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SENCHOの日記
SENCHOの日記 [全292件] 201件~210件 表示 << 前の10件 | 次の10件 >>
カレンダーづくり季節なのだ 8 09月14日 (水)
 今年もラボ・カレンダーを飾る絵がどっさりとどいた。去年とほぼおなじ
約3000点である。今年で23回目。継続は力なり。もう3年で四半世紀なのだ
quarter century――うーむ。すごいことだ。後述する写真コンテストもそうだが、子どもの絵の大会(コンテストではないので)でこれだけ続いているのはそうはないし、3000点も全国から応募される大会もほとんどない。
 それだけでも自慢していいと思う。もともとは,ラボっ子の描画活動を激励しようというのがはじまりだった。われが機関誌「ことばの宇宙」も,その編集コンセプトは「子どもの表現をとにかく激励すべし」である。この方針は創刊以来不変にして犯すべからずで、頑固にまもりつづけている。そのあかしが、表紙の絵を子どもの作品でつくるという態度なのだ。
 ふりかえれば1年目は300点くらいしか集まらず。カレンダーの制作を1年延期した。翌年,1984年にはじめてラボっ子の絵による「ラボ・カレンダー1985」が完成した。カレンダーづくりは,カラーなので(当時はカラー印刷にかかる時間と手間はとてもとてもたいへんだった。今でも楽な作業ではないが、手順はコンビューターのおかげてだいぶ少なくなった)時間も費用もかかる。したがってラボのみなさんに買っていただかねばならない。当時は600円だったが,「義務なのか」「こんなのいらない」とかいろいろな声が届いた。それでも、とにかく冒頭に書いたように,「子どもたちの絵を応援したいんです」といいづけてひたすらつくり続けた。いやあ、続けてよかったとおもう。
 だから考えてみれば,ぼくは子どもの絵を見続けて23年たつ。もちろんその間にラボ・ライブラリーの制作をしていたわけだから一流のプロの画家や絵本作家の作品もいやというほど見ている。そして、どちらもあきることがない。うまい絵,いい絵,きもち悪い絵,かっこいい絵,いろいろある。感じ方は自由だ。技術論ではないとつくづく思う。たいせつなのは,プロが半年かけて描いた作品でも、友だちが10分でかいたリンゴの絵でもそこにある色とかたちからなにを感じるかだと思う。そして美術館のピカソより友だちの絵のほうが心にフィットする日だってある。
 いまの子どもたちもおとなもデザイン化されたものにかこまれて暮らし、かつアニメやコミック(それ自体はすばらしい文化だ)の輪郭がはっきりた絵が「うまい絵」としてすりこまれてしまっている。ようするに形=フォルムにどうしてもとらわれてしまう。そこへいくと、ラボっ子の絵はちょっとちがう。どうちがうか書いておこう。
・自由にとらわれずに描く――テューターは幸い絵の指導者ではないので、みんな自由に描く。学校の図工や美術ではひどい場合は「もっと、ちゃんと描きなさい」とか(よく見て描くのはいいことだけと)「お空はそんな色なのむといったつまらん指導がはいることがある。でもラボっ子はほんとうに自由に描いている子が多い。とくに3~5歳の子どもはじつにとらわれなく描く。「うまく描こう」なんて考えない。もちろん,幼い子の場合はぐうぜんおもしろいかたちになったり,たまたますてきな色ができたりということはあるが、それもまた楽しい。ラボつ子はラボ・ライブラリーの絵本をみて「うまいなあ」と思うわけだが、じつはプロの絵描きからみると幼い子どものようにまったくとらわれずに描きたいのだ。ピカソは13歳のときにすでに父親(やはり画家だった)よりも格上の絵描きとしてあつかわれたが,この天才は晩年は幼児が描くような作品ばかりをつくった。これらの作品は箱根にある「彫刻の森美術館」のピカソ館に多く展示されているが、そこに次のようなピカソのことばが書いてある。「やっとこいうふうに自由に描けるようになった。70年かかった」。ピカソにして幼児のように無垢に描くのはそんなにもたいへんなことなのだ。また、ジョアン・ミロは5歳の子の目をもっていといわれる。そうしてみるとラボっ子の作品を見ていると。「あっピカソだ。ミロだ。ブラックだ。シャガールだ」とおおさわぎになる。

