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昨日は臨時全国ライブラリー委員会だったのだ。
いちばんの目的は40周年ライブラリーついての話し合いだが
まずは!
SK30ができたので、その報告をしたのだ。
今期のライブラリー委員は皆、録音や選考会などのさまざまな現場に
立ち会ってきたので、制作スタッフ同然,というより「いっしょにつくっている仲間」という意識がつよい。ぼくらはプロで、委員のテューターの皆さんは制作スタッフという意味ではアマチュアだけど、そんな線引きは情熱とか信念のうえでは関係ないと思う。たいせつなのはガッツとセンスだ。
ところで、一度書いたけどsenseには感覚 意識 判断力 意味
という4つの意がある。このことをぼくは中学高校の6年間,横井徳治という英語の教師に徹底的にたたきこまれた。横井師はもう故人になられたが、サブ・リーダーが担当であった。小柄でがっしりしているところから「ヨコトン」が愛称であったが、謹厳で中1のガキどもにはたいへんこわい先生であった。専門は英文学なので、ご本人もミスター・チップスのようなイギリス紳士としてのみだしなみとたしなみをキープされていたと記憶している。
そのヨコトンの最初の授業がいきなりこのsenseの解説だった。その4つの意味をおぼえることにどんな意味があるのか、ぼくらにはほとんど不明だったが、漢字熟語を4つおぼえるだけならだれでもできるとも、たぶん全員がタカをくくった。
ところが、このsenseということばは、けっこう英語の文章のなかにでてくる。するとそのたびにヨコトンは、「○○! SENSEの意味をいいたまえ」といきなりだれかひとりの生徒を指名するのだ。するとそいつはよろよろと立ち上がり「ええーっと感覚、意識、判断……」とこたえるのだ。ああ、しかし、なぜかこたえられない場合がけっこうあるのだ。すると、どうなるか。「バカモノ!」とまず一喝され、つづいて「よいかsenseの意味は……」という解説がはじまるのである。
声にだしてみるとわかるが、感覚 意識 判断力 意味 という4つの熟語はこの順序で発語すると語呂がいいのでとなえやすい。では、記憶力もいいはずの中学生がなぜすっとでてこないのか。こたえはかんたんだったが、そのことに気づいたのは40歳になってからだ。
つまり、日本語の感覚も意識も判断力も意味も、自分のことばとして身についていなかったのだ。だから、丸暗記だけではすぐでないのだった。これらのことばは、どれも抽象的概念であり、母語のなかでもつかいこなすにはかなりの経験と素養が必要ななのだ。だからこそ、ヨコトンは徹底的におしえこもうとしたのだ。
ぼくらの学校はいわゆる中高一貫の6年生の私学で東京23区の西部、練馬区の江古田というところにあった。校則も生徒手帳も制服もなく、まったく自由であったが授業はきびしく、かつ本質的で、ときにはチンプンカンプンてあった。さらに信じ難いことに、英語や数学は分割授業なるものがあって、クラスを半分にして20人くらすの少人数でしごかれた。
したがって、ヨコトンの時間もじつに高確率で指名される。しかも、ヨコトンは中2のとちゅうから、サマセット・モームをとりあげた。さいしょは
Summinig Up という小品。そしてCommon Sense(ひでぶ!)さらには
The Moon and Six Pense 月と六ペンスなどの高度な作品にうつっていった。こうなると、もうsense攻撃の嵐である。
いまは大学生でもモームを読むなんて学生はそう多くない。でも、当時はなんてつまらないんだ(かなりの部分がわからないので)と思っていたが、
ヨコトンのおかげて、さまざまな英語の名文にふれることができたことは大きな意味があった。また、わかってもわからなくても、英語の原書をじりじりと読んでいくなんていうしんどい技も、そのころに経験していなければ身にはつなかっただろうなあ。
というわけで、話はずいぶんぶっとんだが、senseがたいせつなのは以上のとおりだ。しかし、それよりも信念とかガッツはもっとたいせつだろう。
