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2/22をかわきりに新刊SK30のレコーディングがはじまった。
いもつのことではあるが、またぴりぴりと神経をとんがらせた
日々がつづく。夜中にとつぜんとびおきて、家人をあわてさせることも
しばしばだ。ラボ・ライブラリーにかぎらず、映画でも舞台でも絵画でも音楽でも、なにかをクリエイトするというのはそういうことなのだなあ
とつくづく思う。
先週の金曜日、日本アカデミー賞の受賞式でプレゼンターのひとりである俳優の佐藤浩市氏が故相米慎二監督のことばを引用したあいさつをしたが、
じつに共感してしまった。それを自分におきかえるとこういうことだ。
「ひとりでも、多くの子どもの心にのこるラボ・ライブラリーをつくろうとしないのであれば、そのための努力をしないのであれば、それは仕事としてなんの意味もない」
でも、それは、じつはおそろしく傲慢で、かつわがままな思いいれにほかならない。でも一方で、やけつくほどにせつない心なのだ。このわかがままさとせつなさを、このSK30の制作に携わる専門家、スタッフとわかちあっていきたい。
その意味ではSK30はすばらしいスタートをきったと信じている。
『はなのすきなうし』を語った二木てるみさん、そして『ジョン・ギルピンのこっけいなできごと』でライブラリー初演出に挑戦した三輪えリ花さん。
みんなすてきにわがまままで、せつなかった。
今日は土曜日だが、メールで『寿限無』選考会のエントリーがとどいている。CDに自分の声わいれたいなんてラボっ子も、やっぱりおいらたちとおんなじわがままなにおいがするんだろうなあ。
いっしよに、遠くまでいこうぜ!
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昨日の夕方、新富町にある音響ハウス(ONKIO HAUS)
というスタジオにいってきました。ここは数々のヒット曲ん゛
うまれた名スタジオですが、われらが「ひとつしかない地球」の
オーケストラ録音が行なわれたスタジオでもあります。
昨日はアースデイコンサートのティケット受付初日であり、
同時に『寿限無』の選考会の受付開始日でもあったので
(それに全国委員会もあった)えらいばたばたしていたのだが、
宮沢和史氏の事務所の社長のおよびとあっちや
いかないわけにはいきません。
じつは昨日は宮沢さん自身による、「ひとつしかない地球」のレコーディングの最終日だったのだ。ヨーロッパから帰ってきて先週末にオケどり
そして昨日歌を入れて今日はき大阪に移動して23日にフェスティバルホールでソロコンサート。そしてとんぼがえりで渋谷公会堂でコンサートだそうだ。いやはや、忙しいなんていっている自分がはずかしい。
宮沢版「ひとつしかない地球」は4/20リリース。もちろん武道館で販売するけれど、ラボで先行販売させてとお願いしている。
同時収録されるのは、ヨーロッパ語によるこの歌と宮沢氏によるロシアの歌だ。
ぼくがスタジオについたときは、録音がほぼおわりミックスダウンと編集らわしているときだった。スタジオの入り口にぽつんとすわっていた宮沢さんとしばらく立ち話をした。
ラボのこと、山梨のこと、そしてこの歌のこと。
以下宮沢さんのことば
「やっぱり、ラボが幼いときの感性、感情への影響は大きいですよね」
「同級生やなかまがテューターになってるんですよね。すごいなあ」
「当時山梨のラボは独立的というか、とにかく横のつながりが強かった
んですよ」
「いま、また山梨のラボが元気なのはうれしいですね」
横のマネージャーがちらと時計をみた。
宮沢さんは9年前(「島歌」がヒットしたとき「ラボの世界」でインタビューした)にお目にかかったとき、『幸福な王子』のような渋めの話がすきだったといったのが印象的だった。そのことわいうと……
「幸福な王子ですか……」
多忙な宮沢さんが、ラボのことを思い出すのは一年に何時間かもしれない。でも、物語体験は時をこえてさまざまものを蘇らせる力がある。
「ラボランドもきれいになつたんですよね」
ラボは彼のドリームタイムだったのかなあ。
私「「ひとつしかない地球」は幼い子どもも歌っています。それも必死に歌ってます。時代の先端をいきている彼らは、いまこの歌を歌わねばならない状況をわかってるんですね」
宮沢氏もHPの日記などに書いているが、アウシュビッツにいってからねまたこの歌のとらえ方がかわったといいます。
宮「ラボ版の英語の歌詞もすごくきれいな詞ですよね」
私「あれは東久留米にあるとても小さなインターナショナルスクールの先生がかいたんです」
マネージャーがもういちど時計をみたところで、プロデューサーの佐藤さんが「じゃあロビーでうちあせしましょう」
声をかけてきた。音のチェックにスタジオ内にはいる宮沢さんに
「コンサートがんばってください」と声をかけると
きつとつかれてたいるはずなのに、やわらかな笑顔がかえってきた。
4/22はラボっ子もいっしよにこの歌をうたう。そのやり方はまだ秘密。
チケットは初日で600枚でた。もっとたくさんの2鎌で武道館にいこう!