・物語と出会っている――だから想像力はあるし、すきな物語の世界につつこんでいるから、描きたいものがある。

・すばらしい絵とラボ・ライブラリーの絵本をとおしていっぱい出会っている。――これもたいせなこと。うらやましいこと。だからただ白い紙に描くだけでなく(かなり多くの小中学校では輪郭をフエルトペンで描いて、そのなかを彩色するとという恐ろしいことをやっている――すくなくとも去年くらい)、色紙をつかっり、コラージュなどのさまざまなことに挑戦している。ただクレパスと不透明水彩だけあたえて「自由に描きなさい」というのは無茶な注文。

・ラボっ子はやさしい絵を描くなあ――これは毎年のように審査員がもらす感想。力強さもたいせつだけど。

・心の風景画――抽象・具象はおとないい方。絵はぜんぶこうなのだ。
 同時に、現在の世界のなかで「絵を描いていられる幸せ」を感じてほしいと思う。

 ともあれ、子どもたちの絵を見ると魂をうばわれるのでぐったりする。
カレンダーよろしく!
夏はかけあし 1 09月02日 (金)
かけぬけていく季節に

夏のおわりに さみしいころは 海のにおいが恋しくて
うすむらさきの貝殻を ぼくは耳にあて目をじる
すきだともいえず うつむいていた あの日の思いに わかれをつげて
あたらしい風 にとまどいながら 
おたがいの道を あるきはじめる
それぞれのゆくてに 両手をひろげ まっているものの影にむかって
いま 朝焼けにもえている あの光る山をこえた海へ
とき
うーむ。きのうのせた写真が小さすぎたので再掲載するのだ。
上は8/13のセーフコフィールド。再びシアトルにもどったその日の午後
招待されていったのだ。
ライトの守備位置で屈伸しているのがイチロー選手
ちなみに、SAFECOとは球場の命名権をもっている保険会社の名前。マリナーズ自体のオーナーは任天堂。この日はボロ負け。
つぎは7月27日にさかのぼる。ステイに出発するラボっ子。夏の風物詩だが
いい顔しているので
しひこ
はし
7/26に訪問した小学校のサマースクールでの日本文化紹介。
しく
のに
8/14-8/20のキャンプスモーキーでのキャンプ。
しか
最後は8/10黒姫の「アファンの森」でニコル氏にたっぷり2時間案内していただいた。そのことはいずれ詳しくかくっす。下はその森から車で10分ほどのところにある氏の自宅で、森にでかける前に隣家の犬と遊ぶ氏。アファンの森の財団事務局もこの敷地内にある。
あは
にっく
SUPER JET LAG! 08月29日 (月)
とんでもなくひさしぶりである。
毎日書き込んでいると苦にもならないが、
どっと間をあけてしまうとキイボードが重いっす。
ようするに書くことが多すぎるのだ。
7/25にシアトルへ、ワシントンワールドフアミリーズに参加するラボっ子
21名を引率。シアトルは20度。ザマーミロ。
シアトルタコマ国際空港、通称SEATACにはコーディネイターのシーラさん、
アメリカ事務所長の平野夫妻が出迎え。
西海岸の底が抜けたような青空。
翌26日は、小学校を訪問して日本文化の紹介。午後はタコマの動物園。
鳥をつかったショーなどがおもしろい。 
27日の昼にはホストフアミリーとラボっ子の対面式。
引率者としてあいさつをぶつ。
昨年にひきつづいて受入れいただくお礼をいう。
シアトルをほめちぎる。人も街もすばらしい。ただひとつの不満はマリナーズの成績だというと、かなりうける。
かつて縄文人は丸木ぶねではるかマイクロネシアまで航海したという。
アメリカ人は230るんまえ。「五月の花」といえ名の船でこの大陸にやってきた。そしていまでは月までいける船さえもっている。
これからの未来に、わたしたちがもつべき船はなにか。それは星条旗も日章旗もユニオンジャックもたてていない船である。
Friendship なんてね、
対面式後――みんなよい夏を
シーラにおくってもらいシアトルのダウンタウンへ。
Warwickというホテルにひとりでチェックイン。ここは10年ほどまえ4Hクラブとの合同会議を行なったひともあるそうだ。古いがこじんまりとしていて、かつ部屋もひろい清潔なホテルだ。チェックイン後アメリカ事務所におじゃまして、平野所長と懇談。シアトルはサンフランシスコのような丘の街だ。徒歩で移動するのはけっこうたいへんで、トロリーバスがあちこちほはしる。ラボの事務所もある丘の中腹にあるコンドミニアムだ。
3時ごろ、平野氏の車で外へでる。日本庭園やビーチまわって5時ごろまでドライブ。ユニオンレイクという湖のほとりにあるチャンドラーズというシーフードの店へ。この店は横浜にも支店をだしている。
6時近くだがまだ陽はかなり高い。Daylight Saving Time
すこしまぶしいが、せっかくなので湖にはりだしたテラスに席をとる。
シアトルにはワシントンレイクというでかい湖があるが、このユニオンレイクはサウンドとよばれる内海につづくややこぶりの湖だ。