これまで、いろいろな理由でラボをさっていた人びとがいる。それは本人なりの決断だし、それぞれの生き方だからぼくはあれこれいうつもりもない。ただラボから訣別して「ラボのようなこと」をしている方がたに負けるわけにはいかないと思う。というより、はなから勝負はついている。なぜなら、そういった人びとは「信念からの逃走者」だからだ。まもるべきものをまもるために、ふみとどまってたたかえないやつが、どこか新しい場所でなにかをできるはずがない。
なんていきがることもないか。
ともあれ、ともにたたかった今期および前期のライブラリー委員の皆様にはあらためてお礼をいいたい。
この委員会でSK30の完成報告をしているとき、うれしいサプライズがあった。といっても、もちろんほぐが計画したものだが、『寿限無』の英語を担当した翻訳家の鈴木小百合さんに登場していただいたのだ。
委員会は大もりあがり。
とくに講演会を開催した九州の委員は大興奮だった。
この委員会では、今回の「SK30制作記録」VTRの感想もきいた。おかげさまで評判がよいのだが、「だれもが知ってる有名人がてている」という感想があった。たしかにラボ・ライブラリーに関わってくださる方がたは各界のいわゆる一流メンバーだ。それは、毎回いっていることだが、常にその時代の最高のものをつくろうとすれば、いきおいそうなりやすい。
でも、ラボ・ライブラリーが大きく巣立つ人もいることも忘れてはいけない。そういういわゆるメジャーではなくても、力をもった,
すなわちセンスとガッツをもった新しい作家や画家や俳優などを見つけだすこともたいせつなのだと思う。
ニコル氏もそうだ。彼の自伝をよめばよくわかる。ラボは彼のホームタウンなのだ。江守徹氏も、ラボ・ライブラリーを語りはじめたころは、知名度といえばそれほどではなかった。むしろ実力があり、きっと世にでてくるだろうという俳優として登用されている。バルバース氏しかり。『わらじひろったきつね』のスズキ・コージ氏も売れっ子になつたのはそれ以後だし、村上康成氏もソングバードをの絵をお願いしたときは、まだまだ無名な絵本作家だった。永山裕子さんもそう(一部にコアなファンはいたけど)。
村上さんのときも、70曲以上のイラストを説明的でなく、かつ国際的センスでかける人、しかも動物がかける人、なんてったって鳥がかける人というのが条件だった。何冊絵本を見ただろう。何回図書館にいっただろう。
そのなかでやっとであったのが『かいじゅうのうろこ』(ブックローン)という絵本だ。これは、文は長谷川集平(M社のヒ素ミルク事件の後遺症をテーマにした『はせがわくんきらいや』で有名)氏、そして絵が村上氏であった。この絵本はいまもだいすきだが、この絵をみて「あっ!」とさけんだのを思い出す。
結局80点以上におよぶイラストを2回にわけてうけとったが、最後の40枚を国立の喫茶店でいただいとき、村上氏は「終わった!」と子どもような大声をだされてばんざいをされた。ぼくと、デザイナーは「ぼくらは、これからなのに」とがっくしため息をついたのが好対照だった。
いちどつきあったら、ていねいにつないで。どんなに有名になっても、「ラボの企画だったら、ぜひ手伝わせてよ」
そういってくれる人と出会っていきたいし、出会ったアーティストがそういってくれるような仕事をしていきたい。
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朝から銀の糸。きょうは与野本町のさいたま市産業文化会館で
吉田新一先生の講演会があった。雨にもめげず、100人をこえるテューター
ご父母が参加。これで一連の新刊教育講演会がぜんぶおわった。
全支部への講師派遣。それぞれによろこんでもらえたようだ。
さらにうれしいのは複雑なスケジュールであったが、事故やトラブル
が参加者にも講師にもなかったこと。
それから、講師自身もたのしかつたといってくれたことが大きい。きもちよく話ができれば、またおねがいできるもんね。
講師がたのしいといってくれた理由はたぶん以下の点。
・どんな団体、観衆よりもじつに熱心に話をきいたくれること。
