさせる。
これらの黒の艶がとても抜けていて気持ちがいい。
濁りのないすっきりしたブラック。
また、手品師の後ろ髪の色を
淡くしているのもニクい。
とにかく細部を見れば見るほど
驚きが増す。
早生の天才作家、樋口一葉の作品を読んだ
森鴎外は「一行読んで一行に驚かれぬる。
一葉なにものぞ」と驚嘆した評を書いたが、
そんな感じである。
まあ作品き繰り返して味わうものだし
繰りかえさせない作品はそれだけのこと。
街は夜だか、石畳に似合うような
よぎりも降りてきているようだ。
家には明かりが灯り、
それそれの家庭の団欒があるが、
老手品師には無縁だ。
その孤独感が胸をうつ。
『ロミオとジュリエット』の
舞踏会嵐に向かうロミオたちの石畳は
きっとうっすら濡れていて
真夏のイタリアの湿気のある夜が
若者たちの青い微熱とリンクして悩ましいが、
この石畳は乾燥し、冷え切っている。
それは細かく、色をの濃淡をつけた
描き込みからはっきりわかる。
左から右へワインディングしながら
そして微妙にねじれながら伸びる道。
家もまた老紳士が存在する空間とは
異なる次元のように湾曲する。
そして家の細部もていねいに描き込まれている
瓦一枚一枚、階段の一段一段まで
さっと「塗り絵」したところは全くなく。
すべて意図して、意味を持って描かれている。
高校生年代ならではの技術と体力と集中力だ。
ラボ・ライブラリー、
『てじなしとこねこ』の音楽は故林光先生だが、
あの軽快なメロディが、やや哀調を帯びて
画面の奥から聞こえてくる。
うーん、百花さんとこの物語の出会い、
関係を知りたい。
それから左下に描かれている
Scary Viewという道標も気になる。
「危険な景色」がこの先にあるのだろうか。
今この瞬間は、絵本が手元にないが、
こんな道標は出てきますか?
ともあれ、夜はふけていく。
『てじなしとこねこ』は1963年8月の
福音館書店「こどものとも」の配本だ。
もう53年前の作品。
しかし、まったく古い感じはしない。
むしろ新しい。
だから今も愛されている。
物語と絵を描いた
クロード・岡本は17歳!
この作品以前から天才少年画家といわれていた。
父親や周囲のおとなは彼の作品で
経済的な成功を目論んだが、
はかばかしくはなかったようだ

しかし、彼の消息は忽然とわからなくなる。
作品は各地に残るが本人の現在は不明だ。
亡くなったという情報はない。
存命しているとすれば70歳くらいのはずだ。
そのご、音楽家になったという話や
レコードやジャケットのデザインをしたという
話が聞こえてきたが、それ以上は不明だ。
らくだ・こぶにこと谷川雁の
『谷川雁の仕事』(河出書房新社,)には
『てじなしとこねこ』について
「青春とよぶにはちとはやい少年の憂いと、
どうしうようもなさのようなものが、
泳ぎすぎてチアノーゼになった
くちびるのようになってただよっている。
そのちょっと酔ったような気分を、
猫や老人のひげが、
すこしさめたようににらんでいる」
と書いているのを思い出した。
『てじなしとこねこ』は夜の物語だ。
夜はとても刺激的だから、
使いすぎは危険とも谷川雁は書いている。
ラボ・ライブラリーにはいろいろな夜が出てくる。
『なよたけのかぐやひめ』の月からの使者の夜。
『ブレーメンの音楽隊』の夜。
『夏の夜の夢』の夜。
いやあいっぱいあるなあ。
夜遊びは楽しいけど、ご用心ご用心。
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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる
夏の終わりはいつも駆け足で
気がつくと後ろ姿しか見えない。
湧き立つ積雲も
焼けた砂浜もこぼれる星屑も
夕立の後の虹も蝉しぐれも
振り向いた少女の風にまかれる髪も
次第に「あの日の夏」に遠ざかっていく。
なんて感傷に浸っている場合ではない。

レオ・レオニLeo Lioniの絵本
"FREDEREICK"に題材をもとめた作品が
ラボ・カレンダーに2年ぶりに登場だ。
前回は2014年の11月の絵、
その前は2013年のこれまた11月の絵だ。
描いてくれたのは北山桃花さん
(小5/羽島市・近藤P)だ。
光の粒が前面にこぼれる一言でいえば
「すてきな作品」だ。
この物語の始まりは、収穫の終わった秋、
間も泣き冬がやってくる時期だから、
これまでの入選作品が
11月の絵になるのは自然だ。
実際、原作のレオニの絵本も
明るい色調の作品が多いなかで
"FREDREICK"は抑制の効いた暗色系が
かなり用いられている。
だが、桃花さんの絵を見よ!
でっかくて真っ赤な太陽。
青空、降りそそぐ光の粒。
大きく羽根をを広げた蝶。
すべてが明るいではないか。
構図やネズミたちの配置は
絵本の冒頭から3枚目の見開き
But the farmers…のぺージを参考にしているが、
レオニは太陽は描いていないし
背景は真っ白である。
で、ハッと思ったのは、
おそらく桃花さんは、
この物語から受けた心の震え
いや、余韻といったほうがいいかもしれないが、
とにかくinputされたすべてを
ギュッと絞り込んで1枚の絵にしたのではないか!
それは素朴にいうと
「描きたいものをぜんぶ描いた」ことでもあるが、
主人公フレデリックが、仲間のために
孤独に集めていた光や色やことばが。
この1枚に全部込められているのだろう。

それはとてつもなくすごいことだ。
要するに一場面の説明ではなく、
物語全体のエッセンスを凝縮して表現するには
強力な想像力と抽象力(あえていうけど、
頭がいいって抽象と具象を行き来できることだと思う)、
そして元となる物語へのリスペクトと
深い愛が不可欠である。
そう愛こそすべてなのね。
そして愛はエネルギーであるから
かくも元気いっぱいなのだ。
だから、やはり"FREDEREICK"と桃花さんの
関係をぜひ知りたいものだ。
相当濃密な関係であることはまちがいないし、
桃花さんの愛情に物語もこたえているはずだ。
春にも書いたが、
テーマ活動は「物語を愛する活動」であるとともに
「物語に愛される幸せを享受する活動」でもあるのだ。
では、もう少し絵を細かく見ていこう。
何より光の粒のタッチの強さが目にはいるが、
その粒もかなり細かく色を変えているのが
さすがというほかはない。
これが単色のドット柄だけだったら
ただのうるさい模様になってしまう。
とにかくこのものすごい数の点を
描き切るのは、並大抵の集中力ではない、
まさに「ものがたりの力」、
「もの」にとりつかれたミラクルパワーだ。
その視点で見ると、太陽や蝶やネズミ、そして
大地の彩色も、微妙な濃淡や色変化がつけられている。
また背景の青も単純な塗り絵ではない。
おそらく大地やネズミや蝶、太陽を描き、
それから背景の青を敷き、
最後に光の粒を楽しみながら、
しかし仮の真剣勝負で一気に描いたのだろう。
描き終わった瞬間の桃花さんの顔が
なんとなく浮かぶ。
いやあすごい体力。
『十五少年漂流記』や『魔法の馬シフカ・ブールカ』などの
絵を担当されたかみや・しん先生は、
「絵を描くのは心の筋トレ」とおっしゃったのを思い出す。

レオニの絵本はだれにでも楽しめる一方で
人間の尊厳とか存在に関わる重要なテーマを、
やわらかに提出してもいる。
「あるがままを愛する」
「自分の心に自由に生きる」。
それらのことは口でいうのは簡単だが、
じつはなかなか社会はゆるさない。
フレデリックのような孤独、
孤立もまた表現者のたいせつな資質である。
桃花さんも「理解されようと思って」
この絵を描いていない。
だから彼女は
すぐれた表現者の資質をもっている!
このところ始終書いているが、
「自分らしくあること」をたいせつにしたい。
それは同時に他者の「その人らしさ」を
認めることなのだ。
この地球の持続可能性は
そこから始まる。
この物語は芸術と社会(絵本の表紙で
フレデリックは花を一輪持って岩かげにいる。
花で文学で貧困を救えるのかという問いかけにも見える)、
個性と社会など多重なテーマが描かれている。
でも、そうしたテーマは押し付けではなく、
読み手の想像力と認識に委ねられている。
そして、
「ことばの力」もまたこの絵本の大きなテーマだ。
ことばの力は、今、けして楽観できる状況ではない。
20世紀以降、現実がフィクションをこえてしまう
劇的なシーンをつくりだすため、
現実や世界をことばで支えることが
難しい時代が続いている。
その傾向はますます強く、
詩人、文学者にとっては、
現実とことばの関係のあやうさ、
現実に対することばの「脆弱性」を
どのように強力な想像力で補うのかが問われている。
「嘘だとさけびたくなるような現実」は
「ほんとうだと信じたくなるようなフィクション」を
ふきとばしてしまう。
しかし、
そんな時代や状況を「ことばの力」で
うちぬこうとたたかうのが
ワード・プロフェッショナル、
作家や詩人の仕事であり責任である。
そして桃花さんもその一人だ。
レオニはこの物語ではさらに
「ことばの力」が生み出す
「絶望を希望にかえる力」
「命を活性化する力」を描きたかったのだろう。
彼はオランダで生まれ、イタリアに住んだが
ファシスト政権から逃れてアメリカに亡命する。
そのおだやかな画風からは想像ができない
きびしい人生をあゆんだ人だ。
そんな背景をもつからこそ、「ことばの力」
「ことばをつむぐものの孤独」を、
おだやかにしかし強く表現したかったのだろう。
そう考えていくと
"FREDEREICK"の日本語を
詩人の谷川俊太郎先生が担当されているのも
大きな意味がある。
谷川先生は、ラボの英日対応のために
日本語を書き直してくださった。
先生自身も『フレデリック』の絵本に
「絵を損ねないように
文字の配列を原作に近くするために、
訳にあたっては一部で省略をおこなった」
とい記されている。
もちろん、対訳で絵本を読む人はほとんどいないから
翻訳絵本としては十分なのだが、
どっこいラボ・ライブラリーは
英日という文ごとの対応構造という
所行におよぶので、
語に対応する日本語がないのは、
とってもこまるのだ。
しかしレオニの絵本は俊太郎先生の
みごとな日本語訳で定着している。
それを変更してくれというのは
とってもとっても失礼なこと……。
でも,正直にいおうと音楽を担当された
ご子息の谷川賢作さんに相談すると
「ラボ・ライブラリーの構造はぼくもわかります。
まず,ぼくから父に相談してみますよ。
音楽の長さにもかかわますからね。
理由がちゃんとしているので
父はあまり細かいことはいわないと思います」
賢作さんのそのひとことにほっとしたが
はたしてどうにるかしらと
ドギドキしてまっていると
1週間ほどたった夕方、
FAXだったか郵送だったか記憶がとんでいるのだが、
『フレデリック』の新しい訳が届いた。
日本語版の好学社でている絵本では省略した部分が
すべて追加で訳されていた。すごい!
この春、谷川先生に偶然にも
新幹線車内でお会いして短時間ごあいさつした時
遅まきながらそのお礼をいおうと思ったが、
なやはり言えなかった。
でも、ラボのことをよく思ってくださっているのが
十分に分かってうれしかった。