店の横はマリーナになっていて、ヨットやボート、漁船が繋留されている。
すべて帆はおろされ、マストのむこうにゆっくり夕方がはじまろうとしている。気温は18度。ときおりエンジン音が湖をわたる。カナダのビクトリアへむけて双発や単発の水上飛行機がとびたつのだ。ビクトリアまでは1時間。おひとりさま100$とのことだ。ほぼ30分に一機、すこし夕焼けにそまりはじめた湖面に金色の波をつくりだしながら、透明度の高い空へ水上飛行機はきえていく。ビクトリアでも海が湖に着陸するのだろう。
夜、ホテルにもどるとテレビでイチローの試合をやっていた。
かくして7/28のNW008でひとり日本へ。
うーっ暑いのだ。
そしてあっとううまに10日あまりが過ぎて、8月9日、あさまでラボランドへ。翌日にはニコル氏と40周年記念作品についてのうちあわせ。
ざんねんながら、こりについてはまだくわしくというか、ほとんどかけない。ゆるせ。
ただ、ごちそうになったランチがたいへんおいしかったのと、アファンの森を氏に案内していただいたこと、さらに氏と奥様のマリコさんに黒姫駅まで見送っていただいたことは書いておこう。
とにかく、たいへん新鮮でいままでにない作品がつくられつつあることはまちがいないのだ!
16時近くの列車で長野へ、ここから「しなの」にのりかえて塩尻へ、さらにそこから中央線で上諏訪へ。上諏訪から車でビーナスラインで美ヶ原、車山をぬけて白樺湖へ。じつはこの標高1500メートル湖のそばに『寿限無』や『十五少年』の英語を担当した鈴木小百合さんの別荘がある。かねてから一度きてといわれていたのだか、この8/10は花火大会があるということでラボランドからまわることにしたのだ。鈴木さんも鈴木さんのご主人も大学の友人であるが、ひさしぶりに仕事をはなれてゆっくりしいろいな話をすることができた。
 翌朝8/11、やたらはやくおきてひとりでテレビをみていると。鈴木さんがおきてこられて、コーヒーと朝ご飯をととのえてくださった。それをいいただきながら、やっぱり仕事の話。来年からさ来年にかけてピュリッツァー賞をとった芝居の翻訳と上演を企画しているとのこと。ぜひ見ますと約束。そしてご多忙だろうけれど、ラボ40周年もよろしくたのんだ。
 鈴木氏のご主人におくっもらい茅野駅へ。そこから「あずさ」で新宿へ。
そして8/13午後のNW007シアトルヘ。
朝9時に着くと、平野夫妻とシーラがまた出迎えてくれた。きょうは午後から
マリナーズのデイゲームに招待されている。ラボっ湖とホストファミリィもたくさんくるという、こちらはぜんぜん寝てないけどまあいいか。
つつはぎはまた。
I'm back! 08月01日 (月)
 「I'm back.――いまもどったぜ」とシンプルなあいさつをしてにやりとわらったのはバスケットの神様、マイケル・ジョーダンだ。ジョーダンは周囲もおどろく絶頂期に引退を表明し、あこがれだったというた野球に挑戦。その2年後(たぶん),上の名セリフとともにシカゴ・ブルズにもどった。
 ジョーダンのすごさは,いまさらいうまでもないが,"Air"の異名をとるほどの滞空時間の長い跳躍力はピーター・パンもまっさおだった。
 この跳躍力がフリースローラインのからのダンクシュートや,空中で2~3回フェイントをいれる「ダフルクラッチ」などの人間わざとは思えぬプレーを可能にした。また,想像力にあふれたカットインや視線と逆方向へのパス。さらに覆いかぶさってくる長身選手から遠ざかるように後ろにジャンプしてうつフェイドアウェイ・シュートなどジョーダンならではプレーがいっぱいあった。
 バスケット選手はどうしても身長がの高さがもとめられるがゆえに,顔や身体のパーツのバランスが美学的にはよくないことが多い。しかし。ジョーダンはじつに均整のとれた身体と端正で知的な顔立ちをしていた。黒人バスケット選手がスキンヘッドなのはいまやあたりまえだが,これもジョーダンの影響だ。スキンヘッドはみためがヤクザになることが多いが,ジョーダンは頭のかたちもよかったからじつににあっていた。また,その眼は深い洞察力をたたえている湖のようだった。
 でも、いったんプレーに集中するとその眼は野獣のそれにかわった。獲物におそいかかる肉食獣のようにコートを疾駆した。舌をだしながら,シュートしたりバスしたりどりぶるしたりする姿(舌をだすことでリラックスできるそうだ)はまるでは虫類だった。
 ジョーダンは試合が終わるとかにならずといっていいほど、真摯にプレスの質問こたえた。しかも、スーツをきてネクタイをしていた。移動のときはスーツというドレスコードがほとんどのプロティームにはあるが,試合のあとのつかれた身体であっても、端正なスタイルで成熟した大人としてインタビューにむきあう姿は多くの尊敬をあつめた。
 そのジョーダンが完全に引退してから,ぼくはNBAをあまりみなくなった。

