幼児教育・英語教室のラボ・パーティ
■■■ 運営事務局より ■■■
ひろば@LABOは,ラボ教育センターが展開する
「ラボ・パーティ」に関わる皆さんのコミュニティ・ネットワークです。
「ラボ・パーティ」については 公式サイト  をご覧ください。
ラボ公式HPTOP新着一覧アウトドア・キャンプランダム新規登録戻る 0119682
  
Home
Diary
Profile
BBS
Bookmarks
Schedule
メール
・メッセージを送る
・友達に教える
ページ一覧
・ 私とラボとの出会い&ラボ人生前半
現在ページはありません。
・ 2005サマーキャンプ黒姫16日間日記
 1日目 7月31日 準備①
・ 2004-2005Winter Camp黒姫2班
 野外活動~ニコバイ山探検隊
 異文化ワークショップ~Mマークは世界の入り口
[一覧] << 前の日記 | 次の日記 >>
2年ぶりの…悲しみの再会 02月11日 (金)
ここ、最近気分が落ちています。

そして、今週はさらに追い討ちをかける出来事が起こりました。
高校の時の英語のH先生が亡くなったのです。
びっくりして、言葉も出なかった。全然信じられなかった。だから、涙も出なかった。
いろんな予定をキャンセルして、急いで千葉に向かいました。
本当に身近な人が亡くなったのは初めての経験。
どうしていいのかわからなかった。
卒業して以来初めて、高校の最寄駅に降りた。
ちょっと、お店が増えてたり、でも雰囲気は昔と変わらなかった。

うちの高校の私のクラスは一応進学コースだった。
1年の時から受験を目指し勉強をしていた。
先生は英語の担当だったけど、私たちの受験指導をしてくれた。
担任や学校の方針とはほとんどの生徒が馬が合わなかったので、みんなH先生に相談していた。
英語の宿題は半端なく、毎週2回英語のテスト、土曜日は補習…
夏休みも冬休みも春休みも学校を開放して教えてくれた。
私は、そんなスパルタのとんでもない英語の量についていけなくなり、落ちこぼれでした。
どっちかというと、あまりH先生のこと好きではなかったかも。

でも、忘れかけていた思い出がお葬式の司会の人のアナウンスでよみがえった。
H先生は、本当に生徒想いだったこと。
24時間生徒のことしか考えてなかった。
食事や寝る時間を惜しんでテストの採点やプリントを作ってくれた。
休日も放課後も全部私たちのために教えてくれた。
英検の2次試験のときは付きっ切りで面接の練習しくれたり、入試の小論文対策もしてくれた。
参考書を山のように買ってきてくれて、参考書の使い方までアドバイスしてくれた。
本当に人に教えることが趣味のような先生で、いつも私たちの味方をしてくれた。
コンビにもない山の中の学校なので、ときにはお昼ごはんをおごってくれたり、クリスマスにはケーキを買ってきたり…
H先生のやり方と校長先生の考えが合わないことはたくさんあったけど、でも先生は本当に私たちのことを考えていた。

高3の年末は受験に向けてのラストスパート。
31日まで授業やって、1月1日から授業という先生にとってもハードスケジュールだった。
でも、先生は夕方授業が終わってから夜中、車を走らせ湯島天神まで行ってお守りを買ってきてくれた。しかも、クラス全員分。
本当に感動した。ここまでしてくれる先生どこにもいない。
でも、受験まっただなかの私たちにとってその偉大さにあまり気がつかなかった。
ある意味、当然のように先生の指導を受けてたかも。
最後の最後まで受験に関するアドバイスをくれた。
そして、卒業後私はやっとのことで合格をした。
電話で報告したとき、先生は本当に喜んでくれた。
それ以来、先生には一切連絡もとってないし、会ってもいない。
いつか、会う機会があるだろうと思っていた。

なんで、こんないい先生に連絡したり、会ったりしなかったのだろう…
本当に後悔だけだ残った。

もう、先生と話すこともできない、昔を思い出して一緒にみんなで笑うこともできない。
悲しくて、この状況を理解したくなくて、ただただ泣いた。
陽気な先生だったから、棺のなかから起き上がりそうなんだもん。
「授業始めるぞ!」って。「あや!もっと頑張れ!」って。

人が死ぬってどういうことだろう。
もう、私の想いを先生に伝えることは出来ない。
それって、どういうこと?