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宮沢和史さんが所属する事務所の佐々木さんとツァー同行中の
マネージャーの長岡さんからメールがきました。
4/22のアースデイとも関係する話題なので
かいつまんでおしらせします。
なお、4/22のラボファミリー優待チケットの先行販売は
今週末に発表予定です。
宮沢和史は現在1/28のパリ公演からスタートした
ヨーロッパツアーの真っ最中なのですが、
連日、現地からの大成功の知らせを受けまして
勝手ではありますが、ツアー速報をお伝えさせて頂きます。
また宮沢は「ひとつしかない地球」を各国のゲスト・ミュージシャン
と共にレコーディングをしています。
エキサイト内でのblog中に、たくさんの写真とレポートが掲載されていますので是非ご覧頂けたら幸いです。
(2/4)はポーランド・プシェミシルでこれから本番を迎えます。
★MIYAZAWA-SICK news1
●宮沢オフィシャルサイト内写真blog“MIYAZAWA-EYES”
*宮沢撮影による写真日記
http://www.five-d.co.jp/miyazawa/eyes/
●「excite Music」内ヨーロッパツアーblog
*マネージャー長岡によるツアーレポート
http://blog.excite.co.jp/miyazawa
●高野寛オフィシャルサイト内ツアー日記
*バンドメンバー高野寛による“MIYAZAWA-SICK '05”ツアー日記
http://www.haas.jp/
「ひとつしかない地球」を各国のゲスト・ミュージシャンとレコーディング! “MIYAZAWA-SICK '05”ツアー中、ヨーロッパ各国で宮沢和史と共演する現地のミュージシャンと、ひとつの曲がレコーディングされていきます。宮沢和史作詞作曲による新曲「ひとつしかない地球」。ツアー最初の訪問地、パリ・フランスではライブでも共演した女性シンガーCATIAがレコーディングに参加しました。またブルガリアではKiril Marichkov(キリル・マリチュコフ)さんとの共演が実現。この後、どんな奇跡が待っているのか、blogでの速報を是非チェックしてください!
「島唄」がロシアのラジオ・チャートに登場!
2月9日、10日のMIYAZAWA-SICKロシア公演で宮沢和史と共演するディアナ・アルベニナ(Night Snipers)がカバーした「Симаута(島唄)」がロシアのラジオ・チャートを上昇中。1月最終週のチャートでは初登場第4位を記録しています。昨年12月に宮沢和史がモスクワを訪れた際にも、宮沢はロシアのテレビ番組やラジオ番組で「島唄」を弾き語りで披露しています。ブルガリア、ポーランドなど今回のツアー先である東欧の国々でも「島唄」は愛されています。
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MIYAZAWA-SICK '05
1月28日フランス・パリ
1月29日フランス・パリ
2月1日ブルガリア・ソフィア
2月4日ポーランド・プシェミシル
2月6日ポーランド・ブロツワフ
2月9日ロシア・ モスクワ
2月10日ロシア・モスクワ
2月12日イギリス・ロンドン
2月23日大阪・フェスティバルホール
2月25日東京・渋谷公会堂
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じつにおひさしぶりなのだ。
しばらくぶりの書き込みなのであります。
こんなにもさぼっていた理由はふたつ。
ひとつは忙しいのねん。もうひとつは、書きたいけど
まだ書けないことがいっぱいということなのだ。
ようするに、新刊SK30がいよいよ本格的になった。
録音そのものがはじまるのは2月の中旬だけど、いまは
キャスティンクやテキストのつめ、契約関係などのじつに地味な
作業をぎりぎりとやっているところ。
でも、そうした作業がたいせつなのね。
すでに発表されているキャストやスタッフはもうご存じでしょうね。
語り手は,『はなのすきなうし』は二木てるみさん、
「わーっ,なつしい」といってる人は世代がわかります。
『ヘルガの持参金』(なんどよんでもおかしい話だ)はテアトルエコーのユニットが参加。メインのナレイターはまだ秘密だよ。
『ジョン・ギルピン』は劇団昴の牛山茂さん。「アルジャーノンに花束を」
の好演は有名です。
この作品はOGで昴の演出家である三輪えり花さんがラボ・ライブラリー初演出! また日本語は吉田新一先生の約わつかうのだけど、今回はラボのためにほとんど新しい訳をつくってくださいます。
なお、英語の吹込みは全員ラボ・ライブラリー初登場の人ばかりになる予定。新鮮です。
音楽は、牟岐礼先生と坂田晃一先生、牟岐先生はすでにおなじみですが、坂田先生はラボでは『ハメルンの笛吹き』『十五少年漂流記』を担当されてます。ああ「海へ」はいいうただなあ。
なお、牟岐先生は現在NHKの金曜時代劇「華岡青州の妻」の音楽をそれから坂田先生は月曜ドラマシリーズ「ハチロー」の音楽を担当してるす。
それから「寿限無」の音楽は、まつたくあたらしい方が登場しますよ。
ともあれ唯一のラボオリジナルは現在、鈴木小百合さんが英語を作成中、
ジュゲム~のなかつたらしい名前が英語になりますぜ。
この絵は茶畑和也さん、これまた新人です!