・質問も積極的なこと。
・どこの支部でもあたたかく歓迎してくれたこと。
これは自慢してもいいのだ。
吉田先生もきょう、そうおっしゃっていたし、一度この日記にもかいたが、牟岐先生も「テューターのみなさんの芸術・文化への関心の高さはすごい。いいものをいつもラボっ子にとどけようという姿勢に感服」といわれている。
鈴木小百合さんもそうだ。じつは、28日の土曜日、私的なあつまりがあり、といったも大学時代の悪いなかまたちがあつまってReunionと称する
中華料理をたへるのと飲酒を目的とした会合があった。同期でひとり某大学の経済の教授がいるのだが、その男がなぜか共同経営で中華の店を開店したというので、そこにあつまり、やすく飲み食いしてめいわくをかけようというくわだてである。
よびかけたのは鈴木さんだ。かかなり多忙なのにマメなことである。
JUGEMのCDと茶畑氏の絵本の色校正をもっていき鈴木さんにみせた。とても、よろこんでくれたが、すぐに「なんだなんだ」ということになり、かくかくしかじか、『寿限無』を本邦初訳を小百合氏にやっていただいたのだ。というと、鈴木さんは「はずかしいから、みせないで」とけんそんしていたんが、結局全員がみるはめになった。
そのときいたのは、翻訳家が3人、通訳が二人、さらに外国語関係の仕事をしている(おそろしやみな女性)仲間がいたが、さすがにその道のプロ、
どいういう訳にしたんだという興味が集中したというわけだ。
さすか鈴木小百合と全員感心したのはもちろんで、「この絵いいねえ」「でしょう」(鈴木)「ナーサリー・ライムの日本版だね」「でしょう」(鈴木)「これどこでかえるの」「おめえらなんかにうらねえよ」(ぼく)
とひとしきりもりあがった。みな、ラボになついてはなん余談も偏見もひいきもない連中だ。だから素直な反応がわかってうれしい。
きびしいやつらだが、ものをみる目はたいした連中だ。これはやつぱりいけるぜ。鈴木氏「ラボで九州にいかせてもらったの」一同「えーつ、いいなあ。そんな仕事まわしてよ」「おめえらじゃな」(ぼく)
鈴木氏「みんなに、先生、先生っていわれてはずかしかった」「だって先生だもの」(ぼく)鈴木氏「でも、みんないっしょうけんめいきいてくれたからやりがいあるわよね」
この日にあつまった女性陣は全員、たいへんお酒がつよい。男性たちはふらふら。酒がつよく、頭の回転もはやく、英仏独とかのトリリンガルなどの優秀なので、きりかえしもはやく、男たちはけちょんけちょんであった。
でもそういうおそろしい人びとの『寿限無』はほめてもらつたから、まあいいか!
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五月(さつき)の語源はいくつかあるが
ぼくは田月(たつき)が変化したものという説がすきだ。
それでいくと、五月雨は田みだれ、五月女は田おとめであろう。
すでに日記で書いている方もおられるようだが
昨日は、文京学院大学の大島希巳江先生の講演会があった。
彼女は異文化コミュニケイションが専門で社会言語学博士
(教育学Ph.D)だが、なんといっても英語落語のプロデューサーである。
今回の『寿限無』があるのも、昨年夏の大銀座落語祭で大島先生が
プロテュースする英語落語をみたおかげだ。
ヤマハホール。暑い日だった。
ここで大島先生も英語で一席されたし、いっ平氏もトリをとられた。
彼の発音はたしかに日本人の英語であったが、英語を母語とする人びとのおなかをかかえさせる力を十分もっていた。
ぐうぜんだが、パックンもこのとき英語で漫才をした。
その後、先生を大学にたずね、今回、英語の吹込みをしたグレッグを紹介していただいた。狂言や歌舞伎などの日本の伝統芸能を学ぶ外国人は多いが
落語になるとほとんどいない。それは、やはり落語が、しぐさがあるとはいえ「ことばの芸」だからであろう。落語に興味をもって、寄席にも関心をもっているグレッグは貴重な存在だ。
一連の各支部主催のSK30教育講演会はおかげさまで各地で大好評だが
この大島先生のは唯一本部主催である。
