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SENCHOの日記
SENCHOの日記 [全292件] 191件~200件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
BACK FROM CYMRU 妖精の国から 3 01月10日 (火)
 成田をでてから12時間。正月2日の午後、アムステルダムのスキポール国際空港は思ったよりも人影まばらだった。ヨーロッパ諸国の新年を祝う習慣は日本とは大きく異なるが、まだクリスマス休暇の人が多いのだろうか。やたらに広い空港内はどことなくおだやかだ。おかげですわる場所もいっばあるから3時間強のトランジットもなんとかやりすごせそうだ。
 40周年ラボ・ライブラリーに収録される"THE FAIRY COW"の英語録音はニコルさんの発案でウェールズの首都カーディフで行なわれるのだ。ロンドンに直行して列車という手もあるが、アムス経由でカーディフに空路で直接はいったほうがいいという助言にしたがうことにしたのだ。
 しぼりたてのオレンジジュースでいきかえる。スキポールはまさにヨーロッパのハブ空港。世界のありとあらゆる都市むかってフライトができる。
レイキャビク ヘルシンキ コペンハーゲン いってみたいなよその国。
 ラボのクルーはぼく含めて3人。わが局次長り渡邊くんとカメラマンの中原くん。ふたりともラボっ子OBだ。そしてスペシャルゲストは画家の永山裕子さん。『ひとつしかない地球』のイラストのインパクトはすごかった。今回の新刊で永山さんは『はだかのダルシン』の絵を担当する。ニコルさんも
『ひとつしかない地球』の絵をみて約10秒で「この人でいきましょう」といってくれた。
 永山さんは行動する画家。以前からケルトの文化に興味があり、この機会にぜひ現地の空気感にふれたいと思い立っての自主参加だ。とくにケルトの文化は日本ではアイルランドの伝統文化、すなわちアイリッシュケルトとして紹介されことが多い。しかし、ウェールズもウェルシュケルトのふるさとなのだ。「飛行機のとケットがとれたので、じゃましないのでいってもいいですか」と永山さんから連絡がきてたまげたが、作品をかくときにいろいろなしがらみやお金などを度外視してこだわる彼女はすごい。しかもぼくらは5泊だが、多忙な彼女は現地になんと3泊でとんぼかえりだ。
 4時をまわればもう冬のアムステルダムにき黒い緞帳がまいおりる。それからまつこと2時間、ウェールズの首都カーディフいきのKLMは19時20発。KLM City Hopperという近距離フライとの777でドーバーをひとまたぎ。わずか1時間25分。時差が1時間あるので実質に進むのは25分。
 カーディフ空港は小さいが国際空港。入国は大きな黒人の係官がちいさな机ひとつで行なう。ところが、これが時間がかかる。じつにこまかく質問され、しかも同じ質問を間をあけて3回くらいしてくる。これもテロ防止のためか。空港にむかえにきた人びとは、あまりでてこないのでつかまったんじゃないかと思ったそうだ。
 入国がおわると通関はなぜかだれもいないので、ノーチェック。すぐにニコルさんの大きなからだが目にはいったラグビーのウェールズ代表の真っ赤なジャージをきてお出迎えだ。今回コーデイネイトをしてくださるCELT21のクリスチャン氏(もとBBCのプロデューサー)と夫人の奈都世さんもこられている。以外にあたたかい。ニコルさんとガッチ握手。さあ、はじまりだ。
 クリスチャン氏が用意した8人のりの白いメルセデスのバンでカーディフへ。およそ30分でついてしまう。ホテルにチェックインしてやれやれ。
 夜9時からホテルのラウンジでビターを飲みながら歓迎という名のあしたからの打ち合わせ。とにかく冬なので快晴は期待できないようだ。
 ニコルさんにいわゆる雨期はあるのですかとたずねると
「あるよ。1月1日から12月31日」
 雨期の2日めに乾杯。
つづく(なお、この続きは毎日書く予定ですが、いっぺんには書けないのでリクエストが多いものがかきます。以下からえらんでください。Aウェールズでの録音のこと役者のこと B今回の絵をかくウェールズの画家さんのこと Cニコルさんのこと=5日もいっしょでした D ケルトやウェールズのこと)