写真はその秋に行われた
『フレデリック』『ひとあしひとあし』の
音楽収録の後、谷川賢作さんや
参加した演奏家のみなさんと
見学に来た事務局員(なぜか全員女性)との集合写真。
2007年9月12日の20時頃。
場所は赤坂の山脇学園という女子校の向かいの地下に
あるBACKPAGE STUDIOというボブ・ディラン
の曲のようなスタジオ。
こぶりだが、腕のいいエンジニアのいる
大好きなスタジオの一つだ。
(もう9年前だから、ラボにいない人も写っているが
貴重なので残しておこうと思う)
このライブラリーは
ぼくがプロデュースした最後のシリーズの1作なので
思いも深いし記憶も鮮明だ。
ラボっ子の音声吹き込み
選考会もたいへん勉強になった。
このときは1次選考で声のデモと
応募動機を送るといういささか
面倒な方法をとった。
それらをクリアするくらいの意志が
スタートラインだと思ったからだ。
だから、ぼくは1次選考を通過できなかった
子どもたちへの手紙でも
最終選考に参加した30名へのあいさつでも、
以下のことを伝えた。
「ラボからの案内を知って、この選考会に応募しようと
申請してくれた人は、すべてが制作の仲間です。
スタジオに行くのは数名ですが、
300名の応募者がいるから
選考することができるのです。
夏休みの時間を割いて行動起こしたこと、
それはすばらしいことです。
ラボ・ライブラリーには音声吹き込み者として
ラボ・パーティの子どもたちと載りますが、
それは300名全員のことです。
ですから、『ラボ・ライブラリーの制作に参加した』と
胸を張って自慢してください。
ぼくも、こんなにも多くの子どもたちに
愛されているラボ・ライブラリーを
みなさんと一緒に作れることに身が引き締まります。
そして自慢したいです」
なんかカッコつけてるが、本気である。
300名の子どもたちが送ってきた「応募動機」も
すごかった。
大別すると以下のような内容だ。
・将来は声優や役者など表現をする仕事に就きたいので
こういう機会はすべて挑戦したい。
・ラボ・ライブラリーが大好きなので、自信はないけど
制作に関わってみたい。
・レオ・レオニ先生(敬称つき!)の作品が大好きなので
絶対に参加したい。
これらは皆小学生だぜ。
だったら、彼らを裏切れないだろうし
才能のなき僕などにできるのは
命がけでやる馬鹿力勝負しかない。
ラボっ子選考会は大変だが、
やはり学ぶものが多い。
最後に余談だが、
語りの市原悦子さんにオファーを出したら
事務所サイドが
「市原のひとり語りならいいが、
子どもたちとの共演は彼女の世界観がかわるから」と
難色をしめてきた。
でも、
その二三日後に出演快諾の返事がきて一同喜んだ。
その謎は正確には不明だが、
本番が終ったスタジオで市原さんが
真っ赤なスカートと真っ白なブラウスで
録音ブースから出てくるなり、
ニコニコと
「江守徹さんが、
たいへんでめんどうかもしれないけど、
おもしろくていい仕事と
おっしゃってのはこれだったのね」と
とおっしゃったのが、
たぶんそのこたえなのだろう。
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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
「活動の締めには揺れる映像が
必要なのだ!」
八月葉月。August。
今年の大暑は7月23日だが、
そこから8月8日の立秋までの期間も
大暑と呼ばれる。
夏真っ盛りである。

夏は全ての方向に輝いていて
心と身体も伸びしろの大きい
子どもたちにとってはとくに重要な季節だ。
色でいえば五行では夏は朱色。
火のイメージだ。
人生の時期にも
時期にも青春、朱夏、白秋、玄冬があるが
(注・玄人のクロね)
そろそろ白秋の身であるのに
「ずっと青春じゃ」と力んでいるのも
さすがに気持ち悪いと自覚するようになった。
久しぶりにラボ・ライブラリー以外に
題材を求めた作品の登場だ。
「ラボ・カレンダーの絵」の応募規定は
用紙のサイズと方向(横使用限定)以外は
「ラボ教育活動に関した題材」だけである。
過去を振り返れば、圧倒的に物語の絵が多いが
それでも何点かはラボ・キャンプや
ラボ国際交流をテーマにした作品が入選している。
描いてくれたのは川瀬依真さん(小1/千葉市・園田P)。
おそらくは昨年のラボランドでの
サマーキャンプに参加し(きっと初参加だろう!)、
帰宅してからその感動のままに
勢いで描きあげたのだと思う。
その感動がストレートに伝わってきて
カレンダーの前に立ったまま
ボロボロ泣いてしまった。
やはりぼくのラボ起点がキャンプであるだけに
どうしようもないのだ。
先日も書いたが、ライブラリー制作の夢は
ほとんど見なくなったが、
(でも年に一度くらい「テープ止めろ!」と叫んで
飛び起きることがある)
キャンプやラボランドの夢は
夏になるとよく見てしまう。
やりきったとは決して思わないが、
やり残したというのも傲慢だ。
仕事は「できたこと」と「できなかったこと」
が人生を引きうける。
さて、自分のことより依真さんの絵に戻ろう。
タイトルは「楽しかったラボ・サマーキャンプ」だが、
描かれているのは明らかにキャンプファイアーだ。
画面のどまんなかで、まさに「天まで焦がす」ごとく
燃えさかる炎が圧巻だ。
タッチが力強く、動きに満ちていて
熱量も伝わってくる。
依真さんも、
多分この絵を描き終わって相当疲れたはずた。
さらに炎の先端が火の粉のようになって
夜空に散り散りになっているのも
とってもlyricだ。
その夜空も暗めの藍系の上に
少し明るい青をかぶせているので
より「夜の深さと優しさ」が出た。
後で書くけど「アメリカの夜」
La Nuit américaine,のようだ。
そして、周囲に迫る森も炎に照らされて
明るく描かれていて気持ちがいい。
しかも枝もら ライトブラウンで複雑に描き、
葉もライトグリーンとライトイエローを
使い分けているのもおしゃれである。
キャンプファイアをモティーフにした
過去の作品の多くは
濃紺のバックに真紅の炎という色味である。
しかし依真さんの場合は、炎も夜空も枝やはも
ライトめの色を重ねていることで
新鮮かつ深みと奥行きのある絵になった。
特に茶色の面積が多いと
全体が暗くなって
なかなかうまくいかないことか多いのだが、
依真さんはファイアの枠組みや枝なども
地面とは色を変えた茶系にしたことで
すてきな色味になったといえる。
炎の周りには8名のキャンバーが描かれているが
やや鳥瞰気味に描いて奥行きを出しているのは
とってもすごいことだ。
(ファイアの枠組みにもパースが効いている!)

しかも、キャンバー一人ひとりの表情や
手の動きは全て異なる。
服の色も、靴まで描き分けているではないか!
依真さんのなかでは、「おおぜいの仲間」ではなく
一人ひとりに固有名詞があるのだと思う。
依真さんのキャンパーそれぞれの「個性」への
リスペクトがかいま見えるのだ。
そうでなければ、こんな面倒くさい描きこみは
この年齢ではなかなかできない。
依真さんはとんでもない成長をしたのだ。
「キャンパー三日会わざれば、刮目して見よ」だ。
そして、さらに嬉しいのは
これほどそれぞれの個性を描きながら
全員がグリーンハットをかぶっていることだ。
ラボ・キャンプだから当然といえば当然なのだが、
依真さんにとってはルールではなく
仲間としてアイデンティティであり
目で確認できる絆のiconになのだ。
炎、夜空、森、そしてキャンパーたち。
キャンプ最終日の夜のメインイヴェント。
時間にすれば30分そこそこだが、
全員が3日間を再確認するつどいだ。
キャンプ学的にいえばこのように
みんなで歌ったり踊ったりして楽しむのは
Bon Fireと呼ばれる。
(単にCamp Fireというと一切口をきかない
儀式的な性格のつどいが一般的)
炎に照らされた仲間の顔に
夏の3日間が浮かんでは消える。
歌声は火の粉とともに夜空に消え、
そして別れの時間は容赦なくやってくる。
そうした詩情がウエットにではなく
すがすがしく伝わってくる絵だ。
と、ここまで書いたら、
ぼくが泣いてしまったわけがわかるだう。
加齢で涙腺がゆるいせいもあるが、
このキャンプに関わった者で
この気持ちがわからんやつとは絶交じゃ!
さらにさらに、依真さんの絵からは
声も炎の熱も夏の夜の深さなどが
五感に伝わってくる。
皮膚や耳で感じられる絵はすてきだ。
これも依真さんの体験のリアリティだろう。
さて、先ほどこの色味は
「アメリカの夜」La Nuit américaine
のようだと書いた。
これは1973年公開のフランス映画のタイトルで、
監督は『大人はわかってくれない』
『突然の炎のごとく』『華氏451』
などの名画が残し52歳で早生した
フランソワ・ロラン・トリュフォー
François Roland Truffautだ。
この映画は『映画に愛を込めて』
という副題が日本では付けられたが、
映画作りの苦悩と喜び、葛藤を
映画の撮影の進行を縦軸にして描いている。
タイトルになった
「アメリカの夜」La Nuit américaineとは
レンズに暖色光をカットするフィルターかけ、
夜のシーンを昼間に撮る「なんちゃって夜景」の技術だ。
Hollywoodで生まれた撮影法なのでこう呼ばれた。
英語では "day for night" という。
この映画にトリュフォー自身も
フェランという映画監督役で出演しているが、
そのなかでこんなセリフがある。
「原始、人びとは陽が落ちると洞穴や
森のなかで焚き火を見つめた。
今は、テレビを観る。
1日の終わり、夕食後のひとときには
揺れる映像が必要なのだ」
締めには焚き火ね。
さて、7月中旬、
相模原の三井パーティ30周年に
縁あっておじゃました。
最近はフリーなOBということで
周年文集に寄稿したり、
発表会に招かれてスケジュールが合えば
のこのこ出かけている。
いつもいうことだが、
発表会は「観る側が何を学ぶかか重要」である。
今回も色々と学ぶこと多かったので
三井パーティに送ったお礼というか感想を紹介する。
すでに三井パーティの了解を得てフェイスブックにも
upしているものなので
既読の方はとばしてください。
「神話は思い出アルバム」
三井麻美テューター、ならびに三井パーティのラボっ子、
ご父母、OBOGのみなさん、
30周年おめでとうございます。
16日はたのしい時間をいただきました。
また、たくさんのことを学ぶことができました。
そして自分が歩いてきた道が
まちがっていなかったことを確認できました。
ありがとうございます。
ラボには芸歴ではなくラボ歴という
用語がありますが、
ぼくは1976年から2010年まで
ラボ教育センターで仕事をしたので
ラボ歴34年です。
三井パーティのスタートは1986年ですから、
10年先輩ではありますが、
ラボ歴ではもう数年で追い越されてしまいますね。
この春にもお話しましたし、
ラボ50周年メッセージにもかきましたが、
テーマ活動は教育プログラムです。
そしてもちろん、発表会も教育プログラムです。
さらにテーマ活動を見ることも
教育プログラムだと思っています。
ラボ・ライブラリーを聴くのと同じくらいに
いやときにはそれ以上に、
テーマ活動をする、あるいは発表をするラボっ子を見ることは
きわめてたいせつなinputだといいきりたいです。
だから発表会は、
それを見る者にとっては、
そこでくりひげられる活動、
子どもたちの表情や心や身体の動きから
なにを学ぶのかがたいせつだと信じています。
発表会は
発表する側にとっては
その日までの道のりで
多様な言語体験を繰り返してきたことが
喜びと緊張のなかで提示される祝祭、
お祭りのひとつなのだと思います。
しかし、それはあくまでも
その時点、すなわち今回なら
2016年7月16日の物語であって、
これから先、また三井バーティのなかで、
一人ひとりのラボっ子のなかで
変化していくはずです。
それが物語の力なのです。
これもぼくはずっといい続けてきたことですが、
発表会は子どもたちの能力のデモンストレイションや
見せびらかしではありません。
三井パーティの
たとえば『国生み』がなにをどう表現できていたかも
たいせつなことではありますが
『国生み』に取り組んだ三井パーティのなかで
なにが起きていたのか、
どのようにこの物語と睦みあい、
そしてこの物語を愛し、そして愛されたのかが
もっと大切だと思います。
そして、一人ひとりのラボっ子のなかで
なにが起きていたのか、
どのようにこの物語と睦みあい、
そしてこの物語を愛し、そして愛されたのかが
やはりもっと大切だと思います。
そのことぼくたちは「成長」と
胸を張っていいましょう!
一つの物語との出会いのなかで
また発表において、
ラボっ子の歩みはそれぞれ違います
その歩幅、strideも
足の回転、pitchも
一人ひとり違います。
また物語の感じ方も一人ひとり異なります。
それをぼくたちは「個性」「自分らしさ」と
堂々と呼びましょう。
そして「自分らしさ」をたいせつにすることは
三井テューターが最後におっしゃったように
「他の人の『その人らしさ』を認めること」
にほかなりません。
ぼくは発表会に行くときは
できるかぎり、
発表される物語を前夜か当日の朝に
一回は聴いておくようにしています。
それが見る側の最低限のマナーだと思っているからです。
もちろん今回のように自分がプロデュースしたり
制作に参加した(『きょうはんなでクマがりだ』
『王さまの耳はロバの耳』『プロメテウスの火』)
でも、ちゃんと聴いていきます。
けっこう細かいところを忘れていたりしますからね。