とにかく、3年間のありがとうの気持ちを手紙に込めた。
つっぱっていた私は、きちんと先生にありがとうって伝えてなかったから。
それから、大声でごめんねって叫んだ。
伝えるの遅すぎだよね。

担任でもないのに3年のときのクラスほぼ全員が集まった。
同窓会でもこんなに集まらないのに。
先生の偉大さが改めてわかった。
できれば、H先生もまじえて今度の同窓会を迎えたかった。
先生と一緒にあのときをみんなで懐かしみたかった。
ちょっと、大人になった私を認めてほしかった。
大学卒業したときや就職、祝ってほしかった。結婚したら、式に呼びたかった。
でもそれは絶対かなわない。もう一生かなわない。



教育ってなんだろう。
教職課程をとる私は今回のことで改めて考えた。
学校という組織の中にはいってしまえばほとんどの先生が学校に従って教えている。
教師の熱意なんて感じたことなかった。
形式的に教えているという印象しか受けなかった。
教師になるということはとても大変で覚悟が必要なこと。
私は今絶対になるとは言えないけど、もしなるのなら熱い想いをもった生徒想いの先生になりたい。

H先生が私が教師になるって聞いたら本当に驚くだろうな。
できれば、そのときを一緒に迎えたかったけど、これからは私の心の中に話しかけます。

H先生本当にありがとう。先生は世界一の教師です。
>>感想を掲示板へ
Re:2年ぶりの…悲しみの再会(02月11日) >>返事を書く
あっこさん (2005年02月19日 02時30分)

あやちゃんのを見て思わず涙し、書き込んでいます。
そうだね。死ってなんだろう。私の目指そうとしている場には、常に死
が付きまとっていて、それを受け入れることの方が当たり前になってい
る。私の中では、死って…『どう死ねるかは、どう生きてきたか』なん
じゃないかなって思う。最後の瞬間にその人は何を見て、何を思ったの
か。お葬式の時に沢山の人に見送られたH先生。きっと、その先生がどう
生きてきたのかがはっきりしたんじゃないかな。

人生の質は、決して長さではないと思う。重みだと思う。どう、詰った
人生を送るのか、そこが大切なんだと思う。


私は、死になれる人にはなりたくない。悲しみになれる人にもなりたく
ない。でも、なくなり行く人を涙では送り出したくはない。

来週から実習に向かうにあたり、ターミナルの患者さんを受け持つん
だ。常に、命の炎を輝かせている患者さんに、自分はどお向き合ってい
けるのか。あやちゃんの文章をみて新たに、自分はどう向き合って生き
たいのかが見えた。
Re:Re:2年ぶりの…悲しみの再会(02月11日) >>返事を書く
あやぴょんさん (2005年02月22日 02時20分)

あっこさん
>あやちゃんのを見て思わず涙し、書き込んでいます。

少しでも、この気持ちがわかってくれたらうれしいです。

本当、人生は質だよね。
今は、長生き望まなくても出来ちゃうから。
なんとなく、生きれる世の中だから。
日々をありがたく精一杯生きたい!


私の母が看護師なので、小さい頃からナースは夢だったけど人が死ぬと
いう現実を受け入れたくなくて、看護の道を選ばなかった。
あっこは、それも受け入れられる、バリバリ仕事が出来る看護師さんに
なってね!
応援してるよーーー!
実習頑張れ。
<< 前の日記 | 次の日記 >>
Copyright(C)2002 Labo Teaching Information Center.All rights reserved.