アムステル アムステルダムの空港で手にもっているのはオレンジジュース。
後ろは渡邊くんと永山画伯。撮影は中原カメラマン。
Yonger than We will be 2 12月29日 (木)
 2005年もまもなく暮れる。ラボセンター本日が仕事おさめだ。
といっても、ウィンターキャンプは3か所で進行中だし、
オーストラリアンも上海のユースも来日しているから
かなりの数のスタッフはon the Jobだ。
かくいうぼくも、1月2日発のKLMでアムステルダム経由で
ウェールズの首都カーディフにむかう。
ラボはカメラマンふくめた3人のティーム。
それから画家の永山裕子さんもおなじ飛行機だ。
カーディフには1/2の夜8時ごろに到着。
日本との時差はマイナス9時間だ。
1/3は打ち合わせとロケ。4日は録音と5日は編集とロケ。
6日は画家との打ち合わせ(リック・ヴィルヌーブさんというカーディフ在住の画家)とロケーションだ。
もちろんニコル氏はその間ずつと対応するから、
氏の案内でカーディフの街や城などを撮影する。
氏のインタヴューや永山さんのインタヴューも撮る予定だ。
これらのスペシャル映像は
各支部の総会にまにあうよう7分くらいにまとめて
編集するのでこうご期待。
1/8に帰国するのでぜひはげましの書き込みを!

 さて、このだらだとしたSENCHO日記
CAPTAIN'S LOGをごらんいただいている
一部のコアな読者のみなさま。
来年こそ平和な地球になりますように
ともにいのりませう。
ポールサイモンとガーファンクルが
例の
セントラルパーク50万人コンサートで
歌ったThe Boxerの一節でしばしのおわかれ