 ジョーダンのはなしが長くなったが、シアトルから金曜日にもどってきた。むこうで3泊、機中2泊の弾丸ツアーだ。
 ワシントンワールドファミリーズにステイするラボっ子は21名。みんな元気にホームステイにむかった。7/26日にはアデレードという小さな町にある小学校のサマースクールを全員でたずねた。低学年クラスと中高学年クラスとそれぞれ1時間ずつ、日本文化の紹介をした。自己紹介もし、「ひとつしかない地球」を英語でうたった。ホストファミリーにあうよい練習になった。
 その夜はモールのフードコートでひとり10$ずつもってバディですきなものを食べるという体験をした。マックなど日本にもあるお店を選ぶ子もいたが、けっこうはじめての食べ物にも挑戦していたようだ。
 ところで、シアトルマリナーズは昨年につづいて西地区のびりっかすだ。イチローがひとりでがんっている。だから「イチローがきてくれてほんとにうれしい。ありがとう」とまじめに話しかけてくる人がけっこういる。学校にいったときも、学年主任のおばあさんの先生から「よく日本はイチローをアメリカにいかせたるありがたい。ありがたい」といわれた。「それはいいけど、マリナーズはどうしちゃったの」というと「オー,それをいわないで」とほんとうになきそうな声になってしまった。
 やっばりペースボールはアメリカの国民スポーツだ。
 シアトルは湿度は20パーセント,気温はせいぜい22度Cだ。空は秋のように高い。まあ日本の11月ざんす。帰国前日はラボっこたちがステイにはいってひとりになったので、アメリカ事務所長の平野氏と夕食をとった。ワシントンレイクとサウンドとよばれる内海をつなぐユニオンレイクという小さな湖(それでも野尻湖くらいはある)のほとりのチャンドラーというレストランだ。イカとかカニがうまい! シアトルは稚内より緯度が高いから夏は駆け足だ。それを知っているから,夏の人びとはみなやさしい。湖の入り陽をながめながら食べるシーフードはすばらしい。
 と、なごんでいるとときおり爆音がひびく。この湖からはカナダのビクトリアまで水上飛行機がでていて、約1時間、おひとりさま100$とのことだ。
 30分に一機、湖に白波をたてて薄暮の空にまいあがっていく。なかなかの風景だ。これだけでも、物語がかけそう。
 夜火照るにもどるとイチローの試合をやっていた。めずらしくマリナーズが9点もリードしていた。明日は東京、また9時間の旅。