しかし、OBOGのみなさんによる
『まよなかのだいどころ』だけはサプライズだったので
聴いていきませんでした。
で、やられた!というのが実感です。
この物語はモーリス・センダックというアメリカの
いや20世紀最高のといってもいい絵本作家の作品に
題材を求めたラボ・ライブラリーです。
『かいじゅうたちのいるところ』と同様に
世界じゅうの子どもたちから
圧倒的に支持されている作品ですが
『かいじゅうたちのいるところ』と同様に
出版された直後は頭の固いおとなたちに
めちゃくちゃに批判された作品です。
(今はそんな人はいませんが)
で、告白しますが、
ぼくはこの『まよなかのだいどころ』を
発表として見たのは今回がはじめてです。
これは2007年の刊行ですが、
このころはとっても忙しくて
なかなか発表会に行く時間が取れませんでした。
でも、OBOGのみなさんの発表を見ることができて
とても幸せでした。
自分でプロデュースしておきながら
「この物語って、こんなにおもしろかったんだ!」
と、あらためて感動してしまいました。
ラボ・ライブラリーは、
リリースされてしまえば聴き手のものです。
制作者の想いなんか関係ありません。
もちろん、少しでも子どもたちの心に
余韻を残す本物を届けたいという気持ちでは作りますが
それも傲慢な話です。
だけど、こうして7月真夏の土曜日の町田という場所で
しかもOBOGのみなさんたちによって
すばらしい物語に育てられた姿を見て、
それだけで涙が出ました。
「ああ作ってよかったんだ!」と報われました。
また、この物語の日本語の語りは西沢利明さんという
こわそうな写真の俳優が担当しています。

西沢さんは舞台から映画、テレビと幅広く活躍された方で
存在感のある悪役、殺し屋、悪代官が多かったのですが、
とてもダンディでやさしく、若手の育成にも熱心でした。
ぼくはこの不思議な物語の語りは
若い人ではなく、人生の経験者がいいと思っていました。
でも、老いた感じではなく、洒脱で垢抜けていてほしい。
そんな思いから西沢さんにオファーを出しました。
すると西沢さんは
「子どもたちにきちんとした日本語を届ける仕事なら」と
すぐに快諾してくださいました。
残念ながら、西澤利明さんは2013年の4月に
77歳でお亡くなりになりましたが、
(この作品は71歳のとき!)
きっと喜んでくれていると思います。
多分、あの発表は
高いところにいる西沢さんのところまで
届いたはずです。
『プロメテウスの火』でプロメテウスの声を担当した
有川博さんも、忘れられない俳優さんです。
きまじめなハンサムということばがビッタリの
有川さんもすばらしい役者でした。

彼も2011年に70歳で他界されましたが、
若き日に同じ劇団(演劇集団「円」)に所属していた
渡辺謙さんは、有川さんの告別式で
「ぼくはあなたの舞台を見て、役者を志しました」と
弔辞を読みました。
ぼくにとってこの作品は
ライブラリー制作に関わりだしたばかりの頃のもので
スタジオでは緊張して胃が痛くなっていました。
有川さん(当時46歳)
のブロメテウスは、スタッフも
他の役者さんたちも感動する迫力で、
特に「正義よ輝け!」のクダリでは、
あまりに声を張りすぎて、レペルメーターの張りが
振り切れて、録音不能になったほどです。
エンジニアが
「有川さん、すみません。
もうちょっと抑えめにお願いできますか」というと
周りの役者さんたちは皆
「有川さんらしい」とわらいましたが
有川さんはおおまじめに
「しかし、ここはこれくらいでないと
伝わらないでしょう」と、
少し怒ったような声で返されたのが懐かしいです。
あれからもう30年、『ブロメテウスの火』は
三井パーティと同じラボ歴になりました。
人はいなくなっても
物語は受け継がれ、よみがえり、
そしてまた新しい命を持った物語になっていく。
これも物語の力です。
すごいことです。
よみがえり、「黄泉がえり」といえば
最後の『国生み』からも色々と学ばせてもらいました。
この物語の発表は何度も見ていますが、また新たな発見がありました。
そのことは、最後に書きますね。
ぼくは今、東京の私立の学校で仕事をしていますが
今回もラボ教育活動の社会的意義、重要性を確認できました。
教育のゴールは
「いい学校、いい会社に入ること」ではありません。
社会に出てから少しずつその成果があらわれるのです。
そのことをOBOGのみなさんたぢか証明してくれました。
みんないい顔をしていました。
そして「ラボを続けてください」」とみんないいました!
三井テューターもその一言で報われたのではないでしょうか。
三井テューターと出会ったラボっ子は幸せですが
ラボっ子と出会えた三井テューターも幸せだと思います。
最後に、
発表会のプログラムに「神話の世界へようこそ」とありました。
そして発表された物語のほとんどは
「神話・伝承」に題材を求めた物語でした。
アメリカ先住民ブエブロの神話から
ギリシア神話から
そして日本の『古事記』『日本書紀』から。
神話は世界じゅうにあり、
それそれに個性的であったり
また共通していることもあったりします。
そして神話を持たない民族はないといっていいかもしれません。
神話は、それぞれの民族が赤ちゃんから
少年少女、そして若者になるときに
思い出のように残していくアルバムのような気がします。
それは見方によれば古ぼけているかも知りませんが
皆さんたちのように
瑞々しい感性で向き合えば
その民族の若々しい姿をたどることができるのです。
そこから学ぶもののなんと多いことでしょうか。
そして、今回の発表が後30年くらいたっとき、
神話のように皆さんの心に再び輝くことを信じています。
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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
文月朔の透明な海

夏越の祓いも過ぎて文月。
2019年も後半だ。
かつて日本人は大晦日と同じくらいの
新たなtensionでハーフタイムを意識したのだ。
『うみのがくたい』に題材を求めた作品。
描いてくれたのは成毛希海さん(5歳/調布市・木村P)。
なんという透明感、なんという躍動感、
なんというバランス、なんという奥行き、
なんという闊達さ、
なんという造形のたしかさ、
なんという静けさ、なんというリズム、
なんという祈り、なんという喜び、
なんというせつなさ、なんという深さ、
なんという命の輝き、
なんという鎮魂、
なんという詩情、なんというたくましさ!
もうこれだけ書けば十分かもしれない。
ぼくの軽薄な感想の垂れ流しなどむなしい。
そう思わせるほどショックを受けた。
この週末、
新幹線のなかでもずっと『うみのがくたい』のテーマ音楽が流れていた。
とはいえ、いいっぱなしでは
勝ち逃げみたいなので、
恥をしのんで書く。
上記のごとく、ほめどころが
多すぎるのだが、
まずは色味の透明感が好きだ。
「スカッと抜けた」感じの様々な
青、コバルト、水色がたまらない。
明度や彩度がそれぞれ微妙に異なるのだが、
どれも本当の海よりも深く澄んでいるのがたまらない。
そして、白と水色
のクレバスで引かれた潮の流れが、
クジラたちの不思議な躍動感、生命感を
際立たせているように見える。
たぶん、水色の線を先に後から白の線を引いたと思うが、
この二種類の線を引くことだけでもすごいのに
ほとんど迷いなく、軽やかに
まさに水のようにすっと引かれているのに
ただだ感嘆するばかりだ。
はっきりと意図をもって、
でもとらわれることなく引かれた線。
自由だが表現になっている!
クジラもまた単純な黒と白ではなく、
細かい濃淡をつけていて飽きさせない。
さらにクジラも大胆にフォルムにこだわらずに
描かれているから、
動きがあり、本当に音楽が聴こえてきそうだ。
この絵のもとになった絵本の作者である
丸木俊先生は、制作に2年間をかけられている。
なかでも、水のなかで楽器を演奏する魚たちの
動きのあるフォルムに大変なご苦労をされ、
近所に住む「お魚博士」のような
魚マニアの少年に助言を受けられたという。