Now the tear's rolling by us
and rocking evenry.
We are older than once was but younger than we will be.
After changes, many changes
We are more or less the same.
鈴木小百合氏新刊、そしてニコルさんとの再会 3 12月15日 (木)
 鈴木小百合さんの新刊本がでた。
『ダウト――疑いをめぐる寓話』白水社だ。
これはジョン・バトリック・シャンリイというアメリカの劇作家の作品で、本年度のピュリッツァー賞(ドラマ部門)とトニー賞(最優秀作品賞・演出賞・主演女優賞)をゲットしたブロードウェイの大ヒット戯曲だ。日本ではビュリッツァー賞というと報道写真の賞、トニー賞というとミュージカルの賞というイメージが強いが、どちらの賞にもストレートドラマ部門があるのだよ。
 今回は鈴木さんと井澤眞知子さん(鈴木さんの同級生でNY在住)との共訳で、井澤さんがNYでみつけて朝倉摂さんなどのすすめで翻訳・上演を決意したものだ。鈴木さんは15年前にまだオフ・プロードウェイで上演されていたシャンリィの戯曲を日本に紹介した人。そんないきさつもあり、井澤さんが友人でもある鈴木さんに声をかけてコラボとなった次第だ。ちなみに、上演権も鈴木さんがシャンリィからもらえており、2007年の春までには日本でも舞台公開される。
 ドラマの内容をここにかくわけにはいかないが、ミッション・スクールでのある教師をめぐる疑惑が中心だ。おもしろいぞ。
 戯曲の本はなかな売れないのだが、この本は巻末に対談がついていたりしてなかな読みやすいおすすめだ。1800円。
                 ※
 ところで昨日、ニコル氏と六本木のANAホテルで再会した。クリスマスイブからはじまる新刊の録音と、それにつづく1/2からのウェールズの首都カーディフでの録音とロケを前になんとか時間をとっていただいたのだ。ニコルさんは、この前日に黒姫からでてこられたそうだが、この秋から冬にかけては自宅にいられる日数は10日もないという。この日も東大で講演をすませ、そのあと日本放送でラジオの収録を1本かたづけてからの打ち合わせ。
 16時の六本木はすでに冬ざれてうすぐらい。けれど街はイルミネイションの洪水。自分が特別な人間だと勘違いするには十分なシテュエイションだ。
 ロビーのカスケイドカフェに席をとる。16時5分、ニコルさんの大きなからだがみえた。スケジュールをマネージする森田さんといっしょだ。出版のエ
ージェントの宮島氏も到着して話がはじまる。もちろん、来年の新刊についての打ち合わせだ。テキストのこと、絵のこと、音楽のこと。
 まだくわしくはかけないが(12/25すぎをまて)、3編の作品のうち、1編はウェールズの昔話をニコルさんが再話したもの。1編はカナダの鮭をめぐる壮大な叙事詩だ。どちらも、その風と光と香りがただようはずだ。絵はウェールズの作家とカナダ在住のCanadian First Nation(カナダ先住民)の画家(この人はスミソニアンにも作品が展示されている!)が担当する。 もう1編の中編については……。
 ニコルさん自身もナレイションを担当する作品もあり、そのお相手の日本語をだれにお願いするかでまた話がはずむ。ウルトラ多忙なニコルさんだが今日はもうスケジュールがないという。だからニコニコしてるんだ。
 時計は17時30分をまわった。もう外はまっくらだ。ニコルさんが、「もういい?」と子どものような顔をする。「このあと、ごはん食べない。ごちそうするよ」とニコルさん。全員をさそうが、つごうがつくのは、ぼくを含めて2名のラボスタッフだけ。「だいじょうぶ。無理じゃない?」。とにかくよく全体をみて、気をくばる。サービス精神のかたまりなのだ。
 「きどらないフランス料理の店。ここからすぐ」とニコルさんがずんずん歩く。迫力だ。レスリングと空手できたえた身体は64歳とは思えない(おなかはでてるけど)。よほどお気に入りのレストランなのだろう。店の人が「まいど」という顔で席をつくってくれる。「きょうは鳩はあるの」「鳩はありませんが、雉のいいのがあります。ちょっとお時間をいただきますが」
「じゃ、それを。赤ワインもね」。一昨日、すこし体調がわるかったぼくは
雉の油がハードそうなので、あんこうのポワレをたのむ。それと全員サラダとバン。さてさてワインも上等(お得なお値段)。サラダも新鮮。
 ここまではよかった。ところが雉がこないのだ。なんと2時間。おどろくべきことに羽と毛をむしるところからやっていたのだ。ニコルさんは4回、泣きそうな顔でウエイトレスに「まだなの」とたずねた。ついには5回めに「もしかしていま雉をうちにいっているの」これには一同大笑い。というのは、アウトドアずきな方ならご存じだろうが、「キジうち」とはそのしゃがみこんだスタイルが酷似していることから野外での用足しのことでもある。なんと、その意味をウェイトレスさんもしっていたのだ。それでまた爆笑。でもその2時間のおかけで、いろいろな話ができた。ラボの昔のはなし。森の話。本の話。日本人になったときの話……。でも、なにより心にひびいたのは「ぼくは、いろいろあったけど、またラボで仕事ができるのがほんとうにうれしい」となんどもなんどもおっしゃってくれたことだ。ぼくの手の上に自分の手を重ねてだ。
 今回も、すでにたくさんの人がラボ・ライブラリーのために動きはじめている。その人びとのきもち、すなわち「みんな、子どもたちの未来のために、ほんものをとどけようと力をだしたいと思っている。だからラボっ子もテューターも事務局のがんばりなさい」というメッセージをニコルさんが代表してぼくたちに伝えようとしているような気がした。
 たしかに、ラボは多くの人に愛されている。理解してくれない人もまだい
っぱいいるけれど、おどろくほど多くの人に愛され、期待されているそのことを忘れてはいけないと思う。自信をもたねばいけないと思う。愛してくれる人たちにこたえていかねばならないと思う。
 でも、なんで、けっこうなさけないこともあるぼくたちを、愛してくれるのだろう。それは、おそらく、ウソをついたり、見栄ををはったりはしてこなかった。「こうやったら、英語がぺらぺらに」なんてけしていわなかっけれど、40年間、ひたすら子どもたちとともにあるきながら、子どもたちがみつけた真実だけを伝えてきたからだと思う。そのことはニコルさんと話ながら、あらためて強く思った。
 ニコルさんはきれいに雉をたいらげ、グラッパとエスプレッソで舌をしめると立ち上がった。となりのオーストラリアからきたすてきなご夫婦に会釈して外へ。もう、めちゃくちゃ寒い。黒姫もひさしぶりの大雪だという。 
 もうすぐ、クリスマス。「寒いから、もうここで」といっても、ニコルさんは外までおくるといってきかない。ワインで赤みをましたひげづらがやわらかになった。サンタのようだ。「新年にカーディフで」。大きな手と握手。さあ、創作の季節だ。
三輪さんの舞台 12月05日 (月)
2日の金曜日、トルコ文化センターで
三輪えり花さんの『つづきゆくものがたり』を観た。
もうすでに
何人かの方がアップしているので内容についてはふれない。
いつものながら舞台設定にも三輪さんの想像力があふれていた。
昨年はワイルドの『幸福な王子』を青山の教会で発表したが
これも普段は正面の説教壇をむいている椅子を通路にむける
というドキドキするしかけだった。
今年は……。

『幸福な王子』では自己犠牲 sacrificeという
テーマが背景にあった。
今回の『つづきゆくものかだり』
にはtoleranceとintoleranceすなわち
寛容と非寛容がテーマに流れている。
それはいずれも時代性があり
いまこの演劇をすることの意味が
伝わってくるものだ。
21世紀になってもいまもなお、
血と汗のめぐる地球の岸辺に
いま必要なのは自己犠牲の精神であり
非寛容の暴走をとめられるのは寛容しかないのだと
あらためて思った。


