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秋燈は玲瓏、春燈はなまめかしい。
夜が深くやさしいのは秋だが、早春の宵は人が麗しい。
与謝野晶子の『みたれ髪』の一首
清水へ祇園をよぎる桜月夜 こよひ逢ふひとみなうつくしき
ひさしぶりの書き込みだ。
日中にかたづけねばならぬ作業、やらねばにらぬ情報収集が多く
原稿を書いたりといった仕事はどうしても夜になる。
気があせるが、忙しいときほど落ち着いて仕事をせねばならぬ。
雑にやるとかえって手間がふえるからだ。
デ・ジャヴということばかある心理学のterminologyで
既視現象 既視感というやつだ。
ぜったいはじめてのはずなのに、なにかここにいたことがある、来たことがあるような気もちになるというやつだ。
英語でいえば I feel I've been here before.ということだ。
心理的時間感覚や距離感のトラブルだが,疲れていたりするとけっこうなるし、
ある種の神経症の症状としてでるときもある。また、デ・ジャヴと逆のジャメ・ビュー=未視現象、すなわちなんどか体験しているのにはじめてののような気がするというのもあるそうだ。
じつは、このところ、『はだかのダルシン』のおとな役、すなわちコンラ王や仇役のグンダー、ダガール軍曹などの音声をふきこむ英語の俳優さんのオーディションを連日行なっている。ぼくらの居場所にあわせてスタジオにきてもらったり、ラボセンにきてもらったりだが、選ぶほうも選ばれるほうもたいへんだ。
今回は当然だが、アメリカ英語でい人という注文がニコルさんからついている。
昨日も午後に男女約8名の俳優さんのオーディションがあった。いっぺんにはとても無理なので、2回にわけて1時30分と2時30分で行なうことにした。この日はひとつのタレント事務所とフリーの人だという。ただしフリーの人は一人は1時に、もうひとりは5時だという。
冒頭にも書いたが、午前中はあっというまにおわった。12時を5分くらいまわったところで、いまのうちに速攻でなにか食べないとやばいなと思っていると……。
受付の総務に案内されて190センチはあろうかという巨漢がはいってきた。
「えーっ、1時のはずなのに。まだ12時じゃん」と思ったが、まあ仕方がないと
902号室、通称北会議室にとおした。この部屋はまあ内輪のミーティング室だ。客をとおすところではないのだが、あまりめだちたくないし、ほかの部屋もあいてないのでここにした。悪いことに、引っ越しが近いからそここここに段ボール箱がおいてある。さすがに申し訳ないので「長年親しんだビルなのだが、今月いっぱいで引っ越すのだ。したがって、かたづけの最中なのでかんべんしてね」いった。
すると、男はなつかしそうに「もう、何年もむかしここで仕事をしたことがある。マザーグースの仕事だ」という。その瞬間、思い出した。それまで、たしかにこの男とは初対面のはすだが、どこかで見たことがあるなあというデ・ジャヴにおそわれていたと思っていたのだが、じつは単なるものわすれだったのだ。なさけない。「あなたはアルビオン座のアトキンスさんでしょう!」というと、大きな顔がくしゃくしやになった。握手は部屋にはいってきたときの儀礼的なものとは握力がちがった。
彼の名はスチュワート・アトキンス。もう25年もむかし、SK17『詩とナーサリー・ライム』が発刊されたころ、アトキンスさんはトゥィードル・ダムとディーというコンビでナーサリー・ライムの楽しいパフォーマンスをするアルビオン座を結成していた。ラボでし全国でおよびしたと記憶している。しかし、人の心はうつろいやすく、ナーサリー・ライムはラボのめそっどにすっかり定着したが、アルビオン座のことはしたい゛に忘れられていった。それから何年かあと、ぼくはアトキンスさんの相方の人が交通事故で他界されたことを新聞で読み。しずかに悲しんだ。
そのこを周囲に伝えたが、反応は「アルビオン座、ああそういえばそんな人いたっけ」というものだった。ぼくは、オーディションそっちのけでアトキンスさんにーまってて、なつかしい人たちわよんでくる」といって事務所にかけもどった。
オーディションの結果をここにかくわけにはいかない。しかし、アトキンスさんとはきっと近々スタジオであうような気がする。
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ちびままさんを先頭に今年度の全国ライブラリー委員のみなさんが
がんがん録音などの報告をブログに書き込まれているのでありがたいことだ。
2/25の土曜日は『ダルシン』の選考会。心配された雨もふらず好天のもと、約180名のラボっ子が参加した。この間、新刊ライブラリー制作の際にはラボっ子による日本語音声吹込みを企画・実行している。その理由はさまざまだが、シンプルにいって第1にはラボっ子が参加することでもっとラボ・ライブラリーに親しみをもってもらいたいということだろう。しかしながら、ラボっ子たちのライブラリーへの思いの強さには毎回あたまがさがる。もちろん、テレビやラジオの出演をふくめてマス・メディアに登場することが特別なことでもなくなり、筒井康隆氏が小説のなかで予言したように、メディアに露出されるように行動する風潮と無関係ではないかもしれない。しかし、応募したラボっ子ひとりひとりが自ら書いている「応募の理由と抱負」は、どれもたいへん真摯でかつ内容のあるものである。