画面の大半は圧倒的に多種の青が占めるのだが、
わずかに覗く夕焼けの赤も、
じつにていねいになドットで、
しかも濃淡をつけてしっかりと色を置いているのにも
ただ驚くばかりだ。
またラッパのイエローや小さな魚たちのオレンドが
アクセントに成ってるのも見逃せない。
しかししかし、なんといっても
青の種類の多さだ、
この感覚と粘り強さはすごい。
希海さんの5歳という年齢に
驚いた人も多数いると思うが、
元絵があれば、このくらい描ききる
「絵のすきな5歳の子ども」はそれほど
めずらしいことではない。
しか、希海さんの場合は
総合的な描画力、
上記に紹介したディーテールのすばらしさも含めた
トータルな絵の力、
また、感覚の鋭敏さ、
さらにラボ・カレンダーの規定サイズの大きな紙を
完全につかいきり、しかも疲労感や濁りどころか
これだけ爽やかな作品にした力は、
まちがいなく飛び抜けていると思う。
いつもながら、希海さんとこの『うみのがくたい』トマ
関係を知りたいものだ。
さて、少し青の話をしよう。
名前の付いている青は、
世界でも多い。
マリン、スカイ、プルシャん、ターコイス、
ネイビー、コバルトなどなどいっぱいある。
日本でもいわゆ伝統色は
およそ428色あるが
そのなかで、名前の付いた青系は
少なくとも60色ある。
浅黄色、深藍、水縹(みはなだ)、瓶覗(かめのぞき)、
勝色、御納戸色などこれらは全部青系だ。
青は、現代では
晴れた日の海や瑠璃のような色の総称だが、
古くは露草の花による摺染の後、
ほぼ藍染によって染め出された。
とにかく青の範囲を広く、また変遷している。
平安期には青と呼ばれる色は青白橡(あおしろつるばみ)の
くすんだ橙味のある黄色に近かったとといわれる。
現代ではシアン系(ちなみにラボマークのカラー指定色はC100)のほか、
空や海や水の澄んだ色、青葉や野菜の青物など
緑色系統の色も含む。
「おの尼君は、住ひかくかすかにおはすれど、
装束のあらまほしく、
にび色あをいろへど、いときよらにぞあるや」
『源氏物語』「宿木」紫式部。
希海さんは、これらの青を惜しむことなく
総動員した。
筆を何本使用したかはわからないが
そうたくさんではないはずだ。
だから、かなりしっかり筆洗し、
都度、筆全体をタオルなとでよく拭いていると思う。
そり繰り返しのエネルギーだけでもすごい。
いつも思うのだが、その力のは
「ものがたりの力」以外のなにものでもないということ。
ラボ・ライブラリーと向き合い
耳の心と身体で取り込んだ「ことばと心(物語の)」
が生み出したパワーが
もともと希海さんが持っていた描画力を
さらにスケールアップしたと信じたい。
だとすれば、いい話じゃないか。
このすばらしい青たちを
希海ブルーと呼びたい。
絵本『うみのがくたい』は
福音館書店「こどものとも」1964年2月号で配本された。
現在は「こどものとも」傑作集として単体でリリースされている
ロングセラー絵本だ。
そして、この本に題材を求めたラボ・ライブラリーも
ロングセラーである。
先日、藻谷浩介くんをはじめとする50歳代のOB・OGと
代々木上原で食事会をしたが、
そのとき、熱弁をふるっていた藻谷くん(池上彰氏をして
「私よりよくしゃべる人がいた」といわしめた)が、
なんの話題か忘れたが、
「まるで『うみのがくたい』のように・・」
という比喩を使い、全員が爆笑して同意したのは、
この物語が長く愛されてきた証だ。


文は大塚雄三先生、絵は丸木俊先生。
大塚先生は1921年のお生まれだから
現在、95歳でいらっしゃる
いかがお過ごしだろうか。
瀬田貞二先生との出会いから
児童文学、翻訳の道に進まれ
リンドグレーンの作品はほとんどが大塚先生の訳だ。
『うみのがくたい』ついては、
これまで何回か書いたので今回は
このあたりで擱筆することにしたい。
ただ、この物語に触れるたびに思い出すのは
5歳のラボっ子の
「せんせい、この船はね
ほんとは沈んだんだ。だからこのお話ができんだ」
という有名な一言と。、
高島海の学校で
漁師のタカちゃんがいった
「海はこわいところだよ。
でも、命の生まれるところさ」
海には戦や冒険で帰らぬ命があまりにも
多く眠っている。
でも、海はいつも
ぼくたちを惹きつけてやまない。
だから、海へ!
◎鈴木大拙曰く「教育とは地味な仕事」

先日、現在勤務している武蔵学園の記念室で
歩い資料を見ていたら、
「教育とは地味な仕事」という気になることばと出会った。
これは禅を世界に広めた近代日本を代表する
仏教学者である鈴木大拙(ステーィヴ・ジョブズも読んでいた)が、
親友の山本良吉(武蔵高等学校第3代校長)の急逝後、
インタヴューにこたえたときのことばだ。
大拙と山本良吉と哲学者の西田幾多郎は
石川県出身の親友どうしであった。
「同期の学生の多くは、
政治や実業の道を選んだが、
山本は教育に進んだ。
教育は地味だと
敬遠する者が多かったが、
この地味な仕事がたいせつだ。
しかもこの仕事は死んでいなくなってから、
その人の意味や大きさがわかる。
その点において
ぼくは山本を尊敬している。
山本はぼくなら丸くいうところも
ときに突き刺さるようなことばを用いた。
厳し過ぎたかもしれない。
しかし、山本が死したこの後、
生徒も教師も彼の意味と大きさを認識するだろう」
「新しいことをはじめようとするとき、
いいだした者が行動もすることが多い。
口舌だけで行動しない者も多いが、
山本はいいだして実行した。
新しいことをはじめると、
いやそうではないという者が
必ずあらわれる。
そこに発展がある。
違いを否定だけすればケンカになるが
話し合い認めあえばよりよいものになる」
「十七条憲法で和もて貴しとなす」とあるが
皆同じ方向を向いていたのでは和は生まれない。
あっちをむいたり、
こっちをむいたりしているのだから
出会い認めあってより豊かなものが生まれるのだ」
たしかに江戸時代は各藩に藩校や塾があり、
大学レヴェルのアカデミズムがあった。
そして各藩それぞれに
藩の伝統の倫理や論理を教えたから、
全国、各藩それぞれに個性ある学風ができた。
明治維新を担った才能はそうした
多様な学風から生まれた。
旧制高校、帝大という細い1本のレールが
唯一日本の力学に直接触れることができる
道になったことは
かつてはみずみずしくあった
地域の教育システムを
競争のシステムに変節させることになった。
和とは多様性の融合だと
天才、厩戸皇子は明文化していたのだ。
学校はみなちがっていい。
教科書もひとつの価値でなくていい。
教師もそれぞれがいい。
それぞれが認め合うのがいい。
もちろん、ラボ・パーティも
花の色も星の光もそれぞれでいい。
迷ったときは、
物語という共通の水脈に根をおろせばいい。
最後に50周年記念のシォイクスピア作品が
刊行されて誠におめでたい、
関係者のご努力に敬意を表したい。

先日、その河合祥一郎氏から
9月の公演『まちがいの喜劇』の
ぼくのいる記念室に
フライヤーがドーンと届いた。
前売り4000円、当日4500円、
豊島区民割引き3500円
なによりうれしいのは
25歳以下は前売り2000円!
当日2500円。

これはら中高生でも観にいける。
えらい!
10月にはベケットの『ゴドーを待ちながら』を
やはり河合祥一郎新訳で
しかもぼくの好きな原田大二郎でやる。
これも観にいかねばならぬ。
河合祥一郎氏は武蔵53期の卒業生で
ぼくの8期後輩である。
先輩を名乗るのもおこがましいが
とにかく同窓生と現役生にも
宣伝はするのだ。
そうそうラボ関係者は
もちろん観にいきましょうね。
しかし53期は
紫綬褒章の柳沢正史氏
(この人は筑波の大学院時代にendothelinという
血管収縮をさせるペプチドを発見して一躍話題になった。
その後、テキサス大学で研究を続け、
帰国後は東大医学部の教授に最年少で選ばれたが
審査の過程に疑問を持ち、結局辞退して注目された。
現在も筑波で最先端医療のフォワードとして活躍している)や、
「はやぶさ」のイオンエンジン開発者の國中均教授とか、
超個性的研究者がいっぱいいる。
恐るべし53期!
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三澤製作所のラボ・カレンダーをめくる。
水無月である。
夏前の雨が多いうっとおしい季節だが、
きらいではない。
むしろ、そのあとに来る夏のスペシャル感を前に
イライラする心がなかなかよい。
試合前のしんどい練習のごとし。

しかしなんという破壊力のある絵だろう。
その点でいえば『きてれつ六勇士』に匹敵する。
梅雨のジメジメなど木っ端微塵である。
昨年、96歳で惜しまれながら世を去った
アメリカの絵本作家、マーシャ・ブラウンの
HOW, HIPPO! 『小さなヒッポ』に題材を求めた
ラボ・ライブラリーにインス灰朝れた作品だ。
描いてくれたのは大友はなさん(小1/仙台市・大友P)。
すごいぞ!
あえてインスパイアと書いたのは
ヒッポにちょっかいを出し、
地上最強と言われる母カバらKOされる
ワニを思い切ってフィーチャーしているからだ。
この森のが足りては完璧に「やられ役」のワニを
ここまで大胆にクローズアップしている点だ。
ブラウンの絵本を何度も見たが、
この絵から類推できる場面はない。
ぼくがわからないだけかもしれないが・・・。
いやいや
ラボ・カレンダーはラボ関係なら
どんな題材でもいいのであって、
中にはキャンプの友だちや国際交流の場面で
入選した例はある。
もちろん応募作品は圧倒的に物語の絵が多いのだが、
原画丸写しはほとんど入選しない。
仮に原画クリソツでも、
「うまいなあ。でもそれだったらおりじなるがいいや」となる。
だから、結局「その子の絵、その子の個性があふれた作品」ず
ラボっ子の部屋の壁を飾ることになる。
しかししかし、こちとらリタイアしたとはいえ
30年近く、のべ数にしたら3000×25=75000点以上の
子どもの作品を見てきたのだから、
子ども想像力に所詮はかなわぬと知りつつも
なんとか這いあがって、
その子の描いた気持ちに寄り添う(までにはいかないが)、
あるいは近づき努力はできる。
毎回、毎月そうやって絵を観てきている。

この物語ではそんな役回りのワニだが、
川や沼では結構おそろしい生き物だ。
はなさんが、そのワニに着目した背景、
この物語との関係、睦みあいをぜひ知りたい。
自由に描いていることは十分わかるから、
この絵を分解しても仕方ないのだが、気になる。
絵本でワニがこの方向で描かれていて
口を開けている場面は前半の方に
右すみで鳥に歯を偉そうに掃除させている場面しかない。
最初はワニがヒッポの尻尾を
引っ張っているところかと思ったが
多分そうではない。
でっかい魚を食べようとしているように見える。
ちがったらゴメンなさい、
でも、こんな元気なワニにしてくれたせ
ワニも本望だろうな。
はなさんだから、おそらく女性だろうけれど
男子に負けない力溢れるタッチだ。
フォルムやバランスにとらわれず
思うままに闊達に筆を運んでいるから
とにかく動きがある。
迷いずなくスピード感もある。
また、
一見、ラフというか荒々しく見えるが
どうしどうして、周りの小魚とかの描き方、
背景の複雑な色の変え方んどは
とてもデリケートだ。
そう、ラフというより題材もタッチも
タフでハードなのだ。
ダイハード・クロコダイルと名付けようか。
そしてタフさはやさしさとこまやかさとリンクする。
チャンドラーではないが「タフでなければやさしくなれない」
そう、強さに裏打ちされていないやさしさは嘘っぱち。
男前だね、はな先生!
そうか、
だから、やられ役のワニにスボットを当てたんだね。
ちがうかな。
もう一回小魚をよく見たら、
色合いといい、タッチといい原作の木版へのリスペクトだね。
それから気のせいかもしれないけど、
左はしに書かれているのは『かぶ』のようだ、
考えすぎかな。
でも、好きなお話だから入れちゃおう!
というのはアリだと思うよ。
結果として全然違和感ないもの。
でも、この部分は勝手な想像。
ゴメンなさい。
でも、この大きな画面に自由に描いて
バランスやフォルムしきにしていないとさっはてったけど、
よく見ると、すごくバランスが取れている。
すごいな。
とにかく隙間なく一気に描きはったバワーに脱帽。
とにかく全力勝負の気持ちよさ。
体力温存とか考えずに完走したんだね。