内容はとてもかきつくせないのでふれない。
講演終了後、大島先生とわがスタッフと食事をしたが、
たいへんたのしいひとときだった。英語で落語をするというのは、
けっこうたいへんで、落語界からも「そんなのは落語じゃない」という批判がとんできたそうだ。
笑いは武装解除させる力をもつ 笑いは平和をつくる
そんな志がなければつづくことではない。
秋には津波で大きな被害のあったシュリランカを慰問訪問されるという。
その前に夏の大銀座落語祭はみんでいこう。
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今日は東京の事務局員にむけた新刊についての研修。昨日につづいて二日目なのだ。これで四月からはじめた研修が一段落。名古屋、大阪、仙台、福岡ととびまわった。制作のあいまをぬってのことなのでスケジュール的にはきびしいが、組織担当者たちに新刊の魅力をしっかりつたえることはすげえだいじだし、なによりスタジオやデスクをはなれて地方の現場をたずねるのは、いい意味で刺激になる。
制作のほうはといえば、すでに音の作業はおわってコロムビアの工場でプレスがはじまっている。輸入絵本もまもなくそろう。
というわけで、いまは『寿限無』の絵本と「テーマ活動の友」の校正、校正また校正だ。
文字の誤植はもちろんNGだが、絵本でたいへんなのは色の校正である。原画のとおりに再現するのはじつにむずかしい。音楽の録音再生がむずかしいのといっしょだ。たとえば、『ノアのはこぶね』の堀越先生の絵なとば、半立体作品なのでスキャナーにかからない。そこで精密な撮影が必要となる。じつはこれだけで、録音とおなじような時間と手間がかかる。照明、カメラ、スタジオ、そしてカメラマン。色わ性格に再現すめのはもちろん、マチエール、素材感や質感もださねばならない。そのフイルムをもとに印刷するわけだが、印刷は基本的には4色、すなわちマゼンダとよばれるピンクっぽい赤、シアンという青、イエロー=黄色、そしてBLあるいはK(クロ)とよばれる黒の4つのインクで行なわれる。理論上はこの4色の網点の濃淡の組み合わせですべての色が表現できる。たとえばいわゆるあざやかな真っ赤は、この色は広告にはかならずどこかにつかわれるが、金赤(きんあか)とよばれマゼンダ100%とイエロー100%をかけあわせたものだ。いまは印刷機もコンピューターが制御しているので、こまかく色調をかえられるが、かつてとは10%の幅なのでなかなかもとめる色がでなかった。
『寿限無』の絵はもともとコンピューターで彩色しているが、いまのコンピューターは3200万色とか1億5000万色とかの表現力があるので、これまたたいへんだ。いずれにせよ、パステル調や蛍光色の緑や青系は印刷屋さんなかせである。色校正というためしずりで調子をととのえていくのたが、ふつう色校正は1回である。しかし、例によってラボは色再校正、再々校正までとる。ああ、印刷屋さんごめんなさい。
まあ、しかしそれも物語の原稿の書き直しにくらべればたいしたことはない。『十五少年』のエンディングにいたっては10回かきなおしたし(そのたびにつきあった英語担当の鈴木さんもよくおこらなかった!)、『ノアのはこぶね』も数回かきなおしている。やつぱり「ことばはこどもの未来をつくる」けれど、「ことばはおとなのからだをけずる」のだ。
かのラフカディオ・ハーンも10段のタンスを書斎においていて、書き上げると一ばん上のひきだしにいれ、それを読み返しで書き直すとひとつ下にいれていき、10段めまできたものを出版社にわたしていたそうだ。
ちなみにそのタンスは松江の八雲記念館にある。
映画とか芝居の話を書く予定が別の話題になったるもっとも、さすがにこのところなにも見るひまがない。でもみたい芝居がいっぱいあるのに! みたい展覧会もあるのに!
クリエイティビティのガス欠になるぜ!
6月9日は三輪さんのアルジャーノンをみにいく。ぜったいいく。この日にスケジュールをいれたやつはぶっとばす。
その前に5月28日は友人のパーティがある。こに鈴木小百合氏もくるからお礼をいっておこう!