応募からして、そういう熱気というか高温だから、選考会当日の会場はほとんど亜熱帯である。そして、これも毎回思うのだが、目標とあこがれをもっている者の集中力はすごい。ぼくのあいさつも、選考委員の講評も、それなりにむずかしい内容なのだが、子どもたちはじつにしんけんにじっと聴いている。「いまの子どもや若者は人の話を聴けない」などとだれがいった。聴くべき理由があり、そして内容があれば子どもたちはちゃんと集中して聴く。聴かないのは話や授業の内容がまずしいか、聴く理由をうばつているからだとおもう。
そして、これも毎回、ぼくは参加者にいうのだが……。
「ここにきた180名全員でこのラボ・ライブラリーをつくります。スタジオにいいけるのはこのなかで4名だけです。でも、この180名がいなければその4名を選ぶことはできません。日曜日に、家でごろごろしていても、どこかに遊びにいってもいいはずなのに、決意してここにあつまった行動力に敬意を表します。スタジオにいってもらう4名もCDには『ラボ・パーティの子どもたち』としかレジットされません。つまりこのラボ・パーティの子どもたちとは、きょうここにあっまった180名のみなさん全員のことなのです。そのことはぜひみなさんほこりをもってください」
できうれば、もっとゆっくりワークショップをしながら選考したかったが、あまりの人数の多さに、ある程度は流れ作業にならざるを得なかった。だが、三輪さんと鈴木さんのおかげで、ただのオーディションではない教育プログラムにはなつたと思う。すべてがおわったのは、6時半。夜のとばりはすっかりおりて、高層ビルのあかりが会場となった小学校(都市のドーナッツ化のおかげで廃校になつたのを利用している)をみおろしている。浅い春の夜はまだ肌寒かったが、身体も心もなかなかあたたかだった。
ぅーん、ニコル氏の話はあした。
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先週の木曜日にThe Fairy Cow 音楽録音があった。曲は間宮芳生先生である。
首都圏の全国ライブラリー委員も見学にこられたので
そのようすは「ちびまま」さんがとてもていねいに書き込んでいる。
ぼくよりもはるかに文もおじょうずなので
ぼくどがぐたくだ書かなくてもいいのでじつに楽だ。
ちびままさん、これからもよろしく。
とはいえ、それもやる気がない感じなので、その一月ほど前に間宮先生のお宅に打ち合わせにうかがったときのことを書く。
音楽家とのうちあわせは、ふつう2、3回行なう。先生のお宅にうかがったのは1月なかばの水曜日だ。ずっと寒い日がつづいていたのだが、この日の午後はぐっとあたたかく、小田急線成城学園前から、コートをぬいで徒歩でいくことにした。
くわしい住所はかけないが、先生のお宅は小高い丘の中腹にある。ベルをならすと先生と奥様がお二人で迎えてくださった。駅前の花屋でしつらえた黄色いチューリップとカスミ草の花束をさしあげると「ちょうどお花がきれていて……」と奥様がにこやかにこたえられて緊張がとける。芸術家の妻としての威厳とやさしさ。衣食足りても礼節をわからぬ自分がまたはずかしい。
先生の仕事場は1階の奥、グランドピアノがデンとかまえその奥に机とオーディオ装置。窓のむこうは世田谷の屋波と森。
「せまいくてもうしわれないね」とおだやかに先生が笑われ、パイプ椅子をもちこんで3人で打ち合わせをすすめる。
物語とその音楽については、じつにきびしく適確な質問と指摘とご意見(あたりまえだ)。しかしひととおりの打ち合わせがすんで、使用する楽器のことや、リズムにことなどを素朴におたずねすると(それが意味のある質問の場合)、じつにいきいきとそしてたのしそうに話をされ。ねっからの音楽家(これもあたりまえ)なのだということをあらためて実感する。
陽がすこし西にかたむく。話をしながら、もう15年以上もまえに『スーホの白い馬』の音楽をお願いしにうかがった日のことがフラッシュバックする。あのときは、先生は紫綬褒章をうけられた直後だった。ラボと先生はそのころある事情で距離があるときで、はたしてひきうけていただけるかの自信はだれにもなかった(今思えば、ご自宅にうかがえるというのはOKということだったのだ)。その日、われわれは3人でうかがったのだか、緊張しながら「引き受けるといっていただくまで動かないようにしよう」なとど、子どもじみた無謀な計画を話し合った。
ところが、グランドピアノの横でかしこまるわれわれの前で、先生はいきなり「馬頭琴のルーツはねえ……」とたのしそうに作品の話をはじめられたのだ。さまざまないきさつとか、しがらみとか、おっしゃりたいことは山ほどあったはずなのに、そういったことにいっさいふれず、音楽のプロとして直線的に仕事の話をされた先生の大きさとやさしさに涙がでそうだったのを今でもおぼえている。プロとはなにかを先生は伝えたかったのだ。