牟岐先生におくったメールを転送しておきます。
8日の一席よろしくおがいします。
The night かいじゅうたちよ何処へ 1 11月30日 (水)
『ジョン・ギルピンのこっけいなできごと』の作者は、
いうまでもなく絵本の父、コールデコットだ。その才能も作品もすごいのだが後の絵本作家たちにあたえた影響はすさまじいといわねばならない。
バーニンガム,ブリッグズなど多くのすぐれた絵本作家がほとんどオマージュといえるような作品を描いている。
 ごぞんじのモーリス・センダックもコールデコットを崇拝するひとりだ。
先日よみかえした『センダックの絵本論』(脇朋子。島多代訳 1990年岩波書店)はこの絵本の父への賛辞でうまっている。
 残念ながら、この本は現在絶版で再版予定もないそうだが(本来なら今夏の参考図書にいれたかったのだ。機会があればぜひ図書館で読むべし)、そのなかでセンダックは「コールデコットの業績は、現代絵本の幕開けを高らかに告げるものだった。ことばと絵を対位法的に併置する天才的なやり方を考案したが、それは以前にはだれもやらなかったことだ。ことばが省かれ、そこを絵が語る。絵が省かれ、そこをことばか語る」と述べ、現代の絵本作家でコールデコットをこえた者はまだいないとさえいいきっている。
 そのセンダックが、コールデコットから学んだものに自らのファンタジーと思いをぜんぶたたきこんだのが1964年の『かいじゅうたのいるところ』だ。前述の『絵本論』にはセンダックがさまざまな絵本賞をゲットしたときのアクセプタンス・スピーチ、すなわち受賞あいさつも載っているのだが、そのなかの『かいじゅうたち』でコールデコット賞をとったときのスピーチがたいへんすばらしい。センダックはコールデコットのすごさととして「人生をいつわりなく反映する」という点をあげている。きれいごとだけの人生の真実の片面だけの表現はけしてしない。そのことは子どもたちがもとめているし、みとめてくれる。それはいいかえれば恐れを知らぬ率直。そして、その率直さは「ギルビン」にも随所にみてとれる。
 さらにセンダックは「かいじゅうたち」の刊行当時、そのモティーフに対してよせられた「きちがいじみた、おそろしいアイディア」という批判に対して、「あなたはなにが真実と思うのか、そしてそれは子どもとどういう関係があるのか」と切り捨てている。そしてこどもの人生の真実とは、恐怖、いかり、憎しみ、不満などのかいじゅうたに常におびやかされていることにほかならないとセンダックはつづける。したがって、子どもはこれらの恐ろしい現実とたたかうために、空想と想像をよびだねばならない。そうした恐怖から子どもたちわまもることもたいせつだが、それらの「かいじゅうたち」は子どもの日常生活の本質的な一部であることもみのがせないというのが、彼の基本的なスタンスなのだ。
 センダックはマックスは自分かつくったキャラのなかで最も勇敢でねそれゆえにセンダック自身が最も愛しているという。空想と現実が混在する世界を信じているのは子どもの本質であり、ふたつの世界わかるがると行き来することができる。ただしマックスはそのスピードがとてもはやく、超音速の飛行機のように物事の核心にとびこんでいく。だからこそ愛される。なぜなら、視覚としてのシンプルさが必要な絵本にはたいせつなことだから。
 そこで『かいじゅうたち』の冒頭の一文を思い出してほしい、
The night あるばん ではじまる。もちろんそのあと、マックスオオカミのぬいぐるみほきておおあばれする。
 しかし、ふつうはOne night あるいは A night すなわち不定冠詞か数詞でばまるものだ。つまり昔話でもファンタジーでもその時を特定する必要がないからだ。ごていねいに「とんとむかと」「いつのことかはわからぬが、あるところに」なとどいつたりもするほうが「おはなし」の世界ではノーマルだ。ではセンダックはなんでThe nightとしたのだろう。Theはいうまでもなく定冠詞で「だれにもわかる 例の その」である。ちなみ不定冠詞というのは「定めることができない」という意味で不定冠詞といわれている。
 前半を読んだ方ならもうおわかりだろう。もちろん、センダックは(本人はしらん顔しているが)わざとやっている。つまり、その日の昼間、きっとマックスにはなにかやばいことがあったのだ。友だちとけんかしのかもしれない。母親にわかつていることわくどくどいわれたのかもしれない。とにかく、彼はかいじゅうとたたかってまけたか、ひきわけたかとにかくたまっていたのだ。だから、「その夜」なのだ。そかつて、そのことに気づいて吉田新一先生におききしたら、やさしく「よく御勉強されましたね。わたしもそう思います」といってくださった。だから、特別な夜なのだ。
 では、日本語は「そのばん」であるのはどうしてか。これは神宮先生もきっとすごく悩んだとだろう。先生は訳は必要以上でも以下でもいけないというお考えの方である。しかし、自然な日本語でなにければならないというお考えもたいせつにされている。そうしてみるとねいきなりはじめに「そのばん」という日本語はつらい。そこに編集者の意見もあっただろう。苦しんで苦しんで、この訳にされたのではないだろうか。
 さて、センダックがらみでもう一冊本をご紹介。『子どもの本の8人 夜明けの笛吹きたち』(ジョナサン・コット 鈴木晶訳 晶文社 3680円 これは絶版じゃない) コットは有名なロック雑誌「ローリング・ストーン」の編集長を長らくつとめた人で、ジャーナリストとしても有名である。その彼がセンダック、リンドグレーン、トラバース、オピー夫妻など子どもの本に関わる8人にインタビューを中心に取材したドキュメントであり評論だ。
 児童文学の評論はときとしてそれ時代がファンタジー化して鼻についてしまうことがあるが、コットは専門家でないすがゆえにじつにクリアでするどい見方を展開する。しかも、なまじの児童文学関係者よりも、深い絵や絵本や文学への見識があり、しかもセンダックわばしめとする絵本作家への愛にみちている。厚い本だがじつに読みやすい。
 ところで、『センダックの絵本論』原題はCALDECOTT & CO. である
つまり直訳すればコールデコットとその一味あるいは仲間である。
 映画の題もそうだか、訳すとわけがわからなくなってしまうことは多い。
というより本質がみえなくなってしまうことがある。外国語を学ぶ理由のひとつは「その国のことばで考えないとわからないことがあるから」だ。
 さいごに、センダックのコーデコット受賞あいさつ(セントルイスで行なわれた)のラストを引用しておこう。
 ――ある7歳の男の子が手紙をくれた。「かいじゅうたちのいるところにいくにはいくらくらいかかりますか。もし高くなければ、夏休みにぼくと妹はそごてすごしたいと思います」わたしはその手紙に返事を書かなかった。なぜなら、その子はおそかれはやかれ、そこへ行く方法をみつけてしまうだろうから。
 おそるべしセンダック。