ともあれ、スタッフ一同、なかよくけんかしながら
最高のものをとどけようとはりきっいます。
応援よろしく!
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あけましておめでとうなのだ、といいたいけど
世界はあまりにも悲しいことだらけで
そんな気分にならないのだ。
でもでも、生きているぼくらは、それでもとにかく前へ! なのだ。
12/30にラボランドから帰ってきたらあっというまに正月はおわってしまった。それでも、暮にはC・W ニコル氏にあいにいったり、この夏の新刊にむけてじつにいろいな動きがあったりとあいかわらずおもしろいことだらけなのだが、残念ながら日記には書けないことばっかりなのだ。
もうすこしまつのだ。
とりあえず、とりっぱなしになっていた写真をアップするのだ。

この写真はの別バージョンは「ラボの世界」で見たはずなのだ。昨年の夏,「十代とともに」のインタヴュー企画で永山裕子画伯の大塚にあるアトリエを佐藤公子パーティと訪ねたときのものだ。インタヴューイーの写真とラボっ子との記念写真がお約束でのるのだが、いつも2台のカメラで撮影する。なにせ失敗するとたいへんだからね。
このときは、デシタルカメラでとったほうがうまくいったのでこの銀塩カメラ(ようするにふつうのカメラ)でとったほうはつかわなかった。
それをすっかり忘れていて、そのまま暮にラボランドにいって写真をとって現像したらうつっていたというわけであるのだ。
みんないい顔をしている。
いい顔といえばキャンプのいい顔。

これは村長自ら対応した野外活動「冬の森をうたおう」だ。このコースはようするにペアでどかどか森のなかにはいっていって、色紙に絵と文をかくというものだ。色紙というのがミソで、そんなものにかく経験などみんなしたことがないから興奮する。それから、もうひとつのポイントは、その色紙をせパートナーにあげるねということ。こうすると、みんなもう必死にいいとこ見せようとがんばるのだ。じつは、ことばを書くのはけっこうむずかしいかなとか、冬の森はとりとめない景色だからかくのはたいへんかなと思ったけれど、さすがラボっ子みごとである。
そしてもういちまい。
これは中国語スペシャルロッシの中国語『西遊記』「金角銀閣とのたたかい」だ。けっこう迫力あるのだ。
まあともあれ今年もよろしくなのだ。
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クリスマスの朝である。
ラボセンは土曜日なのでだれもいないのだ。
あしたからはウィンターキャンプに
なんと村長さんなるものをしにいくのだ。
今年もみなさんにお世話になったのだ。
病気してめいわくもかけてしまったのだ。
ごめんなさいなのだ。
でもすてな歌もできたのだ。
かっこいい絵本もできたのだ。
来年もあらしいおはなしがでるのだ。
すごいおしゃれな「寿限無」をつくるのだ。
「ひとつしかない地球」もおもしろいことにぜったいなるのだ。
来年もいそがしいのだ。仕事だらけなのだ。
ほかのことはあまりできないのだ。仕事だけの人生なのだ。
でもそれよりいい人生もあんまりないのだ。
この日記をたまに読むごくかぎられたみなさん、2004年もよろしく
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前回、「絵はなんでもアリだ」とかかってなことを書いたけど。
自由に描くっていったいどういうことなんだろう。
ぼくが小学生のころ,学校で図工の時間に教師がB4の白い画用紙を配って「きょうは自由にかいていいですよ」といことがあった。よーするに、なにを描いてもいい。静物とか風景とか友人のんおとか特別なテーマはないから、すきなものをかいてよしということなのだ。