そんな思い出にふけっていると、もうおいとまの時間が近づいた。最後に、40周年の今年、秋ごろにぜひこれまでをふりかえってラボのことやラボ・ライブラリーの音楽について先生のお考えをきかせてくださいとお願いした。先生は、「うん。それもいいかもしれない。ラボも40年、いろいろあっただろうけれど。ずぅっとかわっていないことがあるでしょう。私の話でそのことを確認してもらえるかもしれない」。「それは、ラボ・ライブラリーのつくり方とかテーマ活動のあり方ということですが」とボケたこたえをぼくがかえすと、先生は「いや、というより、ラボ・ライブラリーもその音楽もテーマ活動も、生身の人間から生身の人間へ、生身の人間の耳から耳、心から心へわたすものだということです」としずかにおっしゃった。そのおこたえが、いまひとつつかめないまま席をたつ。
「成城もいまひとつつまらぬ街になったかな」と、にが笑いをうかべる先生におくられて外にでる。さすがに風がつめたくなってきた。駅ゆきのバス停につくと、すぐに赤と白のバスがやってきた。そして、バスにのりこみお金をいれた瞬間はっとした。
先生のことばは、「生身の人間から生身の人間へ。そういう、たいへんで手のかかることを、これからもつづける覚悟でなければ、きみたちとはつきあえないよ」
という叱咤であり、「でもそうしたことを、たいへんだけど、なかなか社会に理解しもらえなくても、自信とほこりをもってつづけていきなさい。ぼくは応援するよ」という激励でもあったのだ。
この時代の音楽に責任をもってきた芸術家のこどははに、またまた蒙を啓かれたのだった。
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昨日の日記に書いたが、バレンタインの夜(特別な意味はない)、竹芝の劇団四季「自由劇場」に三島由紀夫原作の戯曲「鹿鳴館」をみにいった。
3時間10分の長編、6時半開演なので5時10分にラボセンをとびだし、丸ノ内線で赤坂見附へ。おりるとすぐに反対側のホームにきた銀座線で新橋へ。そこから「ゆりかもめ」で2駅で竹芝だ。自由劇場は浜松町から歩いてもよいが竹芝からのほうが圧倒的に近い。下車徒歩2~3分だ。
自由劇場に隣接して、というより自由劇場はキャパ500の小劇場なのでこちらのほうが隣接してというべきだが、JR東日本アートセンター四季劇場「春」「秋」がある。いま、春ではライオンキング、秋ではクレイジー・フォー・ユーが上演されている。どちらもロングランだ。四季は都内では汐留のシオサイトの中核として専用劇場「海」があり(いまは「オペラ座の怪人」をやっている)、さらに五反田にはCATS専用シアターがある。そして名古屋、大阪、京都、福岡といった主要都市にも専用劇場をもっている。「ライオンキング」でば原作者の意向もあって、一部の訳のセリフに地方語わつかうことになっていて、福岡公演では博多弁のセリフがきけるのは有名なはなしだ。
ぼくは、べつに四季のまわし者ではないが、演劇というショービジネスをまさに営利事業として成立させている四季の力はたいしたものだ。「セリフまわしがくさい」「結局輸入ミュージカルではないか」「浅利慶太という絶対権者の力が強すぎる」などの批判をさんざん浴びながら、濃密で「金をとるにふさわしい」舞台をつづけ、ロングランという文化を日本につくりだした功績は大きいと思う。
幸い、開演20分前には劇場にたどりついた。満員である。ちなみにS席8400円
A席5150円 ステューデントシート3150(こういう席は日本でもふえねばならぬ。とくにオベラとかバレエ! 高すぎるぜ)円だ。当日券もあるようだが、もうSが2席のこるのみ。フルハウスだ。すげえ。
影山公爵を演じる日下武史氏にラボ・ライブラリーへの出演をお願いする関係での観劇となったわけだが、前売りはもうとっくにソールドアウト(5月くらいまてロングランがきまっているので先のティケットはまだある。ネットで予約できるから、鹿鳴館で検索すればすぐヒットする。)だったので、人を介してて四季の役員に直接お願いした。券売所で名前をいって確保されていたS席の券を購入(別に安くはならない)しなかにはいる。席番号をみると7列15。なんと前から7番目のどまんなかである。びっくり。こんないい席で芝居わみるのはひさしぶりだ。あとできいたことたが、その席は首相や要人が急遽観劇するときのための席とのことだ。
芝居のなかみは例によってかかない。しかし、四季のストレートドラマをみるのはひさしぶりだ。日下武史氏は文句なくすばらしかった。70歳をはるかに過ぎているのたが(四季の創設メンバーだからね)、三島由紀夫という天才が頭のなかでつくりだした影山公爵(主役のひとり)という、じつに偏った人格をみごとに演じきっている。もうひとり主役(ヒロイン)である野村令子(ごぞんじ四季の看板女優)とのかけあいはみごとだ。全体にセリフまわしは「ああ四季の芝居だな」とわかるいわゆる四季節だが、それも「作品のことばをたいせつにして50年」という四季の作品とセリフへのこだわりの裏返しともいえる。