 いやあ東京はあついっす。
 今度は8/13にまたもどるすよー。

 
夏はきぬ 1 07月16日 ()
三連休だというのに、このどんよりした天気はなんなんだ!
とおこってみてもはじまらぬ。
南九州では梅雨があけたというではないか。
北米の青少年も到着し、いよいよラボの夏だ。
昨夕は、『寿限無』の刊行のお礼として
牟岐礼先生、三輪えり花さん、茶畑さん、録音技術の富さんなど
制作関係の方がたをまねいてささやかな会をもった。
鈴木小百合さんも出席予定だったが、12日から「スターウォーズ」の仕事が急遽はいってニューヨークにいかれてしまった。前日までホテルで缶詰だそうで、ごめんなさーいという電話がはいった。いやきはや忙しいことだ。
 会は作品のことでおおいにもりあがった。とくにうれしく思ったのは
・ラボ・ライブラリーの仕事は徹底的にやるのでたのしい
・ラボ・ライブラリーの仕事の現場はきびしいけれどなぜかあたたかい
・ラボ・ライブラリーの仕事はほかにはないのでおもしろい
・うけとめてくれるラボっ子やテューターがすばらしい
 と口ぐちにいってくださったことだ。
 
 牟岐先生は芸大の環境音楽創造科が千住に来年移転するそうで、その準備におわれていらっしゃる。ここはオーケストラの録音もできるスタジオ設備が付設されるという。すごい!
 三輪さんは来夏、モーツァルト劇場で上演されるモーツァルト最初のオペラを演出。茶畑さんも来年東京で個展の予定。
 さいごに茶畑さんの『寿限無』絵はがきとキャンプのバッジをおみやげにさしあげるとみなさんおおよろこびだった。
 両雄あいいれず、ということばかあるがラボ・ライブラリーは両雄どころかたくさんの個性が高めあうふしぎな世界だ。

 さて、わたしはこれから銀座で英語落語。そして25日からはシアトルへ、でも29日にすぐ帰国して、また8/12にから再渡米。
ではではよい夏を
さよなら「ごろごろにゃーん」 1 07月04日 (月)
 長新太さんがなくなった。またひとり絵本の王様が旅にでた。
 さみしい。
 長さんといえば『ごろごろにゃーん』だ。
 「ごろごろにゃーん  ごろごろにゃーんと
  ひこうきはとんでいきます」
 このくりかえしと、かきなぐつたようなタッチの絵
 じつに衝撃的だった。
  あんまりすごいので、作者の頭のなかを見てみたいと思ったものだ。
  この作品を『かぶ』の小野かおる先生が絶賛していたのを思い出す。
 「どうみてもへんな絵本ですよね。でも、わたしはへんなもののほうが
  すきですし、おもしろいと思います」
 「長さんは、絵本もへんだけど、ご本人もへんな方です」
  当時、小野先生は東京造形芸術大の教授をされていたが
 先生の本来の作品は『とぷう』や『かぶ』のやさしいスタイルからは
 想像できないはげしい抽象だ。「学生はおとなしいすぎてね」
 とほほえんだ小野先生が激賞してやまなかったのが『ごろごろにゃーん』だ。
 さっきかきなぐったようなタッチと書いたが、『ごろごろにゃーん』の絵は荒らっぽそうにみえるがじつに緻密だ。魚形ひこうきをジャンボジェツトや都市といった巨大な脅威と対比させた構図などは詩情豊かだ。
 しかもかわいた抒情=リリシズムがきもちよい。
  この絵本を見た子どもはたちまちにとりこになる。「こんな変な本だめです」というおとなの声はおかまいなしだ。「もっと、ちゃんとした本がいいんじゃないの」
 ちゃんとするっていったいなんだ。
 愛することより なにかをさがしつづけることより
 自分が自分であろうとすることより
 だいじな「ちゃんとする」ことなんて!