マーシャ・プラウンについてはこれまでも何度か触れているし
昨年は追悼文も書いた、
ブラウンはセンダックとは別の意味で絵本の巨人だ。
センダックがチョ・モランマなら
ブラウンはマッターホルンかもしれない。
ブラウんの凄さは、いくつもあるが、
・描く前に、事前に現地調査や研究を徹底的にする。
・作品ごとに画材やが方が異なる。
・テキストがすばらしい。ストーリイも文章も。
そして平明で力強い。
・テーマは健康的で前向きだが、深い、甘いお菓子ではない。
・高齢になっても自ら図書館で読み聞かせをするなど
子どもの現場が好きだった。
・コールデコット賞を3度受賞!
ワニといえば1982年にミシシッピー川が大氾濫して
多くの被害が出た。
時に下流では川幅が数倍になり、
信じがたい遠方まで水が押し寄せた。
1983年にぼくがルイジアナのバトンルージュに行ったときは
もう水は引いていたが、
最長到達地てんの水の高さは背丈の2倍以上あった。
この洪水では多くの犠牲者が出たが、
流されてきたワニに襲われた事例も少なくなかった問いう。
ぼくをほ案内してくれたスミスさん(ルイジアナの名コーディネーター
ジョイ・スミスの夫)は、
水が引いたので遊びに使う小屋を点検に行き
ドアを開けたらいきなりワニがいたそうだ。
当時、ルイジアナでは多くの地域が動物の狩猟が禁止されていて、
ワニに対して発砲したりすることはできなかった。
罠もダメである。
そこで州議会は緊急法案を可決させた。
「ワニは魚である! 獲ってもよい」
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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。
皐月朔。
風はまぶしく、緑は息苦しいほどに濃度を増している。
世は連休だが、熊本、大分ではまだ地震が続き、
心穏やかならぬ日々が継続している。
被災地の皆様方に
衷心よりお見舞いを申しあげるとともに、
1日も早い復興を祈念する。
そして、日本のみならず世界の
火山学者、地震学者が指摘するように
九州全域いや日本全国の原発を即時停止することを要望する。
さらに、今なお深い傷が癒えない東日本大震災被災地域の
完全復興への作業の加速化と、
福島原発の現状と
過酷事故の影響についての虚偽なき情報公開を強く求める。
エンブレムもいいけれど、
湯河原の別荘もどうでもいいけれど、
そんな場合ではない。
『たろうのおでかけ』のたろう少年のように、
「アイスクリームが溶けちゃうんだ!」
と叫ばねばならない。
シャレではないが福島原発はメルトしちゃったんだからね。
たろうは急いでいる。
日はすでに高い。
ゆきちゃんの待つ草原はまだ遠いかもしれない。
だけど走らねばなるまい。

さて、珍しく力んだが、
それほど日本は災害リスクを抱えるているということだ。
で、今月の絵は『グルンパのようちえん』。
『たろうのおでかけ』と同じ
堀内誠一先生による絵本に題材をもとめた作品だ。
※いやあ話がつながった。
描いてくれたのは東村咲甫さん(5歳/練馬区・浦野P)。
なんか練馬区と聞いただで親近感があるぞ。
おとといからずっとこの絵を観ているが
カレンダーは寝室にも仕事部屋にも掛けているから
とにかくよく目につく。
何より色味がさわやかだ。
濁りがほとんどなく、すべての色が
スカッときれいに抜けている。
画材はクレパスと不透明水彩だと思うが。
ほとんどの彩色は水彩だから、
色を変えるたびにていねいに筆洗して、
布で軸の部分も拭いているのではないか。
そうしないと軸についた絵の具が新しい色に
滴りおちて混ざってしまうのだ。
咲甫さんの年齢でそこまでの作業をしているのがすごい。
実際に見ていたわけではないから確かなことはいえないが、
とにかくていねいに筆を洗ったことはまちがいない。
咲甫さんはたぶん、けっこうな時間、絵を描いていられる。
それは持って生まれたものなのだろうか。
遺伝子の情報のなかに描画への集中力と関係する書きこみが
きっとあるのだろう。
でもそれだけではなく、この集中力は
咲甫さんとこの物語との関係の密度にも由来すると思いたい。
彼女と「グルンパ」の出会いや付き合いを知りたいものだ。
子どもがある物語を好きだというとき、
よく「どこが好きなの?」とか「どうして好きなの?」という
質問をおとなはしてしまいがちである。
まあ、それ自体に目くじらを立てても仕方ないが
概ね無意味な質問ではある。
なんとなれば、ほとんどの場合、
子どもは無条件に好きなのであって、
それは恋愛のごとく説明不能なのだ。
「好きなものは好き」というやつだ。
だけど、それは個別の子どもの場合であり、
多くの子どもたちに支持される作品には
それなりに理由があることも確かだ。
で、『ぐるんぱのようちえん』も、
長い間、たくさんの子どもたちに支持されてきた作品だ。
もう刊行されてから47年も経つのにまったく色あせない。
それは、「ひとりぼっち」の寂しさ、
「ともだち」ができる
さらには「だれかの役に立つ」という
という子どもたちにとって、
いや人間にとって命と同じくらいに重たい問題を
ストレートに提起しつつ、
最後には軽やかに、且つスケール豊かにクリアして
安心と希望をあたえてくれるからだ。
ただ、ラボの場合は、
さらにそうしたすばらしい作品を
子どたちがテーマ活動や描画などのプログラムで
なんども、しかも新鮮に再表現している。
そのことが、また物語に新しい命の息吹を
与えているのだ。
さらにさらに、そうして命を吹き込まれた物語が
新しい次の子どもたちとの出会いを作り出す。
「物語、永久よみがえりの法則」といっていい。
さて、咲甫さんの絵に戻ろう。
色味の続きだが、ぐるんぱのボディのグレイと
ほっぺたのピンクのコーディネートはお約束の
おしゃれな色合いだが、
咲甫さんの場合は
グレイにも濃淡を使い分けているのがニクい。
その視点でよく観ると、
背景もプールやピアノも、
すべて濃淡を持って彩色されている。
うーん、年齢を考えると本当にびっくり。
どのくらい時間をかけたのだろう。
本人はかなり楽しんで描いたはずだが、
集中度合いを想像すると、
かなり反動があったのではないかと余計な心配。
熱でも出してなければいいが。
色のことばかり書いてきたが、
じつはフォルムもおもしろい。
プールが丸いのは当然だが、
それ以外のものもほとんど角がなく丸いのだ。
カクカクしていない。
なんとなく満ち足りているようで
心が豊かになる。
まさに幸せになったぐるんぱだ。
そしてそれらがすばらしいバランスで配置されている。
これも見逃せない。
しかも主役のぐるんぱのサイズをやや抑制して描き、
ぐるんぱをが作り出した世界の楽しさを広く見せることで
より一層ぐるんぱが大きくなった!
そして、先ほども触れた濃淡と筆のタッチで
子どもたちの動きと奥行き感も十分に生まれた。
1か月はどころか、もっと賞味期限の長い絵だ。
カレンダーの絵のよい点は、
基本的に毎日のように眺めることで
新しい発見があることだ。
これはすべての芸術作品にいえることだけどね。

原作の絵本を描いた堀内誠一先生は
ほとんど独学でグラフィックデザインを身につけられた。
小学1年生のときに個人雑誌を作るという早熟ぶりで、
14歳でなんと伊勢丹に勤めて商業デザインを始めた。
結果、商業高校を中退して22歳でデザイン会社を立ち上げた。
雑誌、an an POPEYE BRUTAUS Oliveなどのロゴは
先生の作品だ。
堀内先生が絵本に取り組むのは後期だが、
福音館を中心に多くの絵本作品が今も刊行されているのは
ご存じの通りである。
堀内先生はまた、初期の「ことばの宇宙」で
イラスト入りの読み物も連載されていた。
しかしそのころ、草創期のラボの宣材や
教材(当時はそう呼んでいた)の作り手はとんでももない。
メインのポスターのイラストは、
すでに大御所だった真鍋博先生。
副教材(そういうものがあった)イラストは和田誠。
「下敷き」のカラーイラストは横尾忠則。
そして、MY Balloonの作曲は山下洋輔!
嘘だろうという顔ぶれだ。
ライブラリー以前から一流趣味だったのね。

堀内先生は1987年に54歳の若さで
下咽頭がんのために逝去された。
ぼくは残念ながら一度も先生にお会いしたことはないが、
「ことばの宇宙」に泣きながら
「さよならぐるんぱ」という追悼文を書いた。
たろうもぐるんぱも、今見ても、
おしゃれでかっこいい。
先生、ぐるんばまだ大活躍してますし、
たろうも新しいアイスのために激走してます!
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三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。

卯月に入った。
1年の4分の1、第1クォーター終了だ。
歳月が人を待たぬことを嘆く前に
時間に追われることを恨む前に
いざ季節を迎えにいかめやも
時を忘れて遊びやせん
31日の夜に、大かたづけ中の事務所で、
防塵用の帽子とマスクをしながら
カレンダーをめくったら、
この鮮やかなイエローが強烈に飛び込んできて
屈託してかたづかない心が
ホコリごと吹き飛ばされていった。
作品はロシアの昔話に題材を求めた
ラボ・ライブラリー『わらじをひろったきつね』。
描いてくれたのは竹本さくらさん(小5/玉野市・坊寺P)。
いやあ新しい季節、第2クォーターを
元気よく始められそうだ。ありがたや。
その元気の源はなんといっても、
先ほど書いたスコーンと抜けてクリアで明るいイエローだ。
スズキ・コージ先生の絵の色調には
まったくとらわれていない。
そして、ガチョウをまんまとだましとり、
トンズラする女狐を右はじに描いたこともすごい。
とにかく爽やかなくらいに「思い切りかた」が大胆だ。
もうすこし細かく見よう。
このクリアなイエローは実に気持ちがいいが、
少しでも黄色とそれに混ぜた白のバランスが変わると
これだけ広い面積に使用するにはなかなか難しい色になってしまう。
おそらくさくらさんは、色を作りながら
ある瞬間に「これっ!」と思ったのだろう。
それから右に向かって走る
すなわち舞台でいえば下手から動いて
上手に消えようとする女狐を
上手いっぱいに配置するのも大技だ。
これは1枚の絵画作品だが、
絵本では動きの方向とページめくりの関係重要だから
ふつうはこうした場面では左寄りに女狐を置き、
右側に空間を作って動きを出す。
そういう視点、ページめくりと運動の方向という関係で
絵本を見るのもおもしろい。
それを、さくらさんは思い切って女狐を右端にした。
もう今にも画面から飛び出していきそうだ。
これだけ右端にメインのものを置くと
絵の右側に重量がかかりすぎて
右に傾いた感じになるのだが、
女狐の黄色が抜けて軽いことと、
左側のスペースに細かい描き混みが、
しかもやつつけではなくかなりていねいにされているため、
むしろ女狐のうごきをアクセラレイトしている。