「鹿鳴館」は三島の戯曲のある意味最高傑作だと思う。三島がこの作品を書いたのたしか30そこそこの若さだったはすだ。それにしてもセリフと構成の完成度はすごい。やはり天才であり、いま生きていればノーベル文学賞はまちがいなくとっていただろう。しかも、大江健三郎氏とはまたちがったポビュラリティを得る作品
をまだまだ書けたはすだ。三島は自己の文体をもちつつ、それを変革しつつけていった作家だ。戯曲の起承転結はじつに明確なので、セリフがほろいと安っぽいドラマになってしまう。それを美しい文体と理知的なセリフがフランス古典劇のような格調と緊張わつくりだしている。ぼくらのような素人が見ても、それが感じられるのは四季節と揶揄されようともこだわりつつけた「ことば」への姿勢があるからだろう。
休憩をはさんで190分。外にでると妙にあたたかくておどろく。春も近い。
春燈、とくに芝居のはねた夜のあんりははなまめかしい。
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いやはや,先週なかばブラウザ(ウェブサイト閲覧ソフト)につかっていたエクスプローラー(多くの人がつかっているマイクロソフト社の製品)がいかれてしまい日記に書き込むどころか「ひろば」を見ることすらできなくなった。とうぜん検索もできない、とくにぼくは辞書のたぐいは英英辞典ではウエブ上でごまんとのっているなかから約5種類を選んで(語彙数 例文 発音 語源などすぐれているもの)つかっているのでたいへんこまった。ぼくはMACのG4をつかっていて、このいかれてしまったエクスプローラーはマック用である。マックとウインドウズとどっちがいいかなんていう古くさい議論はいまさらする気はないけれど、わが制作のスタッフはみなマックである。理由は単純で、印刷、デザイン、音楽などのいわゆるクリエイテイヴ系のプロは多くがマックだからである。ビジネスにはウインドウズがたしかによいのだが、ソフトウェア的には編集・デザイン用にはクウォークやイラストレイター、フォトショップ、また音楽スタジオでは、プロトゥールス(ほとんど世界標準のソフト)なとが圧倒的多数でつかわれ、音楽の制作でもフィナーレ、やシベリウスといつたソフトウェアがある。もっともこれらのソフトはかつてはすべてマック専用であったが、現在ではウインドウズ版もでている。ただいま大人気のアイポッドもウインドウズ版ができてからシェアがさらにのびた。
マックはそういうわけでアートおよび音楽関係者の必需品であるが、ときどきわけのわからない動きをしたりしてこまらせる。「マックは悪女だ。つきあうのがたいへん」という人もいれば「だからかわいいんだ」というマニアックなやも多い。
すねたり、ぶちきれたりするマックをなだめるにはいつくかの手があって、ほっておく、はげます、劇薬で治療するなどでごきげんをとりもつのだ。
今回もありとあらゆることをやったのだが、とうとうだめで、エクスプローラーそのものをいれかえるしかないなというこになった。しかし、肝心のエクスプローラーはマック用については昨年で提供が終了している。そこで、マック本来のブラウザであるSafari(サファリ)にいれかえた。アップル社は、開発しているソフトなどにアフリカの動物の名前をコードネームにしている。つまり、製品発売までは暗号でよぶという秘密保持半分、かっこつけ半分のならわしだ。いまおもにつかわれているOS(基本ソフト)のOSX10.3はパンサーとよばれていた。このSafariはコードネームがそのまま製品名になったものだ。
ちなみにここ数年は、ラボ・ライブラリーも開発コードでよんでいて、ギリシア神話関連の名前をつけている。GTS-1「ひとつしかない地球」はApolon(音楽の神だからね)、SK30『寿限無』はBacchus(お酒の神、熱狂の象徴)、そしてこの夏のニコル氏の新刊はCronosよばれている。クロノスはゼウスたちにほろぼされたタイタン族のボスで時を支配する(クロノグラフとかいうでしょ)。25年ぶりのニコル作品で時をこえるという意味と、『日時計』のなかのセリフ「だれもクロノス、すなわち時の流れからはのがれられない」にちなんだのだ。なお、クロノスはゼウスにほろぼされ、ばらばらにされてしまうが、その身体の一部が海をただよううち(身体のどの部分かはちょっと書けない)、それが泡(ギリシア語でアフロス)となり、そこから美しい女神が生まれる。それがアフロディテ(ビーナス)である。その美しさには神がみもあらがえないという。
ところで、いま竹芝の劇団四季の自由劇場で三島由紀夫の『鹿鳴館』を上演している。今回のライブラリーにでていただく日下武史さんが出演している。今夜みにいくのだ。
三島再評価、そして濃厚なストレートドラマの時代がきているきがする。三島が自決したのは1970年11月25日。ぼくは高3だった。
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節分である。ウェールズのはなしばかり書いていると、なんとなくいやみな感じもあるので、日本のことを話題にしよう。節分,明日は立春である。
四季が明確にある日本は二四節気という1年を二四にわけて気候の節目を認識した。二四以外にも雑節というのがあり,むかしの人は毎日いろいろと心くばりをしていのなだなあとおもう。