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いずれもすばらしい人びとをよびすてにしてしまった。
このところ,各地で新刊刊行記念の講演会が同時多発で行なわれている。
どれも、おかげさまで好評でうれしい。
みんな気さくな人たちなので,かまえている聴き手のがわもちょっとびっくりだろう。
ほんとうに一流の仕事をしている人は、みな気さくだし腰がひくいものなのだよ。
ぼくは、月曜日に東京で『寿限無』のイラストをかいた茶畑氏の講演というかワークショップにおつきあいした。この日の午後,印刷屋から『寿限無』絵本の色校正がとどくのでちょうどいいのだ。
彼の話しぶりは、すでに何人かの方がこのひろばのblogにかきこんでいるので、多くはかかない。ただあたたかい人柄がにじみでていいしやべりだったし、うちわにイラストをはるという工作タイムもすてきだった。
前日に制作ビデオをみていただいたが、講演のなかでその感想として
「子どもたちにいいものをあたえようと、多くの人が『ここまでやるか』というまでにこだわってつくる集団をみたこちがない」といってくれたのは
うるっときたぜ。
参加したテューターのほぼ全員にイラストいりのサインをにこにことされたのも好印象!
講演後、とどいた色校正はなかないいでき。氏もよろこんでくれた。
坂川氏のデザインもかっこいい。約束どおりおしやれな『寿限無』だぜ!
今回もいいメンバーにめぐまれたようなあ。
九州での鈴木小百合さんの話ももりあがったようだ。
みんなよろこんでくれてうれしい。
彼女と出会った30年前を思い出してまたうるっときた。
もうすぐSK30は完成。あとひとがんばり。応援よろしく!
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今朝、午前6時ちょうどくらいに
SK30の制作記録ビデオができた。土曜日の午後、ナレイションを録音して
夕方からMAをはじめて約12時間の作業だ。
ビデオには制作に参加していただいた
ほとんどすべての関係者が登場する。もちろんラボっ子もだ。
録音がはじまった2月から撮影を開始,わずか20分のビデオだが
撮影した素材はかなりの量だ。毎回重い機材をかかえスタジオに
そしてインタビューにと走り回ってくれたプロカメラマンの
中原義夫氏(ラボOB!)にあらためて感謝するのだ。
完成した音声と映像をみながらチェックをする。録音や打ち合わせの日々がぐるぐるまわる(寝不足のせいではない)。センチメンタルになってはいけないのだが、それも無理なはなしだ。
OK! マスタテープをしっかりしまい。たちあがる。もう電車は動いているが、「おくっていきますよ」と中原氏がキーを手にする。
外にでると、連休最後の日曜、母の日の朝は完全にあけはなたれている。
もう夏のにおい。「できた!」という充実感より安堵感のほうが強い。
月曜日に事務所でおひろめ。そのあとただちにコビーにだす。全国のパーティにのビデオがくばられるのは、5/20くらいだろう。
仮眠してから、午後センターにきてこの日記を書く。いくつかの原稿を夕方までに書くのだ。月曜日は全国教務委員会があり、『寿限無』の絵本デザインのデータわたしなどがあり、またあわただしい一週間だ。
いざゆかん 雪見にころぶところまで
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連休もおわろうとしているのだ。
今日もラボセンターはだあれもいないので
しすがなのだ。
しこしこと作業をしているのだ。
でもはげましの書き込みもいただいてうれしいのだ。
そこで、お礼といってはなんなのだが、ちょっといい話を追加するのだ。
4月26日に東北支部で新刊の研修があり
午前は私が前座をつとめ、午後は『ジョン・ギルピン』の音楽を担当した
牟岐礼先生に講演をしていただいた。
その翌日、先生からご挨拶のメールがきたので一部を紹介するのだ。
仙台ではお世話になりありがとうございました。
何回かラボの講演をさせて頂いて感じたのは、テューターのみなさんに共通する文化や芸術に対する意欲です。
きっと常にこども達に、重要なこと、基本的なこと、新しいことを伝えたいという気持ちを持っておられるからだと思いました。
ラボのこども達に、CDになった音楽の情報を少しでも多く与えてやりたいと思っておられるのですね。――牟岐 礼
ほんとは、日記のタイトルを「ちょっといい話2」にでもしようかと思ったけど、殺到されたてもこまるので……。
とりあえず、また激励書き込みよろしく!