追 伸というか予告編
 昨日、キャピトル東急というホテルで開催された。「英国式幸福論」という名のイベントに急遽いってきた。これは英国各地の観光庁が日本のプレスや旅行会社などに「もっとイギリスに観光にきてちょ」というための招致を目的としたつどいだ。各地のブースがでて、パンフレットやカレンダーなとがお土産に用意され、そこでもちろん商談や相談もできる。紅茶やビスケットのサービスもあり、ビールまである。じつは、ウェールズ在住の方で現在進行中ま次期新刊ラボ・ライブラリーのなかの一作をお手伝いしてくださっているニコルさんの友人がいらっしゃるのだが、その方が3時ころウェールズからいきなり電話をかけてこられ、「ともかく、そういうイベントがあるから、いって名刺交換してきて。もう先方にははなしてあるから」と、まああわただしいことがあったのだ。
 おっとりがたなでかけつたが、とてもすばらしい資料がもらえた。というのも、1/2からなん、ウェールズにのりこんでニコルさんとともに撮影と録音を行なうのだ。そのための準備のひとつだ。
 作品についすてもクリスマスころには報告できるだろう。とりあえず予告編なのだ。

  
 


 
カレンダーができたのだ 3 11月28日 (月)
 先週の金曜日にカレンダーができた。
予定どおりなのだが、どきどきするっす。
まずは、共通版。Pのなまえ入りのオリジナル版も今月中にはできる。
ぜひぜひいい場所にかざってほしい。
子どもたちの夢がかたちに、あこがれが色になっているのだから。

ところで昨日の日曜日、『ひとつしかない地球』の絵を描かれた
永山裕子先生のひとあしはやい忘年会によばれた。
お弟子やご主人(先生はダーリンとよばれている)、
ご両親も参加されるうたわの会だ。
なんとなく場ちがいかなと思ったけど
ぜひといわれていってきた。
そこで、先生がまどみちおさんの詩を紹介された。
この詩は「うたをうたうとき」という題だけれど
絵を描くときの心とぴったり重なる
これが絵を描くことなのと
先生はいわれた。
なので紹介しておく