さらに,民間の知恵もあるわけで,たとえば江戸では四万六千日(夏の浅草寺の縁日で朝顔市が有名。この日におまいりすると四万六千日分のご利益があるとされる)をずきるとスズキの味がおちるなどといわれた。これなどは,かつては東京湾でもばしばしスズキ=鱸がとれたことのあかしであるとともに,この魚の旬を適確にあらわしているきわめて根拠のあることばだ。ほかにも,彼岸すぎのセリをくうなとか,地方ごとにいろいろな戒めやいい伝えがある。その多くは季節や食物に関するもので,わしらの先祖はやはり季節のうつろいにはほんとに敏感に反応してきたのだと思う。
二月の節分も冬と春,すなわち冷と暖,闇と明という陰陽がぶつかるときに,よくないものが侵入するのでおいはらうという考えも,季節のかわりめの体調変化への警告と無関係ではあるまい。
節分といえば豆まきだが,最近はほとんどしていない。ぼくは1953年,東京の中野生まれだが,豆まきの記憶はしっかりある。しかも幼稚園や学校での豆をまくことと,鬼の面をつくる以外にあまり感動のないイベントではなく,きちんとした家庭の行事としてである。
節分の夜は,夕方からなにか特別なものに思えた。昭和30年代の真冬だから,もちろん寒く暗い。うすぐらくなるすこし前,たぶん午後4時くらいになると,母親が家の四方の鴨居にヒイラギとイワシの頭をおいた。これは追儺つまり災いをオカルティックにディフェンスしようという意味だというのはなんとなく子ども心にもわかっていた。暮れてゆく冬の部屋の子どもがみあげればずいぶんと高い位置におてあるイワシの頭のうつろな眼と,ヒイラギのエバーグリーンが妙なバランスでどきどきした。
追儺はもともと平安時代の大晦日に行なわれた災いやまがまがしいものをはらう儀式で,節分の豆まきはこれがもとになっているといわれる。まあね平安時代はまつに呪いのかけあいのようなオカルト合戦の時代であったので,こうしたたたりや呪いをふせぐイベントはけっこうマジでやっていた。
話わもどして,節分の夜。たぶん7時半くらいだろう。いよいよ豆まきがはじまる。主役はもう28年前に他界した祖父である(なまえは熊四郎という!)。熊四郎氏は,升にいれた豆をうけとると,おもむろに四方にあるイワシの下にむかう。順番は年によって吉方,鬼門があると思われるが,さすがにそこまではガキにはわからない。熊四郎氏は,そこで大きく息をととのえると(おそらく,なにかとりつかれぬように気合いをいれたのだ),雨戸をガタガタとあける。外の冷気がさあったしのびよる。目の前の闇はちっちゃな庭か隣家との境の塀のはずだか,まさにまっくら闇。魑魅魍魎の百鬼夜行。そのころの夜はほんとうに暗い。熊四郎はその闇にむかって.「鬼は外,鬼は外,鬼はソートー」とふしぎな抑揚で3回となえると,豆をむんずにぎりしめ,1メートルくらい先になげすてるようにまくのだった。まくのは1回だけ。おわると熊四郎はおもむろに雨戸をしめる。ぼくはじっと息をこらしてみている。雨戸をしめる間際,外の闇の上方をみあげると冬の星がやけにぎらぎらとまたたく。その後ろで「あしたから,だんだん春になるのよ」と祖母の声。つづいて熊四郎はしめた雨戸にむかい「福は内,福は内,福はウーチー」とやはりふしぎな抑揚で3度となえ,今度は雨戸にぶつけめようにばらっと1度だけ豆をまいた。
この儀式は4セット,つまり家の四方にむかって行なわれた。祖父は評判のがんこものできれいな江戸のことばをはなした。自分のことを「あたし」としかいわなかった。1978年,ぼくが25歳のころラボの関西総局で仕事をわしているころ86歳で世をさった。中野の地にうつって50年くらした。評判のがんこ者でかわりものだったが,通夜と葬式にはとんでもない人数があつま
った。出棺のまぎわひとりの老人があらわれ.父親にはなしかけた。きけば,尋常小学校の同級生だという。もう級友はすべて鬼籍に入り,さいごにのこったふたりだという。その3年ほどまえ,ふたりでやはり同級生の葬式にでたとき,どちらが先にあの世にいってものこされたほうは,お棺をだいて斎場までいこうと約束したというのだ。父親は「わかりました。よろしくお願いします」といった。周囲の人がざわめくなか,寝台車の後部にお棺とともにその老人がのりこんだ。父親によれば,老人は斎場につくまでなにかずっと語りかけていたという。
「明日から春になるの」と語った祖母もその翌年,祖父をおうように世わさった。
ところで,鬼ということばはもともとは鬼ではなかった。「古事記」や「日本書記」によれば,オニともよんだが,カミ,あるいはモノとよんだりもしている。鬼はオリジナルの中国語では帰ということばとおなじ音であり,意味としてはゾンビ,すなわち死んだ人がこの世にかえってきたもののことをさす。そうなるとつ,われわれのイメージの鬼とはちとちがう。
モノは「モノスゴイ」「モノノケ」などにつかわれるあのモノである。人間の力をこえた大いなるパワーをモノとよんでおそれた。だから物部氏(モノノベシ)などとう一族はじつはとってもおそろしい儀式をしていたと思われる。もちろん,モノガタリもそうで,なにかとんでもないパワーがせとりついて人をしてストーリィをかたらせるのだ。だから物語の力はすごい!