 とうとうラボ・ライブラリーに描いていただく機会は得られなかった。
絵本のラスト
「ごろごろにゃーん ただいま」
このセリフを長先生はいまはどこかの空でいっているのだろう。
合掌。
   
  
 


  



  
三輪さんのアルジャーノン その2 3 06月20日 (月)
 ハニーさん日記を読み逃げしたら
三輪さん自身が訪問されていた。
それもおどろいたが、小屋の入り口での衣装を
かえている(3週間も上演するのだから当然といえば当然)という
話も興味深かった。
 ところで劇団昴とラボは浅からぬ因縁である。
久米先生のナレーションはラボ・ライブラリーではおななじみだし
ほかの方もいろいろと出演していただいている。
 知られていないが、韓国語のSK3やSK8の吹込みは
劇団昴さんの紹介ですばらしい韓国の役者さんに吹き込んでいただくことができた。
 朝日の劇評でもふれていたが、この『アルジャーノンに花束を』の主人公であるチャーリー役はの、たいへんにむずかしい。IQ68だが純朴な青年が
大脳の手術によって急速に天才的頭脳の持ち主になっていく。しかし、そのスピードに比例するように再び退行していく。このチャーリーのアップダウンがまさにひとつのサスペンスであるのだ。
 その悲劇的な結末がのこす観客へのテーゼもまた、この作品の魅力であるが、この前書いたように、考えさせられるだけでなく、感動することができたのはおどろきだったし、そのことは出口であいさつされた三輪さんにも素直につたえた。驚愕と同様、感動もまた、「感動しろ、感動しろ」という演出に感動できるケースはあまりない。むしろそうした場合は、鼻じらんでしまうことのほうが多い。今回の演出は実際のIQ68の人間の行動や言語表現のリアリィという点からいえば正確かどうかでは疑問だという人がいるかもしない。だが、この芝居にもとめられているのは精神病理学的描写のリアリズムではなく、チャーリーのサスペンスと彼をとじこめる迷路の演劇的リアリティにほかならない。そこがしっかりと押さえられ、全体ではむしろ抑制された演出、別のいい方をすれば「乾いたリリシズム」が感動をよんでいるのだろう。
 えらそうなことを書いたが、ぼくはこの芝居をみて、『カッコーの巣の上で』を思い出した。これはケン・キージー作のもともとは舞台劇で、後に1975年にミロス・フォアマン監督によって映画化され、ジャック・ニコルソンが迫真の演技をしてしてアカデミー賞の主要部門、作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞などをかっさらった。
 このときのニコルソンの役であるマクマーフィは刑務所の強制労働からのがれため、精神異常を装ってオレゴン州立精神病院に入る。そこで患者を物ののようにに扱う病院の管理体制に反発を感じたマクマーフィは権力を誇る婦長ラチェッドと対立しながら、入院患者たちのに生きる気力を与えていく。しかし、最後は、彼を排除しようする病院側によってロボトミー手術をされてしまい、無気力な状態にされてしまう。ラストは友人のネイティブアメリカン(彼も差別されていたが)に、ある方法で解放される。
 体制のなかで抗う男の姿を通して人間の尊厳と社会の不条理を問う作品だが、ある意味、「アルジャーノン」とは真逆ともいえる設定の物語だが。じつに通じるものがある。前述の「人間の尊厳」と「社会の不条理」という問題である。そしそしてこの「アルジャーノン」も「カッコー」も、この「人間への尊厳」を、プロデューサーも演出家も、自己の問題としてどのようにとらえているのかが、じつは明確にあらわれてくる気がする。
 命をかけても守るべきものである、最後の最後でたたかうべきものであるのか、どこがゆずりわたすこともあるのか……。このじつにぎひしい問いにたちむかえる勇気と強さとやさしさがあるか、それが感動をつくりださせるか否かのわかれめだと思った。
 「カッコーの巣のうえで」One Flew OVer the Cuckoo's Nest
いい映画です。VCTR DVDどらもでてます。


 
『寿限無』快調? 3 06月15日 (水)
 『寿限無』の出荷がはじまって6日ほどたつ。なんとも落ち着かない。
よろこんでくれるだろうか。子どもたちははずんでテーマ活動するだろうか。絵本はきにいるだろうか。いまさらのように心がふるえる。
 制作にたずさわった方がたには、昨日の火曜日、いつせいにお礼状をつけて献本を送った。
 するとはやくもきょう、お礼の電話やメールがきた。うれしい!
みなさんも、声や文面にもうれしさがあふれている。
 そりやそうだろう、みんな身体も心もぎりぎりまでけずって
力をあわせたんだ。ほっとしているのがはんぶんだけど、やっぱりできたものを手にするよろこびは格別なのだ。
 しばらくは、このよろこびに浸っても……。
いやいや、美しかった昨日はもういいのだ。
次のもっと高い山をめざさねば!
 すわりこむにはまだはやい。
 見えない渚をめざして、さあたちあがれ。
 などと例によって、決意主義的につぶやくのだった。
さあ、40周年ライブラリー。
そのためには、まだまだ勉強、勉強。
 そうそう、読者のみなさま「SK30制作の記録」の感想をよせくだされ。
それと、制作資料集への希望も(もしあれば)!