でも、ぼくやまわりの子どもたちにとってはちっとも自由ではなかった。ぼくたちが。かいてみたいのいったこともないけじアフリカの草原とか、月の裏側とか、もしかすると人間の身体のなかとか、はたまた滅茶苦茶ないきおいで好きな色をぬりたくるとか、そんな教室のなかで想像できるものではなかった。おばけにおさわれるところとか、白昼銃撃戦とか、とんでみないこわいものも描きたかった。すごいきれいな女の人も描いてみたかった。
でもねそういうものを描こうとすると、たいていはおこられたのだ。
『かぶ』を描かれた小野かおる先生は、絵本作家であり、東京造形芸術大学のせなせいだが、こうすうことをおっしやつている。
「自由に描きましょう。とかいつてB4の白い紙をくばってもちっとも自由ではありません。なぜなら、子どもがそこで選べる画材はせいぜいクレパスか不透明水彩だけです。それだけの紙や画材でどれだけのことができますか。それより、たとえば細長い紙をわたして、この紙にクレパスを横にだけつかつてなにか描いてみよう、といつた制限をあたえた描画にとりくませてみたりするほうが、よつぽど自由なものができますよ」
たしかにクレパスや不透明水彩だけが画材ではない。とくに幼い子はクレヨンかクレパス、小学校中学年維持用は不透明水彩なんていうへんな思い込みがあるが、考えてみればクレヨンやクレパスで広い面積をぬるのは幼い子にはたいへんなことだし、とくにクレヨンはかなり力をいれないと色がでにくい。そこへいくと幼い子に水彩をもたせればじつに楽に色がだせる。
さらに幼い子はフォルムとか「うまく描こう」とかつまらんことを考えないから、水遊び感覚でたのしめる。ぼくは幼いときほど水彩でいこう論者である。ただし、おとなのほうも、床がびっしょりになったり机がカラフルになる覚悟が必要だ。といっても水彩だから、水拭きすればずくににきれいになるけどね。しつこいけど、幼い子はフォルム=かたちにとらわれないから、輪郭線をかこうとか思わずにがんがん面で絵を描いていく。ところが小学生くらいになると、アニメとか漫画の影響をうけているから輪郭をきっちり描いて、そのなかを塗ろうとする。それでは塗り絵になってしまうよね。
アニメや漫画は別にわるいものではないのけれど……。
なにやら煮え切れぬ日記になった。でも、思うのだけれど幼いときほど専門家が指導したほうがいいよなあ。なんでも屋の先生ではあかん。じやあ、ラボ・テューターはどうなんだといわれそうだが、テューターは「指導」はあんまりしないからね。その分、子どもはすくわれているかも。
うーん、いそがしいのでここまで。
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永山裕子氏の水彩画個展がはじまった。会場は新宿アイランドタワーの20階にあるトーニチギャラリーだ。ここはとっても広いのよ。
永山氏のメインのアートは和紙のオブジェだが、水彩画もいっぱい描いている。この水彩画にはファンがいっぱいいて、永山さんはもうそれこそカリスマ・アーティスト(本人はおこるだろうなあ)。水彩だから、というわけでもないのだが、オブジェにくらべてわかりやすい。本んいわく芸大の仲間には「ナガヤマは金のためにそこまでおちたか」とさえいわれたりするそうだ。でも彼女にとっては水彩も自分の領域をひろげる作業であって、かきたいからかいているだけなのだ。抽象画をわからん芸術といいきるやつもアホだが、抽象じやなければアートじゃないとスノッブなものいいするやつもアホ以外のなにものでもない。どっちもありなのだし、絵でやっちやいけないことなどない。そういう意味では、絵画というのはじつに自由だ。ぼくは中1りのとき、ダリをみて「絵でこんなことをしていいのか」と愕然としたが、ようするにまだだれも知らない美を発見したやつがえらいのだ。
昨夜、6時ごろ仕込みようすわよみにいったら、なんと永山氏はひとりで展示の作業をやっていた。今回も点数は多い。50点くらいあるだろう。
さしてどれも色彩もみタッチもパワーにあふれている。
いつかいたんだこんなにー!
やっばりこの画画は化け物だ!