ところで.最もふるい鬼は「出雲国風土記」にでている。その話はべつにかくが,平安時代は鬼大活躍。これはほんとにこわい。でも、だん゛たん室町くらいになると鬼の話はなくなり、鬼はおとぎ話やお能などの舞台にだけいきのびる。そして江戸になると鬼の話は皆無になる。それほど封建制度というのはまつたくアウトローをゆるさぬガチガチだったわけだ。
反逆者しての鬼はどこへいったのか。とてもすれば,ねむってしまいがちなわしらの弛緩した魂にほら鬼のさけびがきこえる。
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先週の土曜日、大雪の午後、東京ドームの国際キルトフェスティバルの表彰式にいってきた。NHKなどが主催し、全国および外国から1700点ものキルト作品がよせられるこのコンクール。じつはラボでもキルトのタペストリーはおなじみということで、ささやかにラボ教育センター賞なるものを提供しているのだ。昨年はラボ・パーティからの応募作品(グループ部門なららラボ○○パーティで応募可能)も1点みごとに入選した。今年は残念ながら、ラボからの応募作品は予選を通過できなかったとのこと。
ドームのなかにはいっておどろいた。ものすごい数の人だ。昨年も土曜日で、さらに天気がよかったのでたいへんな人出だったが、今年はこの荒天にもかかわらず4万人くらいは入場しているようだ。展示場はおしあいへしあいだ。アーミッシュのキルトやネイティブアメリカンのキルトは文化財としてもアートとしても有名だが、現代のキルトは、いまやたんなる手芸の粋をはるかにこえてあたらしい芸術の1ジャンルになりつつあるといっても過言ではなさそう。事実、制作日数700日とか500日などというのはもはや当然で、このコンクールもまさに布と糸の祭典といえる。
残念ながら、ラボ教育センター賞をうけるお二人は荒天のため欠席、実行委員会事務局のおねえさんに賞状と賞金と副賞(もちろんラボ・ライブラリーだぜ)を手渡した。
そんな雪の日に、人ごみのなかにでかけたのがよくなかったのか、風邪をひいてしまった。喉がいたのねん。熱はあまりないようだが、ぼーっとする。とうわけで、じはらく書き込みもできなかったのだ。
さても、ウェールズといえばドラゴンである。しかも真っ赤なドラゴンだ。夜明けに東の空が赤いのはドラゴンの背中が見えているからだそうだ。
上の写真は空港の窓ガラスにかかれていたドラゴン。弱いのか強いのかようわからん。
THE FAIRY COWの絵本の絵を担当するRICKはカナダのオタワ生まれ、彼のことは今月の「テューター通信」にくわしくかいたので省略するが、今回、リックはウェールズの伝統工芸であるラブスプーンを絵のモティーフのひとつにするという。
ラブスプーンは木彫り(もちろん手彫り)のスプーンでさまざまな装飾がほどこされている。THE FAIRY COWの主人公エドうィンはハンサムで歌がうまくてなまけもの。そして女性がたいすきで、このラブスプーンをつくる名人でもあるという設定だ。
ラブスプーンは古いものでは1667年製というのが残されている。実際に彫られるようになったのは、バイキングがイギリスに来た1200年前頃らしい。
若者が思いを寄せる女性に愛の告白をするトークン(あかし)の意味を持っていた。女性がスプーンを受け取るのは恋愛の次への展開を期待していいという意味だったそうだ。また、手仕事の巧みさや根気、誠実さなどを女性とその両親にアピールする役割もあった。実際、男が女性の実家にはじめていくと父親がだまって木片をさしだすことも多かったらしい。父親は娘とつきあおうというの男を見定めようというわけだ。そして、もうひとつ、少なくともスプーンを彫っているあいだは、娘に手はだしていない! というたいせつな役割もあったらしい。
想像力やスプーンにはさまざまなものが装飾として彫られるが、ハート=愛情、友情、・菱形=富、幸福、・ベル=結婚、・ケルト十字架=神の祝福を願う、誠実などの意味がこめられている。
ぼくらもカーディフの街で資料用(ほんとだよ)に何本か購入した。
写真はカーディフでゲツトしたラブスプーン。
40周年だ! とよろこんで買ったのだか、さすがにウェールズの人がラボ40周年を祝うはずもなく、これは結婚40周年のメモリー用ということ。もちろん、10 20 などもある。
カーデイフのお城のむかいにあるウェールズ関連のものをいろいろうっているお店。ぼくらは「ウェールズ屋さん」と勝手によんでいた。ラクビーのジャージや旗、小物などいろいろ。ラブスプーンも専用コーナーがある。この前日ビデオをとらせてくれといったら、どうぞどうぞと快諾してくれた(撮影料を要求する店も多い)ので、おおみやげや資料はここで買うことに決定! 翌日、今度は買物にきたよというと、「おお、またきてくれたのかとえらいよろこんでくれた」。 因に看板にはウェールズ語もかかれているがまったく意味不明。いまのところ調べる元気なし(辞書は買ったよ)。
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このところ、書き込む時間がなかったのねんのねん。
本日より、いよいよ日本でのSK31の録音がはじまった。