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また、思いついたように書き込む。
連休後半のまんなか。
さすがにラボセンターにはだれもいないのだ。
電話もこなのいで、原稿をかいたり
校正したりするにはいい日よりだ。
SK30の制作作業はコツコツとしかし確実に前にすすんでいる。
4月28から三日間が最後の山で、
5月1日の日曜日に制作のメンバー全員で
スタジオにこもり、音声のチェックを行なった。
微妙な間の調整、微妙なブレス、微妙なノイズなどのカットをした。
たとえば『寿限無』が、和尚が亭主(寿限無くんのおやじ)
をまねきいれ、「おとうしもうせ」と亭主がはいってくるまでの間
これなどはきわめて微妙だ。
実際の芝居の間と落語の間はかなりちがうからだ。
芝居ならそれなりの時間が必要だが、落語なら噺家は身体のむきをかえるだけでその間をつくりだし、話のテンポはおちない。
ラボ・ライブラリーの場合は、かけあいでやっているので、芝居の間ともいえるのだが、テンポは落語のそれだ。また、音楽がバックにあればかなり間をつくっても聴けるが、ノンモンといって素の語りだけだと、大きな間はつらい。結局どうするかといえば、なんども聴いて感覚的にここだというポイントをきめるしかない。それらの作業はすべてコンピューター上で行なうのだが、ものをいうのはやはり人間の感性だ。これも0,5秒以下の感覚。
ブレスにしてもしかり、呼吸はどんなプロの語り手でもするわけで自然な音なのだが、聴いていてまさに息苦しいときがある、唇の発するのいずのはあらかた除去するが息については、あまり目立たないかぎりのこす。
英日版の場合は、語尾のブレスと頭のブレスがかなり近いので、どちらのかわからない。むしろ英語版のほうがブレスのあつかいは難しい。
くりかえし聴くと、どんどん細かいところが気になる。語尾のSが無声音にきこえないズに近い音になっている。録音のときになぜ気付かなかったかと悔やむ。作業を中断して別のテイクをさがす。しかし、きれいにSを発音していてかつ表現としてもすぐれているテイクがない。やむなく、Sだけさしかえる。10分ほどかかるが可能なのだ。かつては単語ごとさしかえでも驚異であったが、子音をさしかえることもできる。すげー。
18時ごろ、いよいよ作業おわり。まだ明るい外にでる。もう夏だねとだれかがいう。疲れてはいるが、みんないい顔している。アースデーもあいだにはさみ、ほかにも機関誌の仕事もすすめながらのたたかいだ。
いいライブラリーをつくりたい。ほんものを子どもたちにとどけたい。
それだけだ。
制作の過程でモニターを何回もくりかえすと、だんだん感動がなくなつて麻痺していくときがある。そういう場合、新鮮さわとりもどすにはかなりのパワーがいる。でも、今回はじつに毎回たのしく聴けた。
『寿限無』は何度聴いてもふしぎにたのしい。ラボっ子のがんばりがうれしいし、谷川さんの音楽も新鮮。『ヘルガの持参金』はほとんどミュージカルのようなわくわくするノリになった。歌が5曲。どれもよい。斉藤とも子そんの語りもかわいい。
『はなのすきなうし』は、こんなにいい物語だったかと、あらためて感じさせてくれるほど二木さんの語りと坂田先生の音楽がすばらしい。
おもわずききほれる。
そして『ジョン・ギルピン』。ラボOG三輪えり花さん、入魂の初演出だ。
ティムのロンドン弁がすばらしい。
さあ、音につづいてテキストづくり。絵本とテーマ活動の友の作業に集中だ。というわけで、もうすこしおまちください。
というよいにがんばっていきますので、皆様、はげましの書き込みを!