おそろしくなってにげかえりたくなったが、そうもいかんので
「ナガヤマさん、おはよーございます」
「キャー、おはなありがとう。かっこいいアレンジよね」
「そりゃよかった。あしたまたきます」
というわけで本日は初日、「眠り姫」をモティーフにしたケーキをいっぱい買って制作のスタッフと5時に乱入した。
きょうはレセプションで5時40分からフラメンコがあるという。
まあ、すごい人だ。お弟子さんたちでいっぱい。
この永山裕子展はクリスマスイブまでやってる。ラボセンまでくるときはよってみてください。
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朝、PCをたちあげたら『ドリームタイム』『ノアのはこぶね』の作者であり。『かにむかとし』そして宮沢賢治作品の英語担当物であるロジャー・パルバース氏からメールがきていた。ラボから歳暮でおくつたラボランドのりんごと梨への礼状だが、氏が小泉首相の私的諮問機関のメンバーになられたということがかんいてあった。下記のURLをみよというので、即つないでみるとヤフーの写真ニュースにバッチリうつっている。左はじの外国人がそう。
みなさんもみてくださいな。
Dear MM-- I just received some beautiful pears and apples from Labo. Please thank everyone for me. I am always thinking of you and hope that you are all well and thriving.
By the way, I have been made a cultural advisor to Prime Minister Koizumi.
Have a look:
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041207-02190886-jijp-pol.view-001
With all best wishes to you!
Roger
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ラボ・カレンダーがきた! とは前回もかいた。
ふりかえれば、ラボのカレンダーを子どもたちの絵で
つくりばしめてからもう20年になる。
それ以前に、「ことばの宇宙」は創刊以来、子ともの絵で
表紙をつくり、かつ子どものさまざまな作品を中心に編んできた。
それからいく星霜、「ことばの宇宙」の刊行スケジュールや判型などは変化したが、「子どもの表現を応援する」という「ことばの宇宙」の基本スタンスは変わっていない。
ラボ・カレンダーの絵も、コンセプトはいっしょだ。さまざまにある
子どもの表現のなかで、最も空間的な表現である描画にこだわって応援してみようということだったのだ。
でもさいしょの年はカレンダーにできるほどの絵があつまらなかった。
大きいサイズにとまどったのか、現在のような物語につっこんだパワフル作品があまりにすくなかったのだ。
カレンダーの応募サイズのB3という紙の大きさは4、5歳以下の子どもの肩はばより大きい。これは子どもにとってはけっこうな脅威(胸囲?)だ。はっきりいえば無茶かもしれない(当時はそうおもったりもした)。でも、一年に一度くらい、ぶったおれるくらいのガッツとパワーで絵に全力投球することがあってもいいのではないか。描きおわったら、もうたちあがれないくらい魂も身体も絵につかいきってみることもいいのではないか。ということで、やっぱりでかい絵でいこうとかん゛ばってよびかけた。
ともあれ、さいしょのラボ・カレンダーは2年かかった。
それから障害はほかにもあった。ラボ・カレンダーはカラーでつくりたい。そうなるとお金がかかる。ラボのなかまに買ってもらわないとなりたたたない。そこで、支部ごとに目標を設定した。そうなると「買わせるのか」
という声もでる。ラボ・ライブラリーのように「絶対必要なもの」とはいえないから、そういう反発というかご不満がでるのは当然である。
しかし、頑強につづけてよかった。これもラボのほこりだ。こんなパワーにあふれた絵が毎年3000まいも集まる児童画のコンテストはそうそうないし、プロがまちわびる子どもたちの絵もそうそうない。ラボっ子からみれば、絵本作家の先生たちの絵は「うまいなあ」という対象だろう。でも先生たちからいえばラボっ子たちの絵は「ああ、こんなふうに自由にかきたいなあ」という対象なのだ。『かにむかし』『おむすびころころ』などの宮本忠夫先生は、アトリエの仮眠用ベッドの天井にラボ・カレンダーをべたべたとはっている。創作ににつまると、そのベットにねころがりラボっ子の絵をながめるそうだ、そうすると「ちくしょー。こいつらはかるがるとかいてるじゃないか。そこへいくとおれはなんだー」とむらむらとファイトがわくそうだ。
たしかにとらわれずに描くことができる年齢は5歳くらいまでかもしれない。ピカソは晩年、まさに3歳児のような作品をたくさんかいたが、それについてピカソは「やっとこう描けるようになった。70年かかった」といっている。ピカソのような天才でもほんとうに自由にかくというのはたいへんなことだ。かと思えばジョアン・ミロのように、5歳の目をもっていたといわれる画家もいる。
そうしてみると毎年、子どもたちの絵をみているとビカソがいるブラックがいるミロがいるルソーがいる。それはとてもわくわくする。
かたちのうまいへたはとうでもいい。前にもかいたが、夢やあこがれといった心のかたちは丸や三角、四角のようにはっきりとしたかたちではない。
ラボの絵本に抽象画がけっこう多いのもそういうことだ。
絵は自由。その自由の意味を次回は考えるのだ。いじょー。
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