"THE FAIRY COW"の日本語収録である。スタジオはごぞんじの恵比寿のエコー、出演は劇団昴のみなさん(三輪さんが所属する老舗劇団)。
首都圏の新旧ライブラリー委員も見学参加したのだ。
今回は,とくにとくに英語の吹込み者の選択にはこだわった。ラボ・ライブラリーにおいては、いつもこだわっていることだが、英語と日本語のバランスに徹底的にこだわった。その結果、おもしろいことに気付いた。声質とか語り口が似ると、たとえ国籍が異なっても体型とか顔だちも似てくるということだ。考えてみれば、あたりまえのことだが、あらためて気付いた。5月に配布されるプロモーションビデオではそのことがわかるだろう。
さても、南ウェールズの冬はごらんのとおり(写真は首都カーディフの繁中心部)、どんよりさむざむだ。いにしえ、ローマがやってきたとき、あたたかいイタリアからきた軍隊は、ウェールズの寒さにおどろいて、防寒具の必要を切に感じた。そこで、ヨーロッパ大陸から白い長い毛の羊をつれてきてたくさん飼うことにした。羊をふやせば森は減少する。なぜなら樹木を伐採し、牧草地をつくるからだ。ウェールズの森が再生するにはそこから多くの時間と森を愛する人間の大きな意志が必要だった。
1/2からの1週間、ぼくらラボ・クルーのスケジュールはおおむね朝7時に起床し、8時にホテルのダイニング集合である。ビュッフエ形式でなかすなかおいしい朝食なのだが、信じ難いことに、朝8時でも完璧にまっくらである。したがってどうも朝食という感じがしない。なにか、夜遊びをして夜明けまえに小腹がすいて食事をしているというイメージだ。中島みゆきの『オ狼になりたい』という歌の一節に「夜明けまぎわの吉野家では、化粧のはげかけたシティガールとベイビーフェイスの狼たち……」というのがあるが、まさにそんなふうに思えてしまう。だから朝一で気合いをいれねばならぬBreakfast(もともと断食をブレイクするという意味が語源)なのに、どうも疲労感がただよってしまうのだ。
もつとも真夏のウェールズは夜も12時1時まで明るい。2時ごろようよううすぐらなるが、もう4時まえには夜があけはじめるという。
ああ、夏にいってみたい。
ところで、わしらと永山さん、ニコルさんの活躍のもようは9分ほどの速報ビデオになっている。支部総会で紹介されるだろうから、ぜひ感想をきかせてくださいな。
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ウェールズについたのは現地時間の1/2夜。翌3日は、THE FAIRY COWの絵を担当するRick Villenuve氏との会見だ。午前中に契約をかわし(5つ星のホテルの応接室=ただて借りられた!)、握手したおじようさんにラボ・ライブラリーをプレゼント。午後はアトリエをたずねた。
この写真はニコルさんに作品の計画を説明するリックさん。彼は人気アニメイターでもありアーティストでもある。フランス系カナダ人だが、カーデイフに長く住んでいてケルト文化にもくわしい。ちなみにVillenuveは新しい村だから新村さんだ。

昼食は隣町との境の丘にある田舎風パブ。リーズナブルな値段で食べられる。量はどっさりねとくにつけあわせの野菜やポテトがすごいたくさん。ニコルさんのおすすめはサーモンやスズキ、さしてウェールズの郷土料理ともいえる子羊のひじの肉。飲物は当然ビター。であるが、ぼくはshundyというビールをサイダーやジュースでわった飲物にはまった。これはいろいろな組み合わせが可能だ。ニコル氏によれば最強の組み合わせはギネスとシャンパンの1対1。2杯でたおれるそうだ。
今回、ウェールズで録音した"THE FAIRY COW"はウェールズの伝承話(各地にヴァリアントがあるが)をニコルさんが再話したものだ。ウェールズにもアイルランドにまけずおとらず妖精話がのこっている。ケルトの民はすべての植物、動物、ときには無生物にも霊を感じていたわけだが、なにもそれはケルトにかぎったことではなく、すべての先住民は万物に霊を認めていた。すなわち多神である。人間は本来、自らも自然の一部として認識し、自然をres@ectしてきた。その思いと想像力は地域ごと、民族ごとに多様な妖精や精霊をうみだした。ロシア民話にも森の魔女バーバ・ヤガー,水の精ボジャノイ,麦畑の精ルサルカなどじつにうれしくなるほど妖精がてでくる。
どれもおもしろやつらだが、ルサルカなどは麦畑で踊りまくるというへんな妖精で、おかけでルサルカにふまれた麦畑は麦がりっぱに育つという。しかし、こいつは凶暴なのか、はすがしがりやなのかよくからんが、踊っているところを見られるとその人間をくすぐり殺すというとんでもないやつだ。
もちろん、これらのロシアの妖精の背後には「母なる 湿った 大地」とよばれる広大で過酷な自然があることはまちがいない。