それと最後にちょっといい話。
4月28日に谷川賢作氏の『寿限無』の音楽を録音したときのこと。はじめて見る楽器がいくつも登場して楽しかったが、谷川氏いわく
「父(俊太郎氏)にラボの仕事をしているといったら、『ラボ? あそこは老舗だぞ。すごい作品ばかりだし、おまえだいじょうぶか』といわれたすごいプレッシャーです」
ではまた。
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毎日がものすごい回転力でやってくる。April come we willなのだ。
SK30いよいよ佳境にはいってきて,音楽どりがはじまった。
前にも書いたが、ラボ・ライブラリーの絵は空間的で、音楽は時間的だ。じつはテキストはそのどちらでもない。シンプルにみえるテキストほどその背後にはいろいろな情報がつまっている。
しかし、ときとして先にいそぎすぎたり、あともどりしたりする「ことば」を音楽はブレーキをかけたり、正しい方向をむかせたりすることができる。だからこそ音楽は「説明する」ものではない。
先週の火曜日に『ジョン。ギルビンのこつけいなできごと』の音楽録音が行なわれた。場所は昨年、ラボっ子たちが「ひとつしかない地球」を吹き込んだ麹町のSOUND INNという日テレの別館にあるスタジオだ。作曲は牟岐礼先生,演出はご存じラボOGの三輪えり花さんだ。
曲の細かいことはリリース前なので書けないが、バロック調のしぶい曲だ。ハープシコードが活躍する。ハープシコードはチェンバロ(イタリア語)ともいい、ピアノが成立する前の鍵盤楽器だ。大きさはグランドピアノをひとまわりくらい小さくした感じだが、ピアノとの決定的なちがいはピアは弦をハンマーでたたく打楽器て要素があるのに対し、ハープシコードは弦をひっかく「撥弦楽器」であることだ。ちなみにハープシコード弦には鳥の羽の根本のかたい部分がつかわれたそうな。
今回も打楽器には世界的パーカッショニストである高田みどりさんが参加。ティンパニ,スネアドラム,タンバリン,フレクサトーンなどと大活躍。バイオリンには篠崎さん。「西遊記」などでも弾いていただいている。
Westward Odysseyの歌の間奏のソロなどは彼だ。
録音は11時にスタートして19時くらいにおわったが、1日おいた31日にTDが行なわれた。TDは東京ディズニーランドのことではなく,楽器ごちとに異なるトラックに録音した演奏のバランスをとって2つのトラック,すなわちステレオにまとめる作業だ。トラックの数が16くらいから2つになるのでトラック・ダウンというわけ。
これが時間がかかる。ていねいに、楽器ひとひとつの音の大きさ、音色、音のかたさやわらかさ、艶、さらにはリバーブ=残響感、さらには楽器の位置(奥にいるのか手前か右か……)や音のひろがりなどを決定していく。したがって、またそうした作業をするなかで発見するこまかいノイズ。たとえばバイオリンの弓が演奏のあいまにかすかに服にふれた音のように本番のときにはきづかなかった音なども、このときに削除していく。また、演奏ミス(ほとんど本番のときに作曲家がきづくが)なども見つければ、別のテイクからその小説だけさしかえたりもする。したがって1曲に2時間くらいかかることはざらである。また、すべての曲は指定した長さで録音されているがその確認もする。まあ、じつに長時間の作業なのだが、これが音楽の命であり、ここでこだわらなければ意味がない。
それでも、この日のTDは牟岐先生の指示のもと、朝から準備して12時からはじめて夜9時には終わった。
このTDより時間がかかるのは、MAである。これはMulti Audioのことで映像と音楽をあわせる作業のことだ。ラボでもセリフに音楽を重ねるこの作業をかつてはダビングとよんでいたが、最近ではMAというようになった。
金曜日の正午からスタジオエコーでスタート。もちろん、音楽の出方のタイミング,大きさ,セリフとの位置関係などを決めるのは演出の三輪さんの仕事だ。もちろん、ぼくも意見をいうし、三輪さんからそう゛んされることもある。でも、なるべくぼくは演出家の完成を尊重するようにしている。
プロデューサーがいちいちこまかいことをいっていると、ほんとにNOといわなければならないときに説得力をなくすからだ。