 

 
バーニーの桜 4 06月14日 (火)
GRUMPA

 6月11日の土曜日から1泊でラボランドにいってきた。
今年の夏は、ラボランドにいくスケジュールにはなりそうもないからとか、
SK30がおわって次のライブラリー(40周年!)の仕事にかかるまえのきもちのきりかえとか(そういえば去年は鎌倉に紫陽花をみにいった)、
あとづけの理由はいろいろあったが、
もっとも大きな目的は、かつてラボのアメリカ事務所のスタッフであり
貴重な友人であり、2年前の7月に早世したバーニー・レーベンスピール
氏のメモリアルとしてオオヤマザクラを植樹するということにあった。
 バーニーの遺骨と灰は氏の希望のとおり、故郷の海に還った。ご両親は故人の遺志を尊重してとくに墓はつくらず、オレゴンはニューポートの別荘に小さな塚をつくられた(バーニーはそこに茶室をつくるつもりだった)。
 散骨されたバーニーの遺骨と灰のうち、ごく一部はラボのために日本にとどけられた。そこで、彼が愛してやまなかったラボランドの一角にメモリアルの樹を植え、そこに遺骨と灰をうめて、バーニーのspiritをなぐさめようという会であった。(株)ラボ・ラボランドのご協力を得て、財団法人ラボ国際交流センターの山田顧問のよびかけである。
 土曜日は梅雨前線の影響で天候が懸念された。事実、黒姫駅についたときもさみしい雨。ラボランドに到着し、ぐるんば城でくつろいでいるあいだも、大きな窓のむこうで銀の糸がしずかに森をぬらしていた。
 しかし!セレモニーを行なう午後4『寿限無』まえ、雨はあがり晴れ間がでた。木樹もいきいきとしている。
SAKURA
ASh
 2本のオオヤマザクラは、鴻来坊の前庭に植えられた。遺族からあずかった遺骨と灰はその根元にていねいにうめられた。ほねはカルシウム。いずれは土に還り、あたらしい命の栄養となる。
 しずかな祈りが緑のなかに余韻となってたなびいた。
 見上げた空に雲の流れがはやい。夏は、もうそこまできている。
この森に、子どもたちの歓声が満ちる日は近い。
 バーニー、きみはいまごろどこを旅しているんだ!
三輪さんのアルジャーノン 06月11日 ()
 昨日は一日じゅう雨。
銀のしずくふるふるまわりに
シロカニペ ピシュカンランラン
という知里幸恵が翻訳したユーカラをおもいだした。
金田一京助に見いだされ、アイヌのほこりであるユーカラを日本語にする
という大仕事のなかばでわすが19歳で世をさった少女のことは
もっとしられてもいい。
 千石(都営地下鉄三田線)駅から
すぐ、劇団昴の三百人劇場にいってきた。
きのうし会議がぎりぎりまであったので、
七時の開演10分まえにかけこんた。
三輪えり花演出,ダニエル・キイスの名作
『アルジャーノンに花束を』である。
入り口で三輪さんがにこやかに出迎えてくれた。
あざやかな花柄。うーむ。トロピカル。
9日が初日できょうはふつかめ。
なかにはいるとフルハウスだぜ!
 このメイクの筋立てはいまさらかかないし、こから見る人も
きっといるから、あれこれも書かない。
でも、抑制がきいて、かつぐいぐいひっぱっていくいいしあがりだ。
ぼくは、この芝居はけっこうみているが。
おもしろいだけでなく、感動したのははじめてかもしれない。

7/1までやってる見るべし!
さて、これからラボランド。
なにしにいくって、それはかえってからのご報告
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