日本人も古来、すべてに魂がやどると信じていた。戦後すぎに活躍したアメリカの学者ベネディクトは有名な著書『菊と刀』のなかで、欧米のキリスト教的文化は唯一神とむきあう「罪の文化」であり、日本は村落共同体の規範が基礎となった「恥の文化」であるといいきってしまった。それはつまり日本人には他人を意識した行動はあっても、人間をこえた崇高な存在との対話はないということである。しかし、とんでもない。アイヌはもちろん、日本人は自然を神として対話してきたのだよ。「禊 みそぎ」ということばかあるが、汚れのない自然に対して人間はよごれているから「みそぎ」をするのだ。人間を越えた存在と十分対話しているのだ。どこの国、地域でもおお昔はみな人間は「自然によって生かされている。だから人間は自然の一部」という立場? だったのだ。だからクマとも話せたし、ツグミとも語りあえたし、西風とも泉とも心をかよわすことができたのだ。
ことわっておくが、ここでキリスト教を批判するつもりはない。いちおうそういう名前のついた大学の出身だから、というわけではないが、キリスト教がはたした文化的役割ははかりしれないものがある。その上であえて書くのだが、キリスト教において霊魂、すなわちスピリットをもつとされるのは人間だけである。「万物の霊長」である。そりゆえに人間は他の動物や植物を利用して幸せになってよいということだ。これが、ある意味、科学の倫理的根拠である。科学すなわちScienceは、ギリシア文化とキリスト教が両親というのはそういうことだ。キリスト教はかくして科学によって自然を利用し人間の幸福追求を認めたが、一方で際限ない人間の欲望増幅への歯止めというか抑止にもなっていのだが……。
ともあれ、自然のすべてに魂があるという考え方と、人間にのみ魂があるという考え方は、決定的な異文化である。ぼくは異文化ということばを安易につかうことに賛成できないが、こういうことこそ異文化だとおもう。
現在、先住民の問題がすほとんどが自然環境問題そのものか、ハードにリンクする問題なのはこういうことなのだ。
ところで、THE FAIRY COWの主人公であるエドウィンは、ハンサムでなまけもので酒飲みで女たらしたが、自然との約束をまもる人だった。人間どうしの約束だってまもれないやつはいっぱいいるが、自然との約束はもっとたいへんだ。何代にもわたって守りつづけねばならないからだ。
うーむ。きょうは説教くさくなったなあ。
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タイトルにしているCYMRUとはWalesのことだ。日本語で無理矢理カタカナ表記すると「カムリ」となる。もともとの意味は同胞。ウェールズの人びとは、このこどはにほこりと愛着をもっている。ウェールズ語はウェールズにおいては英語とともに公用語である。ニュージーランドのマオリがそうであるように、公式の表示はすべて英語とウェールズ語のダブル表記だ。たとえばWelcomeはCreosoなので Welcome to Cardiffは Creoso y Caerdidd
となる。これも無理矢理カタカナで書くと クレオソ ア カエアディス
となる。末尾にくるddはthの音になるという。
「ぼくは学校にいくようになってから、イングランドにひっこしたけど。ウェールズ語をつかうと先生になぐられた。だから読めるけれど、ただしい発音を忘れてしまった」とニコルさん。でもいまはウェールズではバイリンガル(英語とウェールズ語の)でないとよい仕事はないそうだ。
もちろん、英語にウェールズふうのなまりもあって、母音がすこしのびるなどといった特徴がある。今回の"The Fairy Cow'はすべてウェールズ出身の役者だからそのふんいきはばっちり味わえる。
このウェールズの伝承話(これらにニコル風あじつけが加わった)の主人公はエドウィンという、とってもイケメンで天使のような歌声をもつ、なまけものでおんなたらしの、すんばらしい若者だ。このどうしようもない若者がすごいのは「約束をまもりぬく人」だということだ。これがこの物語のコアである。もちろんストーリィはこれ以上くわしくかかない。
ナレーターをしてくださったのはMariさんというCardiff在住のBBC現役バリバリのアナウンサー。50代のプロ中のプロで局では若いアナウンサーを指導する立場にもある。彼女のかたりはもう絶品。ラボ・ライブラリーのナレイションはみんなうまいが、そのなかであえてランキングすればまちがいなく3本の指にははいるだろう。
主人公のエドゥイン役もすごかった。かなりむずかしい歌を2回のテイクできれいにうたった。表現力、息の抜け方、ブレス、リップノイズの少ない舌のつかい方、そして声量、うーんさすが英語の国。
録音はぼくたちが着いてから2日後の1/4に行なわれた。10時から17時までの長丁場になったが、とってもbeautifulだつたとニコルさんも感動。
あしたは絵のことをかこうかな。
写真上=カーディフのとなりまちカフェリーにあるお城。築城はローマにまでさんのぼる。その後、クロムウエルなどにめためたにやられてごらんのとおり。でもこわれかたにおもむきがあって人気が高い。映画『ジャンヌダルク』のロケもここで行なわれた。ウェールズは国の面積に対してお城がもっとも多い国。ちなみにウェールズ語で城はCastel
中=カーディフの屋内市場の魚屋さん。ここではノリもおいしい。ただし板状ではなく、スティーム。白いご飯にあう。
下=この市場には2階もあるニコルさなはここでおもちゃを購入。
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