また女狐の背後の家や人物も重要で、
これらもていねいに、
そしてちゃんと意味や遊び心を持って描かれている。
また、空(そら)に当たるスペースはわずかだが
きちんと塗られていて隙がない。
こうした背景のおかげで
奥行きが生まれている。
この奥行きがなかったら、
平面的な作品にんってしまったかもしれない。
スピード感と奥行きがこの作品のもうひとつの命だね。
で、この絵を見れば見るほど、
ディテールの描き混みがすばらしい。
ラボ・ライブラリーのように
なんども出会うことでそのたびに発見がある。
3月31日にめくっておきながら
今まで感想を書かなかったのは、
スケジュールの問題もあるが、
草や樹木の皮やウロ、葉っぱなどを
じつに根気よく色を変えいることとか
ガチョウの目とか、
女狐の服の見頃と袖の色の違いとか、
全然見つけられていなかったからだ。
いつも書くことだが
なんどでも出会う、
なんどでもインプットすることは
アウトプッター、表現者のお約束だ。
ともあれこの絵は4月いっぱい楽しめる。
いや賞味期限はもっと長い。
そう思うと竹本さんと
この物語の関係を知りたくなる。
パーティて活動としてとりあげたのか。
それともとら書く好きなだけなのか
気になる。
ただ、これだけの集中力と持久力(これは時に矛盾する)を
持っているさくらさんのテーマ活動に興味がある。
なぜなら、しつこくいうが
テーマ活動は教育プログラムだからだ。
ラボ・ライブラリーの絵を担当された
スズキ・コージ先生は
今や大御所(本人は怒るかな)の売れっ子だが
ぼくは先生のぶっ飛んだ絵本が大好きだ。
じつはスズキ先生は
若き日にロシア各地を長期間旅行されていて、
ロシア、スラブ圏の文化・風俗に詳しく
帝政時代の面影を残す城や
ペチカ、イコン(ロシア正教礼拝用の聖像)の写真、
木製のオモチャや民具(とにかくロシアは木の文化!)
などの資料たくさんお持ちである。
このライブラリーの刊行前には「ことばの宇宙」で
大いに活用させていただいた。
だからスズキ先生の描くペチカや
わらじ(ロシア語でラーポチ)や
女狐の衣裳などのデザインは
ロシア人もびっくりの正確さである。

さて、ロシアの昔話といえば
アレクサンドル・アファナーシエフ(1826-71)にふれざるを得ない。
ロシアのグリムといわれるこの人は、
結核のため46歳という若さで世を去ったが、
600編におよぶ民話・伝承を編纂した。
その数はグリムをしのいで世界でいちばん多く、
また、民俗研究の資料としても価値が高い。
『まほうの馬シフカ・ブールカ』『かぶ』
わらじをひろったきつね』『森の魔女バーバ・ヤガー』は、
彼が編纂した昔話集をもとにしている。
それともう一人、ウラディーミル・プロップ(1895-1970)も
ロシア昔話では重要。
この人は民話を分析・分類した人で(1928年、そんなことする人はいなかった)、
後に多方面に影響をあたえた。
プロップの『魔法昔話の起源』
(せりか・斎藤君子訳=斎藤先生はラボ・ライブラリーでも
日本語を担当されている)はとんでもなく厚い難解本だが名著。
ロシアのみならず、どの国の昔話もそれぞれ特徴があっておもしろい。
それは、人びとの生活感、知恵、愛情、血、悲哀、喜び、
そしてその地域の風、光、歴史などが
ぎっしりエッセンスとなってつまっているからだ。
昔話や神話こそ最高の学びのもとといいきれる。
だから、ラボ・ライブラリーに昔話が多いのも当然。
昔話も神話も民族が若いとき、いや赤ちゃんのときに生まれている。
だから鳴き声のように心に響く。
神話なき時代にそう思う。
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誰に頼まれたわけではないのですが、
50歳を迎えるラボ教育活動にささやかな祝辞を贈ります。
最初フェイスブックの友人限定でアップしたのですが
意外に反響が、多かったので
この広場にも載せることにしました。
タイトル横にdraftとしているのは完成ではない永遠の未完成という
エクスキュースです。
すべてのラボ現役、OG、OBに宛てた手紙のつもりです。
あくまで個人の感想なので
ご批判は甘んじて受けますが、
プリントは基本的には事前相談してください。

※
ラボ・パーティ50周年に寄せて draft
ことばの宇宙のはてをめざして
ラボっ子のみなさん、
ご父母、OB・OG、
ラボ・テューターのみなさん、
50周年まことにおめでとうございます。
そのおいわいを
ラボ・ライブラリーの台本ふうにあらわしてみましょう。
音楽M1 7秒でナレーションIN(14秒)トータル余韻いっぱいで23秒。2秒弱こぼす
50 years have passed since the Labo Party was born.
ラボ・パーティがうまれてから、50年のときがながれました。
現役ラボっ子は、ほとんどのみなさんが50歳以下だと思います。
だからラボ・パーティは、
みなさんがこの世にくるまえからありました。
さらに、みなさんのお父さんやお母さんのほとんどの方が
うまれるまえにもあったのです。
それはとてもすてきなことです。
もちろん、50年は
太陽や地球の年齢にくらべたら1億分の1ほどです。
また、ラボは自然の力でできたわけではなく、
人間がつくったものです。
ですが、太陽や月や星、山や海のように、
むかしから人間とはべつにあるもののように感じませんか。
すこしむずかしくなりますが、
数学や化学、言語学などの学問、
絵画や音楽、文学などの芸術も
人間の知恵とこころがつくりだしたものです。
けれども、やはり人間とはべつに、
しかもとても遠くにあるように思えます。
ですから人間は、高い山のいただきをめざすように、
光る砂漠をこえていくように、
自分たちがつくった学問や芸術に
一生をかけることができるのです。
そうです! 先輩ラボっ子やみなさんや
ラボ・テューターが、
けんめいに、はしったりころんだり、
わらったりないたりしながら
50年もつづけてきたラボ・パーティも、
学問や芸術のように人間とはべつにある、
大きくて美しく、はてしないものになっているのです。
では、大きく美しく、
はてしないものといえばなにを思いだしますか。
宇宙? そう、ラボの機関誌も「ことばの宇宙」ですね。
ラボ・パーティは宇宙の銀河系の太陽系の地球という星の
日本という島国の小さなグループですが、
みなさんにとってはいまもひろがりつづけ、
みなさんをひきつけてやまない宇宙です。
みなさんはラボのキャンプで夜空をみあげ、
こぼれおちそうな星ぼしに
声をあげそうになったことがあると思いますが、
その星たちはよく見ると、
赤みをおびていたり青白くまたたいたりと、
ひとつひとつ色もかがやきもちがいます。
ラボ・パーティの宇宙も、
ラボっ子という
ひとりひとりがちがうひかりをもった星でできています。
そして宇宙には上も下もまんなかもはじっこもなく、
どこをとっても中心です。
だからラボ・パーティの星たちも、年齢に関係なく、
だれもがまんなかでかがやいているのです。
これはとてもたいせつなことです。
ラボの宇宙には、ラボっ子だけでなく、
ラボの物語、ラボ・ライブラリーという星もかがやいています。
この星がはなつ英語・日本語の語り、
音楽、絵本というひかりをたっぷりあびて、
ラボっ子の星はいっそうかがやき、
たくましく、やさしくなっていきます。
そして、じつはそうやって成長するラボっ子のひかりをうけて、
ラボ・ライブラリーもまたより豊かになっていくのです。
ぼくは1976年にラボ教育センターの事務局員になり、
10年間組織担当者として活動し、
1986年から2008年まで
ラボ・ライブリーの制作にたずさわりました。
どの物語づくりもしあわせなしごとでしたが、
そのころよく
「ラボ・ライブラリー制作にはどのくらい時間がかかりますか」
という質問をうけました。
物語によってちがいはありますが、
1巻のラボ・ライブラリーづくりには
英語・日本語、音楽の録音、
そして絵本づくりにまる1年かかります。
ですが、とりあげる物語をきめるのには3年は必要で、
宮沢賢治作品や『十五少年漂流記』などは
企画から刊行まで10年以上の年月がながれています。
また、ラボ・ライブラリーづくりには
じつにたくさんの人が関わっています。
日本語を書く人、英語を書く人、音声を吹き込む俳優、
録音エンジニア、作曲家、演奏者、指揮者、画家、
印刷技術者など、100名くらいの専門家が
1巻のラボ・ライブラリー制作に参加します。
それぞれやくわりはちがいますが、
「子どもたちの想像力のつばさを育て、
未来への希望をふくらませる物語をとどけたい」
という思いはおなじです。
いま、英語の音声教材とよばれるものは
山のようにありますが、
ラボ・ライブラリーほどたくさんの人が参加し、
あきれるほどこだわってつくられているものはあまりありません。
もっともラボ・ライブラリーは教材ではなく
みなさんがたのしむための作品ですが。
ですからラボ・ライブラリー制作はたのしいけれどたいへんです。
テキストづくりでも音声録音でも絵本づくりでも、
こころと体力をしぼりださねばなりません。
でも、なによりむずかしいのは、
いつも最高の質のラボ・ライブラリーを
長いあいだつくりつづけることです。
では、50周年をむかえるラボ・パーティが
ラボ・ライブラリーを高い質をたもちながら
一定のペースでつくりつづけこられたのはなぜでしょう。
それは、みなさんがラボ・ライブラリーを愛し、
テーマ活動というすばらしいかたちで
あらたに表現してくれているからにほかなりません。
しかもそれがずっとうけつがれてきている。
こころをこめてつくった物語をうけとめ、
こたえてくれるラボっ子がいて、
そのきもちが発表や感想文や絵で伝わってくる。
そして、ラボで育った子どもたちが
おとなになり社会でかつやくしている。
ラボ・ライブラリーをつくる人びとにとって、
こんなに心づよいことはありません。
ラボ・ライブラリー制作がしあわせなしごとで、
ラボっ子のひかりをあびてラボ・ライブラリーも成長すると
書いたのはそういうことなのです。
ぼくはラボをはなれて6年たちますが、
時間がたつほどにますますつよく思うことがあります。
それはテーマ活動が教育プログラムだということです。
ですから、だいたんにいうとテーマ活動の発表に「うまい」とか
「いい」とか、「英語がいえている」とか「声がよくでている」
「身体表現がすごい」などという感想は、
あまりたいせつなことではないと思っています。
それらがわるいことではありませんが、
だいじなのは「ライブラリーを聴きこむ」という
ラボのなかまのやくそくをはたしていれば、
どんな発表もあるがままの子どもたちを
あたたかくうけとめることだと思っています。
なぜなら教育プログラムだからです。
テーマ活動は、ラボ・ライブラリーを聴き、
心とことばとからだで物語を表現し、
はなしあい、気づき、こころをふるわせ、
そしてまた聴き、表現する。
そうやって物語の世界に、英語と日本語のことばそのものに、
さらにその背景にある文化に
「言語体験(ことばとつながる活動)」をくりかえしながら
近づいていく教育プログラムです。
その方法が劇に似ているので、
テーマ活動は劇のようだけれど劇ではないというわけです。
そう考えると、やはりだいじなのは聴くことです。
ぼくたちは、聴く、みる、読むなどの
からだにとりいれる活動は受け身で、
話す、描く、書くといった自分を外にだす活動のほうが
積極的だと思いがちです。
しかし、まずからだのなかに
よいものをたくさんとりこまなければ、
きちんとしたものをだしていくことはできませんね。
その意味では、テーマ活動をみて感じることも、
とても重要な教育プログラムだと思います。
ぼくがテーマ活動をみてすてきだなと思うときは、
「ああ、このパーティはラボ・ライブラリーをよく聴いている」
「だから物語に愛されている」と感じるときです。
ぼくは「いいテーマ活動」などといったことは
いちどもありませんが、
ラボ・ライブラリーをよく聴いたかどうかは
発表をみればすぐわかります。
おそらくみなさんにとってもラボ・テューターにとっても、
これがいちばんのはげましであり、
おいわいではないかとひそかに信じています。
Labo Party のLaboはLaboratory、
すなわち実験室。ことばの実験室です。
だからどんどん挑戦しましょう。参加しましょう。
実験だから思わぬ結果、予期せぬものが生まれたりもします。
だからおもしろいのです。
なんでもありなのです。
やっちゃいけない実験は核実験、毒ガス実験くらいです。
学校の授業は生徒は黒板と先生の方を見るけど
理科の実験は先生じゃなく中心にある実験装置をかこみます。
ぼくたちのまんなかにある実験装置。
それが物語です!
たかが50年、You ain't heard nothin' yet!
おたのしみはこれからです!
ぼくはいま、母校(中学・高校)である
東京の私立学校でしごとをしていますが、
ラボからはなれるほどにラボ活動のたいせつさを実感しています。
学校にいることでラボのすばらしさがわかるからふしぎです。
いまぼくがたしかに思うのは、
教育の結果は、社会にでてからどれだけのことが
地域や世界のために、
人びとの幸福や平和のためにできたかで
はじめてわかるということです。
教育のゴールは、いわゆるいい会社、いい大学、
いい高校、中学に入ることではありません。
ですが、いまの学校教育はどうしても
進学や就職が目的になりがちです。
だからこそ、ラボ・パーティのような
学校ではできない
教育プログラムのたいせつさがよくわかるのです。
世界の神話や伝説、古典、昔話、宮沢賢治の童話、
センダックの絵本などには、学校教育では、
とくに進級すればするほど出会わなくなります。
受験にもほとんど関係ないですからね。
でも、そうした世界の人びとの思いや
血やなみだやよろこびや知恵、
人類の文化をギュッとしぼりこんだ
「英語・日本語・音楽・絵」がつくりだす
栄養あふれる食べもののようなラボ・ライブラリーに
幼いときからふれることは、
人間として人間のためにはたらく力のみなもとになります。
21世紀になっても、
世界にはまだ多くのいさかいや不公平がありますが、
どんなことにも興味をもち、
どんな人とも心をかよわせることができ、物語や歌がすき。
そんなすてきなラボっ子たちがつくる
やわらかでつよくやさしい世界が
きっとくることをぼくは信じています。
最後になりましたが、
ラボ・テューターというすばらしい女性と出会ったことは、
ラボっ子のみなさんにとって人生のしあわせです。
ラボ・テューターほどひとりひとりの子どもたちに
「いのちがけでかかわる」おとなはなかなかいません。
しかし、みなさんたちラボっ子と出会ったことは、
テューターにとってもすばらしくしあわせなことだとぼくは思います。
もういちどラボ・パーティ50周年おめでとうございます。
みなさんのせなかには想像力というつばさがりっぱに育ち、
明日の夢をてりかえして銀色にかがやいています。
そしてどうか、
みなさん自身の「ひかり」をたいせつにしてください。
そしてそれは、ほかの人の「ひかり」も認めるということにほかなりません。
ラボっ子であるかぎり、いやラボから離れても、
一人の「ひかり」を持つ人間として、
その「ひかり」をみがくことに情熱を持って欲しいと思います。
それが、この地球という出口のない星のうえで
世界が力を合わせて生き続ける道なのです。
次の50年をめざして、
ラボ・パーティがよりたくましく、
美しく、力づよくはばたいていくことを願ってやみません。
以上
2016年3月
学校法人根津育英会武蔵学園
武蔵大学 武蔵高等学校中学校
学園記念室長
元ラボ教育センター教務制作局長
三澤 正男
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2月27日の土曜日、東京大学駒場キャンパス内の
フレンチレストラン、ルヴェ・ソン・ヴェールで
ラボ西日本系OBOG諸氏といい時間を過ごした。
スペシャルゲストはボストンから帰国中のえっちゃんと、
ただいま大活躍中の『デフレの正体』の
藻谷浩介氏(日本総研主席研究員・元中国支部)。
おおいに盛り上がったが、
会話の内容をほとんど書くことができないのが残念だ。
元々この会は、後列中央の「ノーチャン」こと
中條拓伯工学博士(東京農工大教授・元関西支部)と
藻谷氏のとなりの「なし」こと小野眞司氏(大成建設でかなり自由に
町おこしや若者を組織したりしてる・元中国支部)とぼくで
飯でも食べて昔話をしようと吉祥寺や武蔵小金井で
のそのそやってた会が次第に人数が増えたものだ。
それが前列右端の「えっちゃん」こと
八代悦子さん(ボストン在住、ナンタケットバスケット制作の相伝者)と
藻谷氏がボストンに講演いった際に、
なぜかぼくに会いたいという話になり、
(というかえっちゃんは帰国するとこの会に出ていた)
それが最近、藻谷氏とタッグを組んで仕事を
している小野氏に伝わり、
小野氏がメール幹事として
ぼく以外超多忙な諸姉兄を調整してくれて
このつどいになったのだ。
まあ、この会の話はエンディングでまた。
さても本題。
三澤制作所のラボ・カレンダーをめくる。