うたを うたう とき
うたを うたう とき

わたしは からだを ぬぎすてます
からだを ぬぎすてて
こころ ひとつに なります

こころ ひとつに なって
かるがる とんでいくのです
うたが いきたい ところへ
うたよりも はやく

そして
あとから たどりつく うたを
やさしく むかえてあげるのです


以上である。なるほどなあ。
子どもは、幼い子はきっとそうやって描いているんだ。
ラボ・ライブラリーをつくるのもそういうことかもしれないなあ。
さて、ニコルさんの作品にむけての作業がいよいよすごいことになってきた。なんと新年は1月2日からおおさわぎだ。
もうすこしで報告しますから
もうすこしまっててください。
それから、支部の総会にはあとおどろく映像と音をとどけられるとおもいますよ。
三輪えり花氏の舞台 3 11月09日 (水)
 精力的に活動をつづける三輪えり花さんが、またまた新作を東京で上演します。今回は作・演出・出演・美術と八面六ぴの大活躍。
 つづきゆく ものがたり 『千夜一夜物語』より   です。
12月2日(金)~8日(木)全日19時開演(マチネなし)
会場は代々木上原の東京ジャーミイ トルコ文化センター
※オスマントルコの装飾様式ち現代建築が融合した
おしゃれなところです。ホールというよりフリースペース
のよう空間を利用して上演されるようです。
 一昨年の暮れには青山の教会をつかってワイルドの『幸福な王子』を
されましたが、演劇空間の選択にも三輪さんの創造性あふれる演劇センスと企画力が光ります。
 公演の主催は三輪さんが中心になっているクラシックス・アップデートという俳優集団。そのホームぺージからティケット予約ができます。
htttp://homepage2.nifty.com/cud/
全席自由 3500円です。
紅葉する五色沼に土浦一高の悲しみをみた――カレンダー色校正 2 11月02日 (水)
 えらく長い火曜サスペンスのようなタイトルになってしまったが
きがつけば1か月ぶりの書き込みなので、そのてれかくしでもあるのだ。
 ラボでも世間でも自分の日記のかわりにプログに書き込んでいる人には
毎日の記入はどうということはないのだろうが、この広場の場合はけっこう確実に反応があるのでめったのことはかけないのだ。したがって、いろいろ煮詰まっているときなどはとても書きこみばできないなあ。
 さても、このところは『寿限無』の制作資料集の編集と次期新刊ニコル作品の準備がみごとに重なって、元気良く煮詰まっている。豆粥あつい!
 新刊についてはまだまだ書けることは少ないのだが(もうちょっと待ってくれ)、今回も映像記録をとってPVをつくるので「おーっ!」とか「わーっ」というような映像になるのでおたのしみに。
 この季節はカレンダーやダイアリーなどの季節物の仕込みもあって
よけいたいへんなのだが、みなさんおまちかねのカレンダーの色再校正がでた。 一度、色校正をしたのだが、うまくでていない色があったので、結局全ページ出してもらった。ちなみにカレンダーのデザインはこの間、ラボ・ライブラリーの絵本の装丁もお願いしている坂川栄治さんだ。坂川さんは広尾の有栖川公園そばに事務所をかまえるグラフィックデザイナーだが、ぼくは日本では三本の指にはいる装丁名人だと思っている。山本容子さんの「アリス」がラボではさいしょの仕事。かつてSWITCH というやたらキレていてクールでスノッブで、かっこよくて難解でおしゃれで、時代をぶちぬいてた雑誌があったが(たいていは人物を特集する。図書館にはバックナンバーがあるので一度ごらんあれ)、そのアートディレクションを担当していたのが坂川氏である。坂川氏も激烈にいそがしい人だが、ラボ・ライブラリーの仕事はいつもおもしろがってやってくれる。『ノアのはこぶね』でもはじめは頭をかかえられたが、すばらしい装丁になった。今度の『寿限無』も見た
瞬間にうれしそうにされた。
 有名な画家の絵だろうと、ラボっ子の絵だろうと作品は作品だ。坂川氏はあたりまえのこだが、子どもの絵に対してもぜんぜんわけへだてなく、真剣勝負でむきあってくれるだから印刷会社への注文もきびしい。最近はコンビューター威力でかなり精密な色も再現できるのだが、所詮印刷は4色のインクたけをつかい錯覚を利用しているので、原画の迫力にかなうはずがない。4色のインクというのはシアンまたはCとよばれる青(やや水色=シアンすなわち青酸の青 おそろし もちろんインクに毒はないけど なお、ラボ・マークの青はシアン100%)、マセンダまたはMとよばれる(赤 というよりピンクがかかった赤)そしてイエローまたはYとよばれる黄色、さらにKまたはBLとよばれる黒である。これらをまとめてよまCMYK(YMCAではない!)理論上はこの4色の配合でどんな色も印刷表現できる。一度、ルーペか虫めがねでカラーの印刷物をみてみるとよい。こまかい網状になった色の点で構成されているのがわかる。これを網点というのだが、印刷物の色は上記の4色のインクの網点の100分率できまる。たとえば広告につかうような(広告にはどこかに赤をつかうのがお約即)真っ赤をだそうとするとそれは、マゼンダ100バーだとピンクっぽいので、マゼンダ100にイエロー100をかけあわせる。こういうのを金赤(きんあか)というのだが、チラシの大売り出し!なんていう赤やカレンダーの祝日の赤などはたいていこの金赤である。しかし印刷でむずかしいのは中間色である。とくに蛍光がかったショッキングピンクやコバルトとエメラルドの中間、ターコイスブルーよりもっとつっこんだ青だけど、あまりにごらずにスコーンとぬけた色とか、まあ色というのはめんどくさい。そしてトータルにみれば緑系、その次には青系が印刷ではむずかしい。原画とまったくおなじというのは無理なので、どこでバランスをとるかということだ。以前にもかいたが、色校正はふつう1回、ラボ・ライブラリーでは以上にたくさん。ラボ・カレンダーでも2回はする。やっばりラボは異常かもしれません。
 でも、カレンダーはどこの印刷所でも腕の見せ所なので、けっこうむきになってつきあってくれるのが楽しい。「えーつ,こんな中間色これ以上無理っすよ」「うるせー おめえの会社ならできると思って発注してるんだ。がたがたいわずにやれー」「でもー」(実際はこんなに暴力的ではない)てなわけである。
 さてさて印刷されたカレンダーの絵をラボっ子の原画と見比べる。午前中の自然光のなかで見るのがよいのだよ。今の印刷は、マチエールというか素材感はとてもよく再現できる。消しゴムでけしたあとまででる。だから、子どもの絵のラフだけどパワーがあるタッチがそのまままにてできてきもちいい。ご承知のようにカレンダーの絵のサイズは原画よりやや小さい。じつはそのほうがアラがみえなくなり、絵もしまってぐっとよくなる。じつはプロの絵本作家もそうで、だいたい原画は絵本のサイズの1.5倍か1.5倍の大きさで書くことが多いのだ。
 絵本もそうだが、カレンダーも色校正のときがいちばんたのしい。できあがってしまうともうその先の作業がないからだ。お嫁にだしたくない父親の気分か。いずれにせよ。来年のカレンダーもどこへだしてもはずかしくないぞ。各界の先生方からは「いつできるの」とか「ぼくには3つちょうだい」なんていう催促とか脅迫がきている。
 かみや・しん先生がいった。「絵は心のエクササイズ。がーっとぶったおれるまで書くべし」