英日版がほぼできたのが、夜9時、英語版が終わったのは午前2時30だった。音楽とナレイションのタイミング,大きさはじつに微妙な関係にある。ちょっとずれてもきもちわるいし、意味がかわってくる。
演出というとかっこよくきこえるが、じつにじつに根気と感性をすりへらす作業なのだ。映画の編集もそうだけど……。
「こなす」仕事、「やらされている」認識での仕事しかしていなければ、とてもこんなことはできない。執拗に編集をやりなおす映像監督にアシスタントの若者が「いいかんげんにしてください。何回やりなおせばいいんですか。ぼくは、もうがまんできません。やめます!」とぶちきれて、帰ってしまつたとき、その監督は「がまんできないって、あいつなにをがまんしてたんだ?」だといったそうだ。
仕事。仕事。仕事。でもそうわるい人生ではない。
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弥生もはやなかばをすぎて,ようやく春めいてきたのだ。
はっきりしない天気がつづくが、一雨ごとにあたたかくなるのだ。
新刊SK30は,(なかなか日記を更新する時間がなくて申し訳ない。しかし、ライブドアの堀江氏はあれほど多忙なのに、かならず自分で日記を毎日かきこんでいる。プログの鬼だ。ちなみにこのプログ=Blogは去年インターネット上で最もたくさん検索されたことばだそうな。語源はWeb Logで、すなわち、ウエブサイト上にLog=日記形式でかきこむ個人のHPの意味で、このひろばもプログといえるだろう)たくさんの人の協力で順調に制作がすすんでいる。もちろん、こまかいトラブルというか、さまざまないきつもどりつはしょっちゅうあるのだが、尺取り虫だって身体をちぢめないと前進できないのだから…。
そんななか、3月20日の日曜日にラボセンターで『寿限無』の日本語音声吹込みに参加するラボっ子の選考会が行なわれた。参加者は全国から100名,遠くは札幌や愛媛からもきている。スタジオにいけるのは,そのなかから最大6名。激戦である。
13時の開会前から8階の教室はとんでもない熱気。選考会のたびに思うのだが、ラボ・ライブラリーによせるラボっ子の思いはほんとにすごい。
あいさつにたつと、びんびんそれが伝わってくる。選考委員をつとめていただく演出の西村正平先生,絵を描く茶畑和也先生にもあいさつしていただいたが、両先生とも「とっても緊張しました」とのこと。
ぼくは、「スタジオにいっていただく人は、ざんねんながら6人だけです。その6人の方も,ラボ・ライブラリーの出演者のクレジットにはラボ・パーティの子どもたちとしかでません。なぜなら、たしかに声を吹き込むのはその6名ですが、このライブラリーづくりに参加したのは、きょうここにいる100名全員なのです。この100名のなかまがいて、6名の代表をえらぶことができるわけですから、きょうは選考会というなまえの会ですが、テストではありません。100人でラボ・ライブラリーをつくるという大仕事をするとおもってください。そして仕事ですから、いっしょうけんめいに、そしてたのしくやりましょう。ですから、さっきもいったように,完成したラボ・ライブラリーに書かれる『ラボ・パーティの子どもたち』とは、きょうここにいるみなさん全員のことです。そのことをどうぞほこりに思ってください。ぼくも、みなさんのような物語が大好きなラボっ子たちと仕事ができることわほこりに思います」とあいさつした。
多少むずかしいかな思ったが、子どもたちはじつにしんけんにきいてくれた。その他の先生方もかなり本質的な話をしたが、ラボっこたちはどの話もきつちりとうけとめた。
子どもは、すごい。本質的なものにはちゃんとむかってくるのだ。授業をきかない。人のはなしをきちんときかないなどというのは、「きけない」のではなく、「きくに値しないくだらない内容」だからきかないのだ。
この日あつまったのは、小4~6の子どもたち。自分がそのくらいの年だっころとくらべればとんでもないちがいだ。このモテイベイションの高さはなんなのだ。ほんとに、あたやおろそかなことはできない、どんなにつかれても、たおれても手をぬくなんてできない。彼らを前にするとそう思う。
「背筋がしゃんとしますよね」とは茶畑さんのことば。
午後17時、6名代表が無事にえらばれた。
3/26が録音である。
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