弥生。頬を切っていた風も
撫でるようにやわらかくなってきた。
南からは花の便りもはきこえそうだ。
願わくば今春の桜は、空までも薫るほどに満開し
諍いと血と汗と欺瞞と不公平の黒雲を浄化して欲しい。
作品はアーノルド・ローベルの絵本、
『ふたりはともだち』”Frog and Toad Are Friends”に題材をも求めたもの。
描いてくれたのは杉本怜奈さん(5歳/御殿場市・長谷川P)。
めくった瞬間、「ああ春が来るんだ!」と泣きそうになった。
このところ、おもしろいこともたくさんあるのだが、
辛くせつないことも、それはほとんど仕方のないことなのだけど
それ以上にたくさんあって、このイケイケおじさんであるぼくが
なかなか前に進むきもちを削がれていた。
そこに飛び込んできたこの絵から
「もう春だ! さあ前を向かって歩くんだ」
という声が聞こえてきた。
まるでがまくんをおこすかえるくんの声のようだ。
ご存じのようにローベルの原作は全体に抑制された色調だ。
しかし怜奈さんの色彩は、じつにあざやかだ。
もうこの時点で物語が自分のものになっているのだなあ。
かえるくんのグリーンのからだにプラウンのジャケット
がまくんのブラウンのボディにグリーンのバャケット
というコーディネートは原作の設定通りだが
まあ、ふたりのジャケットのプリントが、
なんともおしゃれでポツプじゃないか。
おじさんは好きだね。
バックに広く使っている薄いベージュも気持ちがいい。
これがけっこう、というよりかなり効果を出している。
肌色はなんといって安心感や温もりがあって
この物語にぴったりだ。
もしここが最上部にわずかに覗く空色だったら
(このわずかな空もいい! 小さく雲も描いてあり、
春気分をアップさせてくれる)
ふたりはもっと引っ込んでしまうし、
全体に涼しい絵になっていただろう。

もちろん虹も鳥もお気に入りである。
描きながら楽しんでいるのが伝わってくる。
だけど、びっくりするのは、
全体におおらかにのびのびと描いているのに
色のにごりがないことはぴっくりぽんだ。
筆は8号か10号程度を1本かせいぜい2本を使用したと思うのだが
(本人に聞いてみたい)
毎回、筆をきちんと洗い、
さらに筆の柄の部分も拭いているのではないだろうか。
毎回のように書くことだが、怜奈さんの年齢で
カレンダーサイズの描画をすることはかなり力技だ。
多分、用紙は彼女の肩幅より大きいだろう。
その用紙を隙間なく埋めるだけでもたいへんなのに、
色が濁らないように筆にまで気を配っているのはすごい。
その集中力はどこからくるのだろう。
勝手な推測だが、怜奈さんは眼がいいのた。
それは単に視力がよいという意味ではなく、
よく見る力、持続して見る力がすばらしいということ。
さらに心の眼、見たものから感じとる力も強いのだろう。
そして、物語もよく聴いていると思う。
見る、聴く、触る(おそらく)といったinputの力が
これだけの集中力を支えていることは確かだろう。
この物語の原作絵本は1972年11月刊行だ。
以来、世界中で愛されているが、
ともすれば気持ち悪いといわれがちな
かえるとがまえるのコンビのふしぎで暖かい友情の
ゆる~いエピソードのそれぞれが
子どももおとなも捉えて離さない。

原作者のアーノルド・ローベルは幼少時は病弱で
そのことが作品にも影響を与えているといわれる。
彼の作品に登場する生物は、
みな個性的でキャラクターが立っている。
そしてこの『ふたりはともだち』でもそうだが、
それぞれがときに心がすれちがったりしながらも、
自分らしさからぶれることがない。
だけど、深いところで互いを認め合っている。
自分らしさをたいせつにすることは、
とりもなおさず他者の個性を認めることだ。
冒頭に原作絵本は抑制された色彩だと書いたが、
がまくんとかえるくんのシリーズは
基本的にグリーンとブラウンで描かれている。
ローベルの原画はペン画であり、
印刷段階で指定した、しかも限られた色を乗せるという
方法でつくられた絵本なのだが、
それが独特なのだ雰囲気をつくりだしている。
ローベルは惜しくも54歳の若さで他界するが
作品は刊行以来40年以上を経た今も
世界じゅうで愛されている。
がまくんとかえるくんの関係は、
ときには漫才師のボケとツッコミのようでもあり、
幼い無邪気なおともだちどうしのようでもあり、
やんちゃな悪ガキどうしのようでもあり、
また、男女のようでもあり、
さらに、白秋から玄冬にむかう
人生をかみしめる老齢期の友情のようにも思える。
ローベルの絵本のひとつひとつのストーリーは
きわめて短いのに、こうした深みがあるからこそ
ほのぼの感とともに心に刻まれるものが
読後に生まれるのだろう。
それにしても、怜奈さんの描く
がまくんとかえるくんの
自分らしさに自信をもった表情のさわやかさはなんだろう。
怜奈さんは子どもである。
しかし個性ある世界にひとりだけの人格である。
子どもの敵はは「子どもあつかいすることばやおとな」だ。
でもやっぱり子どもだから、ピーター・パンの双子が
双子とはどういうものかよくわかっていないように
怜奈さんもまだ、人生とか人格なんていうtermの
存在すら知らないだろう。
だが、怜奈さんは、
今、見ているもの、感じているものが
自分にとってどれほどみずみずしく、
自分のたいせつな栄養になっていくかということを
しっかりわかっている。
さらに、どんなものが本物で
より栄養価が高いかもちゃんとわかって選びとる力がある。
だから、子どもに与える作品に関わるおとなは
緊張して命がけが求められる。