 ところで今回の長いタイトルはなにかといえば、それき1988年、『プロメテウス』をつくったとき、当時の制作局の事務局員たちでいった秋の旅行のタイトルだ。うーん、なつかし。今年は紅葉みれるかな。

 
八月の鯨 10月09日 ()
10/7の金曜、千石の三百人劇場に劇団昴の「八月の鯨」をみにいった。昴からご招待いただいたのだ。スケジュール的にはきつかったが、芝居を見るのもだいじな仕事といいきかせて、地過テューター津にとびのった。おりからの小雨、開演10分前の6時50分についたが、もう真っ暗だ。あれほど明るかった夏の日差しはもう遠い。
 この劇はデヴィット・ベリーの名作だ。もともとが舞台劇として書かれたが、1987年にリンゼイ・アカダソンのメガホンで映画化され大ヒットした。
ぼくは当時34歳の若造だったが、岩波ホールでみたことを覚えている。
それは映画としてはとても緻密につくられていたが、老人しかてでこないこの作品そのものには前評判ほどには感動できなかった。映画では盲目で屈折した正確の姉、リビー役にベティ・デービス、妹役にリリアン・ギッシュさらにバイプレイヤーにはビンセント・プライスというじつに名優ばかりがキャスティングされていた。デービスはこの作品がなんと出演100本目であり、ギッシュはこの役でカンヌの特別賞をとった。
 この物語を知らない人のために昴のパンフからあらすじだけ書いておこう。
 セーラとリビーの姉妹は60年来、夏ごとに小さな島にあるセーラの別荘にやってくる。昔、そこの入り江には8月になると鯨が来ていた。少女の頃、彼女たちはよく鯨を見に駆けて行ったものだった。それも遠い昔のこと。セーラは目が不自由になった姉のリビーを支え面倒をみている。リビーは他人に依存しなければ生きていけない自分に腹を立て、わがままになっていく。セーラが迎えた客人との楽しいひとときもリビーの刺のある言葉で台無しにしてしまう。リビーはいつも心の中で一人ぽっちになることを恐れていたのだ。 
やがて彼女はセーラが望んできた大きな窓を居間の壁に取りつけるというアイデアを受け入れ、そのことで自分の気持ちを伝えようとする。
静かに時は流れ、再び鯨を見ることを夢見ながらふたりの暮らしは過ぎていく……

 ようするに老人しかでてこない芝居なのだ。人生の最終章にさしかかった人びとが語りかけるものを若造だつたぼくが理解しきれなかったのは、当然だなあと思った。
 昴によるキャストは妹のセーラに谷口香さん、リビー小沢寿美恵さん、ほかに北村昌子さん、西本裕行さん、そして内田稔さん、どなたもすばらしい演技だった。濃密で軽妙、緻密で大胆、天使と悪魔、すばらしく密度のある舞台を堪能した。10/16までやっている。
 残念なことに三百人劇場は来年いっぱいでとりこわしとなる。したがって来年一年がラストショーである。三輪えり花さんは来年の10月、ほんとのベリーラストショーの「夏の夜の夢」の演出をされるそうだ(パンフにも予告がてていた)。また、いい芝居小屋がひつと消えるかと思うとさみしいが、
 ばっときえるのも芝居の華か。
 
夏の思い出! 1 10月06日 (木)
空は高く夜は深くやさしくなってきました。
過去の日記にもたぶん書いたと思いますが、この夏、ぼくはシアトルからとんぼがえりして、8月9日にラボランドにあらわれ、キャンプ5班のラボっ子たちの『寿限無』をひそかに見て、翌日の10日にニコルさんと会いました。
 もちろん、中身は来年の新刊のうちあわせです。約束の11時ぴったりにラボランドから車で10分ほどの仁の倉(にのくら)という所にあるご自宅についたのですが、ニコルさんはなぜか時間をかんちがいしておられ、ラボとのミーティングは夜だと信じ込まれていたようで、なんとまだおやすみになっているとのこと。
 スケジュールを管理している方となんども確認していますので、「いや、お約束はたしかに今日の11時のはずで……」と応対にでた方に申しあげると、「じゃあとりあえず、あがっておまちください」ということになりました。なんでも、昨日まで3日間、アファンの森で迫害をうけている子どもたちと過ごし、夜は奥様の妹さんたちがお泊まりになられたので,はりきって料理なとをされてすっかりお疲れとのこと。
 待つこと15分。やがて水風呂(ご自宅の裏手に屋根つきの露天風呂がある!)につかってさっぱりしたニコルさんが登場。「えーっ,今夜の約束じゃなかった」「いえ、おそれいりますが○○さんと何度も確認しましたけれど、今日の11時ということですが……」「そうかなあ、ぼくは今日の夕方、鹿の肉をもってラボランドにいこう思ってたんだよ」(あとでわかったが、夜は夜でちゃんと別のアポがあった!)
 それでも、紅茶をのんだニコル氏は元気をとりもどし、「さあ、だいじょうぶ仕事の話をしよう!」。
 仕事の話はかけないけれど。充実した時間となりました。やわらかな黒姫の夏の光がさしこむリビングのテーブルをかこんで来年にでる新しいラボ・ライブラリーの話がすすみました。
 ところで、ニコルさんには、以前から一度アファンの森を見せてくださいとお願いしていましたが、なかなかそのチャンスがありませんでした。今回のアポをとるときにその旨を話したらOKとのこと。でもねおぼえていてくださっているかな。
 「あのー,おききになっていると思いますけれど、ニコルさんの森を歩いてみたいんですけれど……」「いいですよ。お昼ごはんを食べてからみんなでいきましょう」「ありがとうございます!」
 というわけで、奥様とニコルさんがつくられた魚の塩焼き(サンマが信じがたいほどうまい)やシチュー、そして夜にラボランドにくるはずだった鹿肉入りのパスタなどをいただき、いざ森へということになりました。
 ニコル夫人のマリコさんが運転する車で10分ほどで森に到着。夫人とその妹さん、そしてなぜかバレリーナの男女ふたり。 全員で6名ほど。
 ニコルさんによれば、森にインパクトをあたえすぎないためには一度にはいる人数はある程度制限すべきとのこと。でも、ラボランドのようにたくさんの人が集う森もたいせつで、そういう意味ではラボランドの森はとてもよい状態だそうです(ちょっとうれしい)。
 およそ2時間のショートコースでしたが、とにかく森のもつ霊気というか迫力に圧倒されました。心のなかに「なあに森じゃん」という安易なものがあつたのでしょう。すっかりうちのめされました。ぼく自身も野外活動は大好きでキャンプ歴はそれなりにあると自負していましたが、そんなものは一瞬にふっとびました。息づいている森、ちゃんと手がはいっている森はまさに「生きている森」です。精霊の300ひきくらいはいそう。
 ニコルさんによれば、森の手入れを手伝いたいというボランティアの希望の方は多いそうです。でも、ボランティアだと無理はいえないし、森の知識もとぼしいから逆にたいへんだそうです。まわりの国有林も手をいれてほしいといわれているそうですが、間伐材の使用などでまだ折り合いがついていなかったり、国や自治体との考え方の相違をうめていくにもまだまだ時間がかかるということでした。
 森の出口で、ニコルさんは「ちょつとまって、とってもまずいものがあるから」といって、ぼくたちを野性のラズベリーのところにつれていきました。ぼくはすぐラズベリーとわかりましたが、何人かの女性陣はきょとんとしています。ニコルさんは、ひととくち食べて「うーん、とってもまずい! まずずきる!」ぼくもひとくちいただいて「これは危険。とってもまずい」
そしてニコルさんと大笑いしました。
 奥様と妹さんたちは、えっなになになにとふしぎそう。
そのあと、ニコルさんはわさわざ黒姫駅までおくってくださいました。
 森は語る 風もはなす 川もうたう
今度のライブラリーはいい作品になりますよ。


 
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