最後にこの絵本の日本語訳を担当している三木卓氏について
少しだけふれておく。
三木卓は、H氏賞、芥川賞をはじめとする多数の受賞歴をもつ
詩人、小説家、翻訳家だが、
これぞラボ! という1編を紹介したい。
『星のカンタータ』1969年理論社➡︎角川文庫
この作品はいわゆるSF風の物語だが
ことばと表現、コミニュケーションという問題を
詩情豊かに語っているのだ。
しかもこの物語は『星雲の声』というタイトルで
「ことばの宇宙」に連載されたものだ。
といっても、この「ことばの宇宙」は、
今のような機関誌になる前の言語学の雑誌だけどね。
でも、いまの「ことばの宇宙」も
そんな高い志を持っているのだぞ!
がんばれ現役船長!
さて、冒頭の写真に戻る。
このなかでいちばん若いのは
じつは52歳藻谷浩介氏だ。
皆、ラボよりも長い人生を歩んできた。
藻谷氏いわく「みんなと恐れ多い先輩」とのこと。
彼らとは今やレジェンドとなりつつある
「ラボランド高梁」「高島海の学校」などでの同志だが、
有名であろうとなんだろうと、
みんなそれぞれに自分らしさをたいせつにして
ぶれずに社会にむきあっているのがうれしい。
いつも書くことだが、
なんどでも書くが、
教育の成果は社会に出てからわかる。
そして社会に出でると、
ここからが日々が勉強だとわかる。
藻谷氏によると、昔彼らの活動を見たぼくは、
「じつにばらばらで美しい」といったそうで、
それがすごいインパクトだったらしい。
恐ろしいことである。
でも、それはこの日の結論、
「競争をしか生まず、思いやりを失う画一化を否定し、
自分らしさ、その人らしさをたいせつに」と奇しくも一致する。
しかし、わしは偉そうな態度だな。
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三澤製作所のラボ・カレンダーをめくる。
毎年、思うが1月はけっこう長く感じる。
しかし2月、如月になると1年はあっという間だ。
暖冬といわれつつも
気温変化が激しく、それだけで消耗する。
みなさま、ご自愛ご自愛。

心理的に長い1月最後の日の夕方、
この絵と向き合ってたまげた。
なんという色、なんというフォルム。
なんという力強さ、そしてなんという自由さ!
描いてくれたのは福間名月さん(5歳・川崎市/安永P)。
ジョセフ・ジェイコブズJoseph Jacobs (1854 – 1916) が編さんしたイギリス昔話のなかの
Johnny-Cake 『くるりんぼうず』に題材をもとめた作品だ。
センターやや左で、,
どーんと笑っている「もろこしパン」がとにかく豪快でたのしい。
この「どセンター」ではないちょいズレがおしゃれで、
右側の青が多い空間が爽やかになりスピード感もでた。
そしてこの複雑な色味は、おとなでも、いやプロの画家でも
どう逆立ちしても出すことはできまい。
ほとんどの人が、見た瞬間、「あっ、やられた凄いわ」と
思ったはずだ。

これまでにも書いたことだが、幼い子どもの絵では
水彩の場合、絵筆の洗い方が不十分だったり、
また軸の拭き方が甘かったり
(ドボンと筆洗で洗うから筆の軸にも水がつくので、
軸もよく拭かないと水が垂れてくる)で、
色が濁ったり、予想外の色が生まれたりする。
だから偶然による仕上がりということもある。
だけど、5歳くらいで絵画教室にでも行かないかぎり
水彩の色の作り方を熟知しているとは思えない。
むしろ、そこにある絵の具を見て、
いろいろと混ぜてみたいと
名月さんはわくわくしながらパレットに出して、
感覚で混ぜたあとに直感で選んで彩色したのだろう。
この選ぶ感覚がたいせつだと思う。
赤と白でピンクになんていう理屈はもっと後からでいい。
直観はあまりまちがえない。
大人が間違えるのは判断である。
学問でも芸術でも、偶然をばかにしてはいけない。
偶然の発見、偶然の発色に感動し、なにかあると信じて
追求していけるセンスと想像力が命なのだ。
その想像力と密接な関係にあるのが言語であることは
なんどもなんども書いてきたことだ。
ことばの豊かなインプットがなければ、
名月さんのようなセンスはなかなか育たない。
名月さんとラボ・ライブラリーの関係を
ぜひ知りたいものだ。
くるりんぼうずの色構成の複雑さは際立っているが、
その他の部分も隅々まで色の挑戦を徹底的に行なっている。
その色のつかい方を一つ一つみると、
おそろしいくらいにおしゃれにできているから驚く。

その前に、
黒のクレパスで円を大小4つ、
半円とコーン状を一つずつ
さっと形をとったことが、
自由闊達でありながらしっかりした造形の確かさを生んだ。
これだけでも、この絵が「単なる気まま」で
できあがったものでないことがわかる。
しかもこのクレパスの円はいずれも一気書きの線だ。
迷いや、とまどいもなく、すっと力強く引かれている。
これも気持ちいい。
それだけHand-eye Coordinationがすばらしいのだろう。
そして細かい話だが
この円を描いた順番もきいてみたい。
おそらく、まず大きなくるりんぼうずをさきに一番に描き、
それから右、最後に左のピンクとイエロー
ではないか思われるが、果たして正解は?
この円の輪郭をあまり気にせず、
つまり「はみ出し」など気をつかうことなく、
伸びやかに彩色しているので「塗り絵」ではなく
厚みと奥ゆきのある「面」になった。
さらに彩色は格子のクレバスと同系色を用いたり。
はたまた群青と山吹、ブラウンとライトグリーンなんていう
ドキッとする組み合わせをつかったりと
自由自在である。
いやはや恐れ入谷の鬼子母神。
そして背景の凝り方も尋常ではない。
前述した右から左に流れる青も、
とても気持ちのよう抜け方をしているし、
下部の10号か8号の丸筆でぽんぽんと置いた
たくさんの暖色と少しの緑が楽しい。
この背景があるから、ともすれば強力すぎるくるりんぼうずを
ちょうどいいパランスに見せている。
そして、いつも書くことだが、
最後まで、徹底的にしつこく描きこんだ気力と体力は
5歳の子どもの限界に近いかもしれない。
もちろん名月さんは、この絵を描いている途中から
もう、とても楽しくなったのだろう。
また描くまえからこの物語が大好きだったのだろう。
とはいえ、普段は使わないB2サイズの紙とこれだけ格闘すれば、
翌日は熱をだしてしまったのではないだろうか。
そして、なによりこの作品と名月さんにとって幸いだったのは、
クレパスだけでなく水彩が画材として選択できたこと。
これがクパスだけだったら、こんな色は作れないし、
これだけの面積を塗るのはとても大仕事だ。
日本の公教育の描画指導では、いまだに
幼いときはクレパス、ある程度の年齢から水彩という傾向がある。
確かに水彩は用意や描く場所の準備が手間だが、
色を作る楽しさ、フォルムにとらわれず面で描くおもしろさは
幼いときから体験してもらいたい。
最初は水遊び感覚でもいいと思う。
部屋が大変だけど
後片付けをめんどくさいと思ったら絵なんか描けない。
ジェイコブズは、1890年、36歳のときから
自身が編集する民俗学の雑誌にイギリス昔話を紹介しはじめた。
ジェイコブズは、民俗学者であり、文学評論家であり、英文学者であり、
作家であった(じつはジェイコブズはオーストラリアのシドニー出身。
ケンブリッジで学び、イギリスで活動したのちアメリカにわたり、そこで亡くなった)。
彼が昔話を紹介しようと思ったのはグリムの影響が大きい。
グリム兄弟はジェイコブズが10歳になる頃に他界しているので
直接の面識はない。
当時、イギリスの子どもたちが手にする昔話といえば
グリムやペローの昔話であった。
ジェイコブズは、英国に古くから伝わるすばらしい昔話を
子どもたちに伝えることで、
この国に生まれた喜びと自信にして欲しいと考えた。
それはまさにグリムの志にインスパイアされたものだった。
北ヨーロッパの深い森と張り詰めた大気を連想させる
グリムの昔話とは一味も二味も異なる
田舎道の陽だまりの土ほこりの香のような素朴さと
美しいリズムのことば、さらに王様も金持ちも
そして自分自身も突き放して笑いながら、
「人間は皆同じ、おバカでかわいい」という
人間愛に溢れたヒューモアの感覚を
ジェイコブズは、どうしても伝えたかったのだ。
1890年いえば産業革命、ビクトリア朝の末期(1901まで)で、
大量で、力強く、そしてガチガチの社会だった。
大英帝国のある意味マックスで、
労働力はいくらでも必要としたので、
学校ではとにかく文字と四則演算を教えるため、
大教室で黒板を部屋にいくつも立てて、
そこに補助教員がつくという大量授業が行なわれた。
生徒が黒板の方を向いて教員がそれを背にして語る授業スタイルは、
産業革命以前にはなかったといわれる。
アリストテレスの時代から学びとは話し合いであり、
気付き合いであり、
教師と生徒との相互的な影響のしあいであった。
短時間に単純なことを多数の相手に覚えこませることではない。
また、ガチガチの時代であったビクトリア朝では
昔話は「生産性とは無関係」「夢物語し現実逃避」などと
ほとんど無視されていた。
(今の日本でもそういうことをいう奴がする)
さらに『ジャックと豆の木』などは、ジャックが巨人から
宝物を取ってくるのはただの泥棒になるから
「竪琴やめんどりは、昔、ジャックのなくなったお父さんがもっていた物だが、
昔、わるい巨人が強奪した。それをジャックは取り返すという正しい行為をしたのだ」
と書き換えた絵本もあったりした。
笑話のようだが、日本でも同じようなことがあったのだから
またあるかもしれない。笑えない。
ジェイコブズはまず1890年に44編のイギリス昔話をまとめ、
続いて「ケルトの昔話」さらに続編のイギリス昔話集め出した。
その後は「ユダヤの伝承文学」の研究にも尽力した。
『3びきのコブタ』『ジャックと豆の木』『トム・ティット・トット』(巻頭の物語)
などの人口に膾炙したお話は
ほとんどこの最初の44編に収録されていて、
もちろんJohnny-Cakeもみ入っている。

イギリス昔話は、なんといっても英語のリズムが魅力だ、
ナーサリー・ライム、シェイクスピア、イギリス昔話は
英語のマザーランドが誇る三種の神器であり、
英語、英語文化を学ぶうえで極めて重要、
というより不可避な存在だ。
だからご承知のように
ラボ・ライブラリーには当然ラインアップされている。
イギリス昔話の英語はリズムよく平明だから、
ぜひ英語だけで味わってほしい。
もちろん読んでもいいのだが、その場合は音読したい。
また、我田引水て恐縮だが、ラボ・ライブラリーで
英語だけで聴いていただきたい。
さらに、テーマ活動をすればよりすばらしいことはもちろんだ。
最近、ますます強く思うのだが、
教育プログラムは、以下に幼児、子ども、青少年の心に
余韻、リバーブを残せるかがポイントではないか。
教育の本質は意外にそこにある。
池に石を投げ込んだときの波紋のように、
すばらしい音楽の最後のコーダの後の成熟のように、
深い森のせせらぎのように。
たとえば授業でも、教師のいうことを理解させるかどうか、
つまり生徒がわかったどうかなどは
極論すればどうでもよく、
いかに生徒たちの心に
余韻を響かせることができるかどうかだと思う。
それはラボ活動でも同じで、
ラボ・ライブラリーの使命は、
聞く子どもたちの心に、いかに朗々とした
また凛々とした、そしてまた静謐な余韻を残せるかでありると思うし、
テーマ活動もその1回ごとにどれだけみずみずしい余韻を
メンバーが感じとれるがと思う。
テーマの追求とか、身体表現などのはそれからの話。
そのためには決局のところライブラリーと
何度も向き合うしかなく、
ライブラリー側からいえば、それだけの動機を呼び起こす
余韻を響かせるものでなければならない。
ジェイコブズは、座談の名手で、
誰もが一緒に食事をしたがったという。
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